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国際水準の人権保障システムを日本に

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 日弁連人権擁護大会実行委員会 、 出版 明石書店
2019年10月に徳島で開かれた日弁連人権擁護大会のシンポジウムが本となりました。
このシンポジウムは、個人通報制度と国内人権機関という二つの人権保障システムの実現を目ざしていましたが、どちらも聞き慣れないものです。
個人通報制度とは、国際人権条約で保障された権利を侵害された人が、国内の裁判などの救済手続でも権利が回復しないときに、条約機関へ直接、救済申立ができる手続のこと。日本は、8つの国際人権条約を批准しているが、これらの条約に附帯されている個人通報制度を導入していない。8つの条約とは、自由権規約、社会権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、拷問等禁止条約、子どもの権利条約、障害者権利条約、強制失踪条約。
また、国内人権機関とは、人権の保障と促進のために設置される国家機関で、世界では120をこえる国・地域に設置されているが、日本にはない。
日弁連は、このシンポジウムを受けて個人通報制度を直ちに導入し、国内人権機関もまたすぐに設置することを求める決議をしています。
日本は、国際人権条約を批准・加入しているけれど、個人通報制度を利用できるようにするためには、政府は選択議定書の批准が受諾宣言をしなければならないところ、何回も勧告されているのに日本政府は無視し続けている。
たとえば、弁護人の立会なしの取調べは、自由権規約に反するという個人通報ができるはずなのに、それができない。
日本の女性差別の深刻な実情は、森喜郎前会長(オリンピック委員会)の発言で、はしなくも露呈しましたが、女性の8割は収入が200万円以下で、非正規労働者の7割が女性というところにあらわれています。これも、国際機関に訴えることができるはずなのです。
韓国には、国家人権委員会があり、年に1万件の申立があるとのこと。そして、その事務総長をつとめた人権活動家がシンポジウムで報告しました。
韓国では、今では取調べを受けている被疑者に対して弁護人が立会してうしろでメモを取っているのがあたりまえになっているとのこと。日本は韓国よりずっと遅れています。
国家人権委員会の独立性を確保するためには、法務部(法務省)からの人的独立、そして予算の独立性を強化する必要があると強調されています。なるほど、ですね。
少し前まで、最高裁判事だった泉徳治弁護士もビデオレターで個人通報制度は絶対に必要だと強調しています。泉弁護士は、裁判所内でまさにエリートコースを歩いてきた元裁判官ですが、個人通報制度が導入されると、最高裁も国際人権条約違反の主張に正面から向きあい、真剣に取り組むことになり、それが憲法裁判の質を高めるからと言います。
日本では、国際人権条約をいくつも締結しているけれど、個人通報制度がなく、活用されていないため、神棚に祭られて状態になっている。これを日常生活のなかで活かしていくためには、個人通報制度・国内人権機関の2つがどうしても必要だと泉弁護士は繰り返し強調しています。まったく、そのとおりです。
300頁、3000円の本で少し難しい気分にもなりますが、日本も国際水準レベルで人権保障してほしい、そんな声を高らかにあげるため、あなたも、ぜひ読んでみてください。
シンポジウムのコーディネーターをつとめた小池振一郎弁護士(東京二弁)は、受験仲間で、同期(26期)同クラスでした。贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2020年12月刊。3000円+税)
 すっかり春になりました。庭のチューリップが2本、咲いています。ほかは、まだまだです。雑草を抜いてやりました。種ジャガイモを植えていたところから芽が出ています。
 花粉症のため、目がかゆく、ティッシュを手放せません。
 近くの山寺(普光寺)の臥龍梅も満開。コロナと花粉症さえなければ、春らんまんで心も浮かれてくるのですが、さすがに今年はそうはなりません。残念ですが…。

「脳を司る『脳』」

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 毛内 拡 、 出版 講談社ブルーバックス新書
脳の研究は3つの柱から成る。一つは脳障害の記述にもとづいた医学的なアプローチ。二つは、電気的な測定。これは生体が電気を発生していることにもとづく。三つは、顕微鏡技術の進歩による。
脳にも間質がある。つまり「すきま」がある。これを細胞外スペースと呼ぶ。この細胞外スペースは伸び縮みしている。
脳脊髄液は1日に450~500ミリリットル産生され、1日に3~4回、入れ替わっている。この脳脊髄液が常に流れて入れ替わることによって、脳の環境を一定に保っている。
脳脊髄液が髄膜のリンパ管を通って排出されている。このリンパ管を通して全身から脳への免疫細胞の輸送もされている。
睡眠中に、脳脊髄液と間質液が交換されることによって、アミロイドβのような代謝老廃物であるタンパク質が洗い流される可能性がある。
睡眠障害によってアルツハイマー病になるのか、アルツハイマー病になったから睡眠障害になるかという因果関係は、今のところ明らかになっていない。ただし、良質な睡眠が健康維持に重要なことは明らか。
生物は金属よりも電気を蓄える能力が高い。もっとも誘電率が高い金属よりも生物のほうが1000倍も大きい。
低周波で電気を蓄える能力が高まる。細胞外スペースが脳の電気的な特性を決めている。低周波は、生体に与える影響が大きいので、注意が必要。脳の20%ほどは、細胞外スペースと呼ばれる「すきま」である。
頭の良い人ほど、ニューロンの密度は低く、シンプル。IQテストの成績が良い人ほど神経突起の密度が低く、枝分かれが少ない。これは脳内にムダな接続が少なく、回路が効率的になっているということ。
著者は道に迷ってみることを読者にすすめています。脳の警戒が高まり、身を守るために注意力や集中力が高まるから。これは脳を若く保つ秘訣でもある…。
脳の話は、いつだって面白いです。興味は尽きません。
(2020年12月刊。1000円+税)

むさぼらなかった男・渋沢栄一

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 中村 彰彦 、 出版 文芸春秋
渋沢栄一を主人公とするNHK大河ドラマが始まることは知っていました(もっとも私はドラマをみることはありません)が、新しい1万円札の顔にもなるのですね。こちらは自覚がありませんでした。
渋沢栄一は三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎とは長く反目しあっていたとのこと。この本によると、岩崎弥太郎は、専制主義的な独占論を主張していたといいます。さもありなん、です。日本の財界って、昔も今も、自分たちのことだけ、金もうけ本位で、国民全体のことを考えようという発想がハナからありませんね。本当に残念です。教育にしても、すぐに役立つ、つまりダメになれば使い捨てる、目先の「人材」育成しか考えていないくせに、大声をあげて道徳教育を強調するのですから、ほとほと嫌になります。そんな財界の権化ともいうべき岩崎弥太郎と反目しあったというのですから、私はそれだけでも渋沢栄一の肩をもちたくなります。
江戸時代の末期、まだ幕府があったころにフランスに渡って、パリで開かれた万博(万国博覧会)を見学し、渋沢栄一はすっかり認識を新たにしたのだそうです。これまた、さもありなん、です。
渋沢栄一は、パリにいたとき、ロシア皇帝アレクサンドル2世、フランスのナポレオン3世、プロシャの皇太子らと一緒に競馬をみたとのこと。1867年6月のことです。
渋沢栄一は、もちろん船でフランスに向かったのですが、横浜を出てマルセイユ港に着くまで48日かかっています。船中でフランス語を勉強したようです。そしてフランスには1年8ヶ月も滞在して、大いに勉強したのでした。
幕末のころ、長州藩は大量の洋式銃を購入できたわけですが、それはアメリカの南北戦争が終わった(1865年)ことによるというのを改めて認識しました。南北戦争が終わって不要となった武器・弾薬類が大量にもち込まれたのです。
イギリス人商人のトーマス・グラバー(長崎の有名な「グラバー邸」の主)から、長州藩はゲベール銃3000挺、ミニエー銃4000挺を購入しました。坂本龍馬の亀山社中が紹介して、長州藩の井上(馨)と伊藤(博文)が交渉にあたりました。この大量の洋式銃の威力はすさまじく幕府軍の兵士たちをなぎ倒してしまい、長州勢の完勝、幕府軍の惨敗となったのです。
渋沢栄一は、埼玉県深谷市の農家の生まれです。農業を営むかたわら養蚕業そして藍(あい)を製造していました。つまり商才を父親から譲り受けたのです。そして、その才能を見込まれて農民から武士に取り立てられたのでした。幕末のころ、農民の子が武士になった例はたくさんありました。新選組の近藤勇や土方歳三、芹沢鴨などもそうです。
明治になって渋沢栄一は政府の要職に就き、さらには辞職して第一国立銀行に入ります。もちろん、そこで大活躍したわけですが、なんと渋沢栄一の肖像の入った額面5円の銀行券が発行されていたそうです。新1万円券の渋沢栄一の登場は「2度目のおつとめ」になるのでした。
財界人が自分と自分の会社の金もうけしか考えず、国の政治をそのために金力で動かそうとするなんて、サイテーですよね。そんなサイテーの財界人が今の日本に(昔もそうだったでしょうが…)、あまりに多すぎて、ほとほと嫌になります。まあ、それでも、ここであきらめてはいけないと思っているのです…。
(2021年1月刊。1600円+税)

釣りキチ三平の夢

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 藤澤 志穂子 、 出版 世界文化社
矢口高雄外伝という本です。矢口高雄の原画がすばらしいカラー図版で紹介されていますから、それを眺めるだけでも心楽しくなります。
釣り場をとり巻く自然の描写が本当に行き届いていて、大自然の息吹きに圧倒されます。ただし、雪深い山村に実際に住むのは本当に大変なようです。白い雪に埋もれてしまう日々を、恨めしく思って過ごす人々が多いというのも、冬でも雪が降ったくらいで喜んで育ってきた身には分からないところでしょうね…。
自然は厳しい。でも、どこか清々しい。
こんなセリフが書けるようになるまでには、相当の年月が必要なような気がします。
著者は少女マンガ専門で、「釣りキチ三平」は読んだことはなかったそうです。実は、1973年から10年間も「少年マガジン」で連載されていたというのを私も読んではいません。大学生のころ、「あしたのジョー」は毎週かかさず読んでいましたが…。そして、「釣りキチ三平」はアニメ版の映画も実写版映画もあるそうですが、どちらもみていません。
実写版映画は、そのうちDVDを借りてみてみたいと思っています。なにしろ、撮影現場は矢口高雄が提案した秋田県内の釣りどころのようですから…。
何回読んでも泣けてくるシーンは、矢口高雄が中学校を卒業したら「金の卵」として東京のブラシ工場に集団就職することが決まっていたのを、担任教師が高校入試の願書しめ切り前夜に雪のなか自宅に押しかけてきて、世間体ばかりを気にする父親に高校進学を説得しにきた話です。中学校では成績優秀で、生徒会長もつとめていた矢口高雄を担任の教師は、なんとかして高校へ進学させたいと思って、12月の深い雪道をかきわけて矢口高雄の家に押しかけたのです。すばらしいです。そんな教師の迫力にこたえて母親が決断し、渋る父親を説き伏せたのでした。なんともすごいシーンです。
そして、高校進学したのですが、その高校生活について、矢口高雄は記憶がないというのです。ともかく、一杯のラーメンも食べず、一本の映画すらみていない、修学旅行にも参加していないというのです。いやはや、大変な高校生活ですね…。そして、羽後銀行に入行して12年のあいだつとめました。
そのころの下宿先の娘さんが、矢口高雄について、「真面目で、ちょっと暗い人」という印象を語っているのも面白いエピソードです。
そして、支店の前を毎日通りかかる女子高生に恋をして、それが実るのでした。これまた、そんなこともあるのですね…。
この奥さんが、実に矢口高雄をよく支えたのですよね。その後は、長女が支え、さらに次女が支えたというのですから、矢口高雄は家族に大きく支えられて存分にマンガが描けたわけです。いやあ、いい本でした。
「釣りキチ三平」のラストは、自然保護を訴えて100万人もの「釣りキチ」たちが国会にデモ行進するシーンだそうです。これって、安倍内閣による安保法制法反対の国会を取り巻くデモと集会を思い出させますよね…(116頁)。
しんぶん赤旗日曜版に1991年から2年間にわたって連載された「蛍雪時代」は矢口高雄の生い立ちを知るうえでは欠かせないものだと思いますが、私は、これを読んで、熱烈なファンになりました。この本も、ご一読をおすすめします。
(2021年1月刊。1600円+税)

ベトナム戦争と沖縄

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 石川 文洋 、 出版 榕樹書林
1967年、私が大学生になった年は、ベトナム戦争まっさかりでした。詳しいことは知りませんでしたが、強大なアメリカ軍が50万人もの兵隊をベトナムに送り込んでベトナムの人々に戦争をしかけているのには生理的な抵抗感がありました。「ヤンキー・ゴーホーム」という気分です。当時の大学生の多くが、そんな気分だったように私は思いました。
それでも、ベトナム戦争の現場の写真に接することは、あまりありませんでした。
ベトナムでアメリカ軍は空から徹底的に爆撃しました。ナパーム弾で農村地帯を焼き尽くし、枯れ葉剤をまいて、ジャングルを裸にしてしまったのです。それでもベトナムの戦う人々はそれこそ文字どおり地中に潜って戦い続けたのです。
私もクチのトンネルに潜ってみました。まっ暗いトンネルが延々と続いているのです。怖いとしか言いようがありません。
アメリカ軍が山頂に大砲陣地をすばやく築きあげた写真があります。ヘリコプターからブルドーザーをおろし、たちまち地面をならして陣地を築きあげるのです。そして、このアメリカ軍の物量作戦を支えたのは、日本の沖縄でした。
1965年3月に、アメリカ軍のベトナムでの初めての戦闘部隊は、沖縄にいた第3海兵隊。第一海兵師団は戦死者1万人、負傷者8万人を出している。まさしく、沖縄はアメリカのベトナム侵略戦争を支える後方基地、兵站基地でした。そして、それは沖縄経済も潤わせたのです。
ベトナムで破壊された戦車は、いったん沖縄に来て、それから神奈川県相模原で修理された。横浜では、そんな戦車を通さない、運ばない運動が取り組まれました。横井久美子さんの「戦車は通さない」という歌にもなっています。
著者がベトナム戦争の最中にとった写真の少女(ソー、10歳)に、著者は25年後、そして42年後にも再会し、写真が紹介されています。同じく、1965年に市場でモノを売っていた少女(アン、17歳)とも、23年ぶりに再会し、それから10年後にも再会しています。きりっと引き締まった美少女でした。
ベトナムではたくさんの沖縄出身のアメリカ兵が戦死していることもこの本で知りましたハワイに本部のある第25歩兵師団には、沖縄出身の二世兵士がいたのです。25師団だけで、4547人が戦死し、3万人以上が負傷していますので、二世兵士たちが大勢亡くなったのも当然です。
いま、ベトナムはロシアや中国と離れて、アメリカを親善国としている。政府は共産党だけど、経済は資本主義そのもの。オバマもトランプもベトナムを訪問している。
では、ベトナム戦争で犠牲となった300万人もの民衆と兵士の死は、いったい何のためだったのか…。著者の疑問は、まことにもっともです。結局、アメリカの産軍複合体がもうかっただけではなかったのでしょうか…。ほとほと嫌になる現実、過去の歴史があります。
そんなこと思い出させる写真がたくさんありました。
(2020年12月刊。1300円+税)

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