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サル化する世界

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 内田 樹 、 出版 文芸春秋
思想家であり武道家である著者が日本社会を鋭く切りつけています。
著者は団塊世代の最後の世代です(1950年生まれ)。東大仏文を卒業しています。フランス文学を専攻するというより、フランス語に書かれているものなら、何でも対象としていたとのこと。おおらかな時代だったようです。カミュも研究対象でした。今、コロナ・ウィルスのおかげで、カミュの『ベスト』が注目されています。私にはやはり『異邦人』です。
私は、弁護士になって以来、ずっとフランス語を勉強しています。ちっともうまく話せませんが、私には、フランス語を通して、世界へ門戸を開いておきたいという強い願望があります。それが、毎日毎朝、フランス語の書きとりにいそしむ根拠です。
安倍晋三は、日本の過去20年間の政治文化の劣化の「果実」だ。彼を見て、私たちは深く反省すべき。彼を生み出し、表舞台に押し上げたのは、私たちだ。彼を支持する人が今も4割もいる。そんな支持する人たちに「キミたちも、いろいろ辛いんだよね」と語りかけなければいけない。
彼らの言い分をきちんと聞き、自由な論議の場で、彼らの欲求を部分的にでも受け入れ、部分的にでも実現していく。そうしないと、これまでも今も安倍晋三やら維新を支持している市民たちの支持は得られない。非常に辛いことだし、うっとうしい。でも、これをやるしかない。「あんたら、頭おかしいよ」、なんて言っても何も始まらない。
アメリカ合衆国憲法は、そもそも常備軍の存在を認めていない。うひゃあ、ちっとも知りませんでした…。常備軍は、必ず為政者に従い、抵抗権をふるう市民に敵対することをアメリカ市民は経験的知っていたからだ。このように常備軍をもたないことを規定した憲法をもちながら、アメリカは世界最大の軍事力を誇っている。
フランスは、戦勝国として終戦を迎えてしまったため、敗戦を総括する義務を免除された代わりに、もっと始末におえないトラウマをかかえこんだ。
イタリアは、文化的には戦勝国であり、1945年7月に日本に宣戦布告したフランスはド・ゴールというカリスマがいたが、イタリアには、カリスマがいなかった。
 凡庸(ぼんよう)な知性においては、常識や思い込みが論理の飛躍を妨害する。例外的知者の例外的である所以(ゆえん)はその跳躍力にある。
 本当に大切なのは、「心と直感」ではなく、「心と直感にしたがう勇気」なのだ。そのとおりです。この「勇気」こそが、最後に求められるものなのです。
 成熟するとは、変化すること。3日前とは別人になること。
 いつもながらの鋭い指摘に出会うと、胸の奥深くまで短刀を突き刺されて、ハッとする気分を味わうことができます。
(2020年3月刊。1500円+税)
 ジャガイモを掘りあげたあと、今度はサツマイモを植えようと思い、いったん深く掘り起こして、コンポストに入れていた枯れ葉や生ゴミを埋めました。クワとシャベルを使っての久しぶりの力仕事なので、腰が痛くなりました。今は午後7時まで明るいので、7時にやめて風呂場に直行しました。
 庭のアスパラガスは、そろそろ終わりのようです。カンナの黄色い花が咲いて夏の訪れを実感しました。

カラスは飼えるか

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 松原 始 、 出版 新潮社
カラスを飼おうなんて、もちろん私は一度も思ったことはありません。真黒くて、不気味で、ゴミあさりをして道路を汚してしまう…。そんな悪いイメージしかカラスにはありません。
この本で著者は結論として、うっかりカラスを飼ってはいけないとしています。
なにしろ、カラスって、40年以上も長生きすることがあるというのです。せいぜい15年ほどのイヌやネコとは違うのです。
カラスは、人間には簡単になつくことはない。
カラスは、いたずら好き。気になるものは、すべてつつく。とにかくつついて、ぶっ壊す。それからもち去り、隠す。
カラスは絶望的にしつこい。ケージの留め金を外すくらいは朝飯前。
そんなカラスを飼うのは、やめときなさいというのが著者のご託宣です。分かりました。そうします…。
カラスは、三原色に加えて紫外線も見えている。石けんとかゴルフボールを持ち去る習性は、それと関係があるのか…。
カラスの肉は食えるが、あまりおいしそうでもない。カラスの肉は高タンパク質低カロリー。タウリンや鉄分を大量に含んでいる。
南アメリカには、過去も現在もカラスが分布していない。
うひゃあ、な、なぜでしょうか…。
カラスは仲間が死んだら、その周囲で大騒ぎする。これをカラスの葬式という。
若いカラスの群れには、はっきりした順位がある。上位のオスはよくモテるし、上位のオスをめぐって、メス同士も争うことがある。
カササギは、わが家の周囲にフツーにいる鳥です。毎年、電柱の高いところに立派な巣をつくっています。毎年、九電が巣を撤去しますが、子育てが終わってからのようです。このカササギの巣は丸いボール状の構造ですが、横向きに出入口があるとのこと。いつも巣は見ていますが、初めて知りました。
カササギは九州だけでなく、最近は北海道の室蘭や苫小牧付近でも繁殖している。これは、ロシアの貨物船から来たと思われる。
カササギは、カチ(勝ち)ガラスともいいますが、これは韓国語由来だそうです。韓国では、カササギのことをカッチと呼び、大変人気がある。カッチというカラスっぽい鳥としてカチガラスと呼んだのだろう。
これが著者の意見です。著者には『カラスの教科書』などもあり、まさにカラス博士です。
(2020年3月刊。1400円+税)
 アベノマスクが5月末になってようやく届きました。郵便ポストに投げ込まれていたのです。もうマスクは町中どこでも売っていますので、どこか必要なところへ寄付するつもりです。それにしてもつくって配るのに468億円かけ、また38億円かけて追加するなんて信じられません。政権中枢に近い会社がもうかり、配ったゆうちょが助かっただけではありませんか…。
 また、持続化給付金のほうも電通と竹中平蔵のパソナが濡れ手のアワのボロもうけをするとのこと。国民の不幸を喰いものにして金もうけに走るアベ政権にはほとほと愛想が尽きます。50代、60代の女性のアベ首相の支持率が2割未満だという世論調査が出ていますが、それも当然です。ここで怒らないと、いつ怒りますか。政治が生活と直結していることを身をもって知らされている今、世の男どもはいったい何を考えているのでしょうか…。

興行師列伝

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 笹山 敬輔 、 出版 新潮新書
「仏の嘘を方便といい、軍人の嘘を戦術といい、興行師の嘘を商いという」
これは松竹の創業者(大谷竹次郎)の言葉。なるほど、そういうことなんですか…。
興行の真髄は大衆の欲望を充たすことにあるから、興行師は、そのために巨額のおカネを動かし、複雑な人脈を操る。実体のないものをかたちにするという点で、興行の世界は、裏も表も、嘘が誠で、誠が嘘の世界だ…。
興行師は過大なリスクを背負い、ときに「悪役」をも引き受けなければならない。
これはハイリスク・ローリターンなのが現実で、決して割のよい商売とは言えない。それでも興行の魔力に一度ハマってしまうと、抜け出すことができなくなる。いったい何が興行へ駆り立てるのか…。
興行師には、あくどいところもあり、強欲なところもあるが、その反面、よほどのお人好し、この商売の好きな馬鹿でなければつとまらない、可哀想なところもある。
最近は、うさんくさいイメージのともなう興行師とは言わず、プロデューサーとかマネージャーと呼ぶ。
江戸時代から明治初期にかけての芝居小屋は、暗い、汚い、臭い、だった。だが、多くの観客が、その環境の中で芝居を楽しんでいた。観客は暗い空間で芝居を見ていた。色鮮やかな衣装は、暗くても分かりやすくするためだった。
興行の世界がきれいごとですむはずがない。ヤクザから身を守るためにヤクザを使うのは興行界の常識。松竹が勢力を拡大するのに、裏の世界と無関係ということはありえなかった。
松竹の創業者である大竹は1年を通して興行を行い、損益を1ヶ月単位ではなく、通年で計算した。これは、興行を博打(ばくち)から経営にしたということ。
吉本興業の会長だった林正之助は兵庫県警によると「山口組準構成員」とされていた。そして、吉本興業の『百五年史』には、正之助と山口組三代目、田岡一雄との交流が明記されている。
ヤクザと興行の関係は吉本に限らない。松竹や東宝にも結びつきはある。しかし、吉本とヤクザの関係は距離が近すぎたと言える。
永田ラッパで有名な永田雅一(まさいち)がヤクザ出身だということを初めて知りました。
永田は京都の千本組(せんぼんぐみ)に出入りしていたヤクザだった。永田は、親分子分の仁義を守り、思想信条よりも義理人情を重んじた。それでも、いざとなれば大胆に裏切る。永田は学歴がなく、インテリでもなかった。ヤクザから権力の中枢へ駆け上がった。永田は、いざというときには義理人情よりも野心を優先させる。それくらいでなければ大人物にはなれない。
永田雅一の復帰第一作の映画である『君よ憤怒の河を渡れ』は中国で8億人がみたという大ヒット作品。中国で文化大革命が終了した直後に、中国全土で大人気だったということです。私もテレビでみましたが、ええっ、こんな映画が…、と思いました。
宝塚大劇場(4000人収容)は小林一三による。小林が東宝を発展させた。
長谷川一夫がカミソリで左頬を斬られた事件が起きたのは昭和12年(1937年)11月12日。この事件の黒幕は永田雅一だった。長谷川一夫は死ぬまで、この事件のことを語らなかった。
戦前・戦後の日本の興行界の歩みを知ることのできる面白い新書でした。
(2020年1月刊。820円+税)

ザリガニの鳴くところ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ディーリア・オーエンズ 、 出版 早川書房
泣けた、泣けた、泣けました。あまりの興奮で今夜は眠れないかと心配してしまいました。おかげさまで、いつものとおり、ぐっすり眠れましたが…。
全米500万部突破とありますが、たしかに、なるほどと読ませる出来ばえの本です。
作中の人物にずずっと感情移入し、あまりに切なくて、ついつい涙が出てくるのでした。年齢(とし)をとると涙腺がゆるんでくるというのは真実ですが、これも決して悪いことではありません。それだけ感情の高まり(高ぶり・高揚)があるというのは、まだまだこの世に生きているという、何よりの証(あかし)なのですから。
なんで、そんなに泣いたのかというと、なんと主人公の女性は、まだ、たった6歳の女の子だったとき、両親からも姉兄たちからも見捨てられて、湿地の一軒家で一人で過ごすことになったのです…。
なぜ、そんなことになったのか…。誰が、こんな哀しいストーリーを創作したのか…。
まず、原因は父親にあります。父親は戦争に行って、ドイツ軍との戦場で足をケガして戻ってきたが、戦後は障害者手当だけで、飲んだくれの毎日。妻と子どもたちへの暴力がひどく、妻が家を出たあと、姉も兄も末っ子の主人公を置きざりにして出ていった。もちろん、父親は、残った女の子の面倒なんかみない。近所の親切な黒人夫婦の助けで、ようやく生きのびた。7歳になって、1日だけ学校に行ったけれど、みんなからバカにされて学校には行かなくなった。そして、母の帰りをひたすら待って、たまに帰ってくる父からお金も得て、なんとか一人で湿地で暮らしていった。カモメたち大自然を友だちとして…。
でも、読んでいるうちに、大自然のなかの一人ぼっちのほうが、大都会のなかでネグレクトされて一人ぼっちにされるより、まだましなのかもしれないと思いました。たしかに、真暗闇でしょうが、それでもカモメやたくさんの生き物が大自然の隣人として存在しているのです。彼らと交流できたら、決して悪いことばかりでもないのでしょう…。
いったい、だれが、こんな哀しいストーリーを創作したのでしょうか…。
すると、訳者あとがきによると、著者はなんと、ジョージア州出身の69歳の動物学者だという。つまり、小説家としては、この本でデビューしたというわけ。これには腰が抜けるほど驚きました。まさしく、おったまげた…、というところです。
なるほど、湿地の生態の描写が実に細かくすばらしい理由が納得できます。
この湿地の少女は、学校に行っていませんので、まったくの文盲のはず。ところが、救いの主が登場します。少女よりは少しだけ年長の、自然を愛する少年です。少年が算数そして読み書きを少女に教え、少女は次第に湿地に生息する動植物の生態の研究もはじめるのです。そして、二人のあいだに恋愛感情が芽生えます。それがまた切ないのです。
ところが、その少年との恋が実らず、別のプレーボーイが登場します。なぜ、そんなことになったのか、そして、それはどういう結末を迎えるのか…、ここも読ませます。
また、少女を捨てた母親そして兄たちは、いったいどうしていたのか…、それがもう一つ知りたいところです。
500頁の本ですが、昼間、裁判のあいまに読み始め、結末をどうしても知りたくて、夜12時前になんとか読み終えました。
殺人事件が起きる、推理小説でもありますので、ネタバレしないように紹介したつもりです。深い満足感とともに、安らかに眠ることができたことが私の読書の喜びです。ご一読を強くおすすめします。
(2020年4月刊。1900円+税)

日本史からの問い

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 三谷 博 、 出版 白水社
著者は私と同じ団塊の世代です。東大闘争のとき、私と同じ駒場寮で生活していましたが、まったく関わっていないようです。
著者は1968年4月に東大に入学(私は1967年4月入学です)し、6月から紛争が勃発して、やがて授業がなくなり、麻雀に走ったようです(「何もしなかった」ともありますので、よく分かりませんが…)。
同じ部屋の全共闘の先輩が「東大解体」を主張したので、東大を壊したあと、どうするのか問うと、「京大に入る」と先輩は答えたとのこと。とんでもない答えです。大学解体を叫んだ全共闘とそのシンパは多かったのですが、東大を中退した人はごく少数でしかありません。
私自身は、せっかく苦労して入った東大を中退するなんて考えたこともありません。むしろ、どうやって社会に還元できるかを真面目に議論していました。これは、今でも間違っているとは考えていません。それにしても、今、全国の大学の卒業式の大仰さには強い違和感があります。なんだか「特権階級」意識を共有する儀式のように思えてならないのです。
それはともかくとして、駒場寮の食堂や屋上で開かれた代議員大会について「共産党系の団体が主催」としたり、「ストライキ解除のための集会」と書いたり、「歴史家の常道に反し、一切当時の記録を見てない」と書いて活字にする神経は信じられません。これは「記憶の誤り」以前の良心の問題ではないかと私は思います。
以上のような著者の記述を批判しつつも、明治維新についての著者の指摘には、大いに目が開かされ、勉強になりました。
まず、著者は、明治維新について、世界の革命史学で注目されることはほとんどないが、これは、19世紀の世界で起きた、もっとも大規模な革命の一つだったと強調しています。
明治維新は革命であったが、その犠牲者はわずか3万人にとどまった。フランス革命では、内戦で40万人、対外戦争で115万人、あわせて155万人の犠牲者が出たのに比べて、2桁少ない。20世紀のロシア革命や中国革命と比べると、3桁は違っている。
明治維新のなかで、長州は当初は関与していなかった。王政復古クーデターのなかの5大名にも長州はいない。
徳川権力の打倒は王政復古によっては決まらなかった。徳川幕府の崩壊と新政府の樹立にともなく内乱は東北のみ限定された。その結果、死者は1万4千人にとどまった。
武士の解体は、人口の6%を占めた武士の3分の2が官職を失い、さらに全員が家禄を定額の国債と引き換えに奪われた。これは、世界史上まれにみる大規模な階級変動だった。
明治維新は、世襲・身分制を廃止した。これも革命の根拠とする一つである。
明治政府で政策決定を実際にしたのは2等官以下であり、西南内乱(西南戦争)までに高等官の20%は庶民出身になっていた。
明治維新は外発的な革命であり、いかなる内部的予兆もペリー到来の前に見出すことはできない。
著者は、江戸時代の日本の政治構造を次のように説明します。
国の頂上に、江戸に本拠を構える徳川氏の「公儀」と、京都の「禁裏」の二つの政府がある。そして、国の基礎単位は2百数十の大名の「国家」だった。このような一つの国家の頂上に2人の君主とその政府が併立するというのは世界史に珍しい。他には18世紀後半のベトナムにみられるだけ…。このような分権的構造が国家体制の解体を容易にし、かつ君主が2人いたために片方が権威を失ったとき、ただちに他方に権力を集中できたのだ。
明治維新とは、どういうものだったのか、果たして革命だったのか、大いに考えさせられる刺激的な本です。
(2020年3月刊。2500円+税)

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