法律相談センター検索 弁護士検索

メーター検針員、テゲテゲ日記

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 川島 徹 、 出版 フォレスト出版
『交通誘導員ヨレヨレ日記』は面白く読みました。そのシリーズ第3弾です。いつも大変面白く、身につまされながら読んでいます。なにしろ私と同じような世代の人たちの苦労話なのです。
電気メーター検針員というのがどんな職業なのか、この本を読んでようやく分かりました。
九州電力(九電)が電気メーターの所有者であるが、その取りつけは九電の下請けの委託業者が行う。そして、検針員は、九電から検針業務を請け負っている会社に雇用されている。この下請業者は九電の天下りが社長になり、社内叩き上げが社長になることはない。
検針員は1日に200~400件を検針する。1件40円、つまり1日1万円ほど。著者は月に10日間働いて、月収10万円の生活を長くしていた。
鹿児島市内の繁華街だと1日に2万円以上も稼げるが、農村地帯のところどころにしか人家がないようなところだと、1日8000円くらいにしかならない。そんなところでは検針料が5円だけ高く設定されているが、とても間尺にあわない。
検針先の家に犬がいるときには、ドッグフードを与えて手なづけるという奥の手も使う。なので、ドッグフードは、検針員の必須の七つ道具の一つ。
鹿児島では、ヘビが家の中に入ってくるのはよくあること…。
うひゃあ、し、知りませんでした。ネズミを狙って天井裏までのぼっていくのです。そうなんですか…。わが家の庭の木にヒヨドリが巣をつくったとき、ヘビがそのヒナたちを狙って木のぼりしているのを発見したときには、さすがに私も驚きましたが…。結局、ヒナはヘビに食べられてしまいました。可哀想でしたが、どうしょうもありませんでした。それ以来、ヒヨドリは巣をつくりません。教訓を生かしているようです。
検針の仕事をはじめて驚いたことのひとつが、独居老人の多さ。どの家にも寂しさがカビのように漂っている。だから、検針員の来訪を心待ちにしている人々がいる。そして、女性検針員にはセクハラの危険もある…。
犬が吠えるときには、ドッグフードで手なづけるか、それとも真正面から向きあい、目をにらむ。犬に背中を向けてはいけない。背筋に向かって襲いかかってくる。背中や尻も狙われやすい。まるで熊への対処法みたいですね…。
そして、今やスマートメーターの時代。検針員が不要になっていく…。
それで、著者は契約更新を会社から拒否されたのです。
(2020年7月刊。1300円+税)
 11月に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが私の誕生日に届きました。大きな字で「合格」と書いてあり、大変うれしく思いました。自己採点では71点でしたが、3点も上回っていて74点をとっていました。合格基準は69点です。これで、次は口頭試問です。1月末に受験します。これまた難関です。なにしろ、5分前に渡されたテーマの一つを3分間自由スピーチしろというのです。いやはや、大変です。コロナ問題で旅行の自粛をどう考えるか、なんて出題されたとき、フランス語でなんと言うかを考える前に、日本語で3分間でまとめるなんて難しいことですよね…。ともかく、がんばります。

東大闘争の天王山

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 河内 謙策 、 出版 花伝社
今から50年も前、1968年から1969年にかけて東大は大きく揺れ動きました。そのとき大学2年生だった私は、その渦中にどっぷり浸っていましたので、決して東大紛争なんて言いません。私にとっては、あくまで東大闘争です。激しいゲバルト衝突のほとんどを現場で学生として体験あるいは見聞しているものとして、いったい東大闘争とは何だったのか、疑問は尽きません。
750頁もの大作である本書は、東大法学部に、この人ありと言われていた著者が渾身の力をふりしぼって書きあげた力作です。単なる歴史的記述だけでなく、著者のコメントがところどころに入っていてますから、読解を深めることができます。
東大確認書がつくられた秩父宮ラグビー場での大衆団交の実現に至る過程が生々しく再現されているのが、本書の大きな特徴です。これには、当局側で動いていた福武直教授(故人)の詳細なメモをまとめた『東大紛争回顧録』が大きな手がかりとなっています。これによって、当局側のいろんな動きが今になっては手にとるように判明します。残念なことに、私は見たことがありません。
また、例の安田講堂攻防戦(1969年1月18~19日)が、実は全共闘と警察・機動隊そしてマスコミとのあいだで、事前に大きなシナリオが出来ていたという衝撃的な指摘がなされています。
安田講堂の周囲にテレビ局が桟敷をつくって、テレビカメラをもって構えていた。網をかぶせて、火焔瓶を投げられても大丈夫なようにしたうえで、「実況中継」した。NHKは、なんと11時間も放映した。これはTBSが9時間あまり放映したのを大きく上回っている。
全共闘も機動隊も、テレビカメラがまわっていることを明らかに意識して役者を演じていたわけです。
その前の秩父宮ラグビー場での大衆団交については、七学部代表団は、学外で長時間にわたって大衆団交をしていると、その間に学内を全共闘が封鎖してしまう危険があるとして反対した。このとき、加藤執行部は代表団のなかの有志(保守派。たとえば町村信孝)は学外での団交に自分たち3学部だけでも応じると言い出した。実は、加藤執行部の一員である大内力総長代行代理から法学部学生懇のリーダーに学外での団交をやろうと働きかけがあっていた。その結果、七学部代表団は分裂行動の危機にあった。加藤執行部は学生大衆の力を信用していなかったので、このような謀略まで、あえてしたのだろうという著者のコメントが付いています。
この本は、東大闘争に東大生の多くが実際に関わっていたことを数字で明らかにしています。私は、この点はもっと世間に広く知られていいことだと思います。
1月10日の秩父宮ラグビー場に東大生(学生・院生・教職員)が8千人(マスコミの記事では7千人)が集まりました。
1月6日、駒場に登校した学生は2500人と記録されている。全共闘の集会の参加者が80人だったのに対して、団交実現実行委員会(団実委)の集会には500人が参加。
1月8日、法学部の学生・共感討論集会の参加者230人、団実委に登録した法学部生260人。1月8日の駒場の学生登校数2800人。もちろん授業なんかやられていませんので、授業を受けにきたのではありません。
1月9日には、駒場の学生登校数は4200人。これは総学生数の6割です。1月9日、七学部代表団主催の総決起集会の参加者2500人うち法学部は250人。そして、法学部生で団実委登録メンバーは330人(泊まり込み120人)。すごい人数です。
11月22日に民青側も全共闘側も、それぞれ1万人をこえる学生を全国から東大に総結集した。この11.22を機に学生の全共闘離れが急速に進行した。全共闘が「東大解体、全学封鎖」を打ち出したことに対する東大生の反発があった。
雑誌『世界』の意識調査によると、アンチ全共闘は、1968年7月に32.3%、11月には51.5%、1969年1月には49.7%となった。
法学部の学生大会にも、たとえば12月4日(1968年)には開会の午後2時の時点で400人以上が参加した。このとき、全共闘の提案は87対323対34で否決されているから、444人が採決時にいたことが分かる。そして12月25日の法学部の学生大会は午後5時より始まって、午後9時の採決時には定員数300人の2.7倍、821人もいたのです。ここで無期限ストライキの解除が決まりました。このとき、431対333対37で可決された。
このように、東大闘争には多くの東大生が関わり、きちんと議論をして、ついに確認書を獲得し、一人の処分も出さず終結したのでした。
確認書の意義は大きい。だからこそ、政府・自民党は東大入試を中止したのだと著者は強調しています。まったく同感です。
この本は全国の大学図書館に寄贈されるとのことですが、全国の図書館にも購入して備えつけてほしい内容です。島泰三の『安田講堂』(中公新書)のような、事実に反する本ばかりが世に出まわるのが、私はもどかしくて仕方ありません。
(2020年12月刊。6000円+税)

これからの男の子たちへ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 太田 啓子 、 出版 大月書店
小学6年生と3年生の2人の息子の子育て真最中の女性弁護士が男の子の育て方について体験をふまえて問題提起しています。
なるほど、なるほど、そうなんだよな…と私も反省させられるところが多々ありました。
子育てするなかで、人間というのは、ごく幼いうちから社会の中で生きる「社会的存在」なのだとつくづく感じさせられた。
「カンチョー」は性的虐待だ。スカートめくりは激減した。なるほど、これまた、そうなんですよね…。
男性学なるものがあることを初めて知りました。
男性学とは、充実した仁政を送っているとはとても言えない、さまざまな問題をかかえている悩める男たちが、より豊かな人生を送るために生み出された、男性の生き方を探るための研究。うむむ、私も改めて勉強しなくては…。
アルコール依存症患者の9割は男性。アルコール依存症は否認の病。自分にお酒の問題があることをなかなか認めない。「助けてほしい」「気持ち分かってほしい」と、自分の弱さや悩みを言葉にして周囲に援助を求めればいいのに、しらふでは「男らしさのとらわれ」から出来ず、飲酒によって子どものように退行することで周囲にケアさせる行動がみられる。
インセルという言葉も初めて知りました。自分で望んだわけでもないのに、女性と性的関係をもてない男性のこと。
「女嫌いの女体(にょたい)好き」という表現もあるそうです。女性を蔑視しながら、女性との性的関係に固執する男たちのことです。女性を泥酔させてレイプする性犯罪を繰り返していた集団に属する男たちがそうです。女性と仲良くなって同意のうえでセックスするのではなく、女性の意思を無視して、いかに数多くの女性とセックスしたかを競い、自慢しあうという男たちです。私なんか、そんな話を聞くだけでも嫌になります。
痴漢被害者に気がつかない、気がついても助けようとしない大人たちがいかに多いか…。ここは私も大いに反省させられました。いえ、目撃したということはないのです。ただ、目撃したり、助けを求める叫びを聞いても、それに応えて行動できるか心もとない、自信がないということです。やはり、勇気がいります。
「ひるまない」ことの大切さが強調されています。すぐに行動しなければいけないっていうことも多いわけなんですよね。むずかしいことですが…。
この本で著者は3人と対談して、さらに問題点を掘り下げていて、これまた視点が広がり、大変勉強になりました。5歳と2歳の2人の男の子(孫です)と格闘中の娘にもぜひ読んでもらいましょう。増刷が相次ぎ、早くも5刷です。これは、すごーい。この分野に世間の関心が集まるのは、とてもいいことだと思います。
(2020年11月刊。1600円+税)

それでも読書はやめられない

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 勢古 浩彌 、 出版 NHK出版新書
私と同じ団塊世代の著者は大変な読書家のようです。
「それでも」というのは、2018年10月に軽い脳梗塞をしたからのようです。私も、読書はやめられない部類です。しかも、電子書籍ではなく、紙の本に限ります。赤エンピツ片手に、ここぞと思ったところにはアンダーラインを引きます。この作業のとき、2度読み、あとで書評のために引用するため3回読んで、そのあと、すっかり忘れてしまうのです。
そして、著者は面白そうな本を死ぬまで読みつづけると言うのです。私も、面白そうな本が最優先ではありますが、もう一つ、この世の中がどうなっているのかを知りたいという欲求に応えてくれる本なら、面白そうでなくても挑戦します。新規性がなく面白味もなかったら、ガッカリするだけですが、ともかく最後まで手早く頁を繰って、なにが面白いことがないか、目新しいことが書かれていないか、最後まで読み通します。あとがきや解説を読んで、なるほど、そういうことだったのかと思い至ることがあります。
人間的成長に資するかどうかなんていうことは、私の読書とはまったく無縁の観点です。幅広い読書をすると、総合的な判断を下すことができる。なーるほど、ですよね…。
読書は人間の幅を広げ、器を大きくする。そうかも…。
読書は、コミュニケーション力を育てる。たしかに話題は豊富になりますけど…。
古典への挑戦は、私も何回もしました。その典型はマルクスの「資本論」です。弁護士になって2回読みました。一応全巻通読です。といっても、理解できたとは、まったく考えていません。読み通したことの自信が残っているだけです。あと、「源氏物語」は、古典ではなく、新訳で挑戦したいとは思いますが…。プルーストの「失われた時を求めて」は、敬遠し続けるつもりです。
私は、本を買って読む派です。図書館は資料として読むために利用するだけです。
現代小説を読まず、時代小説と海外ミステリーが残っているという著者です。なので、ノンフィクションの類がまったく紹介されていません。それだけは残念でなりませんでした。
(2020年3月刊。900円+税)

映画の匠、野村芳太郎

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 野村 芳太郎 、 出版 ワイズ出版
映画ファンなら、「七人の侍」と並んで名高い「砂の器」をみなかった人はいないでしょう。山田洋次監督の師匠にあたる映画監督です。親も映画監督で、息子さんも映画プロデューサーです。
でも、「張込み」はみた記憶がありますが、「伊豆の踊子」とか「五弁の椿」は今でも見てみたいなとは思いますが、残念ながらみた記憶はありません。
「砂の器」は、1974年(昭和49年)制作ですから、私が弁護士になった年のことです。東京の映画館でみたときの圧倒的な衝撃は今も身体に残っています。上映時間は2時間23分の超大作映画です。毎日映画コンクール大賞など、いくつもの賞を受賞しています。
音楽の芥川也寸志もしびれましたが、なにしろロケ地が良かったですね。このロケハンに1年もかけたといいます。
冬の厳しさには、本州・北端の龍飛(たっぴ)埼、春は生活感のある花として信州・更埴市のあんずの里、新緑の北茨城、真夏の亀嵩村そして秋は北海道・阿寒にロケを敢行したのでした。
勝負どころの音楽会は埼玉会館で3日間の勝負、エキストラは連日1200人…。
野村監督は趣味を問われると、なんと、丹精こめて映画をつくりあげること、そして、自分の作品が上映されている劇場に行って観客の顔をみること。充実した顔で劇場を出ていく観客をみるのが楽しいから…。なーるほど、ですね。
野村監督は実は、戦争中、かのインパール作戦に従軍しています。補充将校として1943年(昭和18年)4月にビルマに出発。第15師団独立自動車第101大隊小隊長として、2年間、ビルマ戦線で弾薬を輸送する任務についていた。後方部隊ではあったけれど、それでも決して安全なところにいたわけではない。ビルマの戦場では19万人もの日本兵が死に、インパール作戦だけでも6万5千人もの戦死者がいる。野村監督は、現地の戦場で人間が腐って死んでいく姿を見ていた。
人間の腐敗は、生きているうちに始まる。重傷を負い、また栄養失調と疲労で動けなくなった兵士の皮下に、ハエが卵を産みつける。皮下で卵がかえってウジとなる。すると、そのウジは、兵士の肉を食べて成長する。やがて兵士の体は異常に膨張しはじめる。皮下で無数のウジが、どんどん育っていく。そして、あるときピッと皮膚がはじけて、ウミとウジが流れ出てくる。そして流れ出たあとに白い骨がのぞいている。腐敗がはじまって、ビルマの赤い土になるのに半月とかからない。「猿の肉だ」と言って、死んだ戦友の身体の肉を食べて生き残った兵士もいた…。まさしく生き地獄だった…。
山田洋次監督は師匠の野村監督について、クール、冷静で鋭い頭脳の持ち主だったと評する。突き放したところで観察していて、ときおり的確な助言をする、そんな教え方だったと…。
20年間に70本もの映画をつくったというのですから、今では考えられませんね。短期間に大量生産したわけですが、それだけ映画製作スタッフが充実していたということなんでしょう。美空ひばりや、コント55号などそのときの有名人を主人公とした映画も見事につくっていますので、よほど映画監督が性にあっていたのでしょうね…。
堂々、500頁の大作ですが、なつかしい思いが一杯あふれる本でした。
(2020年6月刊。3600円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.