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オスとは何で、メスとは何か?

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 諸橋 憲郎 、 出版 NHK出版新書
 性スペクトラムという目新しいコトバが登場します。いったい、何を言いたいのでしょうか…。
 生物のオスとメスとは、単純に二分化しているのではないというのです。生物はオスからメスへと連続する特性を有している。つまり、性スペクトラムとは、オスからメスへと連続する表現型として「性」をとらえるべきではないかという新しい考え方を意味したコトバです。
 ええっ、いったい何のことでしょうか…。
 エリマキシギ(小鳥)には、オスなのにメスのような格好したものがいる。40%ものオスがメス擬態型だ。
 トンボでは、メスに擬態するオスも、オスに擬態するメスもいる。
 魚類では性転換がよく見られる。オスだった個体がメスに転換したり、逆にメスだった個体がオスに転換したりする。
 オスとメスとでは、オスのほうがはるかに大きいゴリラもいれば、チョウチンアンコウではメスが大きく、オスは圧倒的に小さいうえに、やがてメスの身体に吸収されて、精巣だけがメスの身体に残る。
 シャチやクジラは、メスを中心に群れを形成する。群れを率いるのは、最年長のメス。
 すべての生物に共通する性差は、オスは精子をつくり、メスは卵子をつくること。
  ハダカデバネズミは、身体の大きい女王ネズミだけが発達した卵巣をもち、繁殖することが可能で、そのほかのメスは卵巣が発達しておらず、子どもは産めない。そして、女王ネズミが産んだ仔ネズミを一生懸命に育てる。女王ネズミは、自分の糞を働きネズミたちに食べさせる。自分の女性ホルモンを糞に混ぜて食べさせることによって、働きネズミを操っている。
 役に立たない爺ちゃんシャチは、婆ちゃんシャチより、20年から30年も短命で終わる。
 人間(ヒト)の身体を構築している臓器や器官は性を有している。肝臓も骨格筋も、脳も…、ほぼすべての臓器や器官はオスとメスとで異なっている。つまり、細胞が性をもっている。脳を構成する神経細胞が性をもっている。
 性は固定されたものではなく、柔軟に変化するという性質をもっている。
 ヒトの性を制御しているものの本体は、遺伝的制御である。
 いやあ、驚きました。目からウロコの本でした。
(2022年10月刊。税込1045円)

カヨと私

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 内澤 旬子 、 出版 本の雑誌社
 私にとっては衝撃的な本でした。小豆島でヤギを自宅そばで飼って暮らすというだけの本なのですが、ヤギをいうのが、こんなにプライドの高い、扱いにくい動物だなんて、まったく私の想像を超絶しました。
 著者の本『飼い喰い、三匹の豚とわたし』にも、大変な衝撃を受けましたが、それと同じほどの驚きです。前の本は3匹の豚を小さいころから自分の手で育て、ついにはその豚たちを食べてしまうという話でした。学校で子どもたちが仔豚を飼い、それが大きくなったとき、どうするのか、その豚を食べるのかどうか、教室で議論したという実話もありましたよね…。小さいころから手塩にかけて育てた豚を殺して食べるというのは、やはり抵抗がありますよね、きっと。毎日のように豚肉を食べているのは、生きた豚を見たことがないから平気なんです。
 著者はヤギの「カヨ」と友だちになりたかったのです。でも、「カヨ」は簡単には友だちになってくれません。
私もヤギになって、一緒に美味しい草を食べて、頭突きしあって、日向ぼっこして暮らしたいんだもん。
カヨの全身は真っ白。つんと澄まして首を立て、左右の前脚を一本線上に揃えて歩く姿は優雅で、ランウェイを歩くファッションモデルのよう。
ヤギがこんなに優美な形をした生き物だなんて、思ったこともなかった。
カヨは、どこから見ても、誰が見ても、美しいのだ。ずうっと眺めていたい。草を食べる姿も、歩く姿も。美しい動物は、ヒトの心を蕩かす。
ヤギは草ならなんでも食べてくれるものだと思っていたのは、大間違いだった。カヨは草を選り好みする。カヨは、気に入らない草だと、ふいとふてくされたように横を向き、メエエエッと叫ぶ。カヨが抱き好きなアカメガシワをあげると、首を振り振り、むさぼるように食べる。
カヨは草に唇が触れるかどうかまで近づき、ごくわずかな草の回りに漂う空気をそっと吸い込み、食べるかどうかを判断している。
カヨは、体型だけでなく、性格も人間じみている。見透かすような表情を浮かべることもある。いつころからか、カヨは横から近づきながら、頭を下げてスリスリとこすりつけ、甘えるようになった。
ところが、カヨは気に入らないと、すぐに頭突きをする。
カヨは、散歩に連れていくと喜ぶし、ドライブは、もっとご機嫌になる。
メスのカヨは、1年を通じて、21日おきに発情期が来る。
ヤギのメスは、あまり臭いがしない。しかし、ヤギのオスは体臭がとても強いので、家の軒下で飼うのは難しいほど。
カヨをオスのヤギたちに引きあわせた。すると、明らかに好き嫌いがある。カヨも選ぶし、オスたちのほうも、そっぽを向いたり…。
そんなカヨが妊娠し、出産したのです。その子育てがまた可愛らしいし、実に大変なのです。そして、仔ヤギの肉は美味しいから食べてしまおうというのではないのです。
ヤギとお友だちになるって、こんなに大変なことなんだ…、その実感を少しだけ味わうことができました。面白かったです。
(2022年7月刊。税込2200円)

安倍・清原氏の巨大城柵

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 浅利 英克 ・ 島田 祐悦 、 出版 吉川弘文館
 奥州藤原氏は、藤原氏と名乗ってはいるものの、京都の藤原氏とは縁のない、蝦夷(えみし)の血筋を引く在地豪族とされることが多かった。
 しかし、今では、安倍氏も清原氏も、父系出自は、中央氏族にあるとされている。つまり、安倍・清原氏は、安倍朝臣(あそん)、清原真人(まひと)氏に父系出自をもち、蝦夷系の血統を引く現地豪族に母系出自をもつ、「両属的」な氏族だった。
 平安時代、陸奥(むつ)国には、奥六郡と呼ばれた地があった。奥六郡とは、阿弖流為(あてるい)ら蝦夷(えみし)と呼ばれた人々と中央政府(ヤマト政権)との戦いのあとに、中央政府が支配するために置かれた郡。
 奥六郡を管轄していた胆沢城は、中央政府(ヤマト政権)が律令国家として統一を目ざすにあたり、延暦21(802)年に坂上田村麻呂によって、造営された。
 私は阿弖流為なる蝦夷の大将がいたことを少し前まで知りませんでした。その活躍ぶりを初めて知ったのは、高橋克彦の『火怨(かえん)』(講談社)でした(2000年2月)。そして、熊谷達也の『まほろばの疾風(かぜ)』(集英社)を同年9月に読み、久慈力の『蝦夷・アテルイの戦い』(批評社)を2002年9月に、さらに、樋口知恵の『阿弖流為』(ミネルヴァ書房)を2014年1月に読みました。いやあ、すごい人がいたものです。驚嘆しました。
 結局、アテルイは戦いに敗れ、京都に連行され、そこで処刑されてしまうのですが、東北の人々の不屈の意思はきっちり表明したのです。まだ読んでいない人には、一読を強くおすすめします。昔から日本人が長いものには巻かれろというのではなかったことを、現代に生きる私たちは学ぶべきだと思います。
 この本では、アテルイについて、「大墓公(たいものきみ)阿弖流為」と表記されています。
 安倍氏の出自としては、安倍頼良(頼時)は、五位の位階があった、れっきとした中央の官人だった、とされています。清原氏のほうは、都の清原氏が出羽国の有力氏族と婚姻関係を結ぶことによって清原氏が成長・成立していったと推測されています。
 この本は、巨大な城柵を現地の写真と図解で紹介していますので、イメージがつかめます。
 出羽国の古代城柵にはなく、清原氏の館(城・柵)にあるのは、四面廂(ひさし)建物、土塁と堀、段状、地形。
 東北の陸奥国で栄えた奥州藤原氏の前に存在した安倍・清原氏の巨大城柵を現地の写真とともに紹介している本です。
(2022年7月刊。税込2640円)

満蒙開拓青少年義勇軍

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 上 笙一郎 、 出版 中公新書
 私にとって、まさしく衝撃そのものの本でした。うひゃあ、そ、そうだったのか…。ついつい叫んでしまいました。
 新たに獲得した治安不良の植民地へ少年だけを武装入植させた例は、満蒙開拓少年義勇軍だけ。ほかに例がない。あのヒトラー・ナチスもそんなことはしていない。13世紀の少年十字軍という悲惨な前例があるだけ。
 この少年義勇軍をリードした二人の大人(日本人)がいます。その一人、東宮鉄男は軍人で、張作霖爆殺の実行犯でもあったが、1937年11月に戦死した。もう一人の加藤完治は戦後まで反省することもなく、生き永らえている。
 驚きの第一は、青少年義勇軍は日本での呼び方であって、満州では使われなかったということ。「軍」とすると、中国人が本物の軍隊だと誤解するに違いないので、満州では「隊」としたというのです。日本人にとっては、軍隊としての実体がなくても、勇ましいものという意味で「軍」と使うことがあるわけです(「強行軍」とか…)し、現にいくらか武装していたのですが、軍隊と呼ぶにはほど遠いので、「軍隊」とは思われないよう、「隊」としたというのです。
 驚きの第二は、屯懇病には二つあるということです。ホームシックにかかった青少年は、自閉型だけでなく、攻撃型もある(あった)とのこと。自閉型は自殺などに至りますが、攻撃型は、後輩いじめ、中国人虐待などをひき起こします。後輩いじめは、集団抗争事件に発展してしまったのでした。
 「昌図事件」の詳細が紹介されています。1939(昭和14)年5月上旬に四平街に近い訓練所で発生した武装抗争事件で、死者3人、負傷者5人を出し、37人の青少年が裁判にかけられ有罪(執行猶予つき)となっています。外部から攻撃を受けたのではなく、新旧の義勇軍が抗争したのです。
 第1中隊170人が小銃や短刀をもって突撃ラッパを吹き鳴らして第22中隊の宿舎を包囲して銃撃し、石とレンガを窓ガラスに投げかけた。もちろん第22中隊も直ちに反撃して銃撃戦となり、結局3人が死亡し、多くの負傷者を出した。
 この事件について、著者は劣悪な社会環境におかれた青少年のハケ口が、新旧訓練隊の衝突につながったとみています。まさしく悲惨そのものの「大事件」です。
 驚きの第三は、青少年義勇軍開拓団は昭和16年の第一次から昭和20年の第五次まで、総計251団あり、内地訓練所が送り出した青少年2万2千人のうち4千人以上、つまり5人に1人、20%も脱落したということ。しかも、すべての訓練所と開拓団がソ連との国境線にそって散在していたということは、関東軍の盾(たて)になれということです。もちろん見殺しの対象です。ひどいものです。
 驚きの第四は、義勇軍開拓団の青年たちの結婚相手に中国人を考えることはなく、日本から「花嫁」を送り出したこと。そして、その「花嫁」たちは、貧困に加えて、孤児・片親・私生児など、日本にいたら「うしろ指」を差されるような若い女性であったこと。なるほど、満州の新天地なら、個人的な事情は消え去るわけです。
 そして、驚きの第五は、義勇軍開拓団も「根こそぎ召集」の対象となったということ。その召集が、あっけにとられるほど、ひどいのです。まさしく「根こそぎ」。「清渓開拓団」は200人の団員のうち190人、「阿武隈開拓団」は181人の団員全員が召集された。開拓団員は皆、若いので、兵隊にぴったりなのです。残されたのはそれこそ老人と女性、子ども。それで8月9日のソ連進攻にあうのですから、ひとたまりもありません。まさしく悲惨です。そして、そのとき、土地を取りあげられた中国人農民の積年の怨嗟・反感が日本人開拓団襲撃につながるのです。
 いやあ、とても深い洞察です。声も出ないほどのショックを受けてしまいました。
(1973年72月刊。古本)

あの日々

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 髙木 國雄 、 出版 作品社
 ベテラン弁護士が活写する迫真の法廷小説。これがオビのフレーズです。なるほど、です。前に『やつらはどこから』(作品社)を読み、このコーナーで紹介しましたが、今回もなかなか読ませます。
 まずは、若き司法修習生が直面した法曹界の実態が描かれています。司法研修所に入って4ヶ月間の前期研修のあと、全国各地に散らばって、実務修習として、裁判所、検察庁そして弁護士のもとで見習いをすることになります(今は違います。この本は50年前の話です)。
 主人公の司法修習生は同じ刑事事件を裁判所と担当弁護士のところで扱うことになりました。裁判官同士の会話は、もちろんフィクションですが、大いにありうる内容です。
 ただ、検事正を「長官」と呼び、慣られるという記述には、とても違和感を覚えました。福岡には福岡高等検察庁があり、また地方検察庁ももちろんありますので、検事正を「長官」と呼ぶことは絶対にありえません。混乱するからです。長野の特殊性なんでしょうね。
 もう一つ違和感があったのは、弁護修習のとき修習先を司法修習生にまかせていることです。もちろん、これはありうることでしょうが、福岡では原則として司法修習委員会が決定します。地元の有力弁護士を希望する人が多く、「左翼」弁護士には希望者がいないというのではまずいからです。
 主人公の修習先の福森啓太弁護士(長野の富森啓児弁護士を思わせます)は超多忙。
 「権力や大企業とことを構えないのが、平穏で賢明な生き方…」
 多くの弁護士が「高みへ逃げて」いるのに反し、福森弁護士は情熱の塊のような若くて有能な弁護士として東奔西走している。一般民・刑事事件のほか、地元の労使対立紛争の労働者側代理人を一手に引き受け、さらに国や地方自治体、税務署など行政相手の折衝、裁判をになっている。そして地方労働委員会の事件が多く、夜7時から10時まで、多いときは週に2日も公聴会に出席。
 いやあ、これはたまりませんね…。でも、そんな弁護士の下で修習できる弁護士は幸せそのものです。
 そして、裁判官。
 「微妙な見方の違いに目をつむれば、地方廻りより中央で活躍できて、早く地裁所長にもなれる。それに満足する人生もある」
 「それはおかしい。出世を望むのなら、行政官僚を目ざせ。司法は、それに距離を置いて、正義や平穏な秩序づくりを目ざすべきだ」
 こんな青臭い議論を私も司法修習生のころ、していました。青法協(青年法律家協会)の憲法擁護活動の一環として、公害現地の見学・視察や学者や事件当事者を招いて勉強会・セミナーを開催するなどです。
 この本に登場する定年間近の裁判官は司法修習生に向かって、法曹として何がもっとも大事な資質なのか…と問いかけ、自らの答えを披瀝します。
 それは豊かな想像力だ。豊かな想像力を生む、その人の豊かな経験に勝るものはない。
 なるほど、たしかに想像力は大切だと思います。でも、これが口で言うほど簡単ではありません。ついありきたりの、「枠」思考にとらわれてしまいがちになります…。
 この本では、刑事事件において裁判官が無罪判決を書くことがいかに勇気のいることなのか、裁判官同士の会話として語られています。
 「この注目されている事件、しかも権力に立ち向かっている運動の中核をなす事件で無罪判決を出したら、その後の裁判官生活が無事ですむ保障はない…」
 いやはや、本当にそこを心配している裁判官が実は少なくない。それが私の実感です。そして、それは口にするレベルではなく、心の奥底に共有されているものなので、それこそ奥深いものになっている。私はそう思います。
 この本には、あと二つ、娘の強姦事件の「処理」、そして離婚事件のドロドロとした話も小説になって紹介されています。今回もまた、大変勉強になる司法小説をありがとうございました。次の作品を期待しています。
 私の『弁護士のしごと』(花伝社)もぜひ、ご一読ください。
(2022年11月刊。税込1980円)

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