法律相談センター検索 弁護士検索

阿片帝国日本と朝鮮人

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 朴 橿 、 出版  岩波書店
戦前の日本軍がアヘンの密売によって不法な利得を得ていたこと、その手法として朝鮮人を利用していたというのは歴史的な事実です。
日本は朝鮮が、日本の植民地のなかでアヘンを生産するのに、もっともふさわしいと判断した。それは、この地域がアヘンの消費とそれまでほとんど縁がなく、気候・地質・民度・警察状況などが適しているからだった。そこで、植民地朝鮮で、アヘンはもちろん、これを原料とした麻薬まで生産し、満州などに供給・販売していた。
日本が朝鮮を植民地支配(著者は「朝鮮強占」としています)して以降にあらわれた朝鮮内外の朝鮮人のアヘン・麻薬問題は、日本の対外侵略にともなうアヘン・麻薬政策と密接に関連していた。
日本は満州国の支配力確立に必要な財源(全体の16%)をアヘンの収入に依存していた。満州と中国本土に駐屯した日本軍は、機密費・謀略費・工作費をアヘン収入から調達していた。
日本が上海ほかの中国の各都市でアヘン販売によって得た利益の大部分が東條内閣への補助資金と議員の補助金に割りあてられ、東京に送られていた。
日本は、表面的にはアヘン根絶を表明していた。しかし、実際には、収益性の側面を重視した。
中国の大連は、麻薬密輸出の中心地として国際社会から注目されていた。中国の天津に居住する日本人5000人のうち7割はモルヒネその他の禁制品取引に関係していた。これでは天津事件(先に、このコーナーで紹介しました)が起きたのも当然ですね・・・。
1926年来の朝鮮のモルヒネ中毒者は7万人余とみられていた。満州国が建国された1932年ころ、アヘン中毒者は90万人、人口の3%と推定されていた。
満州国の主要都市でアヘン密売に朝鮮人が多く従事していた。それは日本当局の暗黙の承認ないし支持によるものだった。
日本人が朝鮮半島に移住したことから朝鮮人は中国(満州)の移住したものの、農業では食べていけなかったのでアヘンに関わるようになった。朝鮮人のアヘン密輸業者は、北京へ運搬したあと、日本軍当局に純利益の35%を報償金として提供した。
青島内に麻薬店が75店舗あり、そのうち51店は朝鮮人が運営していた。
韓国人学者による朝鮮人のアヘン密売に関わる資料の掘り起しの成果物です。大変貴重な内容になっています。高価ですので、ぜひ図書館でお読みください。
(2018年3月刊。5500円+税)

不知火の海にいのちを紡いで

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 矢吹 紀人 、 出版  大月書点
いま、ノーモア・ミナマタ国家賠償請求訴訟が進行中です。
ええっ、水俣病って裁判で決着がついたんじゃなかったの・・・。そんなギモンに本書は答えてくれます。
水俣病が公式に確認されたのは1956年(昭和31年)5月1日のこと。1995年(平成7年)には、政府が解決策を示して、1万人が補償を受けた。しかし、行政認定基準が狭く、多くの被害者が隠れたまま取り残されていた。
2010年(平成22年)、鳩山由紀夫首相のとき、水俣病裁判史上はじめて国も加わった和解が成立して、5年来に及ぶ裁判はすべて終了した。
ところが、国は2012年7月末、被害者団体の強い反対を押し切って特措法申請の受付を締め切った。対象地域外の申請者に検診すら受けさせないことも起きた。
そこで、2013年(平成25年)6月、ノーモア・ミナマタ第2次国賠訴訟が起こされた。現在の原告は1311人となっている。
先日亡くなられた大石利夫さん(不知火患者会の会長)は、味覚がマヒしていて、味が分からない。どんなに美味しい刺身を食べても、ただ生の魚を食べているという感じ。味が分からないので何を食べたいとか、どんな料理を食べたいとか、そんな気が起きない。だから、毎日、料理をつくってくれる妻に対して、「美味しかったよ。ごちそうさま」と言葉をかけることができない。
大石さんは、痛みも熱さも感じない。学校で子どもたちの前で、名札の安全ピンをとってピンの針を自分の左腕に突き刺してみせた。
孫と一緒に風呂に入ると、孫が激しく泣き出した。熱湯だったからだ。大石さんは平気だった。シャワーの温度を50度にして膝から下にかけても、足首から先が真っ赤になっているのに、熱いとは感じなかった。
全国のノーモア・ミナマタ第2次国賠訴訟は、「対象地域外」に居住している原告が一定の割合を占めている。汚染された魚をたくさん食べて、メチル水銀に暴露したのだ。それを立証するため、一斉検診が取り組まれた。
水俣病第一次訴訟は、急性劇症患者を中心とする行政認定患者がチッソの法的責任を明らかにする目的でたたかれた。
水俣病第二次訴訟は、未認定患者を中心としてチッソを被告とする損害賠償請求したもの。
水俣病第三次訴訟は、未認定患者がチッソ・国・熊本県を被告として損害賠償を求めたもの。国の水俣病患者大量切り捨て政策を転換させるのが最大の目的だった。
そして、ノーモア・ミナマタ第一次国賠訴訟は、未認定・未救済の患者がまだ多く放置されているので、その恒久的救済を求めたもの。これは特別措置法の制定につながった。
水俣病の被害とは、水俣病に罹患したことによる神経症状、それによる日常生活の支障、精神的苦痛の総体と言える。見た目にすぐ分かる被害ではない。
チッソ水俣工場は、戦前の昭和7年(1932年)からアセトアルデヒドの合成をはじめた。触媒として使用されてきた大量の水銀が40年間にわたって水俣病湾内に放出されていた。水俣湾に堆積した水銀量は70~150トンだ。
水俣病をめぐる裁判で何が問題だったのか、明らかにしていく過程がよく分かります。今なお、たくさんの水俣病被害者が救済されず放置されている現実に怒りを覚えました。なんとか裁判で国・県とチッソの責任をただしてほしいものです。。
(2018年5月刊。1600円+税)

前川喜平「官」を語る

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 前川 喜平・山田 厚史 、 出版  宝島社
文科省の前事務次官だったわけですが、なぜ在職中からモノを言わなかったのかと詰問されることがあるそうです。これに対して、著者は率直に申し訳なかったと謝ります。でも、たった一人では何事も出来なかっただろうと、付け足しをつぶやくのです。まったくそのとおりです。いま、勇気ある発言をしている人に対して、ないものねだりをしてはいけないと私は思います。
なぜ在職中に、官邸と戦わなかったのかという批判がある。それは、まったくそのとおりで、私はその批判を受け止めなければならないと考えている。ただ、もし戦いを挑んだとしても、官邸の強大な権力に対して、一役人に過ぎない者にできることはほとんどなかっただろう。
退官していろいろ話しているので勇気があると言ってくれる人もいるけれど、自分は勇者でも何でもない。
官僚は、政治の力に100%屈するのではなく、折り合いをつけながら何とか前へ進んでいく。それしかない。「右へ行け!」と言われて、明らかにおかしいと思ったら、90度ではなく、60度くらいの角度で右に進む。また、風向きが変わったときに60度くらい左に進む。ジグザグに進みながら、何とか形を守る。それが多くの官僚の生き方だろう。
不本意な状況に甘んじるしかない自分がいたとしても、必ずいつかは挽回するんだという気持ちを持つか持たないかで、長い年月のあいだ仕事をすれば、ずいぶん大きな違いが出てくると思う。
安倍首相のウソは明らか。それは、野球にたとえたら、10対0の大差がついている試合なのに、負けている側が、「そろそろ時間もないし、続けても意味がないから、ここで引き分けにしよう」と言っているようなもの。これでは、とても引き分けにはならない。
安倍首相は、「これまでの答弁は、すべてウソでした」と言えないので、新しい証拠が出てくるたびに虚偽の答弁を重ねるしかない。
安倍政権は、それらしき言葉を作るのがうまい。でも、みんな虚構。
安倍首相は、詭弁を正当化するために、「前川前事務次官ですら、そう言っている」なんて、言うのは本当にやめてほしい。本当にそうですよね。
いまの状況は政治主導でもなんでもない。事実でないことを平然と強弁して物事を進めてしまっているだけで、政治と行政を私物化している。明らかに歪んでいる。
こんな気骨のある官僚がいたからこそ、日本という国はもってきたのですね。政治と行政を私物化していると指弾されている安倍首相には、そのコトバどおり、首相だけでなく、議員もすぐにやめてほしいです。
福岡の本屋で平積みされているのを見つけて、そのまま喫茶店ですぐに読了しました。
(2018年7月刊。1380円+税)

学ぶ脳

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 虫明 元 、 出版  岩波科学ライブラリー
休んでいるときでも、脳は想像や記憶に関わる活動をしている。
最新の脳科学の研究によると、作業したりして活発に精神活動をしているときだけ脳は活発に活動しているのではなく、ぼんやりとしていて、一見すると休んでいると思われる安静時にも活発に活動している。
計算などに関わる脳の場所と安静時に活動する場所は、シーソーのように、片方が動くともう片方が休み、しばらくすると活動する場所が交代する。
安静時にも活発に活動している場所(基本系ネットワーク)は、脳のネットワークの集まる中心、つまりハブであり、脳全体を統合する役割を果たしている。このような安静時の脳活動の発見によって、脳の活動は、休んでいるときにも常にネットワーク単位で切り替わりながら活動し続け、揺らいでいることが明らかになった。
自分の意思どおりに何かをできるという自己効力感は、何を学ぶときにも基本となる喜びである。子どもにとって、遊びは、自発性を促し、達成感を通して学びの姿勢を育む貴重な機会である。
海馬は、大人になっても細胞が新しく生まれる数少ない脳の場所である。つまり、海馬は、ページ数が次々に増える日記帳であり、予定帳のようなものである。ただし、古い記憶は大脳皮質にアーカイブとして記憶され、海馬には依存しなくなる。
人は、一般的に損失については過度に敏感で、損失が回避できるなら多少のリスクを冒しても絶対に損を出したくないと感じる。
生物界においては、遺伝性だけでなく、社会的な相互作用で多様性が形成され、その多様性が大切なのである。
性格は多面的であり、状況によってはいくつも別の性格特性が発現してきても不思議ではない。一人の人間に潜在的に複数の性格特性があり、状況によってそれぞれ違った性格特性が発現してくる可能性がある。
創造性に優れた人ほど、脳のグローバルなネットワークでの情報のやりとりの効率性が良い。
脳と性格、そして人間とはいかなる存在なのかを改めて教えてくれる本です。126頁という薄い冊子ですが、一読して決して損はしません。
(2018年6月刊。1200円+税)

戊辰戦争の新視点(上)

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 奈倉 哲三 ・ 保谷 徹 ・ 箱石 大 、 出版  吉川弘文館
幕末から明治にかけて戦われた戊辰戦争のとき、諸外国がどのようにみていたのか、興味深いものがあります。
日本での内戦は欧米の死の商人たちにとっては絶好のビジネスチャンスだった。大量の武器弾薬が開港地で取引されることになった。1868年に横浜から輸入された小銃は10万6千挺、長崎でも3万6千挺だった。新政府の下にあった横浜・兵庫・大坂・長崎で輸入された銃砲・軍需品は総額273万ドル、箱館だけでも5万ドルの取引があった。
戊辰戦争は開港地の支配をめぐるたたかいでもあった。なかでも焦点になったのは新潟・・・。
フランスのロッシュ公使は江戸幕府と強い結びつきをもっていたので、一貫して新政府に不信感をもち続けた。結局、ロッシュは帰国を命じられた。
アメリカの新政府承認も大きく遅れた。アメリカのヴァルケンバーグ公使は、ミカド政府を復古的な政権と考え、排外主義に傾くのではないかと疑っていた。アメリカは、日本の内戦が長引くものと予想していた。
戊辰戦争のとき、奥羽越前列藩同盟の事実上の軍事顧問であり、「平松武平衛」と名乗っていたシュネルはオランダ領事インドに生まれ、ドイツ語圏そのあとオランダで成長した。そして、横浜のプロセイン領事館で書記官として勤め、ブラント公使の通訳として働いていた。武器商の弟エドワルトとともに同盟諸藩への武器調達の仲介をしていた。
ブラント公使は、北海道について、ドイツ人の植民拠点となりうるという報告をドイツ本国に送っていた。ドイツは大英帝国に遅れをとっていて、それへの対抗心があった。
幕末から明治にかけての動きのなかで、欧米諸国の視点は見逃せないこと、その果たした役割は決して無視できないものだと痛感させられる本でした。
(2018年2月刊。2200円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.