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漫画、秩父困民党

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 つねよし 、 出版 同時代社
とても良くできた歴史マンガです。映画『草の乱』でも紹介された秩父事件がマンガになったのです。
映画では秩父困民党(こんみんとう)の会計長をつとめた井上伝蔵が主役でした。この井上伝蔵は秩父事件のあと逃亡に成功し、なんと北海道に渡って、そこで自然死したのです。
秩父事件とは、明治17年(1884年)11月に、埼玉・群馬・長野3県の民衆数千人が鉄砲などの武器をもち軍隊組織をつくって蜂起した事件です。その目標は、高利貸しへの負債延期、村費の軽減、学校の休校、雑収税の減免など。
この当時、松方(まつかた)デフレで生糸や米などの農産物価格が暴落し、民衆の生活は破滅的な状況に陥っていた。ところが、高利貸は暴利をむさぼり、裁判所は差押を頻発していた。
そこへ、自由民権運動として自由党が進出して、それを人々が受け入れはじめた。しかし、先鋭化する運動に恐れをなした自由党の指導部は解党を決議する。それに納得できない人々は困民党を結成した。
下吉田村(秩父市)の東京神社に数千人が結集し、秩父市の中心部へ武器をもって押し出していった。マンガは、その過程は丁寧に描かれていて、人々の取り組みの様子がよく分かります。ちなみに、江戸時代の百姓一揆では、百姓側も当局側も鉄砲を武器として使用することはなかったそうです(猟銃は村にありましたが…)。それが、明治10年の西南戦争で変わったのだと思います。
当局側は警察だけでなく軍隊まで出動させて鎮圧にあたると、素人集団はたちまち敗退してしまうのでした。
4千人近くが逮捕され、3600人もの人々が罰せられた。総理を名乗った田代栄助(51歳)ほか8人が死刑となった。100人が収監され、うち30人が獄死した。そして、指導者の一人だった落合寅市(35歳)が服役中に憲法発布恩赦で出獄すると、「秩父事件」の復権を訴えはじめて、ようやく秩父事件の積極的な意義が広く知られるようになったのです。
いやあ、本当によくできた歴史マンガです。登場人物の描きわけも見事だと思いました。
(2021年2月刊。税込2530円)

「パチンコ」(下)

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ミン・ジン・リー 、 出版 文芸春秋
「在日」というと、今でもヘイト・スピーチの対象になっています。自らが大切に、愛されて育った実感がないまま、自分の抱いているコンプレックス(劣等感)のはけ口として「在日」を虫ケラよばわりして、うっぷん晴らしをしている哀れな人たちが少なからずいるという悲しい現実があります。
「在日」の人は、職業選択の点でハンディがあるのは間違いありません。弁護士の世界は少しずつ増えているとはいえ、まだまだ少ないです。医師は、昔から多いと思います。学者にも少なくないですよね。芸能人には美空ひばりをはじめ、日本の芸能界を支えていると思います。そして、財界にも孫さんをはじめ巨大な力をもっている人が少なくありません。そして、裏社会にも…。
弁護士を長くしてきて私も「在日」の人たちとの交流はずっとありました。なかでもパチンコ業界の人たちとは、今はありませんが、以前は何人も依頼者にいました。金融業者にも多かったですね…。
下巻は、日本社会における在日コリアンの複雑な心理が、見事に描かれていて、現代日本社会のいやらしさに、ほとほと愛想を尽かしたくもなります。でもでも、この本は決して、いわゆる「反日」の本ではありません。日本社会の複雑・怪奇な一断面が小気味よいほど切りとられ、物語となっています。
この本は、アップルTVで連続ドラマ化されているそうです。知りませんでした。テレビは見ませんので、無理もないのですが、アメリカで100万部も売れた本なので、それもありでしょう。
登場してくる男性たちが次々に死んでいき、残ったのはたくましい女性たちだけというのも、男性である私としては、少しはハッピーエンドにしてもらえないものかと、ないものねだりをしたくなりました。
ということで、下巻は車中と喫茶店で読みふけってしまうほどの出来でした。これほどの読書体験は前に紹介した『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)以来でした。一読を強くおすすめします。
(2020年12月刊。2400円+税)

蘇る、抵抗の季節

カテゴリー:社会

蘇る、抵抗の季節
(霧山昴)
著者 保阪 正康・高橋 源一郎 、 出版 言視舎
60年安保闘争の意味を、今、問い返した本です。
私には60年安保は体験していませんので、まったく歴史上の話でしかありません。
保阪正康は戦前(1939年)うまれで、60年安保闘争のときには20歳。北海道出身で、西部邁(60年安保のころ、ブントの活動家だった。あとで保守へ転向)、唐牛健太郎(全学連委員長。右翼の田中清玄から資金をもらっていたことを告白)の二人を北海道時代に知っていたという。
1960年6月15日、京都府学連は、京都の円山(まるやま)公園に5万人を集め、反安保、反岸の大集会とデモ行進を敢行した。
すごいですね、5万人とは…。
高橋源一郎は1951年生まれですから、私のような団塊世代より少し下の世代となります。全共闘の活動家として、警察に捕まったこともあるとのこと。3度の離婚歴も踏まえているのでしょうか。人生相談の回答の奥深さには、いつも驚嘆しています。尊敬に値する人物として、私は高く評価していますが、今回の講演にも学ぶところが大でした。
高橋源一郎は、私たち48年生まれの世代について、「超まじめ」で「冗談が通じない」としています。ええっ、そ、そうでしょうか…と、反問したくなります。
年齢(とし)をとって、一番大切なことは、「教えてもらうことができるかどうか」だと言っています。教える人は嫌われる。なーるほど、ですね。私は、いつも若手の弁護士に法律そして判例を質問して、教えてもらっています。実際、知らないし、ネットで判例検索できないので、そうするしかないのです。私にあるのは経験だけです。
教わるというのは、実は能力。教わるには、柔軟な心、受け入れるマインド、消化吸収する能力が必要。教わるほうが、はるかに高難度な能力を要する。こっちが教わる気持ちでいると、学生たちも耳を傾けてくれる。教わる気持ちがないと、学生も聞く気がしない、そういうものだ。
これはまさしく至言です。
他人(ひと)の話をよく聞いて、そのうえで自分でよく考えてやってみる。年寄りが下手に口を出したらダメ。
なーるほど、ですね。異議ありません。40歳、50歳のころは知的に熱心ではなかった。人生も残り少なくなってくると、ますます知的欲求が高まってくる。まったく同感です。知りたいことがどんどん増えてきます。
コミュニケーションのとり方は、下の世代に尋ねること。聞きたいという欲望、これを知りたいという気持ちがないと、本当の会話は成り立たない。
二人の話に対するアンケート回答が面白いですね。74歳以下だと満足したというのが9割をこえているのに、その上の世代は厳しい評価が増えています。それだけ頭が硬くなっているということではないかと私は思いました。
全共闘運動については、昔も今も私はまったく評価していませんが、人間としてすばらしい人がいることは間違いないと考えています。
(2021年1月刊。税込1210円)

大崎事件と私

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 鴨志田 祐美 、 出版 LABO
大崎事件の最高裁決定には唖然としました。著者がFBに「この国の司法は死にました」と書いた気持ちは本当によく分かります。それは私の実感でもあります。
これはもう、死んでアヤ子さんにお詫びするしかない。
著者の当日の心境です。そして、本当にそれを実行に移そうとしたのです。ホテルの20階(フロントがある)でエレベーターを降りて、飛び降り場所を探そうとしたとき、知人(著者いわく「下の姉」)が待ちかまえていて、ロビーで抱きあい、声を上げて泣いたのでした。そして、ここで死んでいる場合ではない、と正気を取り戻したのです。それほどの衝撃を与えた愚かな小池裕決定(ほかに山口厚という高名な刑法学者もいます。その名に恥じるべきでしょう。そして民事法では「権威」の深山卓也もいます。恥ずかしい限りです。ほかには池上政幸と木澤克之。この5人が全員一致で出した史上最低のバカげた決定)でした。
日本の最高裁とは、何をするところなのか。今の最高裁は、「権力を守る最後の砦」になっている。まことに同感です。著者は、こんなバカげた最高裁の小池決定について、あとあと、「思えば、あの決定が日本の再審制度を変えるきっかけとなったんだよね」、笑いながらそう語ることのできる世の中にしたいと言っています。まったく同感です。
小池決定は、再審開始を認めた冨田敦史決定(鹿児島地裁)、根本渉決定(福岡高裁宮崎支部)について、「これらを取り消さなければ著しく正義に反するものと認められる」とした。まさしく、聞いて呆れます。開いた口がふさがらないとは、このことです。
小池裕ら5人の裁判官たちは、現場を見ることなく、関係者を尋問することもなく、ただただ書面のみをもって、事実認定をしたのです。
「犯人としてはアヤ子ら一家以外の者は想定し難い」、「共犯者や目撃供述は、相互に支えあい、客観的状況等からの推認にも支えられており、同人らの知的能力や供述の変遷を考慮しても、信用性は相応に強固なものといえる」とした。
「共犯者」とされた人たちは、いずれも知的障がいをもっていたことから、その「自白」の信用性が否定されていたのに、小池決定はそれを無視した。まさに「神の目」で見通したというわけ。いやはや、とんだ「刑法学者」(山口厚)たちです…。
高度救急医療センター長である澤野誠教授による、被害者の死因についての説明は説得力があります。すなわち、被害者は側溝に転落して頭髄にダメージを受け、道路に寝かされて低体温症になって腸に血液が供給されずに腸管壊死、腸壁大出血を起こしていた。それを単なる酔っ払いと勘違いした近所の人たちが軽トラックの荷台に被害者を載せて自宅まで搬送したので死に至った…。
なーるほど、医学的な素人としても、よくよく理解できる状況説明です。つまり、事故が起きたのであって、殺人事件ではなかったのです。
最高裁の小池判事たちは、事実認定なんて簡単なものという傲慢な態度をとらず、もう少し謙虚になって、自分たちの疑問点を提示して事実解明をさらにすすめるべく、せめて原審に差し戻すべきだったことは明らかです。うぬぼれが過ぎました。刑法学者と民事と刑事の実務家たちが、過去の業績を鼻にかけてした間違いの典型だと思います。哀れというしかありません。
ところで、大崎事件とは…。1979年(昭和54年)10月15日に、鹿児島の大崎町という農村で牛小屋の堆肥の中から遺体が発見されたことから、殺人事件ではないかとして捜査が始まったものです。
警察は「殺人・死体遺棄事件」と断定して捜査し、被害者の兄弟たちを逮捕したうえ、アヤ子さんを首謀者として逮捕した。「共犯者」たち3人は、「自白」したが、アヤ子さんは一貫して否認した。この大埼事件には自白以外の客観証拠はほとんどなかったが、アヤ子さんも懲役10年の有罪判決が下された。そして、アヤ子さんは控訴・上告してもダメで、10年後に満期出所した。
「共犯者」たちは、いずれも知的障がい者だった。供述弱者だったのです。
この本では、検察官が手持ち証拠を自らの不利になると思うと、「ない」ことにしてしまう現実を鋭く告発しています。検察官にとっての刑事裁判は勝つためのゲームでしかなく、真実(真相)究明は二の次なのです。自分に有利な証拠は出すけれど、不利と思ったら「ない」ことにしてしまうわけです。そこには「公益の代表者」だという自覚が、残念ながら欠如しています。
この本には、著者に関わる大勢の人々が、よくぞここまで憶えているものだと驚嘆するほど登場します。その意味で、この本はアヤ子さんの事件との関わりを中心としながらも、「祐美」(著者)の人生をたどった本でもあります。
「祐美」が、ライブコンサートを福岡でしていたのは、私もFBで知っていましたが、そもそも「祐美」はミュージシャンを夢見て音大受験を目ざす鎌倉の女の子だったんですね。それも、演劇部育ち…。そして、弟さんは知的障がい者。なので、大埼事件についての理解が深いのも、よく分かります。
著者は公務員試験予備校の熱血講師として8年も在籍していたのですから、子育てに区切りをつけたあと、司法試験に40歳で合格したのも、これまたよく分かります。そんな著者の涙と汗と、アルコールの結晶がこの本に結実しています。
私は、午後から読みはじめ、夕方までに一気に読了してしまいました。途中、いくつか仕事もしたのですが、気もそぞろで、この本に、それこそ全力集中したのでした。
700頁もの厚さの本ですが、何人もの人が一気読みしたというのは、よく分かります。そして、こんなに人との関わりが出てくるのも珍しいです。福岡では八尋光秀弁護士のほか、今は亡き幸田雅弘弁護士との交流も紹介されていて、著者の配慮のこまやかさには脱帽します。LABOの渡辺豊さんより贈呈を受けました。いつもありがとうございます。
(2021年3月刊。税込2970円)

歴史否定とポスト真実の時代

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 康 誠賢 、 出版 大月書店
「反日種族主義」という耳慣れないコトバを、最近、あちこちで見かけるようになりました。
韓国人はウソの文化、物質主義とシャーマニズムにとらわれている種族であり、隣国日本への敵対感情を表していると主張するためにつくった新造語。韓国人がつくったコトバで、この本が韓国で10万部も売れたというのです。驚きます。まあ、アメリカでトランプを熱烈に信奉する人たちがいるのと変わらないのでしょうね…。
日本でも、この本が40万部も売れたというのですが、それまた信じられません。ヘイトスピーチと同じ現象なのでしょうね。
日本では、「反日種族主義」は文在寅政権に反対する感情と緊密につながっていると指摘されていますが、そのとおりだと私も思います。
日本人のなかに朝鮮半島を植民地として支配し、朝鮮人を隷属する人々と見下していたのを、今なお受け継いでいるとしか思えない人たちがいるようです。とても残念だし、悲しいです。
韓国では、パク・クネ大統領が弾劾されて失脚するまで、社会指導層の破廉恥な嘘のオンパレードが続いていた。
ええっ、これって、まるで今の日本の政治そのものじゃないの…。思わず叫びそうになりました。アベ首相のときに、嘘と嘘があまりにも多く積み重ねられ、官僚が忖度(そんたく)ばかり、そしてスガ首相になっても同じこと、いや、それ以上に、首相の子どもまで表舞台におどりでて、官僚は超高額接待漬けになってもシラを切る。かつて、「我こそは国を支える」、という気概をもっていた(はず)の官僚のホコリは、今やどこにも見当たりません(残念です)。
日本軍「慰安婦」を「性奴隷」ではなく、稼ぎのよい「売春婦」にすぎないという反論があります。それなりに信じている人もいるそうですから、嫌になります。中曽根康弘元首相も「慰安婦」は日本軍が管理していたことを堂々と認めているのです。軍の管理と言うもののもつ重みを軽視してはいけません。
自由意思の「売春」というのは、現代の日本でも、どれだけあるのか、私には疑問です。ましてや戦前の日本に、そして、そこに日本軍が関わって「自由意思」なるものがあるなど、私には想像もできません。
そもそも、戦前の日本では女性は法的主体になれなかったのです。フツーの女性でも選挙権はありません。そこにあるのは、まさしく人身売買システムだったのです。そのベルトコンベアーに乗せられていた女性に向かって、自分の意思で乗ったんだろ、落ちて死んでも自己責任だろ、と放言しているようなものだと思います。それは許せません。
女性は日本軍の軍票をもらっていたようです。それも高額の軍票を…。ところが、現実には、そんな「高額の軍票」は、何の役にもたちませんでした。これは、ナチス・ドイツが政権を握る前のドイツ、マルクのように、価値のないものでしかありませんでした。高い「報酬」をもらって、いい思いをしていたなんて、とんでもないと私は思います。
歴史をあるがまま受けとめるのは、どこの世界でも難しいことなんだと、つくづく思わせる本でもありました。過去を美化したいというのは、誰だってもっていますが、それが後世の人を誤らせてはならないと思います。
やや読み通しにくい記述の本ですが、なんとか読了しました。
(2020年12月刊。税込2640円)

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