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「経済戦士」の父との対話

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 大川 真郎 、 出版 浪速社
1942(昭和17)年5月、広島の宇品港を出航して3日後、大洋丸は鹿児島の男女群島沖でアメリカの潜水艦の魚雷により撃沈された。犠牲者は著者の父をふくむ800人余。亡父の遺体は遠く韓国の済州島に打ち上げられた。亡父は、今の武田薬品の社員15人の1人として、インドネシアへマラリヤの予防薬キニーネの原料であるキナ皮の確保に行こうとしていた。
大洋丸には、陸軍が選んだ百社のエリート社員・技術者千人が乗船していた。彼らは戦場でたたかう戦士と区別して、経済戦士、企業戦士あるいは産業戦士と呼ばれていた。
大洋丸は敵潜水艦に対する十分な備えのない、まるはだかの状態で進んでいた。
陸軍本部は想定外の被害に仰天し、国民の戦意喪失をおそれて事件を隠蔽した。真相が広く明らかになったのは戦後のこと。
亡父死亡のとき、著者は1歳2ヶ月。当然のことながら、亡父の記憶は何もない。母は当時27歳で、その死は86歳のとき。亡父は、1年間の志願兵をつとめたあと武田製薬に入社した。亡父は武田製薬に会社員として勤めながら、俳人として活動するようになった。いわば二つの顔をもっていた。
亡父が俳句をはじめたのは18歳のとき、新宮中学校に在学中のころ。
亡父は大阪薬専に入ると、松瀬青々の主宰する俳句誌『倦島』に出稿しはじめた。
松瀬青々は、俳句にリアリズムを求め、俳句を「自然界の妙に触れるとともに、人間生活の浄化をはかるにある」という「自然讃仰」の立場をとっていて、亡父はこれに共鳴した。青々の門下である西村白雲郷が句誌『鳥雲』を創刊すると、22歳の亡父は、その同人となった。
亡父は軍務として、1941(昭和16)年5月、中国大陸の上海や南京に行っています。南京大虐殺のことは知らされていなかったようですが、紫金山麓の野中に日本と中国の戦没者の墓標が並んでいるのを見て一句を読んでいます。
墓標二つ 怨讐とほく 風薫る 
怨讐とは、恨んで仇とすることです。
亡父の会社員のときの写真が紹介されています。著者に似ているというより、はるかに精悍な印象です。会社員として、かなり出来る人だったのではないでしょうか…。
亡父の日記を紹介し、著者は次のように亡父を評価しています。
「父は、自分を客観的にみつめ、きちんと自己評価しようと心がけた人だったようだ。自己を過大評価したり、自信過剰に陥ることを恐れていたようにも思われる」
さらに、亡父について、著者はこう評しています。
「父が為政者、マスコミにいささかも疑問をもたなかったのは残念であり、その意味で父は普通の人だったと思う」
反戦、反権力の弁護士として活躍し、大阪で生きてきた著者は、亡父の俳句や日記を整理するなかで、自分とよく似た性格、感性、心情などを見出し、喜び、親子の絆を強く感じたとのこと。同時に、この作業は、父の思想に疑問を投げかける無言の「対話」でもあったという。
そして、最後に、著者は亡父をしのびつつ、感性豊かで詩情にあふれ、文才のある人が、早々に生を終えざるをえなかったことを無念に思い、あらためて許しがたい戦争であり、為政者だったと結んでいる。
著者から贈呈していただきました。貴重な労作です。ありがとうございました。
(2022年4月刊。税込1650円)

市民と野党の共闘

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 児玉 勇二 、 梓澤 和幸 、 内山 新吾 、 出版 あけび書房
小選挙区制と低投票率によって選挙結果が相当ゆがめられ、これが日本社会の右傾化を加速させてきた。まったく同感です。
投票率は、今や60%を大きく下回って、55%にも届かない現状にあります。フランスの大統領選で投票率が下がったといっても、まだ70%というのにうらやましくて仕方ありません。
自民党は、絶対得票数は長期低落傾向にありますが、小選挙区制と公明党との提携によって長期政権を維持しています。自民党政権にしてみれば、低投票率が続き、野党が割れている状態が続けばいい。政権で有権者の支持を得る必要はない。つまり、何をしてもいい。アメリカの兵器を爆買いしたって、それで文句を言われて政権の座からひきずりおろされる心配はしなくていい。
なので、多くの国民に政治に「うんざり感」をもってもらい、野党のあいだに楔(くさび)を打ち込めばいい。道理で、連合の芳野会長は、自民党の希望するとおりを日々、実践しているわけです。
そして、メディアは、選挙のときも、まともな政策報道はしない。与党をちょっと批判すると、必ず野党も批判する。どっちもどっち、「野党の追及は迫力を欠いた」、いつも、まったくワンパターンの報道です。焦点をわざとボカシています。
たとえば、ウクライナ避難民を日本を外務大臣が政府専用機に20人だけ同行させて日本が迎えいれましたが、このことを日本のメディアは大きく報道しました。ウクライナの人々が国外の400万人(もっと多いのでしょう)も出ているというのに、日本は「20人」で、岸田政権はなんかやってる感を打ち出すのに成功しているのです。まったくバカバカしい話です。この「20人」が、何万人もの受け入れの先発隊だという位置づけは何もありません。「人道支援」として日本はいったい何をしているのか、問いかけもありません。日本のマスコミは全体として政府広報機関と化しています。
いったい、ヨミウリもアサヒもNHKもウクライナに特派員を派遣・常駐させて、現地の人々の声を日本に届けるべきではありませんか。なぜ、それをしないのでしょうか。
イギリスのジョンソン首相がウクライナのキーウに飛んで、大統領と会った映像が流れましたが、日本の岸田首相はなぜウクライナに飛ばないのでしょうか。
日本のメディアの質の低さを本書は厳しく批判しています。まったく同感です。
日本のマスコミは改革をあおる新自由主義が今なお大好き。維新の会って、公務員を叩き、保健所を減らす一方で、カジノ優先、弱肉強食の政治にひたすら突きすすもうとしているのに、話題性があって、「売れる」というだけで重宝しています。ひどい話です。
日本は、世界でもっとも選挙制度が複雑怪奇だ。これは、国会が小選挙区と比例代表制のミックスであるのに、地方選挙は、大統領選挙の首長選挙と、大選挙区制の組み合わせとなっていることを指しています。それもあって、立憲民主党は、国政選挙では自民党と対立しながら、地方の首長選挙では共闘するという不思議な現象が起きるわけです。
この本の基調は、野党共闘は失敗だったのではなく、大きな成果があげたこと、しかし、ままだ克服すべき課題の大きい、未熟なものだったということです。これまた、同感です。
関西、とりわけ大阪では維新の票は岩盤化していて、67万票前後で、固定化している。都心の高層タワーマンションや郊外の戸建て住宅に住む「勝ち組」意識を抱いた中堅サラリーマン層や自営業上層の人々。彼らは税金の高負担への不満、高い税金を「喰いつぶす」年寄り、病人、貧乏人へ怨嗟や憎悪の感情をもっている。その情念を維新は、かきたてて、社会的分断を意図的につくり出している。「大阪都構想」で維新が敗北したのは投票率が7割近くまで上がったことによる。維新も自民党と同じく、投票率は低いほど良いのです。
7月に予定されている参議院議員選挙に向けて、強固な野党共闘ができて、自公政権を退場に追いつめるのか、いよいよ正念場を迎えています。
ロシアのウクライナへの侵略戦争が1ヶ月以上続いていて、日本も「核武装」しようなどという危険な間違った声が出ているのを、私は本当に心配しています。軍事で対抗しようとしても、日本を守れるものではありません。そんな幻想はきっぱり捨ててほしいものです。
敬愛している内山新吾弁護士(山口県)から贈呈うけました。ありがとうございます。
(2022年4月刊。税込1760円)

かぼちゃの馬車事件

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 冨谷 皐介 、 出版 みらい
スルガ銀行シェアハウス詐欺の交渉過程とその舞台裏を当事者が描き出しています。苦闘の末、ついに奇跡の勝利を手にしたのですから、たいしたものです。
その過程では、本当にさまざまな苦難がありました。まず、本人は自死を考えたほど悩みました。そして家庭は離婚の危機を迎えます。被害者がまとまり、被害者同盟をなんとかつくりあげたあとも、内部分裂の危機を何度も迎えます。銀行前でのデモ、そして株主総会での異議申立…。その苦難の歩みが、生々しく語られ、臨場感があります。
すでに都内には数百棟のシェアハウスが建っていて、どこも9割以上の入居率。地方から上京してきた若い女性が敷金も礼金も0円、バッグ一つで、家賃さえ払えば東京に住める。
オーナーとして土地とシェアハウスを購入して所有し、実際の管理はサブリース(SL)が行なう。SLはオーナーから一括で借りあげ、SLが入居者へまた貸しする。オーナーには30年間、全室が埋まっている状態で日々の家賃が入ってくる。
なんと、うまい話でしょうか…。でも、うまい話には、必ずトゲがあるものです。
「これまで、物件を建てては売ってを繰り返す自転車操業だったわけ?」
「そうなりますよね」
「……」
「悪く言ってしまえば、踏み倒しをやろうとしている…、申し訳ないと思っています」
いやはや、なんという開き直りでしょう。著者が相談した業界の人は断言した。
「この(住宅リース)業界は、9割が悪人ですよ…」
これまた、ええっ、と驚くしかありません。
著者たちが、この詐欺商法とたたかおうとしたとき、敵はスルガ銀行になる。それについて、周囲から言われたことは…。
「スルガ銀行を相手としてたたかっても絶対に勝てない。スルガ銀行は訴訟慣れしているので、絶対に勝つのは無理」
だから、自己破産申立しかない。でも、何か策はないか…。そこで登場するのが、原発裁判でも高名な河合弘之弁護士。著者は河合弁護士を絶対的に信頼して、ともにたたかっていくのです。
実は、河合弁護士の娘婿さんも、2億数千万円も被害にあっていたのでした。いやはや、それだけ騙しのセールストークは巧妙だということです。
まず、ローン返済を止める。そして、スルガ銀行東京支店前の歩道でデモをする。
「いやだよ、そんな、左翼みたいなこと」
「ニュースになったら顔も出るし…」
それでも歩道上でスタンディングを決行した。
さらに、株主代表訴訟。最後に、債務免除益への課税をさせないように国税庁と交渉。
著者たちは、ついに巨額の債務から完全に解放され、シェアハウスを購入する前の状態に時間が巻き戻ることができた。なんとすばらしいこと…。人々が団結してたたかえば、不可能が可能になることがあるというわけです。
だまされた人が悪い、自己責任だという論理を許してはいけないのです。だました人が一番悪いのですから、そこにこそ責任をとらせるのは当然のことです。
読んで元気の出てくる本としても、おすすめします。
(2021年10月刊。税込1980円)

中国共産党の歴史(3)

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 高橋 信夫 、 出版 慶応義塾大学出版会
毛沢東が1958年に始めた大躍進、人民公社は表向きの華々しい成果とは逆に、実は、深刻な飢餓をもたらした。水利建設と鉄鋼生産に農村労働力の多くが奪われたため、食糧は豊作だったのに、収穫すべき人間がいないため、結果として食糧不足を招いた。
そこで、1959年7月から始まった廬山(ろざん)会議で、国防部長の彭徳懐が大躍進を遠回しに批判した。これに賛同する者もいたので、毛沢東は、自分に対する重大な挑戦と受けとめ、大々的な反撃に出た。その結果、大躍進の行き過ぎを是正する動きは全部吹きとばされ、300万人もの党員が「右傾機会主義分子」として打倒された。
実体のない「大躍進」は、達成できないと「右傾機会主義者」のレッテルを貼られて打倒されるかもしれないとの恐怖にもとづいて偽造された高い「生産額」に支えられていた。そして、大量の工業設備や先進的技術を取り入れて豊かな工業国になるためには、農村から徴発した食糧を輸出するしかなかった。
その結果、大躍進にもっとも積極的な姿勢を示した地方が、もっとも深刻な飢餓に直面することになった。河南省信陽地区では、総人口の4分の1にあたる100万人が餓死した。
ところが、毛沢東は食糧の絶対的不足を認めようとせず、富農による穀物隠匿のせいだと依然として思い込んでいた。
1960年11月、食糧不足を解決するための努力がようやく始まった。公共食堂の廃止、自留地、家庭内副業の拡大が認められた。そして、農業労働力を確保するため、都市住民が農村に強制的に移住させられた。1961年に1000万人、1962年に2000万人と、合計3000万人もの都市住民が農村に移住した。
毛沢東は大躍進が失敗だったとは決して認めなかった。ただ、おざなりの自己批判をしただけだった。国防部長の村彪は、「過ちは毛主席の指示に忠実に従わなかったから生じた」と発言したのを、毛沢東は称賛した。
ただ、毛沢東の権威は失墜した。そして1962年夏以降、毛沢東は反撃を開始した。文化大革命の始まりだ。
このとき、劉小奇らは毛沢東とたたかう意志はまったくなかった。「君」を諫めることすらしなかった。たたかう意志と戦略をもっていたのは毛沢東だけだった。
毛沢東の背に乗って権力を拡大しようとする人々と、彼らの背に乗って「階級闘争」を展開しようとする毛沢東がいた。誰も毛沢東という暴走列車を止める者はいなかった。
毛沢東は1964年に72歳。このころの毛沢東の精神状態はどうみても尋常ではなかった。気まぐれ、かんしゃく、虚言を繰り返した。党内でもっとも信頼するに足る人々を信用せず、信頼すべきでない人々を信じた。
毛沢東による文化大革命の悲惨は言葉で言い表せないほどひどいものがあり、中国をズタズタにしてしまったのです。
最後までぎっしり内容の濃い340頁の本です。強く一読をおすすめします。
(2021年7月刊。税込2970円)

「生涯弁護人」(2)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 弘中 惇一郎 、 出版 講談社
事件ファイル(1)に引き続く第2弾です。こちらのほうが弁護士にとってより適切な教訓がまとめられていると私は思いました。
薬害エイズ事件について、著者は、被害者と捜査権力(警察・検察)とマスメディアという三者が一本の線で結ばれるようになったとき、人権にとってきわめて危険な状態になると主張しています。この本を読むと、なるほど、そうなのかと実感させられます。
捜査当局、それも特捜部がターゲットにするのは、権力を有する政治家や高級官僚、財界人、権威ある学者など、大衆が憧れとともに嫉妬(しっと)を覚える人々だ。そんな人たちをやり玉にあげるストーリーを大衆は喜ぶ。そして、捜査当局は、標的にした人物についての悪いイメージをマスメディアが連続的に報じるよう、手持ちの材料を少しずつリークする(検察リーク)。報道によって「極悪人」のイメージが出来あがってしまうと、それを払拭(ふっしょく)するのは、並大抵のことではない。捜査当局は、こうやって世論を味方について、世論全体が厳罰を望んでいるかのような空気をつくり、それを追い風にして、強引に捜査を進めていく。
事実よりも世間の空気を優先し、「受け」を狙うのがマスコミの悪弊だ。
ウルトラ右翼として名高い桜井よし子は、その最たるものでした。
著者は、刑事事件だけでなく、みずから交通事故も扱ったことがあるようです。小さな一般民事事件は受任しないのかと思っていましたので、意外でした。
交通事故による損害賠償請求事件で、一律に「相場」で判断すべきではないとの著者の主張は、まったく同感です。ただ、悩ましいのは、「一律」、「相場」で考えるべきではないというとき、「特別な事情」とは、どんな事情を指すのか、一般論として、かなりの難しさがあります。
遺族の気持ちに寄り添い、その意見なり要望なりを、弁護士として形にしていくことが、被害者サイドにとって多少なりとも救いになるはずだと考えた。この点については、まったく異論がありません。
これに対して、名誉棄損の損害賠償請求事件について、著者が扱ったミッチー・サッチー事件の関連で、一審で1000万円が認められ、二審で600万円に減額されたことを紹介したうえ、現在は「相場」が下がって、今や300万円でも難しいとしています。
なお、表現の自由とのバランスがあるので、名誉棄損のときには、賠償額が高ければいいというものではないと釘を差してもいます。
裁判官は、控訴されることを意識して判決書を書いている。これは私の体験と実感からしても、そう言えます。裁判官は、民事でも刑事でも、判決を書くときには、「どうしたら高裁(控訴審)で破られないか、という発想をしている。つまり、双方から控訴されないよう、バランスをとるのだ。まったく同感です。
著者は痴漢冤罪事件も担当しています。その体験のもとづき、何も痴漢行為はしていないのに、「この人、痴漢です」と言われたら、「逃げるが勝ち」で、駅員におとなしくついていったらダメだとしています。まったくそのとおりです。「逃げるが勝ち」と言っても、「走って逃げる」のではなく、静かに立ち去るのです。早目に電車から降りる、駅の事務室にノコノコ尾いていかない。大事なことです。もちろん、線路におりたり、危険行為なんかしてはいけません。
著者は、弁護士とは、法律的な知識、考え方がいくらか身についている者として、依頼者がかかえている問題の解決のためにサポートする仕事だ。依頼者とは、一緒に問題解決のためにたたかう対等な関係にある。なので、著者は「リーガルサービス」という言葉が嫌いだと言います。なーるほど、そういう考えもあるのですね。
「ヤメ検」は検察官の捜査に協力的な姿勢になりがち。といっても、すべての「ヤメ検」ではない。これも同感です。決してすべてはありませんが、そんな人が少なくないのは実感します。
2巻のほうは、462頁と、やや薄いのですが、今なお決着していない、日産・カルロス・ゴーン事件も扱っていて、私にとっては2巻のほうが、ぐぐっとひきつけられる内容でした。それはともかく、司法界に興味と関心のある若者に呼んでもらいたい本です。
(2021年11月刊。税込2750円)

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