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旅する江戸前鮨

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 一志 治夫 、 出版  文芸春秋
この本を読むと無性に江戸前鮨が食べたくなります。江戸前鮨と海鮮寿司とは違うものだというのを初めて知りました。海鮮寿司はナマモノだけど、江戸前鮨は煮たり焼いたりして手を加えているので、食中毒の危険がない。
この違いを世間が知らないうちに食中毒で誰かが死んだりしたら、生レバー刺しがたちまち禁止されたように、寿司店でも「ナマ禁止、手袋着用」となるだろう。
カウンターに座って、目の前の寿司職人が手袋をしていたら、やはり興冷めですよね。
私は回転寿司なるものを一度も食べたことはありません。寿司にしても、娘たちが帰ってきたときに「特上にぎり」を奮発するくらいですので、年に2回あるかないか、です。それでも、一度は銀座でおまかせコース2万円というのを食べてみたいという夢はもっています。そんな店は予約が半年先まで埋まっているそうなので、無理な話でしょうか・・・。
これからの鮨屋にとって一番大切なのに、人間を仕込むとか、人間をつくることになってくる。鮨を売るというよりも、自分を売る。人間力がカギ。
江戸前鮨の真骨頂として、コハダの握りがある。コハダはシンコ、コハダ、ナカスミ、コノシロと名前の変わっていく出世魚。塩と酢の加減、締め方、身の硬さ柔らかさ、酢と飯の一体感、そして姿の美しさ・・・。
江戸前鮨とは、シャリに合うように魚を手当すること。魚に塩をあて、昆布じめにしたり、漬けにしたり、煮付けにしたりする。ときに火も通す。これに対して海鮮寿司は、単に酢飯の上に新鮮な魚をのせるだけ。
鮨屋は、いまや、あらゆる職業のなかで最後に残った「理不尽の砦」だ。労働基準法を守れば鮨屋は成りたたないとはよく言われる。職人の拘束時間は長く、技術を習得するまでの修業は辛い。上下関係も厳しい。
鮨屋は、人間力が問われる場であり、客も職人も勘違いしやすいところでもある。
「すし匠」では、入ってきた見習いが飯場にすぐに立つことはない。早くて数年の歳月が必要。
「無駄な時期というのは大切。無駄な時期をいかに与えるか、無駄な時期を無駄と思わせないでやらせることも大切。人間って、無駄がないとダメなんだ」
東京・四ツ谷で超有名な鮨店を営んでいた著者は50歳にしてハワイへ旅立ち、そこで今では評判高い鮨店を営業しています。この店の食材は基本的にハワイ原産のもの。日本の魚よりハワイの魚は味がすべて薄いので、塩や昆布を日本より強めにする。
すごいですね。ハワイ原産の魚を素材として江戸前鮨をハワイの客に出しているのです。「すし匠ワイキキ」は、ひとり300ドル。つまり3万円ほど、ですね。
私はハワイには行ったことがありません。フランス語を勉強している私は、やっぱりニュー・カレドニアのほうがいいんですよ・・・。
(2018年4月刊。1300円+税)

大根の底ぢから

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 林 望 、 出版  フィルムアート社
われらがリンボー先生は、お酒を飲まない代わりに、美食家、しかも手づくり派なのですね。恐れ入りました。私は、「あなた、つくる人。わたし、食べる人」なのですが、料理できる人はうらやましいとも思っているのです。
「たべる」と「のむ」というのは、古くは違いがなかった。「酒を食べませう」、「水たべむ」と言った。「たふ」とは漢字で「給(た)ふ」と書く。いただく、ちょうだいするという、敬意のふくまれる丁重な言葉なのだ。敬意がないときには、単に、「食う」と言った。ええっ、そ、そうなんですか・・・、ちっとも知りませんでした。リンボー先生の博識には、まさしく脱帽です。
初夏の何よりの楽しみとして、柿の若葉の天ぷらがあげられています。これまた、驚きです。
タケノコは孟宗竹(もうそうちく)と思っていますが、孟宗竹とは、渡来植物で江戸時代に薩摩に中国からもたらされたのが全国に広がったもの。これまた、全国津々浦々でタケノコつまり孟宗竹がとれると思っていた私は、思わずひっくり返りそうなほどの衝撃でした。
しかも、リンボー先生は、旬(しゅん)のタケノコを茹(ゆ)でて、マリネにして食べるんだそうです。なんとも想像を絶します。
関東は柏餅(かしわもち)、関西(とくに京都)は、粽(ちまき)を食べる。九州生まれ育ちの私は、子どものころ、実はどちらも食べた記憶はありません。
リンボー家では、料理は、朝晩ともリンボー先生の担当で、奥様は料理しない。そして、家でつくる料理は飽きがこない。うむむ、これは分かります。
でも、実は、リンボー先生は、月に2回か3回は、なじみの寿司屋で握りをつまんでいるのです。私などは、寿司を食べるのは、それこそ、年に2回か3回もあればいいくらいです。回転寿司など、これまで一度も行ったことはありませんし、これからも行きたいと思いません。
寿司屋に行って、カウンターに座って寿司が差し出されたら、すぐに食べるのが、まず何より大切なこと。職人の手を放れて目前の寿司皿にすっと置かれたその瞬間に、まさしく阿吽(あうん)の呼吸でこちらの口中に運ばなくてはならない。それでこそ、握るほうと食べるほうの気合いが通いあってほんとうの寿司の味が分かるのだ。
リンボー先生が「なまめかしい食欲」なんて書いているので、例の「女体盛り」かと下司(げす)に期待すると、なんと、「なまめかしい」とは「飾り気のない素地としての美しさ」ということで、拍子抜けします。
私と同じ団塊世代(私が一つだけ年長)のリンボー先生は、緑内障になってしまったとのこと。私は、幸い、まだ、そこまでは至っていません。白内障とは言われているのですが・・・。
季節の食材をおいしくいただく喜び。こんな美食こそ人生の最良の楽しみの一つだと痛感させてくれる本でした。リンボー先生、ますます元気に美味しい本を書いてくださいね。
(2018年3月刊。1800円+税)

風は西から

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 村山 由佳 、 出版  幻冬舎
巻末の参考文献の一つに『検証ワタミ過労自殺』(岩波書店)があげられていますので、ワタミが経営する居酒屋の店長が過労自殺をしたことをモデルとした小説だと推察しました。
それにしても、過労自殺する人の心理描写はすごいです。驚嘆してしまいました。
なるほど、責任感の強い真面目な若者が、こうやって自分を追い込んでいくんだろうな、辛かっただろうな・・・と、その心理状況は涙なくしては読めませんでした。
でも、この本に救いがあるのは、彼の両親と彼女が全国的に有名な居酒屋チェーンに立ち向かい、苦労して過労自殺に至る経過を少しずつ明らかにしていき、労災認定を勝ちとり、ついには社長に謝罪させ、相応の賠償金も得た経緯も同時に明らかにされていることです。そして、その勝利には我らが弁護士も大いに貢献しているのでした。世の中には、苦労しても報われないことも多いのが現実ですが、苦労は、やはり報われてほしいものです。
辞めていった店員を店長が率先して悪く言う。完全な人格否定だ。なぜ、そうするか。必要だからやる。辞めていった奴を、今いる人間にうらやましいとか賢いと思わせたら終わり。みんな、後に続いて辞めていき、使える奴なんて誰もいなくなってしまう。だから、残ってる奴に、辞めることは無責任で、はた迷惑で、最低最悪の選択だってことをとことん刷り込んでおく。そして、たまに、おごってやって誰かの悪口を言わせると、いい具合のガス抜きにもなるし・・・。なーるほど、そういうことなんですね。
テンプク。店長が全体のコントロールを誤って赤字を出してしまうこと。
ドッグ。毎週土曜日の本社での定例役員会議に店長が呼び出されること。役員の前で、なぜテンプクしたのか報告する。中身は、吊るし上げ。言葉のリンチ。どれだけ説明しても、まともに聞き届けてもらえない。何を言っても、店長としての自覚や努力が足りないことにされてしまう。揚げ足をとられたり、あからさまに挑発されたり・・・。
土曜日の朝のドッグ入り。土・日は忙しい。下準備が必要。少しでも寝ていたい。それが分かって呼びつける。こんなに不名誉で、面倒で、体力的にもとことんきつい日に二度とあいたくなければ、自分の無様なテンプクぶりを反省しろってこと。つまりは、見せしめ。
「正確なデータもなしに、なんでもいいから成績を上げろなどという無茶は言っていない。常識的なラインに、あと少しの挑戦や努力があれば達成できる範囲のプラスアルファを加味して、無理なく設定された売上目標・・・。要するに、会社が店長に望むのは、ある程度の強固な意志さえあれば、今後実現可能な目標を、毎日、着実にクリアすることだけ。じつに簡単なことだ」
このように理詰めで言われるのです。店長は売上が良くないときには、人件費を減らすため、パートを早く帰らせ、自分のタイムカードを早く帰ったようにして、実際には店に泊まりこんでしまうのです。
安倍政権の「働きかた改革」というのは、結局のところ、このような過労自殺を助長するだけだという批判はあたっているとしか言いようがありません。
「カローシ」が世界で通用するなんて、不名誉なこと、恥だと日本人は自覚しなくてはいけません。
(2018年3月刊。1600円+税)

雪ぐ人

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 佐々木 健一 、 出版  NHK出版
「雪ぐ」とは、冤罪をそそぐ(晴らす)という意味です。なかなか読めませんよね。
NHK特集番組「ブレイブ-勇敢なる者」(えん罪弁護士)が本になりました。東京の今村核弁護士が主人公です。なにしろ既に無罪判決を14件も獲得しているというのですから、すごいです。そして、それに至る努力がまさしく超人的で、ちょっと真似できそうもありません。
この本を読むと、それにしても裁判官はひどいとつくづく思います。頭から被告人は有罪と決めつけていて、弁護人が合理的疑いを提起したくらいでは、その「確信」はびくともしないのです。
そして、若いころには青法協会員だったり謙虚だった裁判官が、いつのまにか権力にすり寄ってしまっているという実例が示され、悲しくなってしまいます。
この本では、NHKテレビで放映されなかった父親との葛藤、東大でのセツルメント活動などにも触れられていて、等身大の今村弁護士がその悩みとともに紹介されています。そうか、そうなのか、決してスーパーマンのような、悩みのない弁護士ではないんだと知ることができて、少しばかり安心もします。
えん罪弁護士は、たとえ人権派弁護士であっても軽々しくは手が出せない領域だ。
本気で有罪率99.9%と対峙し続けると、その先には破滅しかない。
では、なぜ今村弁護士はえん罪弁護士を続けるのか。
それは、生きている理由、そのものだから・・・。
ちなみに私は、弁護士生活45年で無罪判決をとったのは2件だけです。1件は公選法違反事件でした。演説会の案内ビラを商店街で声をかけながら配布したのが戸別訪問禁止にあたるというのです。一審の福岡地裁柳川支部(平湯真人裁判官)は、そんなことを処罰する公選法のほうが憲法違反なのだから罪とならないとしました。画期的な違憲無罪判決です。当然の常識的判断だと今でも私は考えていますが、残念なことに福岡高裁で逆転有罪となり、最高裁も上告棄却でした。もう一件は恐喝罪でした。「被害者」の証言があまりにも変転して(少なくとも3回の公判で「被害者」を延々と尋問した記憶です)、裁判所は「被害者」の証言は信用できないとして無罪判決を出しました。検事は控訴せずに(とても控訴できなかったと思います)確定しました。
いやはや、無罪判決を裁判官にまかせるというのは本当に大変なことなのです。それを14件もとったというのは、信じられない偉業です。
犯行していない無実の人が「犯行を自白する」。なぜ、そんな一見すると馬鹿げた、信じられないことが起きるのか・・・。
社会との交通を遮断された密室で孤独なまま長い時間、尋問を受ける。そのなかで、自白しないで貫き通すのは非常に難しい。とにかく、その場の圧力から逃げたい。なんでもいいから、ここから自由になりたいという心理が強くなる。取調にあたった警察官のほうは、やっていない人を無理矢理に自白させているという自覚はない。「やっている」と思っている。根拠はないけれど、犯人だと思い込んでいる。警察は、全部、容疑者に言わせようとする。そうやって、正解を全部、暗記させたいわけ。
「放火」事件では、消防研究所で火災実験までします。当然、費用がかかります。200万円ほどかかったようです。普通なら二の足を踏むところを、日本国民救援会の力も借りて、カンパを募るのです。すごい力です。
そして、今村弁護士は鑑定人獲得に力を発揮します。迫力というか、人徳というか、並みの力ではありません。
ところで、えん罪事件で無罪を勝ちとった元「被告人」が幸せになれたのか・・・。
テレビ番組で紹介された「放火」事件も「痴漢」事件も、元「被告人」には取材できなかったとのことです。「放火」事件では、夫の無実を晴らすためにがんばった妻だったけれど、結局、離婚したといいます。
この番組ではありませんが、関西で起きたコンビニ強盗事件で無罪を勝ち取った若者(ミュージシャン)は顔を出して警察の捜査でひどさを訴えていましたが、そのほうが例外的なのですよね・・・。
この本は、自由法曹団の元団長だった故・上田誠吉弁護士に少しだけ触れています。私が弁護士になったころの団長で、まさしく「ミスター自由法曹団」でした。上田弁護士は今村弁護士に対して、「被告人にとっては、疑わしきは被告人の利益に、という言葉はない」と言った。弁護側が積極的に無罪を立証していく。これしかないというのが自由法曹団の弁護士だ。
ホント、私もそう思います。これは、もちろん法の建て前とは違います。でも、これが司法の現実なんです。したがって、弁護人は被告人と一緒になって死物狂いで積極的に無罪を立証していくしかありません。
私には今村弁護士とは大学時代にセツルメント活動に打ち込んだという一点で共通項があります。
テレビで特集番組をみた人も、みてない人も、この本をぜひ手にとって刑事司法の現実の厳しさをじっくり体感してほしいと思います。
(2018年6月刊。1500円+税)

1937年の日本人

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版  朝日新聞出版
15年戦争とも言われていますが、一般には、1937年7月7日に中国の北京郊外で起きた蘆溝橋事件をきっかけとして日本は日中戦争に突入していったのでした。
北支事変、のちの支那事変の始まりです。事変とは戦争のことなのですが、宣戦布告されていないので、事変とごまかしたのです。
それは、ある日、突然に「平和の時代」から「戦争の時代」に激変したというものではなかった。むしろ、ゆるやかなグラデーションのような形で、人々の生活は少しずつ、戦争という特別なものに染まっていった。
この本は、少しずつ戦争への道に突きすすんでいった戦前の日本の状況を浮きぼりにしています。
2・26の起きた1936年は、国民が既成政党へ強い不信を抱き、また、軍部が政治的発言力を増大させていた。軍部は、軍事予算を拡張したいという思惑のもとで、「非常時」とか「準戦時」、「国難」というコトバで国民の危機感を煽るべく多用していた。
満州事変の1931年度の決算と、1937年度の予算を比較すると、予算総額は倍加し、陸海軍省費は3倍となった。
1937年5月、日本帝国政府としては支那に対し、侵略的な意図などないと発表した。そして、1940年に東京オリンピックの開催に向けて準備がすすんでいた。
北支事変において、紛争の原因は、あくまで中国側にあり、日本軍の対応は受け身であると日本側は発表した。
1937年の時点で、中国にいる日本人居留民は7万4千人。上海に2万6千人、青島の1万3千人。天津の1万1千人。北京は4千人でしかなかった。
中国の民衆からすると、日本軍はなにかと理由をつけては自国の領土に勝手に入りこんでくる外国軍だった。日本軍が「自衛」という名目で繰り返し行っている武力行使は、中国市民の目には「侵略」だった。
日本の財界人は、「北支事変」を、まさに天佑である」と信じ込んだ。
先の見通しが立たないまま拡大の一途をたどる日中戦争の長期化は、「挙国一致」という立派な大義名分の影で、じわじわと国民の生活を圧迫していった。
盧溝橋事件から、わずか3ヶ月で1万人ほどの日本軍が戦死した。おそるべき数字だ。中国側の死傷者数は42万人に達した。
1937年12月に検挙された人民戦線事件は、日本ですでに少数派になっていた政府批判者に決定的な打撃を与えた。戦争に反対したり、疑問を表明するものは、自動的に「国家への反逆者」とみなされ、社会的制裁の対象となった。
こうやって戦前の動きを振り返ってみると、まさしくアベ政権は日本の戦前の過ちを繰り返しつつあることがよく分かります。
(2018年4月刊。1800円+税)

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