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新聞記者がネット記事をバズらせる

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 斎藤 友彦 、 出版 集英社新書

 この本(新書)のタイトルから長いのです。フルタイトルは、「…、バズらせるために考えたこと」なのです。新聞記事の見出としては絶対にありえない長文ですが、インターネット上で読まれるためには、こんな長文でもよいというので、それを実践しています。

 著者は20年以上も新聞記者をしていました。ネット上で、読まれるものは、新聞記事と全然違っていることに気がついたというので、その体験を踏まえて、ネット上で読まれる(バズらせる)ためのコツを惜し気もなく披露しています。

 新聞では、読みやすさを多少犠牲にしても文をできるかぎり短くしている。これに対して、共感や感動を呼び起こす内容がストーリー仕立てで書かれている記事は、ネット上で、よく読まれている。短くしなくてもよい。

 最近の若い人は、文章として記事を読むことは、ほぼない。彼らは新聞的なリード(文)を「重すぎる」と感じて、読まない。リード文に固有名詞や情報が大量にあると、すっと頭の中に入らない。

 今や多くの人が新聞を読まない。読んでいる人は少数派だ。

 ニュースを他人事(ひとごと)としか思えないので、見ないし、読まない。自分の人生に、どう関わってくるのか分からないから、読まない。

 客観的な事実が端的に羅列されただけの見出しでは多くの人が見にこない。

 見出しは、多くの人が興味をもってくれるように工夫する。さらに、ストーリーとして読んでもらうには、主人公が必要。

 ネットの読書は、本の読者よりも気軽に記事を手にとっている。移り気で、ストレスを感じれば、すぐに離脱してしまう。描写は、できるだけ詳しくする。

 読者が「道に迷わない」ようにする工夫が必要だ。ニュース性のない記事が、ストーリー形式によって多くの人に読まれるようになっている。

 文章は淡々と書くこと。そのほうが、感情を込めた文章より読者に共感されやすい。

 新聞とデジタル記事とでは、見出しの付け方は、明確に異なる。読者に質問を投げかける形は、案外、読者から読まれる。

 読者は移り気で、長文を読むのに慣れていない。

 新聞の発行部数は、最新(2023年10月)に285万部。これに対して20年前(2003年)は5287万部だったので、半減している。1年間で200万部以上も減らしている。読者の変化に新聞はついていけていない。うむむ、そ、そうなんでしょうね…。

 それにしても、ネット記事は見出しは長文でもよく、共感を呼ぶストーリー性が求められるという指摘には、なーるほど、と思いました。

(2025年8月刊。990円)

1945最後の秘密

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 三浦 英之 、 出版 集英社

 真珠湾攻撃に参加した海軍航空兵の一人(山川新作氏)は、48期11人のうち敗戦まで生きのびた、ただ一人だった。

1942年5月、アフリカの東側にある大きな島、マダガスカルを日本軍の潜水艦3隻で攻撃した。出撃したのは2人乗りの小型・特殊潜航艇2艇。魚雷2発を積んでいた。うち1艇がイギリス海軍の戦艦に魚雷を命中させて大破し、またタンカーを撃沈した。チャーチル首相は、その回顧録で被害を認めている。アフリカ沖まで日本軍が出撃していたなんて知りませんでした。

 ミッドウェー沖海戦で、日本海軍は主力空4隻を沈められ、航空機300機を失うという大敗北を喫した。ところが、大本営発表では逆に米海軍を撃破し、日本は1隻喪失しただけという、とんでもない嘘を発表した。

 このとき、航空母艦「赤城」も撃沈されたが、幸いにも救出された乗組員がいた。日本に戻ってからは、「軍の機密」を話すなと厳命された。

 満州国の経済は阿片(アヘン)で回っていた。そして、日本敗戦当時、大量の阿片が現地に残っていた。これをどうするか…。阿片の総量は14トン。当時のヤミ価格では、満州国予算の3分の1から5分の1に匹敵する金額になる。この阿片が行方不明となった。

 GHQが7トン半(時価72億円)を押収したことが当時(1946年3月)の新聞記事で紹介されている。しかし、本当は、やはり阿片は14トンあった。それは満州・奉天の星製薬の倉庫にあった。これを関東軍は日本の厚生省あてに送ろうとした。それが途中で消えてしまったということ。

 この本では、それに岸信介元首相がからんでいたことが示唆されています。岸信介は満州国の最上層に官僚として、阿片にも関わっていたことが、他の文献でも明らかにされています。このような秘密資金をもって戦犯として収容されていた巣鴨プリズンから早々と釈放され、そして自民党の原型をつくるのに力を貸し、ついには日本の首相にまでなったのです。まさに岸信介こそ日本の黒歴史の権化ともいうべき存在なのです。

 日本の戦中、戦後には、まだまだ釈明されていない深い闇が多々あることを知りました。

(2025年6月刊。2200円)

王希奇の「一九四六」

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 鈴木 宏毅・高橋 礼二郎 、 出版 社会評論社

 日本敗戦後の1946年に、旧満州から当時2歳4ヶ月の2人が引き揚げてきました。その後、2人は同じ高校に進むものの、接点はありませんでした。

中国人画家である王希奇は『一九四六』という大きな油絵を描いた。縦3メートル、横20メートルという超大作。1946年に始まった日本人の満州からの引揚状況を群像として描いている。

日本人の幼児2人は家族とともにハルビンから葫蘆島を経由して九州に着いた。

 2018年11月、米沢興譲館高校の同窓(級)会が開催されたところ、同級生のうち26人が参加した。そのうち、5人も中国からの引揚者だということが判明した。これは、それまでは満州からの引揚者であることを周囲の人になるべく知られたくないという事情があったことによる。

 しかし、著者の二人は、自分たちの体験を文字にし、また若い学生たちに語り伝えるべきだと奮起した。そして、ついに2017年6月、かつての「故郷」のハルビンへ向かった。

 中国人画家・王希奇は葫蘆島に近い遼寧省錦州市の出身。

 「戦争に勝者はいない。今の平和をみんなで守らなければならない」

 この考えから、自分の『一九四六』を2018年に舞鶴引揚記念館において展示した。その前、2017年に東京でも展示している。画家は、朝日新聞「ひと欄」で紹介された(2018年10月4日)。今度、11月6日から、福岡でもアジア美術館で展示されるそうですので、私もみに行くつもりです。

 今、葫蘆島駅は廃駅になって残っている。岸壁には、記念碑があるが、係留塔(ビット)が残っているのみ。

 私も叔父(父の弟)が満州で日本軍兵士となり、また日本敗戦後は八路軍とともに工場の技師として働いた状況を本(『八路軍(パーロ)とともに』花伝社)にまとめましたので、親近感をもって読み進めました。

 日本人の戦争被害(加害者の側面もあります)を語り伝えることの意義を再確認しました。

(2025年8月刊。2300円+税)

無名兵士の戦場スケッチブック

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 砂本 三郎 、 出版 筑摩書房

 圧倒的な迫力のある絵に驚かされました。戦場の生々しい現実が伝わってきます。

ところが、驚くべきことに、これらの絵は、戦後、日本に引き揚げてすぐに描かれたものではないというのです。戦後30年以上もたった1979年ころに描かれています。56歳のとき、脳出血で倒れ、回復したあと、著者は静物画を習いはじめ、2年ほどして絵画の基礎が出来てから戦争時代の絵を描き出した。いやあ、それにしても実に生々しい絵です。

 1940年、41年ころ、一緒に中国の戦場に行き、そこで戦死した戦友36人の顔が描かれています。一人ひとり、もちろん顔が違います。決して写実的ではありませんが、そうか、こんな人だったんだなと、全員フルネームで紹介されています。まったく頭が下がります。まさしく鎮魂の思いが込められています。

 著者も負傷はしていますが、軽いものでした。日本敗戦前に日本に戻ってきています。次に応召したときは、中国ではなく、ウェーキ島(大鳥島)で、飢餓の日々を過ごしたのでした。

中国戦線で、抗日軍兵士を匪賊として日本刀で首を落として殺害する状況も描かれています。日本軍は捕虜収容所をつくることもなく、全員、次から次に虐殺していったのでした。その典型が南京大虐殺です。皇軍(日本軍)が虐殺するはずがないという俗説は、この絵一枚からも見事に否定されます。

日本兵(戦友)が敵の中国兵の弾で殺傷される様子も描かれています。敵の機関銃によって次々に戦死していく状況です。

日本軍の無謀な渡河作戦で、隊長以下400人がまたたく間に戦死。それを指揮した無能な日本軍将校を厳しく批判しています。突っ込めと号令をかけ、自分は後方でぬくぬくとしている軍上層部を許していません。

 中国大陸での戦闘において、日本軍は苦しい戦いを余儀なくされていたのです。重慶軍(国民党軍です。八路軍ではありません)は意気軒昴だったのです。決して、軟弱ではありませんでした。

ウェーキ島の日本軍将兵は弾薬も食料もなく、みなガリガリにやせ果てていた。そのうえ、口減らしのための見せしめ処刑が日本軍には横行していた。

飢えのために食べ物を盗んだことが見つかった兵士は、他の者へのみせしめとして処刑されていった。毎月、1人か2人の兵士が処刑された。要するに、口減らしです。ひどいものです。

 乾パン4千個が1日分の食料。ついには、人間の肉(人肉)まで食べた。いやはや、極限きわまりない状況です。

ウェーキ島での自画像は、まさしく骨皮筋右衛門そのものです。もはや兵士ではなく、ガイコツ集団でしかありません。

なので、著者は、再軍備を主張する者に対して、鋭く批判するのです。今の日本で軍事力に頼り、大軍拡に走る自民・公明政権への痛烈な批判にもなっています。

7月に第一刷が出て、8月には第2刷となっているのも当然です。今、大いに読まれるべき本として、ご一読を強くおすすめします。

(2025年8月刊。3080円+税)

菊池事件

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 徳田 靖之 、 出版 かもがわ出版

 1952年7月に起きた殺人事件で犯人とされた被告人F氏(28歳)はハンセン病患者だった(本人は否定していたし、違うとする医師もいた)。F氏は逮捕・起訴され、死刑判決を受けた。控訴も再審請求もしましたが、三度目の再審請求が棄却された翌日の1962年9月14日、死刑が執行された。このとき、F氏は40歳になっていた。

 そして、現在、死刑執行後の再審請求の裁判が係属している。著者は、再審請求弁護団の共同代表。別件ですが、飯塚事件も同じく死刑が執行されたあとに再審請求中です。

この飯塚事件ではDNA鑑定が杜撰だったことが問題とされています。

先日来、佐賀県警でDNA鑑定がとんでもないインチキだったことが暴露されました。警察庁も重大視していて特別監査に入ってはいますが、佐賀県弁護士会が指摘しているように、第三者による科学的で公正なメスを入れるべきだと思います。つまり、DNA鑑定自体の科学的正確さは間違いないとしても、それを運用する人間のほうがインチキしてしまえば、結局、DNA鑑定だってすぐには信用できないということです。佐賀県警のようなインチキを許さないようにするには、どうしたらよいか、この際、第三者の目で徹底的に明らかにすべきです。

 被告人がハンセン病患者だというので、ハンセン病療養所内で「特別法廷」が設置された。裁判官も検察官も弁護人も「予防衣」と呼ばれる白衣を着て、証拠物はハシで扱われた。そして、F氏の国選弁護人はF氏が無実を訴えているのに、有罪を認めるような「弁論」をした。いやあ、これはひどいですね。弁護人にも大きな責任があることは明らかです。

 再審請求を受けて熊本地裁(中田幹人裁判官)は、証人尋問に踏み切った。内田博文九大名誉教授が証言台に立った。検察官は反対尋問せず、その代わりに中田裁判長が時間をかけて細かく質問した。そして、その後、鑑定した専門家の尋問も実現した。

事件犯行に使われたとされているF氏の短刀には血痕が付着していなかった。被害者は全身20ヶ所以上に刺創・切創があるのに、ありえない。

 証拠上もおかしいことに加えて、「特別法廷」での審理も公開の裁判を受ける権利を保障していないという、憲法上許されないという問題がある。

 ハンセン病に対する社会的偏見、そして差別がF氏に対して有罪判決を下し、死刑執行に至った。とんでもないことです。

 著者は、私より4年ほど先輩の超ベテラン・人権派弁護士として長く、そして今も元気に活躍している大分の弁護士です。心から尊敬しています。

(2025年5月刊。2200円)

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