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裁判官も人である

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  岩瀬 達哉 、 出版  講談社
 井戸謙一元裁判官は、裁判官には3つのタイプがあるといいます。
一番多い(5~6割)のは一丁あがり方式で処理する。次に多い(3~4割)のが杜撰処理する。そして、1割にも満たないのが真実を見きわめようとして当事者の主張に耳を傾ける裁判官。これは46年間になる私の弁護士生活にぴったりの感覚です。たまに、人格・識見・能力ともに優れた裁判官に出会うことがあり、本当に頭が下がります。でも、普段は信用のおけない裁判官に対処するばかりです。ええっ、と驚く判決を何度もらったことでしょうか…。
青法協の会員だった裁判官が次々にやめていった「ブルーパージ」は、決して「過去の遺物」ではない。その影響は今に引き継がれている。多くの裁判官を心理的に支配してきたし、今も支配している。つまり、既存の枠組みをこえることにためらい、国策の是非が問われる裁判において、公平かつ公正に審理する裁判官が少なくなった。当時も今も、ほどほどのところで妥協すべきという空気が、常に裁判所内にはびこっている。
平賀書簡問題のとき、札幌地裁の臨時裁判官会議は、午後1時に始まって、午前0時ころまで延々12時間にわたって議論された。しかも、平賀所長は当事者だからはずし、所長代行の渡部保夫判事もあまりに平賀所長寄りなので司会からはずされた。そして、裁判官会議は平賀所長を「厳重注意」処分に付すという結論を出した。これはこれは、今では、とても信じられない情景です。
最高裁の判事と最高裁調査官とのたたかいも紹介されています。滝井繁男判事と福田博判事の例が紹介されています。最高裁調査官は最高裁判事をサポートするばっかりだと思っていましたが、実は意見が異なると、最高裁判事を無視したり足をひっぱったりしていたのですね。ひどいものです。
また、矢口洪一最高裁元長官が陪審制の導入に積極的だったのは、長官当時に冤罪事件が次々に発覚したことから、裁判所の責任のがれのための「口実づくり」だったというのも初めて認識しました。それでも私は裁判員裁判の積極面を評価したいと考えています。
「ブルーパージ」のあと、若手裁判官が気概を喪い、中堅裁判官に覇気がなくなった。部総括(部長)に負けないで意見を述べる気概のある裁判官が減り、部総括にしても、部下の意見を虚心に受けとめるキャパに欠ける人が増えている。これまた、私の実感と一致するところです。
こんな裁判所の現状を打開する試みの一つが裁判官評価アンケートです。これはダメな裁判官を追放するというより、ちょっぴりでもいいことをした(している)裁判官を励まし、後押しをしようというものなんです。
ぜひ、あなたもその趣旨を理解して、ご協力ください。
(2020年1月刊。1700円+税)

西田信春――甦る死

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  上杉 朋史 、 出版  学習の友社
 北海道出身の青年が、福岡で活動中に久留米で逮捕され、その日のうちに拷問のために死亡した事件がようやく明らかにされたのでした。
 その青年が偽名を使って活動していたため、特高警察も共産党の幹部だという以上は分からなかったようです。死後、九大で解剖されましたが、遺体(遺骨)の行方は結局、今も分からないままです。
この青年は西田信春。北海道は新十津川の出身で、東京帝大に入り、新人会で活動したあと、卒業後は、日本共産党の九州地方の再建責任者となって活動していたのです。
西田信春が生まれたのは1903年(明治36年)1月のことです。日露戦争の前年になります。西田の父・西田英太郎は新十津川村の村長にもなっています。西田は札幌一中を卒業して東京に出て1921年に一高に入学しました。同級生に経団連会長もつとめた大槻文平がいて、西田とは親交があったようです。他にも、堀辰雄、古在由重、志賀義雄、尾崎秀実など、壮々たる人がいます。大槻文平は『西田と私』という冊子を書いているとのこと。
西田は1924年4月に東京帝大文学部に入りました。中野重治や石堂清倫が同級生です。東京帝大で西田はマルクス主義に触れたのでした。日記が残っています。
そして、1925年12月に東京帝大新人会に加入しました。新人会はマルクス主義を勉強し実践する団体です。このころ東京では共同印刷で大争議が発生しています。
1926年に、東大で学生委員の選挙があり、民主化を目ざして西田は立候補し、中野重治とともに当選しました。
西田は1928年1月に京都伏見連隊に幹部候補生1年志願兵として入隊しました。除隊したあと、西田は『無産者の新聞』に入社し、その編集局員になりました。
1929年4月16日、西田は全国一斉検挙(四・一六事件)で逮捕された。1931年11月に保釈出獄するまで、2年7ヶ月間の刑務所生活を余儀なくされた。
1932年8月、西田は日本共産党九州地方オルグとして福岡にやってきた。鳥飼の樋井川の土手下の民家に間借りし、ここをアジトにした。西田は、九州では岡、坂本、坂田、伊藤そして平田を名乗っていて、誰も本名を知らなかった。西田は、すべてに慎重で、細心の注意と警戒を怠らなかったが、警察のスパイの2人(笹倉栄、富安熊吉)の正体を見抜けない心根の優しさと弱さがあった。西田の逮捕は、このスパイのタレ込みによった。
西田は1932年12月末に船小屋温泉(肥後屋旅館と綿屋旅館)で九州地方党会議を主宰し、九州地方の党を再建させた。このとき、柴村一重(戦後、郷土史家として有名です)も参加している。
1933年2月、九州地方空前の共産党大弾圧事件が発生した。「九州二・一一事件」と呼ばれる。総検挙者数は508人、うち起訴は80人。福岡県で323人、鹿児島73人、熊本46人、長崎40人…。西田はその前日の2月10日、久留米駅前で逮捕され、福岡警察署に連行・拘束されて、2月11日に殺害された。西田の屍体鑑定書が発掘(発見)されたのは19666年のことでした。私服刑事が、「あんまり白状しないから、しょうがないから足をもって警察署の2階から階段を上から下まで引きおろし、下から上までじっとやって、4回か5回やったら死んじゃった」という。ショック死ではないか…。
拷問は、2月16日の午後から2月11日の深夜まで、およそ10時間から12時間は続いた…。西田が特高警察から虐殺されたころ、岩田義道、小林多喜二、そして野呂栄太郎が同じように犠牲にあっています。特高警察をつかった戦前の権力の横暴は絶対に許すことができません。
それにしても、よく調べあげたものです。330頁の立派な本になっています。このような先人の生命をかけた苦労を忘れるわけにはいきません。いい本でした。若い人にもぜひ読んでほしいものです。
(2020年2月刊。1500円+税)

時間は存在しない

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 カルロ・ロヴュッリ 、 出版  NHK出版
イタリア人の物理学者が時間について考えています。まるで哲学書みたいな内容で、とても難しくて、十分に理解することは出来ませんでした。
宇宙全体に共通な「今」は存在しない。すべての出来事が過去、現在、未来と順序づけられているわけではなく、「部分的に」順序づけられているにすぎない。
私たちの近くには「今」があるが、遠くの銀河に「今」は存在しない。「今」は大域的な現象ではなく、局所的なものだ。
世界の出来事を統べる基本方程式に過去と未来の違いは存在しない。過去と未来が違うと感じられる理由はただ一つ、過去の世界が、私たちのぼやけた目には「特殊」に映る状態だったからだ。
時間は、ところによっては遅く流れ、ところによっては早く流れる。低いところでは、時間がゆっくり流れ、あらゆる事柄の進展もゆっくりになる。
熱力学の第二法則の核心は、熱は熱い物体から冷たい物体にしか移らず、決して逆は生じない事実にある。
宇宙全体で定義できる「同じ瞬間」なるものは存在しない。この世界を出来事、過程の集まりと見ると、世界をよりよく把握し、理解し、記述することが可能になる。この世界は物ではなく、出来事の集まりなのである。
物理学における「時間」とは、結局のところ、私たちがこの世界について無知であることの表われなのである。時とは、無知なり。
時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主である私たちヒトの、この世界との相互作用の形であり、私たちのアイデンティティーの源なのだ。
物理的な実在としての私たちが記憶と予想からなっているからこそ、私たちの目の前に時間の展望が開ける。
私たちは時でできている。時は、私たちを存在させ、私たちに存在という貴い贈り物を与え、永遠というはかない幻想をつくることを許す。だからこそ、私たちすべての苦悩が生まれる。
少しだけ分かった気にさせ、なんだか考えさせられる本ではありました。
(2019年12月刊。2000円+税)

フィンランド公共図書館

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 吉田 右子、小泉 公乃ほか 、 出版 新評論
フィンランドは教育の点で世界から注目されている国ですが、その躍進の秘密は公共図書館の充実にもあるようです。
私の住む町は、恐らく財政悪化による支出削減のあおりを受けたのだと思いますが、前にあった移動図書館、要するに自動車で地域を定期的に巡回するものです、がなくなってしまいました。そして、図書館は駅から少し離れたところにあり、交通至便とはいかないうえ、駐車場も少ないので、市民や子どもがどれだけ利用しているか、心配です。
この点、フィンランドでは、学校のカリキュラムとして公共図書館に行くことが組み込まれているとのこと、うらやましい限りです。子どものころから図書館に行く癖がついていることは大変良いことだと思います。
フィンランドでは、学校図書館をもたない学校も多い。そのかわりに、公共図書館の利用が授業時間に組み込まれているし、公共図書館も子どもたちを対象とした図書館サービスに徹底的に取り組み、学校と連携している。保育園や小・中学校では、クラス単位で図書館を頻繁に訪問している。こうやって、図書館が人々の日常生活に織り込まれている。
ヘルシンキ市には博物館、美術館が6館あるが、公共図書館は、なんと37館もある。ええっ、ウソでしょと思わず叫んでしまいました…。
フィンランドの公共図書館は、基本的におしゃべり、飲食も自由。図書館イコール静寂という感覚はない。そして、図書館を仕事場にしている人も多い。
図書館は、すべての利用者を歓迎することが基本姿勢。そのため、ホームレスやドラッグ中毒者も利用者としてやって来る。そこで、ときに警察に来てもらうこともある。それでも、図書館が精神を落ち着ける場になっていることを願って職員は仕事をしている。
たいしたものです。写真をみると、どこも広々としたオープン・スペースとなっていて、気持ちよく利用できそうな雰囲気です。
私は日比谷公園内にある図書館で仕事(モノカキ)をしたことがありますが、静粛が絶対条件でしたし、みんな一心不乱に「勉強」している雰囲気でした。
館内には1年以上借り出されていない資料は並んでいない。
フィンランドの公共図書館にはコンピューターゲームも備えつけてある。高額なゲームを購入できない家庭の子どものためだ。
盗難防止装置なしで本を貸し出している。これには著者たちも驚いています。
公共図書館は、生涯学習を約束する(保障する)場所だ。
いやはや、フィンランドが「読解力スキル」で世界一になっている理由をよくよく理解できました。日本でもぜひ、そうしてほしいものです。いい本です。あなたも、ぜひご一読ください。
(2019年11月刊。2500円+税)

「戦争は女の顔をしていない」

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 小梅 けいと 、 出版 KADOKAWA
独ソ戦を舞台とする原作(岩波書店)は、このコーナーで前に紹介したと思いますが、女性と戦争との関わりが深く掘りさげられていて刮目すべき衝撃作でした。そんな深みのある労作がマンガ本になって、視覚的イメージでつかめるなんてすごいことです。作画者に心より敬意を表します。
独ソ戦で、ナチス・ドイツと戦ったのは男性だけではなかったのです。大勢の女性兵士が参加していました。狙撃兵として名をあげた若い女性が何人もいますし、飛行機パイロットにも勇敢な女性飛行士たちがいました。ドイツ軍に捕まれば、もちろん男性兵士以上に性的虐待がひどいうえに殺されてしまいます。それでも、彼女らは最後まで戦ったのです。
もちろん、後方支援というか、傷病者を手当てする看護兵もいましたし、洗濯部隊までいたのです。洗濯機なんかありませんので、すべて手で洗います。石けんは真っ黒で、手が荒れてしまいました。
狙撃兵は2人1組で、朝も暗いうちから夕方暗くなるまで、木の上や納屋の上に登って気づかれないようカムフラージュしてじっと動かないで敵のドイツ軍を見張る。
食糧がなくなり、戦場にでた子馬を殺したときには可哀想ですぐには馬肉シチューが食べられなかった。
女性兵士には男物のパンツをはかされていた。生理用品もなかった。若い女性兵士にとって恥ずかしいという気持ちは、死ぬことより強かった。
戦後、かつての女性兵士が取材にこたえてこう言った。
戦争で一番恐ろしかったのは、死ではなく、男物のパンツをはいていることだった。
『独ソ戦』(岩波新書)も大変すぐれた本ですが、このマンガ本や原作を読むと、もっと独ソ大戦争の悲惨な実相がつかめると思います。一読を強くおすすめします。
(2020年2月刊。1000円+税)

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