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「北朝鮮の脅威」のカラクリ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版  岩波ブックレット
アベ内閣が窮地におちいる状況になると、北朝鮮がミサイルを打ち上げ、Jアラートが発令され、アベ内閣は国民の目をそらして危機を切り抜ける。こんな構図が何回も繰り返されてきました。アベ内閣が北朝鮮へ内閣官房機密費から、いくらかまわしているのではないかという噂は絶えませんし、信じたくもなります。
いったい「北朝鮮の脅威」なるものは本当にあるのでしょうか。東京の地下鉄を10分間も停めるというのが、果たして何らかの対策になるものなのでしょうか。日本全国に50ケ所以上もある原子力発電所にミサイルが打ちこまれたらどうなりますか。それを喰いとめる手だては実際上なにもありませんが、それについてアベ政府が何か対策をとったという話はまったくありません。
2017年9月15日に北朝鮮が打ち上げたミサイルは高度750キロメートルの上空、すなわち人工衛星の周回する宇宙空間を飛んだ。このミサイルがもし日本に打ち込まれたとしたら、住民が両手で頭部を守って、しゃがみこむ訓練なんて、何の役にも立たない。
アベ政府のJアラート発令は、北朝鮮はアメリカを狙っていることが明白なのに、あたかも日本を攻撃しているかのように日本国民を勘違い、錯覚させてしまうものでしかない。
実は、北朝鮮は、これまで一度も日本を攻撃対象として、ミサイルを打ち上げたことはない。
北朝鮮の特殊部隊は、原発を攻撃すると想定するのは、空想的すぎると楽観的に考えられているが・・・。日本の原発にある圧力容器や使用済み可燃料プールに命中したら、甚大な被害が出るのは間違いない。この点の心配こそ先決ですよね。要するに50ケ所もの原発が存在するというのは、人質にとられているも同然なのです。
北朝鮮の軍隊は、ヒト・モノ・カネの点で国から優先的に配慮してもらっている。しかし、北朝鮮の国内は深刻な脅威に直面している。たとえば、燃料が不足して軍隊は訓練すらままならない状況にある。ただ、8万8千人もいる世界に例のない大規模な特殊部隊を持っていて、これが日本の原発や新幹線を狙ったら、どうなるのか、それがもっとも心配なこと。
アベ政治には一刻も早く退陣していただくほかありませんよね。わずか60頁あまりですが、内容はとても濃密です。これで520円とは申し訳ないほどです。
(201年3月刊。520円+税)

レーニン、権力と愛(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  ヴィクター セベスチャン、 出版  白水社
 私はソ連にもロシアにも行ったことがありません。レーニンの遺体は、その意思にさからって防腐処置をほどこして、公開展示されています。この処置には実は莫大なお金を要するようです。まったくもったいないお金のムダづかいだと私は思います。レーニンの霊魂が安らかに眠れることを願います。
 下巻は、いよいよロシア革命に突入します。1916年ころ、ロシアの自殺率は3倍に増加した。主として28歳以下の若者を襲った。ロシアの特高警察オフラーナは、大衆の気分に気がついて、政府に対して繰り返し警告した。体制が懸念すべきは、もろもろの革命グループではなく、人民である。いまや怒りは、政府一般ではなく、皇帝に向けられている。
皇帝は閣僚と参謀本部の助言に逆らって、軍の指揮を自らとっていた。これは、状況が悪くなったとき、野戦司令官に責任を負わせることができず戦争遂行に対する責任を自ら負うことになる。皇帝は、街頭示威行動について聞いてはいたが、その深刻さを理解していなかった。
 1917年2月に起きた二月革命は、完全に自然発生的、怒りの発露だった。このとき、ボリシェヴィキは、ロシア国内にせいぜい3000人と弱体で、ほぼ一文なしだった。
 レーニンは封印列車でスイスからドイツ経由でロシアに戻ってきた。ペトログラードの市民はレーニンを鳴物入りで歓迎した。レーニンは興奮していて、最後の2日間は眠っていなかった。しかし、すぐさま2時間に及ぶ演説を始めた。雷鳴のような演説で、聴く人々の心を打った。
 二月革命は、突如として、ロシアにかつてなかった。そして、それに人像もない、政治的自由をもたらした。
 レーニンは、1917年に巨額の資金源を手にして楽観することができた。ボリシェヴィキの党員は3月初めに2万3千人だったのが、7月までに20万人に達していた。
 ボリシェヴィキの運勢を大きく上向かせたのは、敵の無能ぶりが大きな要因だった。
 戦争で疲弊したロシアに戦争を継続するよう最大限の圧力をかける連合諸国の政策は、レーニンにとって利益となった。
 8月には、レーニンと「売国奴ボリシェヴィキ」に対する憎悪キャンペーンが最高潮に達した。
 歴史をつくるのは個人ではなく、広範な社会的・経済的権力だとするマルクスの観念の間違いを証明するものがあるとすれば、それはレーニンの革命である。レーニンは、策略と道理、怒鳴り声、威嚇、そして静かな説得をない交ぜにして使った。
 レーニンが3ヶ月のあいだ潜伏していたとき、党員になったばかりのトロツキーがボリシェヴィキの表の顔となった。トロツキーは、ロシア国内ではレーニンより、はるかに知名度が高く、はなばなしく脚光をあびていた。レーニンにはオフィスがいるが、トロツキーには舞台がいると言われていた。
レーニンは、トロツキーに大いに頼った。この二人は個人的には決して近くなかったが、両者のあいだに政治的な違いほとんどないことを、二人とも認めていた。
レーニンは、暴力の快楽を味わうことはしなかった。レーニンは他の多くの独裁者が好む軍服ないし、それに準ずるものを身につけることはなかった。
レーニンは、ろくに食事をとらず、健康にあまり気をつけていなかった。会議は午後5時に始まり、ほとんど休憩なしに6時間から7時間かけて降りてきた。
レーニンは、1918年7月に皇帝一家の殺害を副官だったスヴェルドロフに対して口頭で命じた。レーニンは王殺しに罪悪感はなかった。ロシア国内の世論を気にする必要もなかったことになる。
殺害される前、ロマノフ一家は、何人かの廷臣、6人の侍女、2人の従女、3人の料理人とともに元知事公邸で快適に暮らしていた。当時、ロシア皇帝はあまりに不人気だった。1918年に、レーニンの車は1日に3度も撃たれた。
レーニンの遺体をこれまで見たのは少なくとも2000万人。苦しいなかで、ロシア革命は社会主義を目ざすことになった。その結果をまったく全否定していいとも思われないのですが・・・。
(2017年12月刊。3800円+税)

新・日本の階級社会

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 橋本 健二 、 出版  講談社現代新書
現代日本の貧富の格差は拡大する一方ですが、著者は、もはや「格差」ではなく「階級」になっていると主張しています。
900万人もの人々が新しい下層階級(アンダークラス)に属しているといいます。
ひとり親世帯(その9割が母子世帯)の貧困率は50.8%。貧困率の上昇は、非正規労働者が増えたことによる部分が大きい。アンダークラスの男性は結婚して家族を構成するのがとても困難になっている。アンダークラスには、最終学校を中退した人が多い。資本家階級には、世襲的な性格がある。
資本家階級の人の身長がもっとも高く、アンダークラスはもっとも身長は低い。体重は、資本家階級がもっとも重く、アンダークラスがもっとも軽い。その差は7.1キロ。これって、アメリカでは、逆なんじゃないでしょうか。超肥満は貧困を意味し、スーパーリッチな人々はとてもスリムだと聞いています。お金をかけてダイエットし、スポーツジムで鍛えているのです。
排外主義の傾向が強いのは男性であって、女性ではない。自己責任論は、資本家階級と旧中間階級に肯定する人が多い。パートで働く主婦層は自己責任論を強く否定している。
アンダークラスの人々は、格差に対する不満と格差縮小の要求が平和への要求と結びつかず、むしろ排外主義に結びつきやすい。
自己責任論は、本来なら責任をとるべき政府を免責し、実際には責任のない人々に押しつけてしまう。「努力した人が報われる社会」というスローガンは、単に格差を正当化するためのイデオロギーになっている。
アンダークラスの人々が絶望感から排外主義に走り、また投票所に出向かないことによって、特権階級は金まみれの生活を謳歌しているというのが日本の現実ではないでしょうか。やはり、国民みんなが投票所に出向いて、日頃の生活実態にもとづいて、自分の要求を素直に反映して投票したら、この日本の恐らくもっとまともなものに変わると思います。投票率が5割ちょっと、というのではアベの専横独裁を許すことになり、私たちの生活はいつまでたっても良くなりません。
(2018年1月刊。900円+税)

ナチスの「手口」と緊急事態条項

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 長谷部 恭男、 石田 勇治 、 出版  集英社新書
自民党の憲法改正案のなかに緊急事態条項が入っています。災害等の非常事態のときには、国民の基本的人権の保護を停止して、国家権力が好き勝手に国民を統制できるようにしようというものです。
これは、ナチス・ヒットラーが国民を統制する手法でした。麻生大臣がヒトラーの手口の学べといったのには根拠があるのです。では、この緊急事態条項を導入すると、どんな危険が国民にふりかかってくるのか、それをドイツの例をひいて説明しています。
まずもって、コトバの魔術(マジック)に惑わされてはいけません。「基本的人権に関する憲法上の規定は、最大限に尊重されなければならない」と書いてあると、それは、「場合によっては、基本的人権が制限されることになる」ということなのです。つまり、「最大限に」というのは、「できる限り」、つまり「できないときもある」ということです。
ヒトラーのナチス政権は、スタートしたときの議席は国会の3分の1でしかなかった。連立与党をあわせても4割を少しこえた程度だった。1930年9月の選挙で、ナチ党は18.3%、共産党は13.1%の票を獲得した。そして、1932年7月の選挙で、ナチ党は37.3%と倍増した。ただし、共産党も14.3%へと伸ばした。ところが、1932年11月の選挙では、ナチ党は33.1%へと後退した。これに対して、共産党は16.8%へ躍進した。
ヒトラーが首相に任命されたのは、1933年1月30日。首相になったヒトラーには3つの道具があった。ひとつは大統領緊急令。ふたつ目は突撃隊と親衛隊。三つ目は大衆宣伝組織。
2月にヒトラー政府は、大統領緊急令をつかって言論統制をはじめる。2月末の国会会議事業炎上事件をきっかけとして、大統領緊急令を出した。これによって、共産党の国会議員をはじめとする急進左翼運動の指導者たちが一網打尽にされた。このときの放火はヒトラーの下にある突撃隊の一派がひきおこしたものだということが明らかになっている。
ヒトラーは、授権法を制定した。これは、憲法の変更をふくむ立法権を政府に与えるというもの。とんでもない法律です。これで国会はなくなったわけです。ヒトラーが首相になって授権法が制定されるまでの、わずか50日間、ナチ党以外一切の政党を禁じてナチ党独裁ができるまで半年。ヒトラーが「総統」になるまで1年半。あっというまに独裁体制ができ上がった。
内外の不安をあおって、強いリーダーに権限を集中させ、政府の権限を驚異的なまでに拡大させたのが、まさにナチ・ドイツだ。
アベ首相のような人物が独裁的権限を思う存分ふるえるようになったら、まさに日本は一挙に戦前のような暗黒社会に転落してしまうでしょう。
そうならないためにも、憲法「改正」論議の行方をしっかり見守っていきたいものです。
(2017年8月刊。760円+税)

夢を食いつづけた男

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 植木 等 、 出版  ちくま文庫
私が大学生のころ、植木等(ひとし)は、日本一の無責任男だと評判を呼んでいました。いかにも軽薄そのもので、小心者で頭の固い田舎者のぼくはいささか鼻白んでいました。
ところが、この本を読むと、その内実は、とても真面目な人物だったようです。そして、それは父親譲りだったのです。
植木等の父親は植木徹誠。三重県にある小さな山寺の住職もしていました。そして、その前は東京にあった御木本(みきもと)の工場で働き、社会主義に目覚め、活動していたのです。おかげで特高に捕まり、子どもの植木等は警察署へ差し入れの弁当を毎日自転車で届けていました。だから、植木等は大きくなってからも共産党と聞くと怖いという思いがあり、好きになれなかったといいます。父親はあとで東京に出て新宿民商の会長になり、共産党員としても活動しました。
植木徹誠が東京で労働運動に没入していたころ、アナーキストの大杉栄(関東大震災のとき、憲兵隊の甘粕大尉などに虐殺されました)も講師としてやって来て話を聞いています。
その後、徹誠は山寺の住職となり、部落差別に怒りをもって運動し、昼間はお年寄りに地獄と極楽の話をし、夜になると青年たちに革命の話をしていた。
すごいね。讃美歌をうたい、労働歌をうたい、もっと若いころには義太夫もうなっていたのです。まことに芸達者です。植木等は、きっとその血をひいたのでしょう。
しかし、治安維持法違反で検挙されるのです。このころ、小学生の等に対して担任の教師はこう言って励ました。
「きみのお父さんは立派なんだ。ただ、今のご時世にあわないのだ。進みすぎているのだ」
なるほど、そういうことなんですよね・・・。それでも等少年には辛い体験だったようです。
そして、親子は、ついに郷里から石もて追われるようにして立ち去るのでした。
父・徹誠は3年ものあいだ、各地の警察署を転々としていたそうです。大変な目にあったのですね。住職として戻って、檀家の人が寺にやって来て、召集令状が来たというと、徹誠はこう言った。
「戦争というのは、集団殺人だ。それが加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では、弾のこないような所を選ぶように。まわりから、あの野郎は卑怯だとかなんだとか言われたって、絶対、死んじゃダメだぞ。必ず、生きて帰ってこい。死んじゃったら、年とったおやじやおふくろはどうなる。それから、なるべく相手も殺すな」
偉いですね。戦争中にここまで、言えるなんて・・・。映画「二十四の瞳」の大石先生も、心の中はともかく、言葉に出しては言えないセリフでした。
植木等の父親を語る心のうちには、とても温かいものを感じました。無責任どころではありません。
(2018年2月刊。860円+税)

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