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老(お)~い、どん!

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者  樋口 恵子 、 出版  婦人之友社
 著者は87歳になりました。ずっと評論家として大活躍してきたわけですが、さすがに年齢(とし)相応の制約が身体のあちこちにあらわれているようです。
87歳の身は、満身創痍ならぬ、満身疼痛(とうつう)。痛いとこだらけ。痛みはケガしたり痛んだりした部位に局限されてはいない。
 72歳になった私も、同じように膝が痛い、腰が痛いといっては、2か月に1回は整体師に通っています。今のところ、それでなんとか持っています。ありがたいことに…。
 自慢だった視力聴力にも、このところ衰えが顕著で、立居振舞のスピードは落ちるばかり。
 目のほうは、私は、おかげさまでメガネをなしで相変らず速読できています。問題は耳です。本当に聴きとりが難しくなりました。ボソボソっと言われると、困ります。大事な話だと思えば聞き返しますが、冗談のようなレベルだとつくり笑顔でごまかすしかありません。
ということで、著者は、ヨタヨタヘロヘロの「ヨタヘロ期」を、よろめきながら直進している。
 そこで著者は、声を大にして叫びます。
 人生100年社会の初代として、「ヨタヘロ期」を生きる今の70代以上は、気がついたことを指摘し、若い世代に、社会全体に問題提起していく責任がある。
 まことにもっともな指摘です。「ヨタヘロ期」予備軍の私は、こうやって、その責任を果たそうとしているのです。
蔵書を思いきって整理しつつある。著者は涙ながらに蔵所を整理して、3分の1は手放した。
 私も、今ある書庫にフツーに立てて背表紙を確認できる状態を維持することを決意して実行しています。そのうち読み返すかもしれないと思ってとっておいた本も、読み返すはずがないと思い切って、捨てています。本棚がスッキリすると、心が軽くなります。終了した裁判の記録も、ヒマを見つけて整理し、書棚はガラガラ好き好きになりました。これは精神衛生上も、とてもいいことです。
住宅の改築の話も出てきます。木造住宅の耐用年数は30年だということです。私の家は、とっくに過ぎていますが、まだまだ10年、20年ともちそうです。ただし、内部は床や階段をバリアフリーに変えるなどしました。浴室も何年か前に改造しています。
著者は、中流型栄養失調症にかかり、大変な貧血症状が出たといいます。一人で家にいる日は、パンと牛乳、ヨーグルト、そしてジュースという貧しい食生活のせいです。80歳ころ、それまでは料理をつくるのが楽しみだったのに、食事づくりが億劫、面倒になってしまったからなのです。
 女性にとって、買い物は人生の自由、自立、そして快楽。私にとっては、店で買い物するのは苦痛でしかありません。品物選びに自信はありませんし、万引きするつもりもありませんので、もし間違われたりしたら、とんだ迷惑です。
高齢者の出歩きやすい町づくりを著者は求めています。まったく同感です。ちょっとしたベンチ、そして待たずに利用できる清潔なトイレ、本当にありがたい限りです。
著者は「結婚維持協議書」を作成することを提唱しています。多くは妻の側から、夫の守るべき条項が示され、それが結婚維持の条件となるのです。
 この条項の一つに「今後、お皿をなめない」があったとのこと。洗い場をケチった夫の仕種を禁じたものです。呆れてしまいました。
そして認知症。全国で520万人(2015年現在)もいるそうです。私も、そのうち、お仲間に迎えられることになるのでしょう…。
 趣味嗜好も体力勝負です。私は読書とガーデニング。さらにはモノカキとして、本を発刊しつづけたいと考えています。元気とボケ防止です。準備と覚悟が必要なのです。大変参考になりました。
 
(2020年3月刊。1350円+税)

三川坑を語り伝える~炭塵爆発編~

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  ・  出版  三川坑に慰霊碑を建てる会
 死者458人、一酸化炭素(CO)中毒患者839人という大災害となった三池炭鉱三川坑の炭塵爆発が起きたのは1963年(昭和38年)11月9日午後3時12分でした。私は大牟田市内の延命中学校3年生で、ドーンという大きな音を聞き、やがて遠くに黒い煙が雨雲のように黒雲となって立ち上がるのを校舎の3階から眺めました。すぐには何が起きたかは分かりませんでしたが大変なことが起きたようだという予感はしました。
この本によると、三池労組と新労組とが別々に慰霊碑を建てていたのを、今度、一つにした立派な慰霊碑を建立したそうです。とても良いことです…。
 この本には事故で亡くなった父親の顔を見た子供の感想が紹介されています。
「棺の中を見ると、親父は優しく美しい顔をしていた」
 「父の身体は傷もなく、赤くなった顔が酒に酔っているようで、触れた冷たさで『死んでいる』と実感した」
 「白いはこにお父さんがねむっているようにして、はいっておられました。歯を4本ぐらいだして、わらっているような顔をしておられました」
 「いつも優しい元気な父が、ただ、ねむったようにしていた」
 この大事故について、三井鉱山が出した声明は次のように書かれていた。「炭塵大爆発というのは、全山爆発になりやすい。それが458人の死者にとどまったのは、むしろ三池炭鉱の保安が良かったことの証明である。したがって、石炭合理化政策の姿勢をなんら変えることはない」(西日本新聞 1963年11月13日)
これはひどい。ひどすぎます。資本の論理というのは、これほどまでに冷酷なのですね…。呆れるというより、心底から怒りを覚えました。
そして、合同葬儀のとき、栗木幹(くりき・かん)社長は次のように言った。「会社にぺんぺん草がはえようとも、(遺族の)皆さんのことは一生面倒をみる」
実際には、まともな補償もなく遺族・患者は冷たく放り出されて今日に至っています。三池炭鉱の坑内労働というのは、すべてを機械にまかせるわけにはいきません。三川坑の場合は採炭現場は地下500メートルほど地下にあります。真っ暗闇の世界です。亡くなった458人の全氏名と当時の年齢が紹介されていますが、20代が1割、44人もいます。残念無念だったことと思います。
 三池大争議が終わって、会社が保安を軽視したことがこの大災害につながったものとされていますが、まさしくそのとおりでしょう。57年前の出来事ではありますが、決して忘れてはいけないものだと思います。
 118頁の小冊子ですが、ずしりという重たさを感じました。
(2020年11月刊。500円+税)

「非国民な女たち」

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 飯田 未希 、 出版 中央公論新社
女性の美に対するあこがれの強さに改めて驚嘆させられました。なにしろ空襲下でもパーマネントを離さなかったというのです。
「ぜいたくは敵」
「パーマネントはやめませう」
という世の中でも、戦前の日本女性は上から下まで(上流階級だけでなく)、パーマネントをかけようと、徹夜してでも、早朝からパーマネントをかけるべく行列をつくっていたり、木炭パーマネントにつかう木炭なら、食事づくりの木炭をまわしてでも、ともかくパーマネントを優先させていたというのです。
「石を投げられてもパーマをかけたい」
「非国民」とののしるほうがおかしいと、日本の女性は開き直っていたのでした。
いやはや、「常識」ほどあてにならないものはありません。戦前の日本女性はパーマをかけず、黙ってモンペをはいて、防災訓練と称するバケツリレーをしていただなんてイメージがありますが、とんでもありません。
戦前、洋裁に憧れて地方から上京してきた女子学生たちは、まずパーマネントをかけるのが「慣例」だった。それは学校側が止めてもきかなかった。
戦火が激しくなった1940年を過ぎても、パーマネントをかける女性が減るどころか増えていた。
それは工場でも同じこと。女工たちはパーマネントをかけ、スカートの美しさに気を使っていた。モンペの着用は広がらなかった。
1943年の大日本婦人大会で「パーマネント絶対禁止」が決議されているが、それだけパーマネントは流行していたということ。実際、パーマネント機を10台以上も設置した大規模美容院があり、店の前には順番待ちの女性の行列があった。
パーマネント機を設置する美容店は、1939年に800店で1300台のパーマネント機があったが、1943年には1500店で3000台になった。
パーマネント機が国産機として普及するようになって、35円だった代金が10円から15円になった。それでも、高額ではあった。国産パーマネント機は製造しても、すぐに売り切れるほど需要があった。
日本一の美容院チェーンだった丸善美容院は、1937年ころ、全国に35店舗、6百数十人の従業員を擁していた。大阪の本店には、1940年に1日の総売上高1万円をこえるのも珍しくなかった。1人7円なので、1日1400人以上が来店していたことになる。
上流層の女性はパーマネントをかけるのは「当然」のことだった。陸軍省で働く女性たちにもパーマネントが流行っていた。
パーマネントは日本製がトレードマークの芸者たちのあいだにも広がっていた。
木炭パーマ。戦争が激しくなってきて、電気を使えなくなり、パーマは炭火ですることになった。客がもってくる木炭がなければ木炭パーマはかけられない。そして、主婦が配給の炭を節約してでも自分のためにパーマネント用の木炭を店にもってきた。
いやあ、さすが日本の女性だと、すっかり見直しました。大和撫子は、政府の言うとおりに踊らされてばかりではなかったのです…。
ついつい目を見開いてしまう驚きに満ちあふれた本でした。
(2020年11月刊。1700円+税)

学校弁護士

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 神内 聡 、 出版 角川新書
著者は教師であり、弁護士。東京都内の私立高校の社会科教師であり、いじめなどの子どもの権利が問題になる事件を専門に扱う弁護士。
著者によれば弁護士資格をもった社会科教師が教師の専門性を高められるかどうかを試してみたかったとのこと。教師としては、クラス担任も部活動顧問も担当して、今の日本の教育の実情を最前線で見てきた教師の一人。
スクールロイヤーには明確な定義が存在しない。うひゃあ、そうなんですか…。
スクールロイヤーは、保護者でも学校設置者のいずれの利益でもなく、「子どもの最善の利益」を実現する立場から教育紛争に関わらなければならない。
「いじめ」事件にかかわったとき、結果として、周囲の子どもたちが傷つくようなことがあれば、それはスクールロイヤーとしては、仕事を十分に果たしたとは言えない。
2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」では、「いじめ」とは何かが定義されている。それは、端的に言えば、被害者が「心身の苦痛を感じる」行為であれば、すべて同法の「いじめ」に該当しうる。被害者の主観のみで、誰でもいじめの加害者になってしまうというのは、子どもにとっても、保護者にとっても大変なリスクになりうる。
いじめ防止対策推進法には、被害者と加害者という単純な二項対立的な構図しか用意されていない。しかし、一人として同じ人間はいない人格と個性を扱う教育という営みを、画一的かつ平等に扱う法律によって律することの不条理さを物語る法律になっている。
保護者が子どもへの虐待を隠蔽する目的で、長期欠席の原因をいじめであると学校に申し立て、学校が(虚偽の)「重大事態」として対応しなければならなくなったケースもある。
ネットいじめは、一時的には保護者の責任。ただ、当の保護者が子どもよりネットの利用法に詳しくないのが、ネットいじめの難しさになっている。
弁護士による「いじめ防止」授業は、効果があるのかないのか分からないというのが実情。著者は、現代日本社会でいじめを予防するのは不可能だとしています。それは、日本社会では、大人であっても、不合理な「同調圧力」によって個人の意見がないがしろにされるのは日常茶飯事であり、たとえ正しいと考えていても自分の主張を明確に示すことがはばかれるからだ。このような社会を築いている大人たちが、いじめが発生したとき、すべてを学校教育の責任に転嫁しようとするのは、きわめて不合理なこと…。
いじめを予防するには、まわりくどい話になるが、まず大人たち一人ひとりが、不合理な同調圧力を変えていく意識をもつことが真っ先に必要なこと。
いじめの被害者が転校するケースは、加害者が転校するよりもはるかに多いことが判明している。
いじめに関しては、加害者に対して多様な指導方法が教師に認められるべきだ。著者は、このように主張しています。なるほど、そうなんだろうと思います。
一口にモンスターペアレントといっても、保護者のクレームは多種多様。
体罰する教師は、厳格とか陰険ではなく、むしろ熱血漢・熱心というタイプが多い。同じ教師が繰り返し体罰をしている。
日本の実社会が体育会系を重宝する理由。上意下達の精神と同調圧力の強い人材は、日本のあらゆる組織において一定数は必要であり、実社会に出る前の学校教育でコストパフォーマンスよく養成するには、部活動が何より優れたシステムとして機能する。
ところが、日本の裁判所は、部活動であっても、通常の学校事故とまったく同じ法理で教師の法的責任を判断する。
教育改革…。教師ひとりあたりの労働を減らすには、①教師の人数を増やすこと、②業務量を減らすことという二つを実行すればよい。これまた、そのとおりでしょう。
40人クラスを1人の担任で面倒をみなければならない日本の教育制度は、過酷な労働の原因となっている。教員というのは、本当に大変な仕事だろうと改めて察せられました。
(2020年11月刊。900円+税)

「労働法の基軸」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 菅野 和夫 、 出版 有斐閣
著者は日本における労働法の権威ともいうべき学者です。その著書『労働法』はこの分野のバイブル本です。
私は著者から教わったことはありませんが、労働審判制度が形づくられていった司法制度改革推進協議会の労働検討会の座長を著者がしていたとき、日弁連側の傍聴者として参加していました。この労働検討会は2年続いたとのことですが、私は前半1年間をずっと傍聴して様子を見守っていました。裁判所からは今は福岡で弁護士をしている山口幸雄判事、労働側弁護士として横浜の鵜飼良昭弁護士が委員として参加していました。
私は鵜飼弁護士の戦闘性に強く心を打たれました。労働検討会をなんとしても労働者に不利な方向にならないよう、終始一貫して積極的に議論をリードしていくのです。これに対して経営側弁護士である石㟢信憲弁護士が絶えずチャチを入れるのですが、それがあまり嫌味に聞こえなかったのは石㟢弁護士の人徳でした。
著者は、「鵜飼さんが理想高く、労働者の権利を市民社会に血肉化する(浸透させる)ための制度創設という持論を述べて、石㟢さんが一つひとつそれに反論して」と語っています。たしかに、そういう雰囲気でした。
「座長は一切我慢して意見は述べないということに徹しました」とありますが、まさしくそのとおりで、座長の声はほとんど聞いた覚えがありません。学者もほとんど発言せず、連合の高木剛・副会長はときどき発言していました。
この本を読むと、検討会とは別のところでの議論からアイデアが生まれ固まっていったというのです。そうなんだろうと思います。ともかく、司法制度改革の産物として労働審判制度はもっとも成功したものとみられていますが、私もそう考えています。なにしろ、3回の期日、80日以内に終了し、解決率8割というのですから、すごいです。
労働側弁護士の鵜飼弁護士について「真摯な情熱家」、経営側弁護士として石㟢弁護士について「開明的」とし、この二人を「絶妙のコンビ」と評価していますが、私もまったく異議ありません。
ところで、労働法の大家としてあまりにも高名な著者は東大法学部長もつとめていますし、東大法学部の成績は「全優」だったようです。ところが、そんな著者が大学3年生のときは、授業にまったく出ずに、合気道一色だったというのですから、驚きます。企業からカンパを集めてアメリカに遠征する、そのための活動と練習に1年間、明け暮れていたというわけです。それでも4年生になって勉強をはじめて司法試験も公務員試験もさっさと受かったというのですから、よほどの頭脳です。
私は労働法は石川吉右衛門教授の授業を受けたのですが、漫談調で、まったく面白くありませんでした。ところが、この本によると石川教授は「カミナリのように切れる」と書かれていて、びっくりしました。まるで印象が違います。
そして、民法の平井宜雄教授についても「イエール大学でもすごく勉強をしていた。本当の学者だ」と高く評価されています。星野栄一教授は自信満々の授業でしたが、平井助教授は少し頼りなさげな印象が残っています。
ということで、学者の世界を少し垣間見ることができたという本です。
(2020年5月刊。3800円+税)

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