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世界でいちばん幸せな男

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 エディ・ジェイク 、 出版 河出書房新社
著者は、この本のタイトルからは想像もつかない苛酷な人生の一時期を過ごしました。
著者は1920年にドイツ東部のライプツィヒに生まれたユダヤ人。ライプツィヒでユダヤ人は、社会の重要な構成員だった。その証拠として、大きな市(いち)はユダヤ人の安息日の土曜日を避けて金曜日に開かれていたことからも分かる。ユダヤ人商人は、金曜日の市なら自由に参加できるからだ。
著者はユダヤ人としてではなく、機械技術専門学校で5年のあいだ勉強しました。5年間でしたが、ここで機械技術の基礎をしっかり身につけたことによって、著者は重宝な技術者として、戦後まで生き延びることができたのです。
ユダヤ人の商店や人々を襲ったのは、ナチス兵士やファシストの暴徒だけではない。それまでの隣人や友人が、突如として変身し、暴力と略奪に加わった。みんなおびえていた。みんな弱かった。その弱さにナチス党からつけこまれて、ユダヤ人に対して根拠のない憎しみを抱くようになった。
強制収容所が満杯になると、朝、収容所の門を開けて2~300人のユダヤ人を門から逃がす。しかし、それはうしろから機関銃で撃たれてバタバタと殺されていくためのもの…。つまり、逃亡を図ったので収容所当局はやむなく発砲したという口実づくりの開門だった。うひゃあ、す、すさまじい…。
ユダヤ人をナチス・ドイツは動物のように撃ち殺した。
アウシュヴィッツでは、ぼろ布は黄金と同じくらい、いや恐らく、それ以上に貴重なもの。黄金があってもたいしたことはできないが、ぼろ布があれば、傷口をしばったり、服の下に詰めて暖かくしたり、少し体をきれいにしたりできる。
アウシュヴィッツに収容されていた人々の平均生存期間は7ヶ月。
「フェンスに行く」。これは、多くの人が生きるより、自ら命を絶つことを選んだことを意味する。フェンスには高圧電流が通っていて、死ねた。
著者が精密機械の技術者であることを申告すると、技術は身を助け、ICファルベンの機械技師として働くようになった。
モラルを失えば、自分を失う。もし、モラルを失ったら、おしまいだった。生き残りたかったら、仕事から戻ったら横になって休め。体力を節約するんだ。1時間の休息で2日だけ生きのびられる。これがアウシュヴィッツで生き残るための唯一の方法だった。一日一日、体力を維持することに集中する。生きようという意思、もう一日生きのびるために必要なことをする意思以外は、一切切り捨てる。それができない人は生き残れない。失ったものを嘆くばかりの人は生き残れない。アウシュヴィッツには、過去も未来もない。ただ、その日を生きるだけ…。あきらめないこと。あきらめたら、おしまいだ。いやはや、意思が強くないといけませんよね。
愛は、人生のほかの良いものと同じで、時間と努力と優しさが必要なのだ。
著者は、こうして絶滅収容所を生きのび、ついには101歳まで生きている。
著者は、だれも憎まない。ヒトラーさえも…。だが、許してはいない。もし許せば、死んだ600万人を裏切ることになる。許すことなど、できるはずがない。
読み終わってタイトルの意味をしみじみと考え直させる本でした。
(2021年7月刊。税込1562円)

カマラ・ハリス

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 カマラ・ハリス 、 出版 光文社
アメリカの副大統領の自伝です。女性初、黒人初、アジア系初という女性です。
アメリカは軍事力に頼ってばかりのマッチョな国という側面も強いのですが、こうやって女性の副大統領が誕生するという面もあわせ持っている不思議な国です。残念ながら、日本では女性首相の誕生はまだまだ先のようです。
カマラ・ハリスは移民の娘として生まれ、カリフォルニア州のオークランドで育った。父親はジャマイカ出身の経済学者、母はインド出身のがん研究者。両親は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院生のとき、公民権運動を通じて出会った。やがて離婚し、カマラ・ハリスは母親に育てられた。
カマラ・ハリスは、ロースクールを出て地方検事補になり、サンフランシスコ地方検事に選ばれ、その後、カリフォルニア州司法長官に選出された。さらに上院議員となり、今や副大統領。カマラ・ハリスがカリフォルニア州で上院議員になるのは、黒人女性としては初めて、アメリカでも史上2人目だった。
カマラ・ハリスは、名門の黒人大学として有名なハワード大学に入学した。1年生のときには、学生自治会の1学年代表に立候補し、当選した。
ハワード大学を卒業してオークランドに戻り、UCヘイスティングス・ロースクールに入学。そこでは2年生のとき、黒人法学生協会の会長に選ばれた。
カマラ・ハリスは司法試験には一度、不合格になってショックを受けました。努力家で、完璧主義者なので、ショックは大きかったようです。それでも、二度目に合格し、地方検事局での仕事を続けました。
カマラ・ハリスがロースクールを出て検察官になったのは、刑事司法改革の最前線に立ちたい、弱い人たちを守りたいという思いから。
アメリカには、検察官の権力を不正の手段として悪用してきた、深くて暗い歴史がある。
性暴力の被害者は、すさまじい痛みと苦しみを抱えている。この心的外傷に耐えて、法廷で証言するには、並大抵でない勇気と心の強さが必要だ。
サンフランシスコ検事局は、惨憺たるありさまだった。放置され、捜査がなされず、起訴されていない未処理案件が山ほどあった。職員の士気は地に墜(お)ちていた。
カマラ・ハリスがサンフランシスコ検事局に2年間つとめていたあいだに性的に搾取されている多くの人を救った。家出した多数の少年少女を救い、市内にある35軒の売春宿を検挙した。これはすごいですね。
アメリカという国全体がそうであるように、サンフランシスコは、多様でありながら、人種差別が根強く残っている。「人種のるつぼ」というより、「寄せ集め」といったほうがよい。
カマラ・ハリスは刑事司法改革に取り組んだ。地方検事として2期、州司法長官として2期近くをそのために捧げ、上院議員となって1ヶ月半で刑事司法改革法案を提出した。
アメリカは刑務所の収監人数が世界で一番多い国。2018年、州と連邦刑務所の収監者数は合計で210万人以上。この数より人口が少ない州が15もある。大勢の人たちが麻薬戦争によって、その中に引きずり込まれた。
アメリカの保釈金の中央値は1万ドル。ところが所得が4万5千ドルの世帯の預金残高の中央値は2530ドル。つまり、勾留される10人のうち9人は保釈金を支払う余裕がない。
刑務所の収監者の95%は裁判を待つ人々。出廷までのあいだ刑務所に収容するのに、1日3800万ドルのコストがかかっている。黒人男性の保釈金は、同じ犯罪で捕まった白人男性より35%高い。ラテンアメリカ系の男性だと20%高い。これらは偶然の結果ではない。2001~2010年のあいだに700万人以上が大麻所持だけで逮捕された。そのうち、黒人とラテンアメリカ系の人数が不釣りあいに多い。2018年の初め3ヶ月間にニューヨーク市警が大麻所持で逮捕した人の93%は有色人種だった。黒人男性の麻薬使用者の割合は白人男性と同じだが、逮捕されるのは黒人が白人の2倍。しかも、黒人男性の支払う保釈金は白人より30%高い。黒人男性は白人男性より6倍も収監される可能性が高い。有罪判決を受けたとき、黒人男性の刑期は白人男性より20%も長い。
リーマン・ショックによって、840万人が仕事を失った。2ヶ月以上も住宅ローンの支払いが遅れているマイホーム所有者は500万人。うち250万件の差押が進んだ。そこで、カマラ・ハリスは銀行と果敢にたたかい、銀行から200億ドルもの補償金を勝ちとった。当初の呈示額は20~40億ドルだった。それでも、大勢の人が家を喪った…。いやあ、本人の自慢話とはいえ、よくぞがんばったものです。
アメリカは、全国をカバーする公的医療制度がない。収入の多い少ないで、受けられる医療のレベルが異なるというのがアメリカの医療の実際。なので、もっとも裕福な層の女性と最貧困層の女性とでは、平均寿命に10年もの差がある。アメリカ人が負担している薬代は、とんでもなく高額。なので、医薬品の処方を受けている人の4人に1人は、薬代を捻出するのに苦労している。アメリカの製薬業界は、現在の制度を維持するためのロビー活動に10年間に250億ドルも投下している。
大変な差別と不平等が今もまかり通っているアメリカですが、この本に書かれている方向で、カマラ・ハリスががんばってくれることを心から願います。読んで元気の出る本でした。
(2021年6月刊。税込2200円)

戦争と軍隊の政治社会史

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 吉田 裕(編) 、 出版 大月書店
一橋大学で長く軍事史を教えていた吉田裕教授が退職するのを機に、退職記念論文集として発刊された本です。
日本では軍事史研究というと、戦後まもなくは、戦争を正当化するもの、戦争に奉仕する学問と捉えられ、皮膚感覚のレベルで忌避する傾向があった。そして、防衛研究所にあった戦史室は、旧軍エリート将校、それも陸軍中心の集団であり、侵略戦争だったことについての根本的な反省が欠如していた。
日本で、戦争・軍事のリアリティーが隠蔽・忌避されてきた結果、日本の若者たちが戦前の軍服を着てサバイバルゲームに撃ち興じるのを許す風潮を生じた。いやあ、これってまずいですよね。戦争が、いかに残虐なことをするものなのかという本質を語らないと、そうなるのでしょう…。
戦前の日本軍将兵が戦場での体験でショックを受けて精神的な病いにかかって日本内地に送還されたとき、公務起因とはされず、わずかな一時金が支払われるだけで恩給はもらえなかった。さらに、傷痍(しょうい)軍人の世界では、戦傷者は優者であり、戦病者は弱者という雰囲気があった。
日本軍将兵(軍属ふくむ)の死者は230万人とされ、そのうち戦死よりも餓死・栄養失調による死のほうが多かった。そして、陸軍の准士官以上は7割が生還しているのに対して、兵士の生還率は1割8分にすぎなかった。
初年兵は「慰安所」行きは男らしさの証(あかし)とされ、そこに行かないと、「男」であることを疑われた。また、古参兵は初年兵を「女役」つまり「慰安婦代役」をつとめさせられていたところもあった。しかし、なかなか日の目を見ない話として埋もれていた。
「慰安婦」は戦場につきものだった。女性の「性」を軍需品扱いにして平気でいられる日本人の異常さが、日本の豊かな経済成長を遂げさせたとするのなら、それはやがて日本の破滅の原因にもなるだろう…。まったく同感です。
日本人戦犯が敗戦後の新しい中国の収容所で加害者だったことを、いかに認識していったかを検証している論稿があります。
収容直後は、日本人将兵たちは、戦犯と扱われたことに対して、激しい反発や抵抗をしていた。ところが、看守らの対応が予想外に丁寧で、食事や監房の環境がきわめて人道的であったことから、戦犯たちは、次第に安心し、やがて、自ら学習の機会を求めた。
新中国は、いかに日本人戦犯たちが中国人に対して残虐な加害行為をしたことが明らかになっても死刑も無期刑も課すことはなかった。寛大な措置がとられたのです。
日本軍将兵が戦争中、罪なき中国人の少年や農民に対して、「実的刺突」をさせ、虐殺した。また、荷物運搬夫として連行した農民を「地雷よけ」として先頭を歩かせ、死に至らしめた。
日本国内に、このような日本軍の残虐な加害行為が広く知れわたっていない現実があるなかで、日本軍はアジアの解放者だったなどという誤った戦争史観がはびこっているのだと思います。とても残念なことです。その状況を克服するためにも本書が広く読まれることを願います。
(2021年7月刊。税込4950円)

恐竜学者は止まらない

カテゴリー:恐竜

(霧山昴)
著者 田中 康平 、 出版 創元社
恐竜学者になるには、オール優(A)の成績をとらなければいけないのだというのを初めて知りました。そして、その理由もしっかり理解しました。
御師である高名な恐竜学者の小林快次教授は学生の著者に対して、こう言った。
「恐竜を研究したいんだったら、授業すべてで優をとること。テストでは一番をとること」
なぜか…。成績が良くないと、奨学金にしろ、大学院進学にしろ、申請ができない。申請しても、認めてもらえない。
恐竜を研究している学生の生活費は奨学金に頼るしかない。それも給付型。すると、成績が良くなければ、もらえない。大学院に進学し、研究室に入りたければ、日頃の成績がモノをいう。なーるほど、そういうことなんですね…。
それから恐竜を研究するには、隣接科学の勉強も必要になる。恐竜の卵を知るためには、現生動物、たとえばワニの卵との比較が必要だ。なので、ワニの卵の研究もしないと、十分な比較ができない。
著者の主たる研究対象は恐竜の卵殻(らんかく)。小指のツメよりも小さな破片は、8400万年も前に恐竜たちが生きていた証(あかし)。卵殻は、恐竜の赤ちゃんが最初に触れるもの。
完全な形状を保った卵でも、卵の中身は、土砂に埋まって化石化する過程でなくなってしまう。卵化石は、骨化石とは別に、独立した命名法がある。恐竜の卵殻外表面には、こった装飾模様のついているものがある。これって、本当に不思議ですよね。誰が見るというわけでもないのに、模様が種によって違うのですから…。
卵の両端を極と呼ぶ。鋭くとがっている端を鋭極(えいきょく)、鈍い端は鈍極(どんきょく)。卵の一番太い部分は「赤道」。
オヴィラプトロサウルス類の恐竜は、1かいに2コずつ卵を産んだ。鳥のように、毎日か数日おきに卵を産み、巣を完成させた。
そもそも抱卵の起源は、親が卵を守る行動から徐々に進化したのではないか。巣の上で捕食者から卵を守る行動が誕生し、その後、翼を使って雨風や直射日光から卵を保護する行動へと変化し、最終的に親の体温を使って直接卵を温める行動になったのではないか…。
著者たちは、兵庫県丹波市での卵化石発掘調査において世界最小の恐竜卵ヒメウーリサスを発見しました。生きていた当時は10グラム、100円玉2個分の重さ。幅2センチ、長さ4.5センチの大きさ。いやはや、本当に小さな恐竜の卵です。よく見つけましたね…。
恩師の小林快次教授は恐竜の骨化石、そして著者は恐竜の卵化石と、同じ恐竜化石でも少し対象を異にしています。ところが、二人とも文章の面白さでは共通しています。この師にして、この弟子あり、というところです。恐竜に関心のある人には見逃せない本ですよ。
(2021年10月刊。税込1980円)
 「大コメ騒動」という面白い映画をみました。
 戦前、富山の女性たちが米価の暴騰に怒って米屋に提供を求めて押しかけたという米騒動を取りあげた映画です。
 女性たちが立ち上がったものの、分裂策動によって仲間割れが起きたり、首謀者が警察に捕まったりして、いったん下火になったものの、シベリヤ出兵のあおりで再び米価が値上がりしたもので、もう一回押しかけ、ついに目的を達したのでした。
 日本社会を動かしているのは、実は女性なんだということを改めて認識しました。

サンソン回想録

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 オノレ・ド・バルザック 、 出版 図書刊行会
フランス革命を生きた死刑執行人の物語。
サンソン家は17世紀末から19世紀半ばにかけて、6代にわたって死刑執行人をつとめた家系。経済的には豊かだったが、最後の6代目は、生活に困窮したあまり、ギロチンを質し入れてしまい、執行人を罷免された。3代目のころは、工場労働者の100倍の収入があった。
5代目のシャルル・アンリは、フランス革命期だったことから、生涯に3000人を処刑した。シャルル・アンリの直属の上司にあたる革命裁判所長フーキエ・タンヴィルが処刑されるとき、「おまえも同類なので、いずれは処刑される」と言い放ったが、サンソンを死刑にしろという声はおきなかった。というのも裁判の審理にはまったく関与しておらず、受刑者に対して、できる限りの温かい配慮をしてきたことが広く知られていたからだろう。
バルザックは、死刑制度は人間の本性に反するものなので、廃止されるべきだと繰り返し述べた。
国をあげて死刑制度を維持しているのはG7のなかで日本のみ。遅れすぎですね…。
サンソンは、次のように言った。
「あらゆる人生のなかで最悪なのは、常に自分自身を忘れるように追い込まれる人生である。これが社会が私サンソンに用意した状態なのだ」
サンソン一族は、イタリアから渡来したのではなく、ノルマンディー地方の出が定説。
当時、拷問は「問い質し」と呼ばれていた。
このころ親殺しは死刑と決まっていた。ところが、その処刑に先立って手首が切断された。この慣例は、直接に悪事を働いた部位をまず罰するという考え方による。革命期に一時廃止されたが、ナポレオン時代に復活1832年の刑法改正まで続いた。
私は国家の刑罰制度としての死刑は廃止すべきだと考えています。
(2020年10月刊。税込2640円)

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