法律相談センター検索 弁護士検索

裁かれなかった原発裁判

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 松谷 彰夫 、 出版 かもがわ出版
3.11の大津波で重大爆発事故を起こしたのは福島第一原発(フクイチ)ですが、この本が扱っているのは、「フクイチ」ではなく福島第二原発について1975年1月7日に提訴された設置許可取消を求める訴訟(原告403人)のほうです。
「3.11」の前、東京電力も国も、原子力発電所は絶対に安全で、事故など起きることがない、スリーマイル島(アメリカ)もチェルノブイリ(ソ連)も原発の「型」が違うので心配無用と断言し、裁判所もそれに盲従したのでした。そして、福島地裁(後藤一男裁判長)の一審判決は、スリーマイル島の原発事故は主として運転管理の人為的ミスによるもので、原子炉の基本設計に問題はないとした。続く仙台高裁の控訴審(石川良雄裁判長)も、チェルノブイリ原発で事故が起きたとしても、日本では事故は起こりえないとした。しかもそのうえ、なんと、「反対ばかりしていないで、落ちついて考える必要がある。原発は地球環境を汚染しないものだから」という自分勝手な個人的意見まで判決に書き込んだというのです。これには、まったく呆れはててしないました。この石川良雄裁判官が、その後に起きた「3.11」を、今どう考えているのか、聞いてみたいものです。
ことほどさように、裁判官の判断はあてにならないことがあります(幸いにしても、いつもではありません)。
原告側の弁護団長をつとめた安田純治弁護士の言葉は裁判の本質を次のように面白く、分かりやすく解説しています。
裁判官は、よろめきドラマの主人公のようなもの。よろめくことが仕事。原告側の主張に傾いてきたなと思えるときもあれば、反対にだいぶ被告側に寄っているなと思えるときもある。
原告・被告双方の主張を聞いて、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと、絶えずよろめいている。もっとも、そうでないと困る。初めから結論をもって、法廷にのぞんでいて、どちらの主張しても真剣に耳を傾けないのでは裁判にならない。
まことに至言です。本当に、そのとおりです。ですが、まったくブレない裁判官が少なくないのも現実です。自分勝手な思いこみを絶対視してしまう人がいます。とくに、裁判当事者の一方が、行政や大企業だと、反対側の主張にはまったく耳を貸そうともしない裁判官がいます。それにも二種類あって、法廷での訴訟指揮では耳を貸したフリをしてバッサリ切り捨てる人と、聞く耳を持たない、聞こうとするポーズも示さない人すらいます。
10年近く続いた裁判を支えた原告団の多くは福島の教師たち(その多くは高校の教員)に対して、安田弁護士は鵜川隆明弁護士を通じて、「裁判は子孫への伝言なんだ」と諭(さと)した。そうなんですよね。勇気のない、国と大企業に盲従するばかりの裁判官たちを相手にしてでも、言うべきことは言う。これが必要なことは、「3.11」が証明しています。
この本ができたのも「3.11」のおかげですが、原告としてたたかった人たちは、「3.11」で自分たちの正しさが証明されたことを残念に思っているのです。本当にそうなんですよね。
原告団と一緒になって理論面で裁判を支えてきた安斎育郎・立命館大学名誉教授は「3.11」の直後に、「申し訳ない。なんとか、このような事故だけは起きないように力を尽くしてきたが、力及ばず申し訳なかった」と原告団に謝罪した。いやあ、学者の良心を聞いて、心が震えました。いろいろ勉強になりました。すばらしい本でした。やっぱり声を上げるべきときには、声を上げ、みんなで立ち上がるべきなんですよね。それが人生ではないでしょうか…。一読を強くおすすめします。
(2021年2月刊。税込1980円)

レッド・ネック

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 相場 英雄 、 出版 角川春樹事務所
「パンケーキを毒見する」という映画をみました。菅首相が主人公のような映画です。大変面白く最後まで緊張しながらみましたが、残念なことに観客はまばらでした。次の青春モノの映画には若い女性が列をつくっていましたが…。
菅首相の国会答弁は、歴代首相のなかでも言葉の貧困という点で図抜けています。同世代として恥ずかしい限りです。国民に語りかけようとする気持ちをまったく持っていないのです。そんな人が国会議員になり、首相になれる日本という国の底の浅さにおののいてしまいます。菅首相がついに辞任することになりましたが、その記者会見のときも一切の質問を受けつけず、逃げていってしまいました。哀れとしか言いようがありません。
映画のなかで、菅首相が質問に対してまともに答えようとしないのは、政治不信をかきたてるためではないかという解説がありました。政治に不信感をもつ人は投票所に足を運ばない。それが自分の政権を支えている。下手に政治に関心をもってもらいたくないというのです。
さて、そこでこの本です。この本は、選挙戦で、いかにあるべきかという本質論が主要テーマになっています。自民党・菅政権にとって投票率が低ければ低いほど政権の安定度が増すという関係にあることを十二分に自覚して行動しているというわけです。
これから、この本のコトバを私なりに翻訳して紹介します。
自民・公明党に票を投じる有権者は、どんな言葉をかけられようとも支持を変えることはない。立憲民主党や共産党に投票する人も絶対に投票先を変えない。そんな連中を動かそうと思って選挙運動をするのは、時間と労力のムダだ。
なので、選挙プランナーは、無党派層、いつも選挙に棄権している人々にターゲットをしぼり、徹底的に選挙に行くように仕向ければいい。
なーるほど、ですね。ということが理解できても、では、どうやってその層にアプローチするのか、できるのか、が問題となります。
この本では、有名歌手のファンクラブのSNS交信を乗っ取ってしまうという方法が紹介されています。なるほど、若者が好んでいるSNSに喰い込み、候補者を売り込んで、投票所に足を運ばせることができたら、成果は大いに期待できることでしょうね。
アメリカのトランプ大統領の選挙戦も同じような手法が使われたようです。
本当に怖い世の中になりました。スマホでいろいろ検索していると、その人の行動履歴だけでなく、好み、趣味、思想傾向まですっかりさらされてしまうのです。考えるだけで身震いする状況に私たち日本人だけでなく、世界中の人々が置かれているのです。
ちなみに、レッドネックとは、アメリカの中西部や南部にいる低賃金にあえぐ白人労働者のこと。日本が明治維新を迎える前に起きたアメリカの南北戦争のころ、南部は北部のアメリカ人をヤンキーと呼び、北部は南部の人々を炎天下の作業で首筋を赤く日焼けさせていることからレッドネックという侮蔑的な言い方が定着した。
それがなぜ、日本の選挙に関わるかというと、トランプ大統領の選挙運動のなかで、活用(悪用)された手法が日本にも持ち込まれているということです。
ガラケー一本で、スマホを持たない(持ちたくない)私には無縁ですが、スマホで、フェイスブックを利用すると、個人情報が「ダダ漏れ」することになるというのが、この本の前提になっています。本当に恐ろしい世の中です。
この個人情報をフェイスブックがデータブローカーに売却し、ブローカーは細かく分類してネット広告専門店に転売する。なので、個々のエンド・ユーザーにはその人向けの広告がアップされる。
いやはや、なんという怖い世の中でしょうか…。
(2021年5月刊。税込1870円)

脳を司る「脳」

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 毛内 拡 、 出版 講談社ブルーバックス新書
脳は2重3重に外部から守られている。健康な状態では、外部環境とは、ほぼ隔絶している。脳につながる血管には、脳に余計なものが入らないように監視し、侵入を拒む仕組みである。なので、ほとんどの薬は脳には届かない。ところが、アルコールやカフェイン、ニコチン、覚醒剤など、脳に溶けやすい性質をもつ小さな物質は血液脳関門をすり抜けてしまう。
電気的な信号によって情報伝達をおこなっているというのが脳の最大の特徴であり、最大の魅力。神経細胞を伝わる電気的な信号は、コンセントから電線を流れてくる電気とはまったく性質が異なっている。その大きな違いは、発生から終点まで少しも減衰することなく伝わるということ。うむむ、これはすごいことですね…。
電気信号を科学物質に変換するのは、一見すると効率が悪いように見える。しかし、この仕組みによって、情報の「質」を変えることができるというメリットもある。電気信号から科学信号に情報の「質」を変化させるシナプス伝達を担う神経性伝達物質は100種類以上もある。そして、脳には、広範囲調節系の、ゆっくりかつぼんやりとしたアナログ的な伝達をしているものがある。こうしたニューロンの電気的な活動以外のはたらきが人間の「気分」を決めている。
脳脊髄液(髄液)は成人では130mlある。1日で450~500ml産生されるので、1日に3~4回は入れ替わっている。この脳脊髄液が常に流れて入れ替わることが、脳の環境を一定に保つことに重要。脳の中では、寝ているあいだに、脳脊髄液がアミロイドβなどの認知症に関連する老廃物を洗い流している…。
生物とは、どんな金属よりも、電気を蓄える性質をもっている。
頭が良い人ほど、脳内にムダな接続が少なく、回路が効率的になっている。
知能とは、答えがあることに、素早く、正確に答える能力。
知性とは、答えがないことに、答えを見出せそうにする営み。
脳の話は、いつ読んでも面白く、興味深いものがあります。
(2021年3月刊。税込1100円)

「名奉行」の力量

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 藤田 覚 、 出版 講談社学術文庫
江戸時代にも「傾向と対策」のような受験参考書があったそうです。これには驚きました。もちろん私も大学受験のときには「傾向と対策」を愛用していました(今はないようですね)。そして、年2回のフランス語検定試験を受験するときにも、「傾向と対策」を活用しています。
江戸時代に「学問吟味(ぎんみ)」という試験があり、これの「傾向と対策」として、『対策則』という遠山景晋(かげみち)の書いた本がある。この遠山景晋は、入墨(いれずみ)をした名奉行と噂の高い遠山金四郎景元(かげもと)の父親。景晋は、受験するときには、他説(朱子以外の説)を交えないこと、日本語訳の適切さの2点が大切だと強調した。うむむ、なるほど、ですね…。
町奉行は、旗本が就任できる幕府の役職のなかで、もっとも上級の重職だった。
町奉行には任期がなく、長くつとめた人もいれば、数年で交替する人もいた。その下に仕える与力・同心は、世襲のように勤務していた。与力・同心は、町奉行のなかで隠然たる力をもっていて、町奉行は人形で、与力・同心が人形遣い(つかい)という関係にあった。
名奉行と言われた人は、部下の与力・同心を甘く使ったので、この御奉行ならと思って仕えてよく働いた結果、奉行が名奉行とほめられただけのこと。反対に、虫の好がない奉行が着任すると、与力・同心は敬遠して面従腹背で協力しないので、奉行は2年から3年で転任せざるをえなくなり、町奉行所から追い出されたも同然になった。
江戸の町民にとって、奉行は交替するもの、与力・同心は代々世襲でつとめるものなので、町人の利害にとっては町奉行所より、与力・同心のほうが重要だった。
ふむふむ、なーるほど、そういうことなんですね…。
天保の改革(1841年~)を始めた老中の水野忠邦は、ほとんどの役所から無視されてしまった。そして、ついに2年後に失脚した。ところが、9ヶ月後に老中に返り咲いて、世の中を驚かした。にもかかわらず、1ヶ月もせずして水野忠邦は頭痛や下痢・風邪などを理由として欠勤するようになり、ついに翌年2月に辞職した。
いやあ、そ、そうだったんですね…。
江戸時代には、贈り物を買い取る商売があった。
江戸時代の金利の相場は、もともと15%であり、それを12%に引き下げようとしたのが、幕府の金利政策だった。
江戸時代の実相を知るには、手頃な文庫本です。ぜひ、一読してみてください。
(2021年1月刊。税込1056円)

虫たちの日本中世史

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 植木 朝子 、 出版 ミネルヴァ書房
日本人ほど虫(昆虫)を好きな民族はいないそうです。もちろん、真偽のほどは知りません。でも、孫たちはダンゴ虫が大好きですし、庭のバッタをつかまえて喜んでいます。カマキリが卵を産みつけたあとをみんなでじっと待ちかまえていましたが、ついに孵化せず、残念でした。ジャポニカ学習帳の表紙はずっと昆虫でしたよね…。
『鳥獣戯画』は遊ぶ動物たちを活写していますが、平安時代の『梁塵秘抄(ひょうじんひしょう)』には、たくさんの虫が登場します。ホタル、キリギリス(機織虫)、チョウ、カマキリ(蟷螂)、カタツムリ(蝸牛)、ショウリョウバッタ(稲子麿)、コオロギ(蟋蟀)、シラミ(虱)、トンボ(蜻蛉)です。
消えない火を灯しているホタル、衣を一生懸命に織っているキリギリス、おもしろく舞うチョウやカマキリ、カタツムリ、拍子をとるように飛んでいるショウリョウバッタ、鉦鼓を打つような声で鳴いているコオロギ、人の頭で遊んでいるシラミ、子どもたちと戯れるトンボ…。
12世紀初めの『堤中納物語』に登場する「虫めづる姫君」は、あまりにも有名です。
姫君は、毛虫についても嫌がることなく、毛の様子は面白いけれど、思い出す故事がないので物足りないと言って、カマキリやカタツムリを集め、歌い、はやさせる。
カタツムリを前に、デンデンムシムシ、出ないとカマをうちこわすぞと、はやしたてる。
これは、京の都にも奈良の寺院にも、子どもの遊びにも、芸能の舞台にも響いていた。
この「虫めづる姫君」のモデルは、太政大臣の藤原宗輔(むねすけ)の娘ではないかとされている。この宗輔は、蜂を数限りなく飼って思うままに操り、「蜂飼(はちかい)の大臣(おとど)」と呼ばれていた。
同時代の堀河天皇は、殿上人(てんじょうびと)に嵯峨野(さがの)で虫を捕らえてくることを命じた。捕らえた鈴虫を庭に放った。この虫撰びに蜂飼の大臣・宗輔も参加していた。
百足(むかで)は、平和を乱す恐ろしい存在であると同時に、勇者を守り、人々に福を与える毘沙門天の使いとして尊ばれてもいた。武田信玄の使番12人の武将たちは、百足文様の指物(さしもの)をしていた。対する上杉謙信のほうも、毘沙門天信仰が篤(あつ)く、家の旗印として毘沙門の「毘」の字を記していた。
「蚊のまつ毛が落ちる音」という表現があるそうです。清少納言の『枕の草子』に出てきます。ごくごく微細な音のたとえとして使われています。蚊にまつ毛なんてあるはずもありませんが、たとえとしてはイメージが伝わってくるコトバですよね。
ギーッチョン、ギーッチョンというキリギリスの鳴き声は、なるほど機織(はたお)りの音に聞こえますよね。ところで、中世にはきりぎりすと書いて実はコウロギを指すというのです。驚きました。江戸時代になってから、こおろぎがコオロギになったのです。
中国には、2匹のコオロギをたたかわせる遊びがある。コオロギのオスがメスや縄張りをめぐって激しくたたかう性質を利用した遊び。日本でも、伊勢・志摩などでやられていた(いる)そうです。
日本の古典文学の中で、チョウに代って霊魂を示すのはホタルだ。ホタルは、恋の物思いによって、身体から抜け出た魂ととらえられていた。明智光秀は死後に「光秀ホタル」になったという伝承もあるそうです。
塩辛トンボは、私の子どものころはフツーに近くを飛んでいましたが、今ではあまり飛んでいるのを見かけません。実際に塩辛トンボをなめたら、本当にしょっぱかったと学生が教えてくれたというエピソードが紹介されています。本当に塩辛いだなんて、信じられません…。
飛んでいるトンボを子どもがつかまえるのに、両端に小石を結んだヒモを空中に放り投げるというのがあるようです。私は、やったことがありません。
鼻毛でトンボを釣るというコトバがあるそうです。知りませんでした。トンボを釣れるほど長い鼻毛というのは、このうえない愚か者だということなんだそうです。
阿呆(あほう)の鼻毛に対して、美人の眉(まゆ)というのだそうですが、こちらは聞いたことがある気もします…。
トンボの姿が戦国時代の武将たちの兜(かぶと)のデザインにもなっています。これまた驚きました。世の中、知らないことは多いものですね。トンボは、勝虫(かつむし)だからなんだそうです。さすが学者です。よくよく調べてあるのに驚嘆させられました。
(2021年3月刊。税込3300円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.