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日ソ戦争 1945年8月

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 富田 武 、 出版 みすず書房
1945年8月9日、ソ連軍が突如として満州に攻め入ってきました。たちまち日本軍は総崩れで、開拓団をはじめとする多くの在満日本人が殺害されるなど多大の犠牲者を出しました。このときのソ連軍の蛮行を非難する人が多いのですが、では日本の軍部(関東軍)は、そのとき、いったい何をしていたのか、それを本書は明らかにしています。
まず関東軍はソ連軍の侵入経路の最前線基地をその前に撤収していました。そして、関東軍の精鋭を南方戦線に抽出して転戦させ、その穴埋めとして開拓団の男子を8割、10割ひっぱってきて員数あわせをしました。しかも、武器・弾薬も十分でない状態でした。さらに、ソ連軍の侵攻直前に関東軍の上層部は自分たちの家族を内地にいち早く帰国させておきながら、在満日本人に対しては関東軍がいるから安心せよとなどという大嘘をついていたのでした。
なので、在満日本人の多くが犠牲にあったのは関東軍の意図したところ、見捨てた結果でもあったのです。現地の開拓団はいざとなれば日本軍(関東軍)が守ってくれると固く信じ込んでいたため、脱出が遅れてしまったのです。それは、関東軍が住民に本当のことを知らせたらパニックになるから言えない(言わない)という論理の帰結でもありました。むごいものです。
敗戦を予期した関東軍高級将校たちは、8月4日ころから家財一切を軍団列車に乗せ、家族を連れて満州を逃げ出した。政府関係者も同じ。指導者を失った関東軍はまったく混乱し、兵隊は銃を捨ててひたすら南に走った。
8月2日、関東軍報道部長はラジオで、「関東軍は盤石。日本人、とくに国境開拓団は安心して仕事を続けて」と安心させた。そのうえで、関東軍の前線部隊は開拓団員や居留民を「玉砕」の道連れにした。
さらに、要塞建設にあたらせた中国人捕虜を、「機密の保護」の名目で殺害した。
満州の前線数百キロにあった堅固な陣地は、昭和20年の春から夏にかけて、日本軍の手によって見るも無残に破壊され、無防備地帯と化していった。
満蒙開拓団員や居留民を根こそぎ動員して関東軍は人員不足を埋めたものの、それでも定員の7割には達していなかった。そのうえ、新兵には三八式歩兵銃(明治38年の日露戦争時の銃)を支給したものの、その弾丸は十分ではなかった。新兵は訓練もろくに受けず、第二線陣地構築の労務を従事させられた。
ソ連軍は大きなT34戦車が何十台も一隊をなしてやって来るが、日本軍には戦車が1台もなかった。ソ連軍は各種の大砲を何十門も砲口を備えて打ち出すのに、日本軍は、加農砲3門、迫撃砲5門ほどしかない。ソ連軍は飛行機で絶えず偵察し、爆撃してくるが、日本軍には1機もなかった。日本軍の戦車は構造が時代遅れで、出力は弱く、ソ連軍の軽戦車とも比較にならないほどの弱さだった。
満州に来たソ連軍は独ソ戦に従事していたので、疲労困憊していた囚人部隊だというのは誤った俗説。独ソ戦のあとリフレッシュもできていて、新兵も補充されていた。そして政治教育は徹底していた。さらに、囚人だけの部隊はなく、囚人といっても経済犯が主であり、イレズミの囚人兵たちがソ連軍の主力というのは間違い。
いやあ、いろんな真実が語られています。さすがは学者です。1945年8月に日ソ戦争の状況を正しく知ることのできる貴重な本です。
(2020年7月刊。2700円+税)

閉ざされた扉をこじ開ける

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 稲葉 剛 、 出版 朝日新書
小田原市は、「生活保護受給者」ではなく、「生活保護利用者」と呼びかたを変えた。権利として生活保護制度を利用しているという意識の変化を促すためだ。
いやあ、これはいいことですね。
実は、小田原市には「SHAT」つまり「生活保護悪撲滅チーム」などと書いたそろいのジャンパーを生活保護担当職員が10年前から着ていたことが発覚して問題となったのでした。そのあとの対策の一つが、呼称の変更なのです。
先日(10月9日)の西日本新聞に星野圭弁護士(福岡第一法律事務所)が生活保護について解説した記事がのっていました。生活が苦しくなったら、権利として生活保護を利用するのをためらうことはありません。自己所有の自宅があっても、車をもっていても、家賃が高くても生活保護を受けられることは多いのです。あきらめずに誰かに相談しながら申請することです。このように星野弁護士は呼びかけています。なにも遠慮することなんかありません。
単身高齢者が新しく借家(部屋)を探すとき、大変な苦労させられる。というのは、貸主(大家さん)が借主の孤独死を恐れるから。緊急連絡先を告げ、定期的な安否確認するといっても、80代の単身者のアパート探しは難しい。そこに貧困ビジネスがつけ入る余地が生まれている。
アメリカでは若年ホームレスの4割がLGBTだという調査結果があるとのこと。日本では、そんな調査はやられていないので、不明だそうです。著者が過去25年間で3000人以上のホームレスにあたって、LGBTの人は数十人はいたとのことです。日本でも、当然いるはずですよね。
私は、この本を読むまで知りませんでしたが、日弁連は生活保護法の「保護」という名称は恩恵だと誤解されやすいので、権利性を明確にした「生活保障法」に名称変更を提言している(2019年2月)とのこと。うむむ、これはいいことですね。
あの安倍首相(当時)だって、国会で、「生活保護は国民の権利」だと明言したわけです。国民が権利行使を遠慮してはいけません。
軍事予算が5兆円を超えて、歯止めなく増大している一方で、福祉予算だけは「お金がない」という口実で削減されているのが今の日本の現実です。黙っていたら健康も生活も守れません。ぜひ、声かけあって、みんなで叫んでいきたいものです。
(2020年3月刊。790円+税)

えげつない!寄生生物

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 成田 聡子 、 出版 新潮社
カマキリの寄生虫・ハリガネムシの幼生(赤ちゃん)は、川底で、自分が昆虫に食べられるのをじっと待っている。食べられると、昆虫の腸管のなかで「ミスト」に変身し、休眠する。この「ミスト」はマイナス30℃でも凍らずに生きていける。そして、コオロギが昆虫を食べて、コオロギの消化管に入って大きく長く成長する。大人になると、宿主のコオロギをマインドコントロールして川に向かわせ水に飛び込み自殺する。するとハリガネムシがおぼれたコオロギの尻からゆっくり、にゅるにゅるとはい出してくる。
いやはや、とんだストーリーです。誰がいったい、こんなことを思いついたのでしょうか。すべてが偶然にたよった「一生」なんです。
ハリガネムシは寄生したコオロギの神経発達を混乱させ、光への反応を異常にして、キラキラとした水辺に近づいたら飛び込むように操っている…。うひゃあ、す、すごい謀略です。
そして、なんと、自ら入水した昆虫によって川魚のエサが確保されているというのです。自然の連環・連鎖は恐ろしいほど、よく出来ています。
ゴキブリは、全世界に4000種、1兆4853億匹もいる。日本だけでも236億匹。ゴキブリは3億年前の古生代、石炭紀に地球に登場した。ゴキブリは好き嫌いがなく、何でも食べられる。ゴキブリは、とても繁殖力が旺盛。1匹のメスが子どもを500匹も生む。家にメスのゴキブリを1匹みたら、500匹はいると思わないといけない。
そして、ゴキブリは素早い。1秒間に1.5メートル走る。これは、人間の大きさだと1秒間に85メートルのスピードなので、東海道新幹線より速い。
ところが、エメラルドゴキブリバチは、ゴキブリに覆いかぶさって、針を刺す。すると、ゴキブリは逃げる気を失い、まるでハチの言いなりの奴隷になってしまう。ハチは、このあとゴキブリの触覚を2本とも半分だけかみ切る。そしてじっとしていると、ハチの幼虫がゴキブリの体に亢を開けて体内に侵入していく。ゴキブリが生き続けたまま、ハチの子どもに自分の内臓を食べさせる。ゴキブリの内臓をすっかり食べ尽くして、空っぽになってからもハチの幼虫はしばらく殻の内側にひそんでいて、やがて、成虫になって飛び出す。
いやはや、ゴキブリを食い物にするハチがいただなんて…。ところが、このハチは縄張り意識が強く、またゴキブリの強い繁殖力のほうが優っているため、このハチがいくらがんばってもゴキブリが絶滅することはないのです。これまた、自然の妙ですね…。
同じようにゴミグモを思うように操って、巣を張らせて、最後は体液を吸い尽くすクモヒメバチの残虐さも紹介されています。
まことに「えげつない」としか言いようのない寄生生物が、面白おかしく紹介されている本です。世の中は、まさしく不思議な話にみちみちているのですね…。
(2020年7月刊。1300円+税)

江戸の夢びらき

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 松井 今朝子 、 出版 文芸春秋
歌舞伎役者として高名な初代の市川團(だん)十郎の一生を描いた小説です。
ときは元禄のころ。将軍綱吉の生類(しょうるい)憐(あわ)れみの令が出されて、江戸市中がてんやわんやになります。
また、大きな地震があり、火災が起き、また富士山が噴火するのでした。
そんな世相のなかで、人々は新しい歌舞伎役者の登場を熱狂に迎えるのです。
芸に魅せられるのは、ハッと息を呑む一瞬があるから。人が平気であんな危ない真似をできるのか、人にはあんなきれいな声が出るのか、あんな美しい動きができるのか…。
この世に、これほどの哀しみがあるのかと、まず驚くことが芸の醍醐味ではないか…。
同じ筋立て、同じセリフ、同じ動きのなかに、そのつど何かしら新たな工夫を取り入れ、ハッとさせられる。同じセリフでも、いい方ひとつで解釈はがらっと変わる。自らの心がおもむくままに変えられた芸は毎日でも見飽きることがない。芸とは、本来、そうした新鮮な驚きに支えられたものではないか…。
江戸時代の歌舞伎役者の世界にどっぷり浸ることのできる本格小説でした。
(2020年4月刊。1900円+税)

モーツァルトは「アマデウス」ではない

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 石井 宏 、 出版 集英社新書
生前のモーツァルトの名前はアマデウスであったことはないし、アマデウスと呼ばれたこともない。モーツァルトが自らをアマデウスと名乗ったことは一度もない。
アマデウスとは神の愛を意味する。
晩年のモーツァルトは、故郷もなく(ザルツブルグを嫌い、また嫌われていた)、ウィーンを脱出することもかなわず、父には敵対視され、最愛だった姉にも嫌われ、妻にも背かれて、帰るねぐらがなかった。
モーツァルトの栄光は、アマデーオという名前と共にあった。モーツァルトは、「ぼくは、もうあまり長く生きられない感じがしている。まちがいなく、ぼくは毒を盛られたのだ」と手紙に書いた。
そして、例のサリエリは、その32年後、精神病院に入っていて自殺を図り、自分がモーツァルトを毒殺したと「告白」した。しかし、モーツァルトの死のとき、サリエリはすでに宮廷楽長に昇進しており、この地位は終身職だったから、その身は安泰であり、今さらモーツァルトに焼きもちを焼いたり、狙ったりする必要はなかった。
モーツァルトは、まだ字も読めないうちに音譜を読み、単音はもとより和音も正確に聴き分ける絶対的音感をいつのまにか身につけ、さらにどんな音楽も簡単に覚えてしまう超絶的な記憶力を生まれもっていた。また、すらすらと自在に作曲する天賦の才能まで備えていることを父親は発見した。
モーツァルトは文字どおり生まれつきの天才音楽家だったのですね…。
モーツァルトの短い一生でどんなことが起きていたのかを知ることのできる新書です。
(2020年2月刊。880円+税)

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