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中国の若者が見つけた日本の新しい魅力

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 段 躍中 、 出版  日本僑報社
博多駅は、いつ行っても外国人旅行客であふれています。安心・快適な旅を楽しんでほしいと心から願いつつ、横を通り過ぎます。団体客というより、家族・個人旅行者が大半です。団体行動しているのは、むしろ日本人ツアーの人々です。外国人には、韓国・中国の人々が断然多いと思います。たまに遠いアジアの人たち、さらにたまにヨーロッパ系の旅行客です。
この本は、日本にやって来た中国人青年たちによる日本語作文コンクールの受賞作品を紹介しています。幸いなことに、中国では日本語を学ぶ若者たちが増えているようです。日本でも大学で中国語を学ぶ学生が増えたと聞きましたが、最近はどうなのでしょうか・・・。
嫌韓・嫌中、日本ファースト、ヘイトスピーチだとか、差別的なコトバをまき散らす大人が目立つ社会風潮ですが、そんなものに負けてはおれませんよね・・・。
ヘイトスピーチを繰り返すネトウヨは、実は若者ではなく、いい年齢(とし)をした中年に多いと言われています。先日発覚したネトウヨ、ヘイトスピーチ発信者は東京の年金事務所長でした。とんでもない男です。
この日本語作文コンクールには、中国全土から4288本もの応募があったそうです。受賞作品は、やはり読みごたえがあります。
福岡県弁護士会でも、新会館落成記念行事の一つとして「法について」をテーマとして高校生作文コンクールを呼びかけたところ、県下の高校生から500通以上の作文が寄せられました。それには授業の一環とした高校もあったからのようですが、私も審査員の一人として、その多くに目を通しました。今どきの日本の高校生も、やはり考えている人は考えているということを知り、なんだかうれしくなりました。若者をバカにしてはいけないのです。
最優秀賞は、「車椅子で東京オリンピックに行く」というタイトルの作文です。60歳の祖母は交通事故にあってから車椅子で生活している。京都に短期交流にきた孫娘はバスに車椅子の人が乗り込む様子をみて、ぜひ祖母を日本に連れてきて、東京オリンピックを一緒に見たいと書いています。
車椅子の人たちが、日本できちんとした処遇を受けているとは思えませんが、なるほどそんな人たちを大切にしようという取り組みもたしかにあります。この動きを大切に育てなくてはいけないと思わせる作文です。
日本人の多くは『三国志』を読んでいる。それは本であり、マンガであり、最近ではゲームだ。私は高校生時代に吉川英治の『三国志』をハラハラドキドキしながら読んだ。
多くの中国人青年が日本発の『三国志』ゲームをしたことから『三国志』の本を読みたいと思うようになった。今、中国の若者たちはスマホとコンピューターに溺れるばかりで、中国の伝統文化にまったく興味がない。
まあ、これは日本の若者にも共通しているように思えますが・・・。
中国の若者たちの目を通して日本を改めて知ることのできる本です。
中国が攻めてきたとき、日本の領土をどうやって守るのかと真面目に心配している弁護士がいます。アベ政権は、沖縄周辺の諸島に自衛隊を数百人ずつ配置することを先日発表しました。戦争になったとき、数百人の自衛隊員で島を守れるなんて幻想というか夢のようなものです。それでも、軍需産業だけは確実にもうかります。こうやって戦争へ駆り立てられていくのかと思うと恐ろしい気がします。
やはり、人々同士の交流をもっと広め、深めることこそが戦争にならない最大の効果的対処法です。政治はそのためにこそあるべきだと思います。
(2018年12月刊。2000円+税)

プラハの子ども像

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 早乙女 勝元 、 出版  新日本出版社
先日、「ナチス第三の男」という映画をみました。ヒトラーの片腕とも言われたハイドリヒがチェコで暗殺される話です。題名は忘れましたが、同じテーマで別の映画もかなり前にみたことがあります。
ハイドリヒ暗殺のあと、ナチスは報復としてリディッツエ村に襲いかかり、罪なき村人を、男性と老女192人は全員射殺し、女性と子どもは追放して村を根こそぎ破壊し尽くしたのでした。1942年6月10日のことです。
203人の女性が強制収容所へ送られ、村の跡地に生還できたのは143人。連れ去られた15歳以下の105人の子どもは17人(男子7人、女子10人)しか戻らなかった。その亡くなった子どもたちの群像がリディツエ村跡地に建てられています。
よく出来た子ども像です。
「忘れないでよ、ぼくたちを!」
口ぐちにそう叫んで、追いすがってくる・・・。
そして、ハイドリヒを暗殺したグループ7人がこもっていた教会堂が密告者の手引きで6月18日に襲われます。360人のSS精鋭大隊とゲシュタポを含む1000人の武装部隊に包囲され、午前4時に始まり午前11時までの激しい銃撃戦のなか、7人全員が戦死ないし自決死したのでした。今も、この教会堂は水攻めされた地下室をふくめて保存されているそうです。
ハイドリヒを暗殺したとき、その仕返しを考えたら計画は中止すべきだと現地レジスタンス側は意見をあげたのですが、ロンドン側がハイドリヒ暗殺を強行させたといいます。ハイドリヒ暗殺の報復で5000人もの人々が殺害されたそうです。
それにしても、プラハの子ども像はよく出来ています。表情豊かで、個性が伸びのびとあらわされています。こんな子どもたちの将来を奪ってしまった戦争の野蛮さに改めて怒りが湧いてきました。
1995年のチェコ取材が本になっているのですが、この本自体はごく最近出版されています。リニューアル本のようです。
(2018年12月刊。1800円+税)

貧者のホスピスに愛の灯がともるとき

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 山本 雅基 、 出版  春秋社
山田洋次監督の映画『おとうと』のモデルの一つとなったホスピス「きぼうのいえ」の施設長だった著者の本です。心温まる話が多いのですが、つい胸に手を当てて考えさせられるエピソードもたくさんあります。著者は55歳ですが、最近、大病したということです。やはりストレス、心労が見えないところにたまっていたのではないでしょうか・・・。
なにしろ、15年間に270人もの人を見送った(看取った)というのです。私には、とても真似できることではありません。前著『山谷でホスピスやってます』(実業之日本社)に続く本です。
「きぼうのいえ」は、山谷地区でホスピス・ケア(終末期医療)を目的に、医療・看護・介護といった分野の専門職と連携して運営される在宅ホスピスケア対応集合住宅。
元ホームレスなど身寄りない人のための、日本ではじめてのホスピス。
銀行から1億円の融資を受けて、定員21人の施設をつくったのです。毎日10万円、年間3650万円の赤字が生まれる施設です。それは浄財・寄付金でまかなうしかありません。
日本のホスピスや緩和ケア病棟の平均在院日数は40日ほど。「きぼうのいえ」は、入所後2日で亡くなる人もいれば、何年も入所することになる人もいて、さまざま。
入居者は、はじめ信じられない。
「うまい話には絶対に裏がある。ひとが善意だけで、いいおこないをするわけがない」
「製薬会社から裏金をいくらもらっているのか」
「死んだら、内臓をどこかに売る気だな・・・」
そんな不信のかたまりの人たちに、愛情をおもてなしのシャワーを浴びてもらって、不信感を溶かしていく。これがスタッフの役割。
「きぼうのいえ」のスタッフのケアの中心は、積極的な傾向にある。無理して聞き出すのではなく、本人が語ってくるままに、そのひとが言いたい範囲で積極的に話を聞く。
「きぼうのいえ」では、入所者の飲酒は自由。自分で買いに行くのは何も言わないし、飲む量にも何も言わない。究極的には、お酒を飲んで死ぬ自由もある。
また、入所者の外出も自由。
「病気」になってひどく動揺するのは、会社の社長とか立派な学者という人に多い。それまで自分の人生をコントロールして(できて)きた人は、「自然」が運んでくるものを素直に受け入れることができない。
「きぼうのいえ」では、入居者がうれしそうでしあわせそうであればいい。こころの底から共鳴して、一緒に大笑いしたら、すばらしいこと。
「きぼうのいえ」のスタッフには、バーンアウト(燃え尽き症候群)がない。
これは、実にすばらしことです。大変な仕事、辛い目にあうのもたくさんな仕事を毎日続けているのに、燃え尽きないというのに本当に驚嘆します。
このような施設を私たちは本当に大切にしないといけませんよね・・・。
とてもいい本です。ぜひ、ご一読ください。著者に対して、十分に健康に留意したうえでの引き続きの健闘を祈念します。
(2019年1月刊。1800円+税)

火付盗賊改

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 高橋 義夫 、 出版  中公新書
火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)は、はじめは非常の役職だった。盗賊が跳梁(ちょうりょう)して手に負えない、あるいは火付けが横行するといった非常のときに、幕府が先手頭に命じて取締らせた。
火付け盗賊改は、はじめ火付改、盗賊改に二分されていた。元禄12年(1699年)いったん両職を廃止し、3年後に盗賊改を復活させ、元禄15年に博奕(ばくち)改を盗賊改に兼務させ、享保3年(1718年)に三職をまとめて兼務させることになった。
火付盗賊改は、本役、加役ともに役料というものがなかった。役目を果たしたときに、頭には金3両ほどの褒美、与力や同心にもなにがしかの賞金があたえられるくらいのものだった。なので、加役をおおせつけられたばかりに、ひどく困窮する先手頭も少なくなかった。
享保の改革の時代に、火付盗賊改の役扶持が40人扶持とさだまり、与力は現米80石、役扶持が20人扶持となった。役扶持の不足は、当然のことながら1人に袖の下を要求したり、配下とした目明しが役得のごとくゆすりたかりめいた悪事に走るなどの弊害を生んだ。
火付盗賊改が庶民に嫌われた原因は、吟味中の拷問だった。享保以来、拷問には慎重ではあったが、廃止されることはなかった。
科人(とがにん)の中から、目はしのきく者をえらび出し、罪に問わない代わりに密偵として使う。これを目明しとか岡っ引と呼んだ。町奉行や火付盗賊改にとっては重宝だが、庶民にとってはこれほど迷惑な存在はない。捕えられて死罪となった人々のうち、どれほどが無実の罪を着せられたことか・・・。
有名な長谷川平蔵は、親子二代にわたる火付盗賊改だった。田沼時代から松平定信の寛政の改革のころである。長谷川平蔵は、人足寄場を創設した功績によって、歴史に名を残した。無宿人対策である。無宿人の匡正(きょうせい)は容易ではないが、扱い方次第では10人のうち5人は真人間に改心させる可能性があるとした。
平蔵が寄場の囚徒にさせたのは、手職のある者には大工、建具、着物、塗師をさせ、手職のない者には、米搗(こめつ)き、油絞り、炭団(たどん)、藁(わら)、木細工、紙漉(す)きなど。これらの製品は、町の商人に鑑札を与えて売りさばきを許した。
江戸時代の警察の仕組みと実情が分かる新書でした。
(2019年2月刊。860円+税)

承久の乱

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版  文春新書
承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の実権を握る北条義時の追討を命じた。承久(じょうきゅう)の乱のはじまりだ。
この承久の乱について、大変面白い、というか刺激的で勉強になる指摘の連続で、ふむふむ、そうだったのか、そうなのかと、思わず頭を深く上下させながら一気に読みすすめていきました。
承久の乱こそが日本史最大の転回点のひとつだ。ヤマト王朝以来、朝廷を中心として展開してきた日本の政治を、この乱以後、明治維新に至るまで、実に650年にわたって武士が支配する世の中になった。
そして、地理的にいうと、近畿以西が常に東方を支配してきた構図がこの承久の乱で逆転し、東国が初めて西を制することになった。
これは、田舎=地方の在地勢力が、都=朝廷を圧倒した最初のケースでもあった。
幕府と呼ぶようになったのは、明治時代からのこと。江戸時代、徳川家の支配体制は幕府ではなく、「柳営」(りゅうえい)と呼ばれていた。
鎌倉幕府の本質は、源頼朝を棟梁と仰ぎ、そこに集結することで、自分たちの権益、とくに土地の保障(安堵、あんど)を得ることにあった。その頼朝による土地安堵が「御恩」、それに報いるために、頼朝の命令のもとに戦うことが「奉公」だった。それを受け入れた武士たちは、頼朝の直属の子分として「御家人」と呼ばれた。この御家人の総数は千数百人ほど。将軍家に直属する人々で、鎌倉武士のなかのエリート中のエリートだった。
頼朝のつくった鎌倉幕府の最重要課題は、御家人たちの土地問題を解決することだった。そして、源頼朝は、東国武士たちが朝廷に接近することを警戒した。朝廷と距離をとるのは、頼朝の政権にとって最重要課題のひとつだった。
ところが、弟の源義経は兄の頼朝に無断で、検非違使(けびいし)に就任し、さらに後白河上皇から左衛門少尉の官位をもらった。これは頼朝にとって許せるものではなかった。
後鳥羽上皇は、非常に実力をもった上皇だった。歌人として超一流であるだけでなく、当代きっての音楽家であり、武士としても名がとどろいていた。
後鳥羽上皇は、自分の力を疑うことなく、幕府の組織系統に手を突っ込み、自分の味方となる武士を次々に増やしていった。
北条義時の最高官位は、従四位。その後も、このまま続けた。
日本史の承久の乱について、なるほど、複眼的思考が必要だということが、よく分かる本でした。
(2019年2月刊。820円+税)

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