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ザリガニの鳴くところ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ディーリア・オーエンズ 、 出版 早川書房
泣けた、泣けた、泣けました。あまりの興奮で今夜は眠れないかと心配してしまいました。おかげさまで、いつものとおり、ぐっすり眠れましたが…。
全米500万部突破とありますが、たしかに、なるほどと読ませる出来ばえの本です。
作中の人物にずずっと感情移入し、あまりに切なくて、ついつい涙が出てくるのでした。年齢(とし)をとると涙腺がゆるんでくるというのは真実ですが、これも決して悪いことではありません。それだけ感情の高まり(高ぶり・高揚)があるというのは、まだまだこの世に生きているという、何よりの証(あかし)なのですから。
なんで、そんなに泣いたのかというと、なんと主人公の女性は、まだ、たった6歳の女の子だったとき、両親からも姉兄たちからも見捨てられて、湿地の一軒家で一人で過ごすことになったのです…。
なぜ、そんなことになったのか…。誰が、こんな哀しいストーリーを創作したのか…。
まず、原因は父親にあります。父親は戦争に行って、ドイツ軍との戦場で足をケガして戻ってきたが、戦後は障害者手当だけで、飲んだくれの毎日。妻と子どもたちへの暴力がひどく、妻が家を出たあと、姉も兄も末っ子の主人公を置きざりにして出ていった。もちろん、父親は、残った女の子の面倒なんかみない。近所の親切な黒人夫婦の助けで、ようやく生きのびた。7歳になって、1日だけ学校に行ったけれど、みんなからバカにされて学校には行かなくなった。そして、母の帰りをひたすら待って、たまに帰ってくる父からお金も得て、なんとか一人で湿地で暮らしていった。カモメたち大自然を友だちとして…。
でも、読んでいるうちに、大自然のなかの一人ぼっちのほうが、大都会のなかでネグレクトされて一人ぼっちにされるより、まだましなのかもしれないと思いました。たしかに、真暗闇でしょうが、それでもカモメやたくさんの生き物が大自然の隣人として存在しているのです。彼らと交流できたら、決して悪いことばかりでもないのでしょう…。
いったい、だれが、こんな哀しいストーリーを創作したのでしょうか…。
すると、訳者あとがきによると、著者はなんと、ジョージア州出身の69歳の動物学者だという。つまり、小説家としては、この本でデビューしたというわけ。これには腰が抜けるほど驚きました。まさしく、おったまげた…、というところです。
なるほど、湿地の生態の描写が実に細かくすばらしい理由が納得できます。
この湿地の少女は、学校に行っていませんので、まったくの文盲のはず。ところが、救いの主が登場します。少女よりは少しだけ年長の、自然を愛する少年です。少年が算数そして読み書きを少女に教え、少女は次第に湿地に生息する動植物の生態の研究もはじめるのです。そして、二人のあいだに恋愛感情が芽生えます。それがまた切ないのです。
ところが、その少年との恋が実らず、別のプレーボーイが登場します。なぜ、そんなことになったのか、そして、それはどういう結末を迎えるのか…、ここも読ませます。
また、少女を捨てた母親そして兄たちは、いったいどうしていたのか…、それがもう一つ知りたいところです。
500頁の本ですが、昼間、裁判のあいまに読み始め、結末をどうしても知りたくて、夜12時前になんとか読み終えました。
殺人事件が起きる、推理小説でもありますので、ネタバレしないように紹介したつもりです。深い満足感とともに、安らかに眠ることができたことが私の読書の喜びです。ご一読を強くおすすめします。
(2020年4月刊。1900円+税)

日本史からの問い

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 三谷 博 、 出版 白水社
著者は私と同じ団塊の世代です。東大闘争のとき、私と同じ駒場寮で生活していましたが、まったく関わっていないようです。
著者は1968年4月に東大に入学(私は1967年4月入学です)し、6月から紛争が勃発して、やがて授業がなくなり、麻雀に走ったようです(「何もしなかった」ともありますので、よく分かりませんが…)。
同じ部屋の全共闘の先輩が「東大解体」を主張したので、東大を壊したあと、どうするのか問うと、「京大に入る」と先輩は答えたとのこと。とんでもない答えです。大学解体を叫んだ全共闘とそのシンパは多かったのですが、東大を中退した人はごく少数でしかありません。
私自身は、せっかく苦労して入った東大を中退するなんて考えたこともありません。むしろ、どうやって社会に還元できるかを真面目に議論していました。これは、今でも間違っているとは考えていません。それにしても、今、全国の大学の卒業式の大仰さには強い違和感があります。なんだか「特権階級」意識を共有する儀式のように思えてならないのです。
それはともかくとして、駒場寮の食堂や屋上で開かれた代議員大会について「共産党系の団体が主催」としたり、「ストライキ解除のための集会」と書いたり、「歴史家の常道に反し、一切当時の記録を見てない」と書いて活字にする神経は信じられません。これは「記憶の誤り」以前の良心の問題ではないかと私は思います。
以上のような著者の記述を批判しつつも、明治維新についての著者の指摘には、大いに目が開かされ、勉強になりました。
まず、著者は、明治維新について、世界の革命史学で注目されることはほとんどないが、これは、19世紀の世界で起きた、もっとも大規模な革命の一つだったと強調しています。
明治維新は革命であったが、その犠牲者はわずか3万人にとどまった。フランス革命では、内戦で40万人、対外戦争で115万人、あわせて155万人の犠牲者が出たのに比べて、2桁少ない。20世紀のロシア革命や中国革命と比べると、3桁は違っている。
明治維新のなかで、長州は当初は関与していなかった。王政復古クーデターのなかの5大名にも長州はいない。
徳川権力の打倒は王政復古によっては決まらなかった。徳川幕府の崩壊と新政府の樹立にともなく内乱は東北のみ限定された。その結果、死者は1万4千人にとどまった。
武士の解体は、人口の6%を占めた武士の3分の2が官職を失い、さらに全員が家禄を定額の国債と引き換えに奪われた。これは、世界史上まれにみる大規模な階級変動だった。
明治維新は、世襲・身分制を廃止した。これも革命の根拠とする一つである。
明治政府で政策決定を実際にしたのは2等官以下であり、西南内乱(西南戦争)までに高等官の20%は庶民出身になっていた。
明治維新は外発的な革命であり、いかなる内部的予兆もペリー到来の前に見出すことはできない。
著者は、江戸時代の日本の政治構造を次のように説明します。
国の頂上に、江戸に本拠を構える徳川氏の「公儀」と、京都の「禁裏」の二つの政府がある。そして、国の基礎単位は2百数十の大名の「国家」だった。このような一つの国家の頂上に2人の君主とその政府が併立するというのは世界史に珍しい。他には18世紀後半のベトナムにみられるだけ…。このような分権的構造が国家体制の解体を容易にし、かつ君主が2人いたために片方が権威を失ったとき、ただちに他方に権力を集中できたのだ。
明治維新とは、どういうものだったのか、果たして革命だったのか、大いに考えさせられる刺激的な本です。
(2020年3月刊。2500円+税)

神さまとぼく、山下俊彦伝

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 梅沢 正邦 、 出版 東洋経済新報社
松下電器産業といえば、子どものころテレビのコマーシャルで、「明るいナショナル、……なんでもナショナル」という軽快なソングを耳にタコができるほど聞かされ、親しみのもてる会社ナンバーワンでした。テレビだって洗濯機だって冷蔵庫だって、みんなナショナル製だといって不思議ではなく、その高い性能にすっかり安心して生活していました。
日曜日の朝、起きてくると、パンの焼けたいい香りが家中に広がって幸せな気分に浸ることができました。自動パン焼き器は我が家も購入しましたが、あれは本当にクリーンヒット製品でしたね。月に5万台も売れたとのこと。1987年ころのことです。
ところが、今やパナソニックという名前に変わって、かつての松下電器の威光(栄光)は、みるかげもありません。本当に残念です。永遠に続くかと思われた大企業の繁栄が、わずか20年ほど、ガタガタと崩れ去っていくのをこの目で見て、驚くばかりです。
そういえば、かつて三井鉱山といえば、天下の三井の中枢企業でしたが、今は存在しません。日本コークスと社名を変更し、日本製鉄が買収した、単なる弱小の一私企業でしかありません。銀行にしろ、三井銀行という名のものは今ではありません…。世の中、変わりました。
日本のエレクトロニクス産業の生産高がピークだったのは2000年で、26兆円だった。それが、2018年には半分以下の11.6兆円に転落している。ピーク時に1兆円をこえていた薄型テレビは、2018年に494億円になってしまった。ケータイ電話は2002年に1.4兆円だった生産額が17分の1の822億円にまで縮んでいる。ちなみに、韓国のサムスン電子は23兆円の売上高。
松下電器は、強大な「家電王国」だった。そして、「家電王国」から総合エレクトロニクス企業への脱皮・飛躍に失敗してしまった。
山下俊彦が松下電器の社長になったのは1977年(昭和52年)のこと。私がUターンで首都圏から福岡に戻っていた年のことです。私は28歳でした。
山下俊彦は、取締役会の序列は26人いるうち、下から2番目。工業高校を卒業して学閥もなく、松下家とは縁もゆかりもない。松下電器に入社して、いったん退社して再入社している。冷機(エアコン)事業部長から社長に抜擢されたとき、57歳。誰にとっても意外な人事だった。「山下跳び」とか「22人跳び」と呼ばれて世間の注目を集めた。
山下に決定的になかったのは、権力欲求。自己顕示欲も出世欲もなかった。
なぜ、山下俊彦が社長になれたのか、そして9年も社長を続けられたのか、また、その後、パナソニックが急速にダメな会社になっていったのか…。この本は山下俊彦社長誕生の経緯、そして在任中のこと、退陣後を追跡していて、読みごたえがありました。ゴールデンウィーク中に読んだ本のなかでもピカイチです。
要するに、いくら大きな会社であっても、昨日までの実績にあぐらをかいているだけでは、足元をすくわれてしまい、明日はないということです。
山下俊彦を見出したのは松下幸之助ではありません。でも、先の見えない危機感が面識のない、工業高校出身の事業部長を社長に大抜擢したのです。
そして、山下社長の体制でビデオは大当たりしました。1980年ころのことです。
山下俊彦は社内報に「奢(おご)り」を戒めるメッセージを社員宛に書いた。
「ほろびゆくものの最大の原因は奢り。過去の栄光におぼれ、新しいもの、あるいは困難なものに挑戦する気迫を失ったため。強さは、そのまま弱さに転化する。企業は生きている。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。いちどの守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」
山下社長退陣のあと、パナソニックは、残念ながら活力を失ってしまったようだ。
山下俊彦は努力の達人だ。その一つは、「忘れる」努力。
私も自慢じゃありませんが、「忘れる」ことにかけては、他人にひけをとりません。今となっては、認知症になって、すべてを忘れてしまうことになりはしないかと心配してしますが…。
長い弁護士生活のなかで、私もたくさん嫌な思いをさせられましたが、幸いにも読書習慣のおかげで、さっと忘れることができ、ストレスをためることがほとんどありません。この書評を書いているのも、私のストレス解消法のひとつなのです。読んだ本で感銘を受けたら、文字にして、それで安心して忘れることができます。人間にとって忘れられるというのは病気にならないためにも、大切な資質の一つだと実感しています。
山下俊彦は9年間の社長で、売り上げを3兆4241億円、営業利益1467億円とした。それぞれ2.6倍に伸ばしている。
松下幸之助は山下俊彦を直接は知らなかった。幸之助は「ツキ」が大事だと考えていた。そして、幸之助は山下にこう言った。
「キミはツイとる。ツイとるヤツを、ワシは見つけたんや」
社長になる前、事業部長の山下は定時退社を実践していた。机の上に余分な書類は一切置かない。引き出しのなかにもハンコが1個あるだけ。
部下が山下にあげる報告書は1枚が原則。指示が求められると、その場で即答する。保留するときも、自ら期限を切った。
リーダーの役割は、早い決断だ。ダメだったら、やり直せばいいだけのこと。
山下は、仕事とは主体的にするものだと考えた。自ら意欲をもち、自ら計画を立て、さまざまに工夫し、前進し、目標を達成する。それが仕事だ。
社長になった山下は午前8時少し前に出社する。午前9時までは誰も入れない。午前9時から30分刻みで予定を入れていく。それ以下はあっても、延びることは絶対ない。それで、飛び込みのアポが入ってきても、まかなってしまう。
山下の考えは、自己責任の原則のなかに人間の主体性が生かされるというもの。
山下は欲がない、ウソがない、虚飾がない、人に対して分け隔てがない。
山下は若い社員にこう問いかけた。
「みなさん、毎日が楽しいですか」
「みなさん、仕事は面白い?」
山下はノイローゼにならないため逃げ方の道具の一つとして健全な趣味をもつことが大切だと強調した。山下には読書のほか、登山はあった。そのため、早朝4時に起きてジョギングした。
山下の松下電器は、ビデオVHSが大当たりした。年間生産10万台が月間14万台となり、累計200万台となった。
日本が世界の半導体産業のなかトップを占め「天下」をとっていたのは、わずか6年間だけだった。アメリカに再逆転され、韓国・中国に追い抜かされた。
松下家を守り育てるなんていう発想があったら企業は伸びるはずもありませんよね…。と書いたとたんに、トヨタ自動車を思い出してしまいました。トヨタでは豊田家が依然として重用されているようですね。これまた信じられません。ニッサンもカルロス・ゴーン逮捕以降、パッとしませんが…。もっと会社は従業員を大切にしないといけませんよね。
この本の著者も、「あとがき」で、非正規雇用が日本で4割になっているが、本当にそれでいいのか、人間がただのコストであってよいのかと問いかけています。
もちろん、その答えは断じて「否!」です。
500頁近い大作です。コロナ禍の連休中に所内の大整理のあと必死に読み上げました。
(2020年3月刊。1800円+税)

凛凛(りんりん)チャップリン

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
チャップリンに関する本は、それなりに読みましたが、この本はスイスのレマン湖畔にあるチャップリン博物館のガイドブックでもあり、新鮮な思いでチャップリン映画に改めて浸ることができました。
私は30年以上も市民向け法律講座を毎年6月ころ開催してきました(今年はコロナのため中止)が、当初は冒頭、チャップリンの短編映画(8ミリ)をみんなで楽しくみるようにしていました。浮浪者チャップリンのドタバタ喜劇なのですが、どれも、心なごむものばかりでした。
スイスに晩年のチャップリンが25年間も住んでいた邸宅が、そのまま博物館になっているそうです。コロナ禍がおさまって、自由に旅行できるようになったら、ぜひ行ってみたいものです。
チャップリンと日本の深い結びつきを改めて認識しました。
チャップリンがアメリカで生活していたときの運転手であり、秘書だったのは日本人の高野(こうの)虎一。一時は、チャップリン邸の使用人17人全員が日本人だったこともあるとのこと。驚きです。そして、チャップリンのトレードマークのステッキは滋賀県の根竹という日本製。これまた初耳でした。
チャップリンは日本に深い関心をもっていて、歌舞伎をみて感激していたこと、銀座のテンプラが大好物だったこと、日本に4回も来たが、4回目は、日本の「近代化」に幻滅したことが紹介されています。
チャップリンが1回目に日本に来たのは、五・一五事件の直前。首謀者となった青年将校たちは犬養首相がチャップリンを歓迎するのを知って、そこを襲う計画だったとのこと。ところが、5月15日の朝、チャップリンが急に相撲を見に行きたいと言い出して(天才は気まぐれなのです)、結果として難を逃れた。ただし、著者はチャップリンが予定どおり首相官邸に行っていたら、チャップリン・ファンの群衆が首相官邸に押しかけ、警備が厳重になって、五・一五事件で首相官邸は襲われなかった可能性もあるとしています。なるほど、それもありうべしです…。
チャップリンは、2歳のとき両親が離婚し、兄とともに母親から育てられた。両親は、いずれもジプシー(ロマ)の血を引いているとのこと。そして、両親ともミュージック・ホールの芸人だった。貧乏な母は、チャップリンをパントマイムで笑わせた。「最高の名人」だった。
チャップリンは、家にお金がなくなると、街頭で踊って、見物人から小銭を集めた。チャップリンのパントマイムは単なる趣味の得意技ではなく、貧しさのなかで生きのびるために渾身の力を込めて身につけたもの。
すごいですね。なにしろ、5歳のとき、母親の代役として舞台に立ったというのです。そして、7歳のとき、救貧院に入れられました。小学校は中退です。チャップリンの自筆の手紙はごくごく少ないのは、字や文法の誤りが多々あることを気にしたからのようです。学校嫌いというのではなくて、学校に通う経済的余裕がなかったということ。
チャップリンが12歳のとき、深酒のため肝硬変だった父親は死亡。まもなく、母親は、精神病院に入れられた。なので、チャップリンはアルコールはたしなむ程度で、アルコールの広告・宣伝には一切協力しなかった。いやあ、これまたすごいことですね…。
18歳で舞台に立ち、21歳のとき主役を演じた。そして、アメリカに渡った。
チャップリンの映画のすべてをみているわけではありませんが、『街の灯』、『キッド』、『ライムライト』、『モダンタイムス』、『独裁者』、…、どれも見事です。熱くほとばしる涙なくしてはみることができません。
驚くべきことに、撮影は50回の撮り直しはザラで、200回以上も撮り直したことがあるとのこと。完成した映画に使われたフィルムは、撮影したフィルムの4%とか3%…。これには思わず息を呑んでしまいました。完璧を期して、練りに練った珠玉の結果だけを私たちは目にしているわけです。
チャップリンは、アイデアを一体どうやってひねり出していたのか…。
アイデアは一心不乱に求め続けていると訪れる。そのためには、気も狂わんばかりに我慢し続ける。長期間にわたって不安感に押しつぶされながらも、熱意を保ち続ける努力が必要だ。アイデアを生み出す能力ではなく、アイデアをひねり出す努力こそが大切なのだ。
いやあ、超天才としか思えないチャップリンだって、そんなに努力しているというのですから、私も負けずに、もう少し努力してみたいと思います。たとえば吉村敏幸弁護士(福岡)が、私の文章に面白み、ユーモアが弱い(欠けている)とのコメントを寄せてくれました。私の努力目標です。
著者は、チャップリンの喜劇は人間性を目覚めさせてくれる、人間の心を真っすぐにさせると書いています。まさに、そのとおりで、生きていて良かった、明日はきっと何かいいことがあると思わせてくれます。この本もまた、そんな幸せな気分に浸らせてくれます。
著者から贈呈を受けました。届いたその日のうちに読んで、この感想文を書きました(コロナのため、これまでになくヒマなのです)。元気のでる、すばらしい本を、ありがとうございます。
(2020年4月刊。1700円+税)

ベルリン1993(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 クラウス・コルドン 、 出版 岩波少年文庫
ヒトラーが政権を握るまでのベルリンの労働者街の日々が描かれた小説です。主人公は、もうすぐ15歳になる14歳の少年。姉と屋根裏部屋で生活しています。
父親は元共産党員として活動していたが党と意見が合わなくなって脱党。兄は共産党員として活動している。一緒に生活している姉は、なんとナチ党の突撃隊員と婚約し、それを合理化する。怒った父と兄は、もう姉とは絶好だと宣言する。
では、なぜ姉はヒトラーのナチスに惹かれるのか…。
「社会民主党は口先ばかりだし、共産党は世界革命だとか、全人類の幸福だとか、できっこないご託(たく)を並べているばかり。私の望んでいるのは、そんな大きな幸福じゃなくて、個人のささやかな幸福なの…」
「きのう、共産党を選んだ600万人のほうが、ナチ党を選んだ1400万人より賢いって、どうして言えるのよ」
「あたしたちは、馬車に便乗して、すいすい行くことにしたの。乗らなければ、置いてけぼりをくうわ」
ドイツ共産党の党員の多くは知識階級を好まない。労働運動に真剣に取り組むのは労働者だけ、知識階級は偏向しやすいと考えている。
共産党だって世の中の不正に反対している。ただ、やり方を間違えている。ドイツの良心を忘れ、モスクワの言いなりになっている。
姉の婚約者は次のように言う。
「ヒトラーは、経済を立て直す方法を知っているんだ。国会議員は、おしゃべりばかりだ。しゃべるだけでしゃべって、なんの行動もとらない。民主主義なんて、役に立つものが今は強い男が必要なんだ。
おれたちは世の中を変えたいんだ。平和とパンが望み。そして、みんなが仕事をもてること。これを、ヒトラーは約束している。突撃隊のホームに行けば、毎日、スープが飲めるんだ。ここは、ちゃんと話しかけてくれるし、話も聞いてくれる。ヒトラーが政権につきさえすれば、みんな仕事がもらえるんだ…」
主人公はヒトラーの『我が闘争』を読んだ。退屈な本だった。ヒトラーの言葉は、ふやけていて、おおげさだ。読み通すのに苦労した。
ヒトラーは、いざとなればフランスと戦争するつもりだ。そして、ユダヤ人を排斥しようとしている。どちらも信じられないことで、あまりにリスクを伴う…。
この本ではナチ党の脅威を前にして、なぜ共産党と社民党が統一行動をとらなかった、とれなかったかの事情を明らかにしています。
要するに、共産党は社民党について、真っ先に打倒すべきものとしている。社民党は、今の国家体制を維持したがっている。共産党は転覆させたがっている。この両党には、長い歴史がある。政治的対立というのは、ウサギをオオカミに変えてしまうもの。
ナチ党の突撃隊員は主人公の職場にもいて、「ハイル・ヒトラー」の敬礼を唱えないと、ボコボコにされてしまいます。工場内では孤立無援になるかと心配していると、助っ人も登場します。
街頭でも職場でも、むき出しの暴力が横行しています。ナチス突撃隊の集団的暴力に対抗して、共産党の側も暴力で立ち向かうのですが、警察はナチスの側につきますし、共産党の側は不利になるばかりです。
むき出しの暴力に暴力で対抗しても、本質的な解決にはならないことを、私は東大闘争の過程で全共闘の「敵は殺せ」の暴力を目のあたりにして、身をもって考え、体験させられました。
そして、当時のドイツ共産党については、スターリンの狡猾なヒトラー接近策のなかで踊らされてしまったという側面は大きかったと思います。
「少年文庫」ではなく、大人向けレベルの本です。
(2020年4月刊。1200円+税)

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