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珈琲の世界史

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 旦部 幸博 、 出版  講談社現代新書
私は喫茶店でホットのカフェラテを飲みながら原稿を書くのを習慣の一つにしています。適度な騒音に囲まれながらの執筆のほうが集中して作業がはかどります。もっとも、隣でおばさんたちの面白い世間話だと気が散ってしまいますけれど・・・。
 世の中にコーヒーって、こんなにたくさん種類があって、それぞれ歴史があったのですね・・・。
コーヒーは、コーヒーノキというアカネ科の植物の種子(コーヒー豆)からつくられる飲み物。コーヒーは全世界で1日に25億杯のまれている。水、お茶(1日に68億杯)に次ぐ世界3位の飲み物。1杯あたり、お茶は2グラムに対し、コーヒー豆は10グラム。フィンランドは1人1日3.3杯、アメリカは1.2杯。日本は1杯。
コーヒーノキは、アフリカ大陸原産の常緑樹木熱帯産なので寒さに弱い。
最大生産国のブラジルが世界の3分の1を占める。次いで、ベトナム、コロンビア、インドネシアと続く。アラビア種とロブスタ種、そしてリベリカ種の3種がコーヒーの3原種。アラビア種が世界の生産量の6~7割を占める。残る3~4割はロブスタ種。
17世紀後半のイギリスでは、人口50万人のロンドンに3000軒ものコーヒーハウスが立ち並んでいた。市民が政治談議をし、世間話をする交流の場だった。ところが、当時のコーヒーハウスは女子禁制だった。
 フランスはイギリスより少し遅れて17世紀後半にカフェが始まり、18世紀はじめには、人口50万人のパリに300軒のカフェがあった。フランス革命直前の1788年には人口60万人のパリに1800軒のカフェがあった。フランス革命はカフェに始まったと言える。
アメリカの南北戦争のころ、北軍では兵士に戦地でコーヒーが支給された。南軍のほうはコーヒー不足のため、タンポポの代用コーヒーを飲んでいた。
戦争のときは、戦地での眠気防止や疲労感の軽減に役立つということで、前線の兵士にコーヒーが支給されていた。コーヒーの覚醒と興奮作用を軍が利用したわけである。香りや温かいものを飲むという行為が兵士にとって貴重な安らぎとなり、ストレス軽減につながった。戦争とコーヒーが結びついていたというのは悲しいことですね。
江戸時代、大田南畝(蜀山人)がオランダ人の船でコーヒーを飲んだことを書いています。そこでは「焦(こ)げくさくて、味わうに堪(たえ)ず」という感想を残しています。たしかに私にとっても、子どものころのビールと同じで、苦いばかりで、まずいと思ったものでした。
私の大学生のころ(1967年に大学にはいりましたので、50年前のことです)は、喫茶店に入ると、コーヒー1杯で最長5時間ほども話し込んでいました。それでも幸いにして追い立てを喰うことはありませんでした。おおらかな時代だったのです。
今度、スタバが高級コーヒーを売り出すとのこと。いくらでしょうか。また、原稿書きできる環境ではあるでしょうか・・・。コーヒーは今や、なくてはならない存在です。
(2017年10月刊。800円+税)

私を最後にするために

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ナディア・ムラド 、 出版  東洋館出版社
読みすすめるのが辛い本です。よくぞ勇気をもって真実を告発したものです。心より敬意を表します。著者は2018年のノーベル平和賞を受賞した女性です。
イラク北部に住んでいたヤズィディ教徒たちがISIS(イスラム国)に襲われました。著者はISISによって連れ去られ、フェイスブック上に開設された市場で、ときにわずか20ドルで性奴隷として売買された数千人のヤズィディ教徒女性の一人だった。その母親は、他の80人の高齢女性たちとともに処刑され、目印ひとつない墓穴に埋められた。また、兄たちは、数百人の男性とともに一日のうちに殺された。
ISISのパンフレットは次のように書いている。
Q,女の人質を売ることは許されるか?
A,女の人質と奴隷は、単なる所有物であるから、売る、買う、または贈り物にすることも許される。
Q,思春期に達していない女の奴隷との性交は許されることか?
A,相手は性交に適しているなら、思春期に達していない女の奴隷と性交渉をもつことは許される。
信じがたい問いと答えです。これが宗教の名でなされているのですから、その宗教とは一体なんなのか、疑わざるをえません。ヒトラー・ナチスがユダヤ人を人間と扱わなかったのとまったく同じです。
ISISは、略奪してきたヤズィディ教徒の女性をサビーヤと呼び、性奴隷として売買した。
ヤズィディ教徒の女性は不信心者であり、その戦闘員によるコーランの解釈によると、奴隷をレイプするのは罪ではないとされる。
新たな戦闘員を勧誘し、忠誠と適切な職務遂行のほうびとしてサビーヤが手渡される。
ISISが著者を連れ去り、奴隷にし、レイプし、虐待し、そして一日のうちに家族7人を殺したとき、著者を黙らせることができると考えたことだろう。しかし、著者は沈黙しなかった。孤児、性暴力の被害者、奴隷、難民、このように呼ばれることに抵抗し続けた。そして、新しい呼ばれ方を自ら示した。生還者(サバイバー)、ヤズディ教徒たちのリーダー、女性の権利擁護者、そしてノーベル平和賞受賞者、国連親善大使。
ヤズィディ教は、古代からある一神教。物語を託された聖人によって、口承で伝えられてきた宗教だ。
ヤズィディ教徒は世界中に100万人ほどしかいない。
ヤズィディ教徒に対する攻撃は「ファルマン」と呼ぶ。オスマン帝国の言葉で、ジェノサイトと同義。
ヤズィディ教徒は異教徒とは結婚しないし、異教徒がヤズィディ教に改宗することも認めていない。信徒を増やすためには、大家族をたもつのが一番確実。そして、子どもの人数が多いと、農作業の人手に困らない。
ヤズィディ教徒では、神は人間をつくる前に7つの聖なる存在、天使を神の化身として想像した。その一つがクジャク天使。イスラム教徒は、クジャク天使の話を聞いて、悪魔崇拝者と呼ぶ。
ヤズィディ教徒は12月には、贖罪のため3日間の断食をする。
ヤズィディ教徒は、1日3回お祈りをする。
ヤズィディ教徒では、あの世とは、要求の多いところで、死者は、この世の人と同じく苦しみを味わうことがある、とされる。
ヤズィディ教徒の聖職者たちは声明を出した。元サビーヤは、コミュニティに戻ることを歓迎され、その身に起こったことで批判されることはない。改宗は無理やりされたことなので、ムスリムとはみなされない。レイプされたのだから、被害者であり、汚れた女ではない。
サビーヤにされた女性たちを、両手を広げてあたたかくコミュニティに迎え入れるべきだ。この声明に接して、少しだけ心が落ちつきますが、しかし、なかなか容易なことではありませんよね・・・。
人には語らねばいけないときがある。そう思わせる、ぐぐっと重たい本でした。まっ黒な背景に寂しい目でまっすぐに前を見つめている著者の顔に意思の強さを感じまる。
あまりの重たさに、ためらいつつも広く読まれるべき本だと確信します。
(2018年11月刊。1800円+税)

平和憲法の破壊は許さない

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 寺井 一弘、伊藤 真、小西 洋之 、 出版  日本評論社
統計データのインチキもまた、アベ政権への「ソンタク」だということが判明しました。ところが、当の本人のアベ首相は、「厚労省は反省してもらいたい」などと他人事(ひとごと)かのように知らぬ顔です。カゴイケ夫妻の学校用地「格安」払い下げ、モリトモの獣医大学新設・・・、いろんなところで権力によるウソがまがり通っています。今また、憲法改正をめぐって壮大なウソが展開中です。
「自衛隊条項を憲法に書き込んでも、今と同じで、何も変わらないから安心してください」。
ええっ、それなら、なぜ数百億円もかけて憲法改正するのですか・・・、信じられません。
政界が大いに揺れているなかで、とてもアベ首相に憲法改正なんて出来るはずがない。
もちろん、この見方に私も大賛成です。ところが、アベ首相に限っては、常識はずれのことをやってのけています。少なくとも、そのように思考して、あらかじめ対策をとっておく必要があります。
つまり、アベ首相が改憲発議をして、国民投票にかけることは、観念的には可能なのです。衆参の憲法審査会を動かし、6月下旬の国会会期末までに改憲発議される危険は大きい。そして、8月25日以降の国民投票日を定めると、トリプル投票も可能となる。
常識が常識として通用しないのが、アベ首相とその取り巻き連中です。本当に怖いことです。
自衛隊を憲法に書き込むと、日本という国のかたちはまったく変わってしまう。自衛隊に対する国民の信頼が高いのは、災害救助隊としての自衛隊の実績による。ところが、憲法に書きこまれようとしている自衛隊は、武装集団としてなので、両者は区別しておく必要がある。
戦力の不保持・交戦権の否認は、自衛隊には及ばないことになる。そして、「国防」の名のもとに、あらゆる人権制約ができることになりかねない。そして、日本社会のすみずみまで、軍国主義していく危険がある。
これまで控え目で抑制的だった自衛隊が、高い権威と独立性を与えられ、軍備の増強、軍事費の増大、自衛官募集など、さまざまな場面で積極的に前面に出てきやすくなる。
国を守ることが憲法の認める重要な価値の一つとされ、結局のところ徴兵制も可能となってくる。
アベ首相は、国民が問題点に気がつく前に、さっとやってしまえと考えている(としか思えない)。アベ首相流の改憲論に乗せられると、「押しつけ憲法」論どころの騒ぎではなく、「だまされ憲法」論に乗せられてしまったことになる。
戦争は、安全な社会生活を危機にさらす。そして軍事予算の拡大化と社会保障費の削減につながっていく。戦争は人間を単なる手段、道具にしてしまう。日本人が世界中を旅行して感じてきた平和国家ニッポンのブランドを一挙に失い、「アメリカの目下の軍隊をもつ国」とみなされてしまいかねない。
軍隊は国民を守らない。これは軍事の常識である。
自民・公明のアベ政権の狙いは日本を国際社会の一員として、アメリカの同盟国として、一緒に軍事活動ができるようにしたい、そのためには海外で活動できる軍隊としたいというもの。
うひゃあ、絶対にこんなことを許してはなりません。古稀を迎えた私ですが、これからも孫たちのためにも、憲法の平和・人権条項を守り、活かすためにがんばります。
とてもタイムリーな小さなブックレットです。ぜひ、お読みください。
(2019年10月刊。800円+税)

水俣病裁判

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 水俣病被害者・弁護団全国連絡会議 、 出版  かもがわ出版
20年も前の本なのですが、長らく本棚に積ん読状にありましたので、手にとって読んでみました。
私も70歳となりましたので、読んだ本で残す必要がないと思ったら捨て、読んでない本で読む必要がないと判断したら読まずに捨てることにしました。おかげで本棚がずい分すっきりしてきました。
ずっと本に囲まれた生活を過ごしていますが、どこにどのジャンルの本があるのか分からないようでは困りますので、きちんと分類して見通しよく並べておくつもりです。同じ本を二度も読むことは少ないのですが、それでもモノカキを業としていますので、読んだ本を探すことはあるのです。
さて、久しぶりに水俣病裁判の本を読んで、やはり大変勉強になりました。いくつか驚いたことがありますが、その一つが、福岡高裁の友納治夫裁判長です。7年間も異動せずに水俣病裁判を担当していたとのこと。信じられません。ふつう3年で裁判官は異動するものですが、7年間も福岡高裁にいて水俣病裁判に関与していたというのです。そして、裁判上の和解が成立したあと1997年1月4日、定年数日前に裁判官を辞めたのでした。
福岡高裁は和解を成立させたあと、すでに言い渡すだけになっていた山のような判決をひそかに焼却したとのこと。本当でしょうか・・・。最後まで希望を捨てず和解による判決を選択した裁判官たちに心から敬意を表するとされています。
次に、細川護熙(もりひろ)元首相についてです。熊本県知事のときには、和解成立に積極的でした。「たとえ総理大臣から罷免されても、水俣病問題をこれ以上おくらせるわけにはいかない」(1990年秋)と言っていたのが、1年たって1993年8月に首相になったら、「知事時代と気持ちは変わらないが、立場が変わった。行政の根幹にかかわる問題なので慎重に考えさせてほしい」と一変してしまったのです。
そして、村山首相になります。1995年7月に村山首相は記者会見の場で水俣病が拡大したことに対する行政の責任を首相として初めて認め、「心から遺憾の意を表したい」と語りました。ところが、翌日、環境庁の事務次官が同じく記者会見をして、「村山首相の発言は政府としての見解ではなく、首相個人の発言である」と述べたのです。
いやはや、これには驚きというか怒りすら感じました。
1959年、チッソはサイクレーターと呼ばれる工場排水の浄化装置をつけ、その披露の場で吉岡チッソ社長はサイクレーターを通したとされる水を飲んでみせた。ところが、この社長が飲んだ水は、サイクレーターを通してもいない、普通の水だったのです。
水俣病裁判の歴史のなかでは、「水俣病弁護団を粉砕する」と称して、本気で暴力を振るってでも弁護団が法廷に入るのを阻止しようとしたグループがいました。背広を破られた弁護士まで出ました。信じられない暴挙です。チッソと直接に暴力的に交渉して、チッソから「血債」を取り立てようというのです。でも、そんな暴力的な行動では世論を敵にまわしてしまうだけです。
現地の水俣には2回、法律事務所が開設されました。1970年12月、馬奈木昭雄弁護士が福岡から移り住みました。そして、12年ぶりに1985年に坂井優弁護士が再び水俣に法律事務所を開設しました。東京にも水俣病全国連の拠点事務所として1986年1月に、東京あさひ法律事務所が開設されました。
水俣病全国連に加盟する原告患者は1高裁5地裁で2000人をこえました。
1996年1月、政府の解決策によって、1万1100人が救済されました。原告が1900人、原告でない人が9200人。原告でない患者が大勢救済されたのです。大変な成果です。
実は、水俣病裁判は今も続いています。20年前の水俣病裁判の苦闘の経過を正しく知ることのできる本でした。
(1996年9月刊。2800円+税)

自衛隊イラク日報

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 志葉 玲(監修) 、 出版  柏書房
イラクに派遣された自衛隊員が生活の様子そして任務遂行状況を書きつづった「バグダッド日誌」と「バスラ日誌」を収録した本です。伏せ字がたくさんあり、もどかしい思いにも駆られますが、現地での自衛隊員のホンネもうかがえて、それなりに興味深い内容の日誌です。
陸上自衛隊は2004年1月から2006年7月まで、現地の復興支援を口実としてイラクに派遣されていました。この期間に陸上自衛隊官がのべ5万5600人、航空自衛隊官がのべ3600人派遣されました。陸自は主に学校や道路の修復、空自は陸自隊員や多国籍軍兵士(中心は米兵)、物資を空輸する活動を担いました。
この「日報」は、いったんはなかったことにされたものの、ついに2018年4月、防衛省は435日分のイラク日報を一部黒塗りして公開したのです。
全体として膨大な日報ですから、解説なしでは読みにくいものです。幸い、親切な解説がついていて、背景状況などがよく分かります。
「バスラ日誌」には、基地がロケット弾などで攻撃されている状況が何度も登場してきます。自衛隊員の死傷者が出なかったのは奇跡みたいな話です。
「ロケット弾3発、攻撃10回目。23発目」(2006年4月5日)
イラクから平和な本国に帰還した米兵が再びイラクの戦地に戻って来る心理も紹介されています。
イラクの壮絶な日々と帰還後のアメリカでの平穏な生活にギャップを感じ、また、その感覚を周囲の人間からあまり理解されないことから、せっかく生きて帰還したにもかかわらず、再びイラクでの任務につく米兵も多かった。
「自分が存在する価値を自分自身で確認でき、かつ、それを認めてくれる仲間たちがいる場所」
ヘリコプターは、気温があまりに高いと(たとえば52度以上)飛べなくなる。
イラクでは毎日のようにテロが起こり、爆弾や銃撃によって何人もの人が日々殺されている。
石油産出国であるのに、国民が石油を手に入れることもままならず、電気も1日数時間の供給しかなくて、子どもたちは安全できれいな水を飲むことも難しい状況に置かれている。
サマワの陸自イラク派遣部隊がサドル派など一部の勢力からは敵視されていたものの、他の有志連合諸国の軍に比べて高感度が高かった理由は、復興支援活動に専念し、「イラク人を殺さなかった」ことに尽きる。サマワは、イラクの他の地域に比べて治安が良く、リスクがきわめて低かった。
解説者は、もっとも重要な時期のイラク日報がまだ公開されていないこと、航空自衛隊の日報が3日分しか公開されていないことを厳しく指摘しています。
2004年10月、イラクの自衛隊野営地への攻撃は甚大な被害を出しかねないものだった。また、航空自衛隊は、その6割以上が米兵などを戦地へ運び、また銃器を輸送していた。つまり、日本は、米軍のパシリ役でしかなかった実態が隠されたままなのです。
それでも、2008年4月の名古屋高裁の判決は、航空自衛隊のイラクでの活動は憲法違反だと認定したのでした。すごい勇気ある判決です。
650頁もある部厚さにひるむ心をおさえつつ、ざっと読みで完読しました。
(2018年9月刊。1700円+税)

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