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中世は核家族だったのか

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 西谷 正浩 、 出版 吉川弘文館
この本のタイトルになっている問いかけに対して、本書は繰り返し、そのとおりだと答え、立証につとめています。なるほど、中世の家族というのは、そうだったのか、それは農業生産力の発展段階に見合ったものなのか…、得心がいきました。
中世の村では、おそらく男子も女子も生家を出て新たに世帯を形成する慣習が存在し、核家族が支配的な家族形態だった。
一般に男子は15歳、女子は12歳から14歳で成人した。男女ともに、人は結婚して所帯をもって、はじめて真の一人前とみなされた。男子の適齢期は16歳から25歳で、20歳にピークがあり、女子の適齢期は14歳から20歳で、17、8歳がピークだった。当時の若者には、親元からの速い巣立ちと結婚をうながす強力な社会的圧力が働いており、早婚社会だった。中世の民衆社会は、夫婦関係に依存して生きていくほかない社会であり、独身のままでいることには大きな困難をともなった。
親と成人した子どもは、それぞれ独立して財産を所有し、農業経営も核家族単位でおこなうというのが、当時の常識的な考え方だった。
配偶者の死亡率は高く、若い寡婦は再婚するのが普通だった。
中世民衆の家族構造は、単婚の核家族で、分割相続を基本とした。
中世においては、階層をこえて親子二世代夫婦不動居の原則が根強く存在していた。中世社会は、その原点において、夫婦一代ごとの家族形成を原則とする核家族社会だった。
支配者層は米を常食としたが、中世・近世の庶民の主食は麦だった。米の価格は、麦の3倍もした。庶民が米を食べるのは、正月・盆など年に26日あるハレの日だけ。
お米はベトナム南部(占城、チャンパ)から渡来してきた大唐米(だいとうまい)。風害に弱く、味も悪かったが、虫害・干害に強く、価格が低かった。
中世には、農業は男の仕事で、女は衣料の生産に従事していた。木綿は江戸時代から庶民の日常衣料となったが、中世は「苧麻」(からむし)の時代だった。女性は、この苧麻から衣料をつくるのに時間をとられた。近世になって、衣料が商品化したことで、女性は衣料生産労働から解放され、女性も農作業に本格的に参加できる(する)ようになった。百姓の妻女が紡(つむ)いだ衣料は、百姓自身の日用品であるとともに、一家の大事な収入源でもあった。
古代の百姓(はくせい、ひゃくせい)は、一般人民(公民)を表した。中世になると「ひゃくしょう」と読み、一般庶民や荘園の年貢の負担者を指した。必ずしも農民ではない。
日本の農業は規模が小さく、中世前期の農業は、「中農の時代」だった。
中世社会では「百姓の習(なら)ひは、一味(いちみ)なり」と言われるが、日常的に団結していたのではない。むしろ、利害関係が錯綜しているなかで、矛盾や対立を抱えた者たちが共通する強敵を前にして、他の問題を当面棚上げして臨時的に結成したのが中世の一揆だった。
古代村落の大半は9世紀から10世紀にかけて消滅していて、中世にはつながっていない。中世の村の多くは、地域開発にともなって、11世紀以降に誕生した。
中世の村と人々についてのイメージを大きく変える感のある力作です。
(2021年6月刊。税込1870円)

約束の地(上)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 バラク・オバマ 、 出版 集英社
アメリカで170万部も売れたというオバマ元大統領の回顧録です。
正直いってオバマ大統領誕生のニュースを聞いたときには私も少しばかり胸が熱くなりました。これでアメリカも、もう少しまともな国になってくれるのではないか…という期待からです。でもまあ、その後のオバマ大統領の行動をみると、プラハでの演説は素晴らしかったのですが、その後の行動が演説を裏切りました。また、オサマ・ビン・ラディンの強引な暗殺も許せません。アメリカなら、司法を無視して、しかも他国の主権を無視して容疑者を一方的に殺してしまえる。そんなはずはありません。大いに失望させられました。
でもでも、そのあとのトランプ大統領よりは、ましです。というか、トランプのひどさは言葉に言い表せません。だけど、トランプには少なくとも言葉がありました。わがスガ首相には、その言葉すらありません。アベもスガも、知性と教養がないことを売りにしているようです(その点、トランプそっくりです)。でも、政治家がコトバの力を信じなかったら、世の中は闇です。
序文で、オバマがこう書いています。
「私は今でも手で書くことを好んでいる。パソコンを使うと、ひどく乱雑な下書きがあまりに体裁よく見えてしまい、生煮えの構想まで整然と仕上がったように錯覚するからだ」
これには、まったく同感です。モノカキを自称する私は、まったくの手書き派です。パソコンに入力するのは有能な秘書の仕事です。そして、私が赤ペンを2度、3度と入れて完成稿を目ざすのです。この赤ペン入れは私のひそかな楽しみです。
オバマが10歳のとき、父親がケニアからハワイのホノルルまでやってきて、1ヶ月をともに過ごした。それが父親に会った最初で、最後。
10代のころのオバマは、信じられないことに、やる気の感じられない学生だった。バスケットボールには情熱を燃やしていたし、パーティーにはしょっちゅう行っていたが、学生自治会とは縁がなく、議員のインターンとして働いたこともない。
ただ、高校生のオバマは自分の肌の色、そして階級をめぐって疑問を抱いてもいた。そのことを誰に話すこともなく、オバマは本に逃げ込んだ。
読書は、幼いころに母に植えつけられた習慣だった。本が好きだったから、オバマは高校を無事に卒業できた。そして、1979年にカリフォルニア州のオクシデンタル大学に入学した。3年目にコロンビア大学に移った。このコロンビア大学での3年間、オバマは修道士のような日々を送った。ひたすら読み、書き、日記をつけ、学生のパーティーにはほとんど顔を出さず、温かい食事をとることもまれだった。ひたむきで、強情で、ユーモアのない毎日を送った。
1983年に大学を卒業し、シカゴでコミュニティ・オーガナイジングの活動を始めた。地域の課題解決に向けて、ごく普通の人々を連帯させていく草の根活動。ここで、オバマは、頭でっかちな自分から脱却できた。地域に入って、何度も拒絶され、侮辱されたので、拒絶され侮辱されるのを恐れることがなくなった。そして、ユーモアのセンスも取り戻した。
私は、この節を読んで、私が大学1年生のときから3年間ほどかかわったセツルメント活動を思い出しました。川崎市幸区古市場という、大企業から中小企業まで、そこで働く労働者の暮らす下町での若者サークルの一員として活動していました。侮辱されたことはありませんが、拒絶され、また、会社からアカ攻撃を受けていました。少しでも会社の意向に反する言動をしようものなら、「アカ」として排斥される社会的な仕組みがあることを体験したのです。でも、同時に、そこは楽しい場でした。ユーモアのセンスを取り戻すというのではありませんでしたが、心の安まる場であったことは確かです。今、そんな学生セツルメント活動が存在しないのが、残念でなりません。ネットで替えられるものではないのです。
オバマは、この経験を経て、ハーバード大学のロースクールに進んだのです。日本のロースクールの理想もそういうものでした。社会人の経験ある人が弁護士になることを容易にしようというものです。実際に、そういう人たちも少なからずいるわけですが、今では日本のロースクールは失敗だと言いたてる人の声が大きいのが、私としては残念でなりません。
オバマがミシェルに出会ったのは、シカゴの法律事務所でのこと。すでにミシェルは弁護士として働いていて、オバマは、そこへインターンとして通った。ミシェルは、ユーモアがあって、社交的で度量が広く、とてつもなく頭がよかった。なので、オバマは会った瞬間、魅了された。
オバマは政治家になり、ついには上院議員、そして、大統領選挙に挑戦します。勝ちすすむための具体的な心得は、メディアをもっと効果的に活動すること。自分の主張を短く、強い言葉にまとめて広めること。政策文書の作成にばかり時間を費やさず、有権者一人ひとりと直接つながる活動を展開すること、そして活動資金を、それも多額の資金を調達すること。費用のかさむテレビ広告を打って、認知度を上げることが条件だった。
オバマにある人が、こう言った。
「キミが機会を選ぶのではない。機会のほうがキミを選ぶのだ。キミにとって唯一となるかもしれないこの機会をキミ自身の手でつかむか、そうでなければ機会を逃したという思いを一生かかえて過ごすか、そのどちらかだ」
オバマは、まったく同じ話を、まったく同じ話し方で、1日に5回も6回も7回も話さなくてはいけなかった。
私にとって、これは耐えられないことです。1回話したことを、もう1回、同じように話せと言われたら断ります。それを6回も、7回も、だなんて、とんでもありません。政治家なんて、私にはまったく向いていません。
質問の半分は揚げ足とり。その罠にはまってはいけない。どんな質問をされても、まず何かひと言返し、いかにも答えたかのように思わせ、そのうえで、主張したいことを話したらいい。人は事実よりも感情で動く。なので、否定的な感情ではなく、肯定的な感情をかきたてる、演技をしながらも、やはり真実を語る必要がある。
上巻はオバマが大統領になるまでが大半を占めています。一気に舞台を駆けあがっていく様子はアメリカの民主主義の強さを実感させられます。
(2021年2月刊。税込2200円)

ノマド

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジェシカ・ブルーダー 、 出版 春秋社
映画「ノマドランド」は見ていませんが、その原作本です。
ノマドとは、流浪の民のこと。まさか自分が放浪生活をすることになるとは思いもしなかった人々が、続々と路上に出ている。
彼らをホームレスと呼ぶ人もいるが、現代のノマドは、そう呼ばれるのを嫌う。避難所と移動手段との両方をもつ彼らは、ホームレスではなく、ハウスレスを自称している。
彼らの多くは、遠目には、キャンピングカーを愛好する気楽なリタイヤ組に見える。
しかし、ガソリンタンクとお腹を満たすために、骨の折れる肉体労働に長時間労働している。賃金が上がらず、住宅費が高騰する今の時代に、家賃や住宅ローンのくびきから自由になることで食いつないでいる。彼らは、日々、やっとのことでアメリカを生きのびている。
賃金の上昇率と住居費の上昇率があまりに乖離(かいり)した結果、中流クラスの生活をしたいという夢をかなえるなんて逆立ちしても無理になってしまった人が、続々と増えている。
収入の半分以上を住居費に費やしているアメリカ人家庭の6世帯に1世帯は、待ったなしの状況にある。住居費を支払うと、食料品、医薬品、その他の生活必需品を買うお金がほとんど、あるいはまったく残らない定収入の家庭が少なくない。
キャンピングカーにないのはシャワーとトイレ。トイレはバケツで代用する。そのふたの上に食料品を置く。
アマゾンは、従来型の派遣社員を何千人も採用しているが、配送量が劇的に増える繁忙期、つまり3ヶ月から4か月間続くクリスマスセールの時期には、ノマドを追加投入する。
アリゾナ州では、2000人ほどのノマドを採用した。そして、繁忙期が終わると、用済みとなり、契約は切られる。
かつて年100万ドル以上の暮らしをしていた人が、今や週に75ドル(7500円ほど)で暮らす。中流層の労働者の半数近くは、定年退職のあとは、1日わずか5ドルの食費でやりくりすることになる。公的年金だけでは、あまりにぎりぎりで、やっと食いつなげるかどうかというレベル。これを「定年の消滅」と呼ぶ。
ところが強欲老人というイメージがつくりあげられた。現役世代の血税を飲み干しつつ、ゆたかなレジャーを楽しみながら老後を過ごす、老人病の吸血鬼。これは、ロナルド・レーガンの言った「福祉の女王」と同じもの。
車上生活を安全に過ごすには工夫と注意が必要。日中と夜間で、車の停泊場所は変える。日中は日常の行動がすべて問題なくできる場所を選ぶ。夜間の停泊場所には、暗くなってから移動する。そこは眠るだけの場所なので、朝になったら、すぐにまた移動する。
もう一つ大事なのはカモフラージュ。車は、いつもきれいにしておく。座席に洗濯物などを散らかしておかない。人の興味をひきそうな装飾はしない。ステッカーなんて貼らない。
そして、警官は、避けるに限る。
車上生活者の圧倒的多数は白人。白人であってさえ、アメリカでノマドでいるのは並大抵のことではない。黒人が車上生活するのは、危険すぎる。
アメリカでは、社内泊を禁止する都市が増えている。2011年から2014年まで37から81都市へ43%増えた。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン、ホノルルなどで、警察が検挙している。
だけど、ノマド同士の連帯も生まれている。
立派な建物もお風呂もないセンターステージだってありゃしない。だけど、キャンプファイヤーで友情が生まれる。だれもかれも安っぽいつくりだけど同じ人は一人もいない。
現代アメリカの知られざる現実が紹介されています。著者は大学で教えてもいる女性ジャーナリストです。
(2021年5月刊。税込2640円)

古代日本の官僚

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 虎尾 達哉 、 出版 中公新書
こういう本を読まないと歴史の真相というか実態は分からないものだと、痛感しました。
古代日本の朝廷は、厳粛な規律が守られ、よく統制のとれたものとばかり思い込んでいましたが、実際には、平気で遅刻し、無断欠勤が横行していて、しかもそれを上は黙認というか、放任していたというのです。ええーっ、そ、そんなバカな…、という驚きの事実がオンパレードなのです。
古代日本の官僚機構では、実は官人たち、とくに下級官人たちによる怠業、無断欠勤、無断欠席が横行していた。古代の日本では、律令官人は、規律正しくもなく、勤勉でもなかった。
下級の律令官人は、官僚編成に手こずった、かつての伴造(とものみやつこ)たち、つまり中下級豪族層の末裔(まつえい)だ。冠位十二階は、施行して40年以上たってもなお、中央の上級豪族層と一部の中下級豪族の冠位にとどまった。
聖徳太子の憲法17条は、法ではなく、「官僚の心構え」を説く訓令。
大化の改新のころ、中下級豪族層の官僚化は、はかばかしくすすんではいなかった。
壬申(じんしん)の乱(672年)というクーデターによって誕生した天武天皇(本当は大王。まだ天皇とは呼んでいなかった)のとき、律令官人が大量に生まれた。
天武天皇は、クーデターで挙兵したとき周囲にいた20人ほどの手勢を大舎人(とねり)を天皇の身近に仕えさせ、忠良なる官人に育て、能力に応じた官職につけた。そのころ、下級官人は、冠位(位階)を、あまりありがたがらない、そういう人々だった。
それでも、下級官人は、一般庶民とは違い特権があった。調、庸、雑徭(ぞうよう)が免除された。犯罪でも、救済措置があった。
上級官人は150人前後で、位階が昇進していくと、物理的にも天皇に近づいていく。これに対して、六位以下は儀式に参加することもなく、天皇を見ることもない。そして、下級官人は、儀式に無断欠席するものが多かった。ところが、欠席しても「代返」(だいへん)によって出席したと扱われた。この状況に対して、政府の対応は寛容だった。
8、9世紀の律令時代を返して、六位以下の官人たちは、不断に無断欠席を繰り返していた。そもそも、六位以下は、儀式に出席することを期待されず、また強制されない人々だった。なので、彼らは、したたかに、堂々とサボタージュした。
儀式があるときには、遅刻して参列し、天皇からの下賜品だけはちゃっかりもらうという厚かましさがあった。
「不仕料」(ふしりょう)。これは、各官庁で員数分を請求して得た人件費を精勤者に手当として支出したあと、残った不支給分のこと。官人たちが、怠業・怠慢によって欠勤すると、その分の人件費が浮き、官庁の運営経費が多少とも潤うという仕組みになっていた。
このように古代日本の律令国家は、官人の怠業・怠慢をある程度は織り込みながら、無駄なく効率的なランニングコストで官僚機構を動かしていこうという、合理性を重んじる現実的で、したたかな、専制君主国家だった。
いやはや、なんということでしょう。古代の官僚の世界の実態に大きく目を開かされました。
(2021年3月刊。税込924円)

交響曲第6番「炭素物語」

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 ロバート・M・ヘイゼン 、 出版 化学同人
炭素は、私たちの身の回り、どこにでもある。人間の身体も同じ。皮膚や毛髪、血液、骨、筋肉、腱は炭素原子からできる。どの細胞も、細胞内の成分も、炭素原子の強い骨格があるので働く。乳児の心臓は、母乳の炭素からできる。
炭素と炭素化合物こそが、かけがえのない物質世界と宇宙の進化を促す。しかし、この平凡な元素には謎が多い。地球に炭素がどれくらいあるかも、深部の炭素がどんな化学形かも、よく分かっていない。人間の体をつくっている炭素原子には、恒星が生んだもののほか、ビッグバンが生んだものも少しある。カール・セーガンは「人体は星の産物」と言ったが、「ビッグバンの産物」でもある。
太陽をふくめ、星はほぼ水素の集まりだ。太陽は水素を「燃やす」核融合でヘリウムに変え、過去45億年、輝度をわずかに変えてきた。水素の大半がヘリウムになったときにヘリウムも燃えはじめ、やがて炭素ができていく。炭素は宇宙で4番目に多い元素だ。
130億年以上も前、宇宙の誕生から数百万年たったころ、岩の惑星も生命も気配すらない宇宙空間で、最初の恒星が輝き始める。今の宇宙には、1000個の水素原子あたり1個の炭素原子がある。宇宙空間に向けた炭素の盛大な「種まき」は、巨星が寿命を終えるときに起こる。並サイズ恒星の太陽で、中心部で生まれる元素の最終産物は炭素になる。
炭素鉱物の種類は多い。400種をこす。しかも炭素鉱物は多彩きわまりない。多種多彩な炭素鉱物と合成品がなければ、今の社会は成り立たない。高圧の深部で生じる炭素鉱物のうち、その筆頭はダイヤモンドだろう。30億歳より古い炭に埋まっていたダイヤモンドもある。ダイヤモンドは、数十億年のうちに地球内部で進んだ変化を語る。ダイヤモンドの内包物は、地球が150億歳のころにプレート運動を始めたことを教えてくれる。
地球の炭素は、みな宇宙空間から飛来してきた。その主な源は3つ。その一は、太陽風に混じった炭素系の気体。二つ目は、炭素質の隕石(いんせき)。3つ目は、一酸化炭素や二酸化炭素に富む彗星(すいせい)。地球の地殻には2兆トンの1万倍の炭素がある。炭素という元素が地球を守ってくれている。
地球上の元素は、みな循環している。炭素も例外ではない。炭素は大気から地球深部へ向かい、また大気に戻る。このサイクルが続く。
炭素と地球、そして私たちの身体とのかかわりを全面的に考えさせてくれる新書でした。
(2020年5月刊。税込2640円)
 大牟田市民を長く苦しめてきた暴力団事務所が解体されました。7月20日にその前を通ったら、大きな重機が2台動いていて、3階建の建物はすでになく、敷地に残骸が残って片付け中でした。
 この3階建の建物には、ひところは「村上一家」という大きな代紋がかかっていたように思いますが、ともかく、公然たる暴力団の事務所が町中(まちなか)の目立つところにあるなんて許せないことだと前から思っていました。「悪」の拠点がなくなったのはいいことだと思いますが、いったい今は、どこで総会などはやっているのでしょうか…。

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