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読切り・三国志

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 井波 律子 、 出版 潮文庫
 「三国志」と「三国演義」と二つあるうちの史実を中心とする「三国志」をベースとしながら、小説の「三国演義」にも目を向けて話を補足した本です。
 「三国志」の世界は、後漢王朝(25~220年)が乱れたところに始まる。
 後漢王朝は皇后の一族である外威と、後宮(ハーレム)を支配し、皇帝に近侍する宦官(かんがん)との争いに明け暮れた。そして、黄巾(こうきん)の乱れが起こり、董卓の乱となり、そのあと、群雄割拠の時代となった。
 「三国演義」は小説として、蜀を正統視し、劉備を正義派・善玉に、曹操を敵(かたき)役、悪玉に仕立てあげた。私にも、それは、すっかり刷り込まれています。
 ところが、この本では曹操について、権謀術数に長(た)けていたが、決して邪悪の権化というような単なる悪玉ではない、超一流の軍事家であり、政治家であり、おまけにすぐれた詩人だったとしています。そして、劉備や孫権とは段ちがいの傑物だと高く評価しています。これでは、考え直さないといけませんね…。
 曹操の周囲には、強力な頭脳集団、ブレーンが存在し、曹操のほうも彼らの意見に真剣に耳を傾けた。
 劉備は曹操より7歳下。劉備は勉強嫌いで、派手な服装を身につけ、堂々たる風格の持ち主だった。
 曹操が大胆かつ豪快な性格、切れ味鋭い頭脳の冴えとうらはらに風采のあがらない貧相な小男だったのに対して、劉備は身長180センチ、目立つ偉丈夫だった。ひと目見るなり、人を惹きつける魅力があった。
 劉備は、謙虚な人柄で、人によくへりくだり、口数は少なく、喜怒哀楽を表に出すことがなかった。天下の豪傑を好んで交わり、大勢の若者が競って劉備に近づいた。周囲の人物を奮起させ、輝かせる不思議な力が劉備にはあった。関羽や張飛という荒くれ武者が劉備のために死力を尽くしたのは、劉備の人柄の魅力だろう。
 元はワラジ売りだった劉備がのしあがっていく過程においては、右往左往し、戦いに明け暮れる日々があった。
 関羽は忠義一徹、一度たりとも信義に違うことはなかた。関羽も張飛も、いつどんな状況になっても、主君である劉備との間に、決して裏切ったり、裏切られたりすることのない、絶対的な信頼関係が成り立っていた。
 そうなんです。ここに「三国志」の大きな人気の秘密があると私は思います。
 私は小学生のころは、図書室で世界の偉人の伝記に読みふけりました。中学生のころは山岡荘八の『徳川家康』に没頭しました。そのころ、同じく『水滸伝』と『三国演義』の世界にはまったように思います。読書に楽しさ、深さをじっくり堪能し、以来、今日に至ります。
 昨年1年間で読んだ単行本は440冊です。コロナ禍前の年間500冊には達しませんでしたが、これは、ZOOMのせいです。こちらは出張したくても、来るな、行くなというプレッシャーがかかって身動きとれませんでした。移動の車中・機中を主とする読書タイムを確保できなかったのです。今ようやく少しずつ本調子に戻りつつあるところです。
 関羽は、単純明快、何の駆け引きもなく、うらやむべき健康な精神をもっている。同世代の人間が関羽にやっかんだのも、ある意味では当然のこと。ところが関羽は、商人の信仰の対象になった。不思議なことです。ないものに憧れるということなのでしょうか…。久しぶりに中国の古典の世界に没入して、楽しむことができました。ありがとうございました。
(2022年8月刊。税込1210円)

青年家康

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 柴 裕之 、 出版 角川選書
 NHKの大河ドラマ『どうする家康』の時代考証を担当している著者による本です。
 家康はその少年時代、今川氏の人質としてみじめな日々を余儀なくされていたという通説を真向から否定しています。
 家康(竹千代)は6歳のとき、織田信秀へ人質として差し出された。そして、今川軍が織田勢を攻めたて、城将の織田信広を捕まえ、竹千代と交換することになり、家康は今川氏の本拠地である駿府で過ごすこととなった。
 竹千代が岡崎松平家の当主であったことから、今川義元は、駿府で竹千代を庇護することによって、松平家の上に君臨する上位権力者としての正統性を得た。
 今川義元は岡崎の松平家を解体して、岡崎を直轄領地とはせず、今川氏の政治的後見と軍事的な安全保障のもとに、松平家重臣による政治運営のもとで岡崎領の支配をまかせていた。
 駿府での家康(竹千代)の生活は、今川義元の師でもあった太原崇孚により学問の師事を得たというように、義元の庇護のもとで大事に養育されて過ごしていた。それは決して苦難の人質時代、忍耐と惨めなイメージで語られるような日々ではなかった。
 すなわち、家康は単なる人質ではなかった。それは、すでに西三河の有力な従属国衆である岡崎松平家の当主であったことによる。
 竹千代が14歳になって元服したとき「元信」と名乗ったのは、今川義元の「元」の1字をもらったものであり、これによって元服した家康(元信)が今川家の政治的、軍事的な保護を得た従属国衆・岡崎松平家の当主であることを世間に確認させた。
 今川義元は桶狭間で敗死したとき、42歳だった。そのあと、家康は織田信長とも手を結んだのでした。それは義元亡きあとの今川家とはキッパリ縁を切って、むしろ敵対し、抗争することを選んだとうことです。今川家が力をなくしたことによる選択でした。
 さあ、家康どうする、とても考えさせられるタイトルですよね。
(2022年9月刊。税込1870円)
 1月に受けたフランス語検定試験(準1級)の合格証書が送られてきました。待ちに待った証書です。合格基準店23点のところ、28点でした。実際には、思うように話せず、冷や汗をかいたのですが…。
 なぜ、諸外国ではデモもストライキもやっているのに、日本はストライキをやらないのかと尋ねられました。みなさんだったら、何と答えますか?そして、それをフランス語で、どう表現しますか。とつとつと答えてしまいました。それでも、頭のほうは少し若返りました(と思っています)。

満州難民、祖国はありや

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 坂本 龍彦 、 出版 岩波書店
 いま、中国脅威論がしきりに叫び立てられています。それに備えて、石垣島などの諸島に自衛隊が大増強され、莫大な軍事費が投下されつつあります。
 しかし、少し頭を冷やして考えてみてください。石垣島そして沖縄に住んでいる人々は、中国軍と自衛隊が戦闘状態になったとき、どうしたらよいのでしょうか。全員が逃げられるはずは、それこそ絶対にありえません。民間人を乗せた飛行機は飛ぶはずがなく、船だって海上をいくら速く走っていてもミサイル攻撃されたら撃沈してしまいます。いえいえ、飛行機にも船にも、ほとんどの住民は乗れるはずがないのです。ミサイル避難訓練のとき、机の下に潜っている光景がありました。戦前の消火バケツリレーと同じで、気休めにもなりません。戦場になったら、ほとんど全員が座して死を待つしかないのです。ミサイルは一本だけ飛んで来るなんてことはありません。戦争になるのです。
 政治は、私たちが支払う税金は、そうならないために使われるべきです。戦争が始まってからでは遅いのです。シェルターを買おう、売りつけようという人たちがいます。どこに地下室をつくるのですか…。水や食料はどうするのですか…。日本の自給率はとっくに半分以下です。海上封鎖されたら、日本人は食べるものがなくなり、飢餓が待っているだけです。タワーマンションの人々はどうなりますか…。電気も水もあるのがあたりまえ。でも、日本のどこかで戦争が始まったとき、すぐに電気も水も止まってしまうでしょう。タワーマンションで生活しながら自民・公明政権を支持し、維新を支持して軍備拡張策に賛成するということは、明日の生活と生命の保障を喪うことを意味しているということに一刻も早く気がついてほしいと私は切に願います。
 その典型的な見本が、戦前の満州に開拓団として移住した日本人のたどった運命です。満州の開拓団に渡った日本人は三度も日本(国)に捨てられた。一度目は、ソ連軍が8月9日に進攻してきたとき、関東軍は張り子の虎になっていて守ってくれないどころか、真っ先に逃げ出していた。二度目は、引き揚げのとき、対策は不十分だったし、中断したりして捨てられた。多くの日本人が帰国できずに残留孤児となった。三度目は、なんとか日本に帰国しても、生活の保障がなく総合的な対策も援護措置もなく見捨てらえた。
 開拓団の応募者が減って確保できなくなると、世間知らずの純真な青少年をおだてあげて満蒙開拓青少年義勇軍という勇ましい名前をつけてソ連との国境地帯に送り込みました。あまりに過酷な生活環境のなかで、軍隊式の上命下服そして指導者の無能と腐敗のもとで、虫ケラ同然に扱われ、それに反発した青少年の反抗、抗争そして暴走が頻発したのでした。見るに耐えない惨状です。あげくに一部は徴兵され、また、残りはソ連軍の進攻下での辛い逃亡生活を余儀なくされたのです。悲惨すぎます。
 軍隊は「国」を守るものであって、国民を守るものではない。しかし、ほとんどの国民は最後の最後までそのことに無知のまま幻想を抱いている。終戦時に起きた満州難民は決して昔の話ではなく、下手すると、今、これから起きることなのです。クワバラ、クワバラ…です。
(1995年74月刊。税込1000円)

シベリア抑留秘史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ロシア最高軍事検察庁 、 出版 終戦史料館出版部
 元日本兵60万人がシベリアに抑留され、その1割が死亡するという悲惨なシベリア抑留は、スターリンが北海道の北半分を占領することを求めたのに対して、アメリカのトルーマン大統領が拒絶したので、その代わりとしてバタバタと決まって実行されたという説があることを最近、初めて知りました。でも、私は懐疑的です。
 8月16日、日本軍(関東軍)総司令官山田乙三大将と停戦交渉にあたっていたソ連軍のワシレフスキー元帥に対して「日本軍の捕虜のソ連領への移送は行わない」などとする指示がモスクワから来ていた。モスクワというのはスターリンの指示です。
 同日、スターリンはトルーマン大統領に対して北海道の北部(釧路と留萌を結ぶ線より北側)をソ連軍が占領することを認めるよう求めた。しかし、トルーマンは8月18日、千島列島についてはソ連領とすることは認めつつ、北海道北半分の占領は拒否した。
 8月20日、モスクワはワシレフスキー元帥に対して北海道への上陸・占領作戦を準備するよう指示した。この指示には、同時に、「本部の特別司令によってのみ開始すること」という条件がついていて、その特別司令は結局、発されることはなかった。
 8月23日、スターリンは、強い口調で不満を表明したが、結局、北海道上陸は断念した。
 この本は、以上の経緯を明らかにして、「北海道占領の断念が転じて捕虜の(シベリア)強制抑留に連なった」としています。
 しかし、私は、この説には賛同できません。なぜなら、すでにスターリンはドイツ軍捕虜300万人をソ連領内の都市の復興に「活用」していた実績があるからです。シベリアを含む極東の都市等の再生に日本兵捕虜を「活用」することは、スターリンが北海道北半分を占領してかかえこむことになる「苦労」よりはるかに上回るメリットがあることは明らかです。「シベリア抑留」と「北海道北半分の占領」とをスターリンが天秤に考えていたなんて、私からすると、あまりに非現実的です。
 この本には瀬島龍三という戦後日本で大きな役割を果たした人物、ソ連のスパイになったのではないかと疑われている人物について、好意的に紹介しています。
 また、近衛文麿首相の長男である近衛文隆の死亡に至る経緯も明らかにしています。
 1992年9月に発行された本を古書として求めました。
(1992年9月刊。税込3000円)

ある行旅死亡人の物語

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 武田 惇志 ・ 伊藤 亜衣 、 出版 毎日新聞出版
 古ぼけた、風呂もないアパートで病死しているのが発見された74歳の一人暮らしの女性。部屋の金庫の中には、なんと現金3400万円が入っていた。しかし、本人の身元を確認できるようなものは何もない。尼崎市は、とりあえず行旅死亡人として扱うことにした。
 行旅(こうりょ)死亡人とは、病気などで亡くなった人が、住所、氏名などの身元が判明しないため、引き取り人不明の死者をあらわす法律用語。死亡場所を管轄する自治体が火葬し、官報に死者の身体的特徴や発見時の状況、所持品などを掲載(公告)して、引き取り手が現われるのを待つ。
 市町村別行旅死亡人数のランキングでは、あいりん地区をかかえる大阪市が一位で、市町村人口比でみると、自殺の名所・富士の樹海をかかえる山梨県鳴沢村が一位になっている。
 この話の端緒(たんちょ)は遊軍記者が何か記事のネタになりそうなものはないかと、喫茶店で新聞を読んでいて見つけたもの。3400万円という大金がありながら75歳くらいの身元不明の女性とはいったいどういうことだろう…。記者の勘に訴えるものがあり、尼崎市へ電話してみると、相続財産管理人の弁護士に連絡してもらうことになった。やがて弁護士から「折り電」があった。この太田吉彦弁護士は前に久留米市で活動していました。
 「この事件は、かなり面白いですよ」
 年金手帳があり、労災事故にあっていることが判明していて、そしてアパートに40年も住んでいるというのに住民票は職権消除されていて、本籍地も不明なので、死亡届が出せないという。なので、相続財産管理人の弁護士は私立探偵にも依頼して調べてもらったが、結局、警察のほうでも捜査はしたようだが、これまた判明しなかった。
 星形のマークのついたロケットペンダントが遺品の中にあり、韓国1000ウォン札があったことから北朝鮮とのつながりも想定された。
 記者が沖宗のハンコを手がかりとして検索すると、沖宗の家系図をつくっている人がいることが判明したので、直ちにアタック。そして、広島へ現地取材。さすが記者ですね。この行動力がすごいです。
 沖宗家の先祖は福岡藩士の武士ということです。
 女性の部屋には大型の犬のぬいぐるみがありました。「たんくん」と名づけられていました。
 サン・アロー社がつくった「サンディ」というものだと判明。ぬいぐるみは、可愛がっていないと、すぐに朽ちてしまう。でも、大切に可愛がると、30年でも40年でも保(も)つ。なーるほど、そういうものなんですね…。
 そして、広島の沖宗氏より、記者へ母の妹だと連絡があったのです。すごいですね。まさしく大当たりでした。
 そして、その結果、生年月日が判明すると、なんと74歳と思われていた女性は、本当は86歳だったのです。なんということでしょうか…。いくらなんでも、本人は12歳もサバを読んでいて、それがまかり通っていたとは…、信じられません。
 新聞記者たちは、広島県呉市で「コミ」を始めた。「コミ」を始めた。「コミ」とは、「聞き込み」と略語。関東では警察と同じく「地取り」と呼ぶ。そして、死亡人の生家や同級生にもたどり着いたのでした。
 結局、北朝鮮とも犯罪とも無縁だろうということになり、何らかの事情で、人づきあいを絶ち、現金を貯めながらも一人暮らしをしているうちに86歳で病死したということのようです。
 いろんな人生があるのだと実感させられるルポタージュでした。電車のなかで一気に読み上げました。だって、いったい、このあとの展開はどうなるのか、知りたかったものですから…。
(2023年1月刊。税込1760円)

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