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80歳の壁

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 和田 秀樹 、 出版 幻冬舎新書
 この本を読むと、いくつも安心できます。
 その一、認知症は、基本的に老化現象である。認知症を遅らせるには、薬よりも、頭を使うほうが有効。なーるほど、そうなんですね…。
 その二。死というのは、寝てしまって、起きてこない状態なので、過剰に恐れる必要はない。ガンで死ぬのは、割と楽な死に方。
 その三。やや肥満な人のほうが長生きする。糖尿病の人のほうがアルツハイマーになりにくい。糖尿病の治療が、アルツハイマーを生んでいる。
 いま、私の体重は70キログラム寸前のところです。本当は65キログラムにすべきなのですが、どうにも減りません。私の同級生で、ダイエットのため昼食を抜かしている人がいますので、それを真似しようと思いましたが、やはり昼食はとりたいので、お米のごはんだけは少量にしています。
 その四。幸(高)齢になったらガンの治療の必要はない。80歳を過ぎたら、ガンの進行は遅くなり、転移もしにくくなるので、何もせず、放っておいたらいい。なーんだ、そうなのか…。
 薬は無理にのまない。私は、今も何の薬ものんでいません。幸いなことに、目薬と、皮膚科の軟膏以外の薬は、弁護士になって以来(つまり、この50年近く)、のんでいません。
 食事は無理にガマンせず、食べたいものは食べる。まったく同感です。美味しいものを少量、よく味わって食べたいです。一人で食べるときは、好きな本を読みながら、少しずつ味わいます。食べたいものは食べるようにしていますが、ラーメン類はもう久しく食べていません。うどんは食べますが…。
 自分の身体の内なる声を素直に聞くこと。これは私も実践しています。目で見て食欲が湧かないのに、無理して食べることはありません。
 子どもにお金は残さない。当人が使うのは当たり前のこと。いやあ、本当にそうなんですよね。弁護士として相続争いをたくさん経験して、つくづくそう思います。
 運転免許の返納はやめたほうがいい。返納すると、6年後の要介護リスクは2、2倍にもなる。
 好きなことはするけれど、嫌なことはしない。私も同じ考えでやっています(やっているつもりです)。
 おかしなことがまかり通っている日本です。幸(高)齢者はもっと怒っていいのです。もっと自分の意見を主張していいのです。何も無理に自己規制なんかしなくてよいのですよ。
 残りの人生を豊かに生きるうえで、大切なヒントが盛り沢山の新書です。あなたも、ぜひ読んでみてください。
(2022年9月刊。税込990円)

マヤ文明の戦争

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 青山 和夫 、 出版 京都大学学術出版会
 マヤ文明は、中央アメリカのユカタン半島あたりで、前1000年ころから、スペイン人が侵略する16世紀前半まで、2500年ほど続き、盛衰があった。マヤ文明は、日本でいうと縄文時代晩期から室町時代に相当する。
マヤ文明は「戦争のない、平和な文明」だったとか、「都市なき文明」と誤解されてきたが、実際は、戦争はしばしば起こり、「石器を使う都市文明」だった。マヤ文明の大都市には数万人の人々が住み、国家的な宗教儀礼のほか、政治活動や経済活動もかなり集中し、彩色土器や石器を生産していた。マヤ支配層は、文字、暦、算術、天文学を発達させ、ゼロの文字も発明している。
マヤ文明は、大河がなく、大型家畜もいないので、小規模な灌漑(かんがい)、段々畑、家庭菜園などの集約農業と焼畑農業を組み合わせていた。家畜は七面鳥と犬だけ。文字の読み書きは、王族・貴族の男女の秘儀だった。専業の戦士はおらず、王・王族、支配層書記を兼ねる工芸家は、戦時には戦士となった。マヤ文明は、統一王朝のないネットワーク型の文明で、中央集権的な統一王国は形成されなかった。戦争の痕跡が次々に発見され、戦争を記録した数多くの碑文が解読された。戦争は頻繁にあり、戦争が激化して多くの土地の中心部は破壊された。
戦闘では初めに弓で大量の矢を放ったあと、石槍を手にもって接近戦を展開し、あくまで高位の捕虜を捕獲しようとした。地位の高い捕虜自身が政治・経済的に重要な価値を有し、捕虜を受け戻すための高価な品々、貢納や政治的な主従関係を勝ちとることにつながった。遺跡にはたくさんの壁画が残っていて、捕虜を足で踏みつけるようにして勝者の王が立っている絵が多い。
この本で驚嘆するのは詳細な出来事が年表としてまとめられているということです。もちろん、これはマヤ文字を解読しなければできません。でも、マヤ文字って、要するに絵文字です。人物の顔などが入っています。
たとえば、ヤシュチラン遺跡では130以上の石像記念碑が発見されていて、少なくとも359年から808年まで20人の王が君臨した。こんなことが碑文を解読して判明しているのです、すごいです。
いろんな王朝がいて、初代の王も9代目の王も名前が分かっています。コパン遺跡の祭壇化には、初代王、2代目王、15代目王、16代目王が彫られています。王には、女王もいます。彫像の捕虜にも名前がついていて、捕虜には、その目印として紙の耳飾りがついていた。パレンケ王朝11代目のパカル王は、683年8月に亡くなるまで、なんと68年もの長さの治世を誇った。
マヤ人は、20進法を使った。これは、手足両方の指で数を数えるもの。コパン王朝の人々の人骨を分析すると、8世紀になると農民だけでなく、貴族の多くも栄養不良に陥っていた。環境破壊が進行していた。人口過剰と農耕による環境破壊が要因となって、その結果として戦争が激化し、王朝が衰退した。人骨の分析でこんなことまで判明するのですね…。すごいものです。
数百人のスペイン人が侵略戦争でマヤ人の大群に勝利できたのは、第一に、優秀な通訳による情報戦に長(た)けていたこと。第二に、マヤ人内部の群雄割拠の状況をうまく利用したこと。第三に、マヤ人の戦争は、接近戦で高位の敵を捕虜にするもので、スペイン人のように戦場で大量の敵兵を虐殺するのが戦争とは考えていなかったこと。なので、スペイン総督を捕虜にしようとしていた。第四に、マヤ人はウイルス感染で次々に病死していったこと。マヤ人の人口は100年間のうちに5~10%に減少した。90~95%のマヤ人が死滅した。
ただし、今もマヤ人は生きていて、今ではむしろ増加している。そして、キリスト教を信仰するようになっても、自己流に解釈し、マヤ諸語とともにマヤ文明は生き続けている。マヤ人の心まではスペイン人は支配できなかった。
500頁もの大著ですが、大変興味深い内容なので、3日3晩で読了しました。学者って本当に偉いですね。心から敬意を表します。
(2022年11月刊。6500円+税)

もうひとつの平泉

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 羽柴 直人 、 出版 吉川弘文館
 平泉の中尊寺、そして金色堂には行ったことがあります。それはそれは見事なものでした。東北のこんなところに、京の都に優るとも劣らない堂があること、そして戦火で焼失することもなく、今に残っているのは、奇跡的としか言いようがありません。
 平泉の文化を築いた奥州藤原氏は中央の藤原氏に連なると同時に、土着の安倍や清原にもつながっている。
 この本は、平泉から北へ60キロメートル離れている「比爪(ひづめ)」にも、平泉とは別の奥州藤原氏がいて、この両者は、お互いが独立性を有する対等で並列な関係にあるとしています。まったく知らない話でした。そして、源頼朝が弟の義経とともに打倒した平泉の藤原一族が滅亡しても、比爪のほうは独自の動きをしていたというのです。
 12世紀の日本では、陸奥国が日本国の東端と考えられていた。平泉が陸奥国府よりも奥に位置し、比爪はさらに奥に位置する。
 奥州藤原氏の仏教信仰は阿弥陀如来信仰ではなく、薬師如来だった。
 12世紀当時、長子相続は確立しておらず、本家・分家といった概念も強い束縛はなかった。兄弟であっても、本家と分家であっても、器量や実力のある者が主導権をもち、勢力を伸張していく時代だった。これは陸奥国だけでなく、当時の日本国の一般的な状況だった。
 比爪にとって最大の重要事は、閉伊と北奥の経営だった。比爪の志向は東と北に向いていた。そして、平泉にとっての重要事は、奥六郡よりも南の地域での勢力拡張と維持だった。平泉の志向は西と南に向いていた。そして、平泉と比爪の双方にとっての重要事は、北奥の産物をめぐっての利益配分の調整だった。両者の利害関係の均衡の維持が奥州藤原氏の繁栄の大きな要因だった。
 源頼朝が平泉征伐するとき、源義経を打倒することから平泉政権自体を打倒することに目的がすり替わった。このとき、比爪の藤原氏は自ら戦いに加わらず、自らの拠点比爪からもいったん退いて、状況をうかがった。
 比爪方は、平泉の泰衡を比内で謀殺することを決めていて、頼朝も承知していた。これが、著者の推測です。そして、比爪の名分を守るため、泰衡を謀殺したのは泰衡の郎従(河田次郎)によるものと公表した。河田次郎は斬罪に処せられ、そのあと比爪の藤原一族は頼朝のもとに投降し、許される。とはいうものの、比爪の藤原一族は、結局、消滅したようです。そこが歴史の複雑怪奇なところなのでしょう。
 ともかく、平泉の北60キロメートルの地点に、別の藤原一族がいて、並立し、共存していたという話を初めて知りました。
(2022年8月刊。税込1870円)

満州、少国民の戦記

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 藤原 作弥 、 出版 新潮社
 著者の父親は満州国陸軍興安軍官学校で国語(日本語)の教授をつとめていた。
 興安街は前に王爺廟といい、今はウランホトという。コルチン高原をふくむホロンバイル大草原に位置するモンゴル人の多い街。
 この軍官学校は蒙古人の陸軍幹部候補生の養成を目的とする士官学校。
 オンドルの燃料は牛糞(アラガル)とアンズ(杏)の根。
 遊牧の蒙古人は魚をとらないし、食べもしない。なので蒙古の魚は人間の怖さを知らないので、よく釣れる。もちろん中国人(漢人)は魚を釣って食べる。
 蒙古人は、骨相も容貌も、皮膚や髪の色も日本人によく似ているので、人種上の親近感がある。
 満州の1月1日は、日本人はおせち料理を食べるが、中国人は旧暦で正月を祝うので、街がにぎあうのは、2月になってから。
 蒙古人は羊を守るために犬を飼っている。夜の間、パオの周囲で寝る羊を守るため、3匹の犬が起きて周囲を徘徊する。それで、昼間は犬たちはパオの中で寝ることが許されている。
 著者の通った興安街在満国民学校の270人の生徒のうち200人の生徒が避難するため白城子へ徒歩行軍している途上の葛根廟(かっこんびょう)付近でソ連軍戦車隊に虐殺された。8月14日のこと。生きのびて日本に帰国できた生徒はわずか十数人。このほか、蒙古人に育てられた残留孤児が数人いる。
 8月9日にソ連軍が侵攻してきたとき、関東軍は一足先に南方へ撤退していた。
 新京に到着すると、関東軍司令部庁舎はもぬけの殻だった。軍関係の役所もすべて退避していて、ガラ空き。
 避難民150人を引率する渡辺中佐は、こう言った。
 「関東軍があてにならないことが分かったからには、独自の判断で行動するしかありません。一致団結すれば、この難民は切り抜けられます」
 見事な呼びかけですね。150人の家族集団をまとめ、満鉄と交渉して2輌連結の列車に乗り込むことができたのでした。
 「日本人の子ども買います」という貼り紙が電柱にあった。相場は300円から500円だった。日本人の子どもは、頭が良くて、大きくなってからも良く働き、親孝行するので、一族の家運が栄えるという迷信が現地の中国人にあった。
 そして、なんとか8月13日、日本に近い安車にたどり着いたのです。3泊4日の避難行、1人のケガ人も落伍者もなく、150人が全員無事だった。奇跡的なことです。よほど引率していたリーダーが良かったのですね…。
 安東は、今の丹東。8月9日のソ連軍の進攻も、まだここには来ていませんでした。
 ところが、もちろん、8月15日を過ぎると、安東市内の建物には青天白の旗がへんぽんとひるがえっているのです。
 著者たち一家も街頭でタバコ売りをしたりして、食いつないでいく生活を始めます。
 マッチは生活必需品のなかでは一番効果で、小箱1個が5円した。米1斤、味噌1斤に相当する。
 中国人の窃盗団には少年が多く、ショートル(小盗児)と呼ばれていた。
 安東の関東軍第79旅団の部隊は9月に入っても、まだ武装解除されていなかった。
 安東市内には、地元民3万人、難民4万人、計7万人の日本人が生活していた。しかし、治安維持委員会がよく機能したおかげで、他の大都市に起きた大暴動は発生しなかった。
 それでも9月10日、ついにソ連軍が安東市内に進駐してきた。日本人会は、ソ連兵接待用のキャバレーをつくって、兵士たちの欲望を吸収した。おかげで、婦女暴行事件は著しく少なかった。このキャバレーを差配していた日本人女性(お町さん)は、あとで、国民党スパイとして八路軍によって処刑された。
 著者は、八路軍による国民党軍の兵士を銃殺する光景を目撃したとのこと。ここでは、日本人も八路軍から何十人も銃殺されたようです。
 それは、日本人元兵士たちが暴動を企画し、実行しようとしていたからでもあります。
 敗戦当時8歳の少年の目から見た満洲の状況が活写されている本です。
(1984年8月刊。税込1200円)

人類学者がのぞいた北朝鮮

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 鄭 炳浩 、 出版 青木社
 とても興味深い、刺激的な本でした。韓国の人類学者が北朝鮮に何度も出向いて、現地の人々との対話をふくめて、北朝鮮の人々をじっくり観察した成果がまとめられていて、よく理解できました。そして、北朝鮮の「金王朝」が簡単には崩壊しない理由もよく分かりました。
 北朝鮮の社会では、個人は体制と首領から自由になることができない。現在のような生半可な外からの圧力は、危機意識を土台とする信念体系に適度な現実味を与え、裏付けるだけ。下手な物理的攻撃は、部分的に社会体系を破壊して狂乱を呼び起こすことはあっても、外部侵略に対する抵抗を基盤にした象徴的な信念体系の正当性を強化させるだけになるだろう。
北朝鮮が本気で破滅を覚悟すれば、長射程砲と短距離ミサイルだけで韓国の情報通信網は破壊できるだろうし、各地の原子力発電所も狙われたら、原発事故以上の大惨事を招いてしまうことは容易に想像できるだろう。
 韓国社会は細かく有機的に繋がっているので、部分的に破壊されただけでも深刻な打撃を受けるが、北朝鮮のような比較的独立した単位で動く社会は、外部からの攻撃だけでは崩壊しづらい。
 大飢饉の時代に全国的に出現した「ヤミ市場」は、以前からあった「農民市場」が危機によって飛躍的に広まったもの。ヤミ市場と市場は女性の空間。そこの80%以上が女性から成る。
週1回ある「生活総和(総括)」は、みなが絶えず自己検閲し、お互いの日常を相互監視する効率的な統制方式。生活総和は、北朝鮮の人々の心と行動パターンに強い影響を及ぼしている。カトリック教の「懺悔」にも似た一種の「告白の文化」と言える。
 北朝鮮では、中国文化大革命もなく、カンボジアのクメール・ルージュの無理な社会実験もなかった。金日成と金正日は、文化伝統と歴史的伝統を強調した。過去の儒教的な特性を改めて強化している。
 北朝鮮の権力世襲は、儒教国家の「道徳的模範」を示し、王位継承に似た徳目を強調することによって成し遂げられた。北朝鮮の建国初期には、金日成というカリスマ指導者を父とみなす個人崇拝から始まった。しかし、長男である金正日に権力が世襲される過程で朝鮮の儒教的家族概念が融合し、嫡子相続の論理が強調されることになった。金正日の三男である金正恩に権力を承継する段階では、「白頭血統」という「革命の宗家」を強調することで、家内(一族)への忠誠を主張した。朝鮮王朝時代の両班(ヤンバン)の家の門中(家門)概念を国家体制のなかで制度化したもの。首領は、革命の最高「脳首」とも表現される。国家と人民に「政治的生命」を与える存在だから。首領なしの革命はありえず、国家も人民もない。
現地の実情をふまえた、大変深い分析がなされていて、とても勉強になりました。
(2022年10月刊。3200円+税)

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