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マルコムX(下)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 マニング・マラブル 、 出版  白水社
ついにマルコムXが暗殺される瞬間が近づいてきます。
予兆はいくつもありました。マルコムXの信奉者たちがネイション・オブ・イスラムの信者たちから集団で襲撃され、あるいは殺害されます。そして、ついにマルコムXの自宅が焼き打ちされるのです。ところが、自宅焼き打ちについて、世間の注目をひくための自作自演だというデマを飛ばす人がいて、世間でもそれを信じる人が少なくなかったのです。それは、マルコムXが、いつも大ボラを吹いているという偏見にもとづく誤解でもありました。
警察はマルコムXの暗殺計画がすすんでいることを察知しながら、それを防ぐための手立てを何も講じませんでした。といっても、マルコムXの暗殺犯たちにFBIや警察が手を貸したということではないようです。
マルコムXは暗殺を恐れていなかったとのことです。それは考えが甘かったというより、殉教師になるのも一つの道ではないかという達観から来ていました。決してあきらめの境地にあったのではありません。
1965年初めには、マルコムXの側近たちは、そのほとんどが、このままでは、そのうちマルコムXは殺されると思っていた。だから、どうしたらマルコムXを救うことができるかと考えていた。
マルコムXは、当時、あらゆるものに追い詰められていたが、もともと心の内をなかなか明かさない人間だったので、このときも思っていることを話していない。
今から考えると、マルコムXは、死を避けたり逃れたりはしまいと決めていた。死を望んでいたわけではないが、それを自分の宿命から外すことのできないものとして、受け入れる覚悟があったようだ。
演説会場に入るとき、参加者が銃器をもっていないか調べることをマルコムXは禁じた。そして、自分の警備員(ガードマン)には一人を除いて武器をもたせなかった。銃撃戦になったとき、暗殺犯は、おそらく丸腰のガードマンを撃たないだろう。誰かが死ななければならないのなら、それは自分でいい。マルコムXはそんな結論に達していたのではないか・・・。
FBIもニューヨーク市警も、マルコムXの運命への介入について、同じくらい消極的でマルコムXの生命が脅かされても、捜査せずに身を引き、犯罪が起きるのを待っていた。結局、暗殺犯たちは演説会場に銃をもって立ち入り、ちょっとした騒動を起こして、演壇にいるマルコムXを銃撃し、殺害してしまったのです。それは、ネイション・オブ・イスラムの組織した暗殺集団でした。
暗殺班の構成員は、みなイライジャ・ムハマドの熱心な信奉者であり、マルコムXを殺すためには自分の命を犠牲にする用意があった。暗殺を企てる者が死をいとわないのなら、誰でも殺すことができる。これって、自爆犯と同じだということですよね。
こうやってマルコムXの暗殺の瞬間が解明されていますが、この本は同時に、マルコムXがメッカ巡礼し、アフリカ諸国をめぐったことによる思想的転換を具体的にあとづけています。そこが大変興味深いところでした。とはいっても、当時のアフリカは独立の英雄が独裁者に転化しつつあったり、各国とも政情は単純ではありませんでした。
本書の結論で書かれていることを紹介します。
黒人の人間性に対する深い尊敬と確信が、革命的な理想家マルコムXの信念の中心にあった。そして、マルコムXの思い描く理想の社会に異なる民族意識や人種意識をもつ人々も含まれていくにつれ、マルコムXの穏やかなヒューマニズムと反人種主義の姿勢は、新種のラディカルで世界規模の民族政治の基盤となっていたかもしれない。
マルコムXは希望、そして人間の尊厳の象徴になるべきである。
この最後のくだりを、なるほどと読んで思えるほど、マルコムXの思想的遍歴が忠実に再現できていて、改めて素晴らしい本だと思いました。
(2019年2月刊。4800円+税)

先生、アオダイショウがモモンガが家族に迫っています!

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 小林 朋道 、 出版  築地書館
この先生シリーズも、ついに13冊。1年に1冊ですから、なんと13年もおつきあいしていることになります。いえいえ、実は番外編もあったりして、本書は15冊目になります。
鳥取環境大学に学ぶ学生は幸福です。とはいっても、学生のときにはそうは思わないかもしれません。大学生であることのありがたさは、社会の荒波にもまれて初めて実感できるものです。少なくとも、私は、そうでした。早く、この中途半端な大学生を卒業したいものだと焦っていました。いま思うと、とんでもない間違いです。
さて、この本には、ヘビを部屋のなかで放し飼いをしている学生、河原でカエル捕りに熱中している学生など、いろいろ登場します。
カエルにそっと近づき、素手で押さえこむ。そして、ピンセットでカエルに強制嘔吐させる。有害なものを誤食したときに、カエルは自ら胃を反転させて口から外に出し、有害物を吐き出す。この習性を利用してカエルが何を食べているのかを調べる。
ヘビ専用のヘビ部屋には幅7メートル、長さ1.5メートル、高さ4メートル、そこに4匹のアオダイショウと4匹のシマヘビを放し飼いにしている。エサとして与えるのはニワトリの骨つき肉。
先生は、アオダイショウを手で自由にあやつれるようです。モモンガ母子のヘビに対する反応を実験するため。アオダイショウの「アオ」に協力してもらっています。
アオダイショウは木登りが上手。気の幹にある小さな取っかかりを巧みに利用して、効率的に登っていく。幹にまったく基点となるようなものなければ、幹に体をぐるぐる巻きつけて締めつけ、締めつけた部分を基点として、そこから体を垂直上方へ伸長させて登っていく。
わが庭でも、スモークツリーの上のほうにヒヨドリがいつのまにか巣をつくって子育てしていましたが、それをアオダイショウが見事に登ってヒナを全滅させてしまったことがあります。地面を這っているアオダイショウが地上2メートル以上の高さにある巣と、そこにいるヒナの存在をどうやって知ったのか、今でも不思議でなりません。
先生シリーズの続編を期待しています。
(2019年4月刊。1600円+税)

緋い空の下で(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫
ナチス・ドイツに抵抗したフランスのレジスタンス運動についてはいくつも本があり、読みましたが、この本はイタリア北部のレジスタンスの話です。実話をもとにしているようですが、大変スリリングな展開で、350頁の文庫本を2日間で読み通しました。下巻が待ち遠しい思いです。
上巻の前半は、ユダヤ人のアルプス越えを先導する話です。その行く先はスイスです。『サウンド・オブ・ミュージック』と同じく、ナチスの追及を逃れてスイスに駆け込むユダヤ人たちの案内人をイタリアの少年がつとめるのです。冬山を少年が先導し、慣れない山道、しかも絶壁の冬山を勇気を出させて乗り越えていくところは、まさしく手に汗を握ります。
後半は、そんな青年がイタリア軍に徴兵されてロシア戦線に送られて死ぬよりは、ドイツ軍に入って内地勤務を両親にすすめられてドイツ軍に志願入隊することになり、それからの意外な展開です。
事情を知らない知人からは裏切り者と呼ばれます。
そして、イタリアにいるドイツ軍の高級幹部の運転手となり、ドイツ軍の機密情報をもらすスパイになるのです。まさしく手に汗握るシーンの連続です。
イタリア北部は、ドイツ軍がムッソリーニを利用しながらも上陸してきたアメリカ軍などに必死に抵抗していて、そこでイタリアのパルチザンたちが活動していたのです。
アメリカで2017年のベストセラーとなり、映画化もされるそうです。ぜひ、映画もみてみましょう。
(2019年5月刊。980円+税)

虫や鳥が見ている世界

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 浅間 茂 、 出版  中公新書
紫外線写真でみると、虫や鳥の世界がまるで違って見えてきます。
大部分の動物は紫外線を見ることができるのに、哺乳類には見えない。なぜなのか・・・。
恐竜の時代に誕生した私たちの祖先である哺乳類は小さく、恐竜を恐れて夜に活動していた。夜には紫外線を見る必要はなかったので、紫外線を見る能力が退化し、失われてしまった。そして、ヒトは現在の可視光領域に適した視覚をもつようになった。
鳥やチョウなどでは、紫外線反射の違いでオスかメスかを見分けて、求愛活動に役立てているものが多い。紫外線を利用してエサとなる虫を誘引しているクモもいる。
植物も、目の悪い虫に対して、紫外線を利用して蜜のありかを示して魅きつけている。
生命体は、紫外線の届かない青い海のなかで広がった。
法隆寺の玉虫厨子(たまむしのずし)の色が1300年後の今でもあせることなく残っているのは、その色が色素によってではなく、構造色によって発色しているから。構造色は、その構造が壊れない限り発色する。
昔、『モンシロチョウの結婚ゲーム』という本を読みました。モンシロチョウはオスもメスも真っ白なのに、オスはメスを見分けて接近する。なぜか・・・。紫外線があたると、オスは吸収して真っ黒になるが、メスは吸収せず反射して白っぽく見える。なので、モンシロチョウのオスは白く光るメスを目がけて突進していく、そんな話でした・・・。びっくりしてしまいました。学者はすごいです。
生物の世界は不思議に満ち充ちています。
(2019年4月刊。1000円+税)

百姓一揆

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 若尾 政希 、 出版  岩波新書
大学生のころ(50年以上も前のことです)、雑誌『ガロ』に連載されていた白土三平の「カムイ外伝」を夢中で読みふけりました。百姓一揆のすさまじいエネルギーに圧倒されたのです。駒場寮には誰かが買ってきたマンガ本がたくさんあり、貧乏な私自身は買ったことはありません。
ところが、百姓一揆の実体についての研究が進展し、かつてのような「革命の伝統」だという考え方は古くなるという、1970年代半ばに一大転換がありました。
島原・天草一揆は一揆と呼ばれた。しかし、その後は、一揆に代えて、「徒党」、「強訴」(ごうそ)、「逃散」(ちょうさん)という文言がつかわれた。
今では、「百姓一とは何か?」ということ自体が、実は、明白でないと意識されている。
一揆の際に鉄砲が持ち出されることはあった。しかし、それは合図の鳴物として使われ、人間の殺傷用ではなかった。
明治に入って、自由民権期に、運動の前史として百姓一揆が位置づけられ、いわば伝統が創造されて、竹槍蓆旗(むしろばた)という暴力が前面に出てくる百姓一揆のイメージが形成された。
実は、日本近世は訴訟社会であり、訴状が寺子屋の教材になるほど、異議申立が頻繁に行われていた。この訴状を手本としたのが「目安(めやす)往来物」だった。17世紀につくられている。
領主は百姓が生存できるように仁政を施し、百姓はそれにこたえて年貢を皆済する。このような領主と百姓とのあいだに相互的な関係意識が形成されていた。
実際の百姓一揆で、殺し合いの戦闘が行われたことはなかった。「打殺」を標榜して、実際に殺傷に及んだ一揆は明治初年の埼玉にあるだけで、他にはない。
百姓一揆が何なのかを見聞せずに、十分に理解していない作者が軍書(軍記物)の合戦のようなものだと想像して描いたのが「農民太平記」だった。一揆物語は、領主による仁政の復活を言祝(ことほ)ぐことで終わっている。現実には村内は分裂状態にあるため、かつては一体的な百姓的世界があったとして、村役人が命をかけて村を守ったという代表越訴(おっそ)的な一揆の物語が求められた。百姓を一体のものとしてつなぎ合わせるためにこそ、義民を主人公とした一揆物語が全国各地につくられていったのではないか・・・。
今では、百姓一揆への熱いこころざしが薄れてしまっているのは残念な気がします。これだけ平然と年金切り下げがすすんでいて、共産党が年金増額を提言すると、安倍首相が「バカげたこと」と切り捨てているのに、国民が街頭に出て異議申立しないなんて、日本はおかしな国です。フランスを見習いたいものです。百姓一揆についての興味深い本でした。
(2018年11月刊。820円+税)

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