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憲法九条は世界遺産

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 古賀 誠 、 出版  かもがわ出版
自民党の元幹事長であり、今なお自民党に対して影響力を有している政治家が安倍首相の9条改憲を鋭く批判した本です。
そこで語られているのは、しごくもっともなことばかりなので、平和を願う保守本流の人々にも受け入れられる本だと思いました。
100頁もない、冊子のような薄い本ですが、内容はとても濃いものがあります。そして、さし絵がとても良くできていて、すんなり本文を読みすすめるのを助けてくれます。
国家と国民に対する政治の責任として、一番大切な要諦(ようてい)は平和だ。平和でなければスポーツも、経済も、観光もない。日本の国が平和だから外国人が安心して足を運んでくれる。
第二次世界大戦に対する反省と平和への決意をこめて憲法九条はつくられている。
日本の国は戦争を放棄する、再び戦争しないと世界の国々へ平和を発信している。これこそ世界遺産だ。
戦後74年、わが国は一度として、他国と戦火をまじえたことがない。平和の国として不戦を貫くことができている。これは憲法九条の力であり、だからこそ憲法九条は世界遺産なのだ。これは、どんなことがあっても次の世代につないでいかねばならない。我々の世代だけのものであってはいけない。
あの戦争で多くの人が無念の思いで命をなくし、また戦争遺族の血と汗と涙が流された。その血と汗と涙が憲法九条には込められている。
日本がアジアの国に対して与えた損害は、今でも影響が残っている。
過去の過ちへの反省は、あの平和憲法のなかにもふくまれていて、だからこそ九条を維持し続けるという誠実さと謙虚さが、この日本の国には必要なのだ。
憲法九条については、一切改正してはダメだ。一字一句変えないというのが政治家としての信念であり、理念であり、私の哲学だ。
自衛隊のことを憲法に書く必要はない。
理想を実現するためにこそ政治はある。日本は、よその国と同じような道を歩く必要はない。
79歳になった著者が戦争で亡くなった父親をしのびつつ、戦後、行商しながら著者を育ててくれた母に感謝しながら憲法九条の大切な意義を切々と語った冊子です。多くの「保守」支持者に読んでほしいものだと思いました。
(2019年9月刊。1000円+税)

魚たちの愛すべき知的生活

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ジョナサン・バルコム 、 出版  白揚社
魚をめぐる驚きの本です。なんと魚は、ゆたかな生活を営んでいて、知覚し、意識し、苦痛を感じる生きものだというのです。ええっ、そ、そんな、嘘ではと、つい叫びたくなりますが、どうやら本当のようなんです。だったら、刺身とか、踊り食いなんて、食べられませんよね・・・。
魚は、ただ生きているのではない。魚には魚の生活がある。魚は、ものではなく、生きて暮らしている。一匹ずつ性格と個性と社会関係をもつ、一個の存在なのである。計画し、学習し、感じ、創造し、なだめ、企む。恐怖やたのしさや痛みを感じ、遊び心もある。よろこびだって魚は感じ、知っている。
魚の4種に1種(8000種)は、なんらかのかたちで子の世話に励む。卵を守ったり、ひ弱な稚魚をしばらく世話したり・・・。
サメは胎盤のあるものもいて、胎仔は母体を出るまで、へその緒を通して栄養物質を与えられる。
魚には、音の調子、とくに旋律を聞き分ける能力がある。
コイもキンギョも、音をつかって意思伝達している。
人間と同じように、魚にも舌と味覚受容体がありこの受容体から、神経を介して脳に味覚の信号が送られる。魚の味蕾のほとんどは、口と喉にある。
魚は、よく楽しそうに互いに触れあう。
キンギョは色を識別できる。
魚は、ずっと前のことを覚えている。
魚は柔軟で、好奇心も旺盛だ。
魚には社会性のある生きものだ。一緒に泳ぎ、姿やにおいや声などの感覚情報で、他の個体を識別し、つかう相手を選び、協力する。
魚の群れには、ショールとスクールの二つがある。
魚の世界で子育てを主として担っているのは、メスではなく、オスのほうだ。
魚たちについての驚きの話が一杯のショッキングな本です。面白いですよ、ぜひご一読をおすすめします。
魚釣りが好きな人、寿司屋によく行く人も、ぜひ読んでほしいものです。
(2018年11月刊。2500円+税)

宮本常一、伝書鳩のように

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宮本 常一 、 出版  平凡社
戦後日本の全国各地を歩いて、その風俗を詳しく記録した偉大な民族学者である宮本常一の著書が復刻されました。
昔の食事は、1回1回の食事はみなちがっているが、1回ごとに一つのものを食べる。
サトイモを食べるときはサトイモだけ、アズキを食べるときはアズキだけ・・・。
ええっ、信じられない食べ方です。
高知県の山中にはシレエモチという食べ物がある(あった)。シレエというのは曼珠沙華(彼岸花)のこと。飢饉の年には、ヒガンバナの根を掘ってとり、ゆでて川でよくさらす。根には有毒素があり、そのまま食べると血を吐いて死んでしまう。そこで、ゆでたものを一週間も流水の中にさらしておくと毒が抜ける。それを臼(うす)に入れてついて餅(モチ)にする。決してうまいものではないが、飢えをしのげる。うひゃあ、す、すごいですね。
副食物をともなわない食事は、山間部だけでなく、畑作地帯には多かった。ソバにしてもウドンにしてもヒヤムギにしても、それを食べるだけで事足りた。
日本人の多くは、米を主食とせず、雑食によっていた。海岸にすむ漁民には、穀物の乏しいときには魚だけで食いつないでいた。
山口県の大島には、サツマのあばれ食いというのがあった。メバルを七輪の炭火で焼き、頭や尻尾、骨を取り去って焼けた皮と白身だけにして擂鉢(すりばち)に入れ、炭火であぶったミソと一緒にすりこぎでよくすりつぶす。十分にすりつぶすと、茶を濃くわかしたものを擂鉢にそそぎこみ、すりつぶしたものをかきまわし、どろどろの汁にする。この汁をたきたての御飯にかけて食べる。これがサツマ。御飯も汁も、冷めないうちに食べる。競争で食べると10杯以上は食べられる。
昔の人は、ごはん(お米です)をたくさん食べていたようですね。2時間かけて、1人で1升2合も食べたといいますから、肥満が気になる私には、まったく信じられません。
四国を歩くときには、宿に困ることはなかった。どこにでも、気安く泊めてくれる善根(ぜんこん)宿(やど)があった。
昔は、若い娘たちはよく逃げだした。父親が何も知らないうちに、母親としめしあわせて、すでに旅に出ている朋輩を頼って出ていく。旅に出て、旅の文化を身につけてきて、島の人にひけらかすのが、女たちにとっては、一つの誇りになっていた。つまり、娘たちにとって、旅は見習いの場でもあった。村に戻ったら、村の言葉を使わないといけないが、一方では場所言葉も十分心得ていて、出るところへ出たら、ちゃんとした物言いの出来ることが、甲斐性のある女となる条件だった。
大正の初めのころまで、「奥さま」とか「お嬢さま」という言葉はほとんど通用していなかった。身分の高い武士階級の妻は「オウラカタ」、庄屋・神主・下級武士は「オカタサマ」、村の財産家の妻なら「オゴウサマ」だった。そして、その娘は「ゴウサマ」と呼ばれた。
宮本常一の書いたものを読むと、日本の村々は、性的な開放度がすごく高かったことに驚かされます。若衆宿とか夜這(よば)いとか、あたりまえの世界です。処女を大切にするなんて、カケラもありません。日本人にとっては、昔から不倫・浮気はあたりまえだったのです。この「良き」伝統は、もちろん現代日本の今も生きていると弁護士生活45年の私は実感しています。
(2019年6月刊。1400円+税)

三体

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 劉 慈欣 、 出版  早川書房
中国発のSF小説です。さすがにスケールが壮大です。
この「三体」3部作は、中国では2100万部も売れたというのですから、これまたスケールが日本とはまるで違います。
物語の始まりは1967年です。私にとっては東京で大学生としてスタートした記念すべき年でもあります。まだ大学内は嵐の前の静けさでした。ところが、隣の中国では文化大革命が深く静かに(実は、にぎにぎしく。静かだったのは報道管制下にあったことによる)進行中だったのでした。
文化大革命の本質は、実権を喪いつつあった毛沢東が権力奪還を企図して始めた武力を伴う権力闘争だった。ところが、表面上は文化革命というポーズをとっていたのでした。そこは毛沢東の巧みなところだ。そのため、この毛沢東が始めた文化大革命に全世界の文化人の一部が幻想を抱いて、吸い込まれていった。
武力をともなう残酷な権力闘争(文化大革命)の過程で、物理学教授である著者の父親は若い紅衛兵によって死に至らしめられた。
周の文王が突然登場したり、紂王(ちゅうおう)も出現したり、時代背景は行きつ戻りつします。そして、地球外知的生命体を探査するプロジェクトも関わってくるのでした。
やがて、秦の始皇帝まで姿をあらわします。いったい、この話はどんな結末を迎えるのだろうか…と心配にもなってきます。
三体時間にして8万5千時間、地球時間で8,6年後、元首が三体惑星全土のすべての執政官を集める緊急会議を招集した・・・。
ともかく、スケールの大きさが半端ではありません。縦にも横にも限りなく広がっていくのです。不思議な感覚に陥って、それを楽しむことができる本でした。
私はひたすら、すごいすごい、とてつもない発想だと驚嘆しながら読み通しました。
(2019年7月刊。1900円+税)

幸運を探すフィリピンの移民たち

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 細田 尚美 、 出版  明石書店
私のすむ町にも、かつてはフィリピン・パブが何店舗もあり、日本人夫とフィリピン人妻の離婚事件もいくつか扱ったことがあります。フィリピンからタレントとして日本にやって来て、ショータイムで踊ったりする女性がたくさんいました。そして、そのなかに日本人男性と結婚し、子どもを日本で育てている女性と出会ったのでした。今は、とても少なくなりました。
では、そんなフィリピン女性は現地フィリピンではどんな生活をしていたのか、日本人学者(女性)が現地で生活しながら探究していますので、とても具体的で説得力があります。
著者が住み込んだのは、サマール島。私はルソン島とレイテ島には行ったことがありますが、このサマール島には行ったことはありません。
マニラのあるルソン島の南東部にある山がちの大きな島。サマール島の基幹産業であるココナツ産業の最大の問題は、国際市場における価格の不安定さ。そして、このサマール島にも、新人民軍(フィリピン共産党の軍事部門)がいて、1972年から武力衝突が繰り返されていた。コトバは、まず地元のワライ語。そして、マニラに行く人が多いのでタガログ語も話せる人がほとんど。
今では、サマール島でも教育機会が増加し、大学進学者は着実に増えて、7万人へと倍増した。しかし、その就職先があまりないという問題がある。
サマール島は人口は疎らで、大きな都市や大規模農園がなく、マニラへ「冒険する」人々が増えていった。それは、若い女性が主だった。
女性のほうが男性より都市部へ向かう傾向が強い。それは、求職であると同時に結婚相手を探すという意味があった。
ある家族の最大の収入源は、マニラでお手伝いとして働く2人の娘からの送金だった。
生存レベルをこえて少しでも余裕のある村人は、村の家族に何らかの貢献をしてコミュニケーションを維持し、そうでない人は自分たちのできる範囲で維持すれば十分だと考えられている。
サパラランとは冒険。自らの運命が変わるのを受動的に待つのではなく、能動的に働きかける行為だ。したがって、サパラランには幸運探しと言い換えられる。
バサルボンは、村人が村に帰省したときに村人に渡す贈り物。マニラ帰り遊びだと、旅行カバン、ハイヒール、きれいな洋服だ。帰省する村人は、何らかのバサルボンを期待される。バサルボンの種類と量は、帰省する者の成功度を測る尺度の一つだ。
富を分配しない人は孤立し、村人のあいだの相互扶助をあてにできなくなる。他方、分配する人は社会的に認知され、周囲に人が集まってくるが、その態度は常に監視されている。富を分配していたとしても、集団の陰口で評判を落とされる可能性がある。
2000年から18年間にわたってフィリピンのサマール島に通った著者による貴重なフィールドワークが集大成された貴重な本です。
(2019年2月刊。5000円+税)

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