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関東軍

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 及川 琢英 、 出版 中公新書
 終戦1年前の夏、徴兵検査で丙種合格だった叔父が招集され、中国へ引っぱられていって関東軍の兵士(工兵)となって、満州の山地で地下陣地構築にあたらされました。戦闘らしい戦闘もしないまま、8月9日にソ連軍が大挙侵攻してきて、たちまち武装解除されました。
 関東軍の精鋭部隊は南方へ転出していって、残った兵士は「根こそぎ召集」で人数だけ合わせた、戦えない軍隊でしたので、激戦の独ソ戦を経て最新兵器をもつソ連軍の前に、ひとたまりもなかったのでした。
 そんな叔父の手記をもとに『八路軍(パーロ)とともに』(花伝社)を先日出版したところ、読んだ人からは好評でしたが、残念なことにベストセラーにはほど遠い状況です。
 そんなわけで、関東軍については、同じタイトルの本(島田俊彦と中山隆志。いずれも講談社)があり、本書は格別に目新しいことが書かれているわけではありません。
 関東軍につきものだった謀略は、そもそも陸軍の常套(じょうとう)手段だった。
 謀略は、その隠蔽的な性質上、統制を困難にする要素を含んでいる。しかも、張作霖への兵器供給にみられるように、軍事顧問や特務機関、関東軍ら出先だけではなく、陸軍中央も政府方針に反する謀略に関わっていた。その結果、陸軍中央が出先の謀略を抑えようとしても説得力を持たず、出先が独走していく結果を招いた。
 満州事変での関東軍が特異なのは、独断で緊急的な事態を謀略により自らつくり出して出兵し、攻撃を続けたことである。
 陸軍中央は臨参委命という奉勅命令に準じるもので関東軍を抑え込んだが、スティムソン事件という「幸運」によって臨参委命の権威は崩れ、関東軍は、満州国樹立というそれまでにない大規模の謀略を成功させた。
 この「臨参委命(りんさんいめい)」というのは初耳ですが、参謀総長が天皇から統帥権を一部委任されて軍司令官を指揮命令するというもの。
 そして、スティムソン事件とは、アメリカのスティムソン国務長官が日本との協議を手違いで公表してしまったことから、政府が軍機をもらしたとして大問題になったというものです。
日本が戦前の中国、そして満州で何をしたのかは、もっと明らかにされてよいことだと確信しています。
(2023年6月刊。920円+税)

半導体産業のすべて

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 菊地 正典 、 出版 ダイヤモンド社
 世界の半導体市場のなかで、日本は1990年には49%と世界の半数を占めていた。ところが、今では凋落の一途で、2020年には、わずか6%、今後さらに低下していく見込みだ。同じく半導体メーカーの売上高ランキングをみてみると、1992年には世界トップ10(テン)のうち、日本のメーカーが6社いた。ところが2021年にはわずか1社のみ。
 「ジャパン・アス・ナンバーワン」なんて時代は、今やすっかり過去も過去の話なんです。
 なぜ、日本は半導体の世界でこんなに凋落してしまったのか…。
 第一に、アメリカと1986年に結んで「日米半導体協定」によって、日本はアメリカにコストデータ等の報告義務が課され、またアメリカの製品の購買義務まで課された。
 韓国、中国、台湾は政府の手厚い庇護を受けて伸ばしていたのに、日本政府はアメリカの言いなりでしかなかった。
 第二に、日本のメーカーにおいて半導体事業は一部門でしかなく、メーカー内の「新参者」扱いをされていた。要するに、経営陣が育成の目をもっていなかったということ。
 第三に、日本の企業トップは半導体に関わる先端的製造技術が求められていることを理解できず、従来の立場に固執するばかりだった。
 第四に、半導体業界の不振に国が適切な手をうたず、弱者連合になってしまったこと。
この本の著者は書いていませんが、科学・技術の自由な発展のためには、学問そして科学・技術の世界に権力が目先の成果ばかりを求めて介入してくるのは大きな間違いだということです。それはいったい何の役に立つのか、そんな愚問を言わず、投げかけず、学者・科学者に好き勝手にさせておくと、そのなかで、いつか画期的な発見があるのです。目先にとらわれすぎてはいけません。
 この本では、半導体とは何か、どのようにしてつくられるのか、集積回路(IC)とは何か、どうやってつくるのかも図で示しながら解説されています(一見やさしい解説なのですが、基礎が分かっていない私には理解不能でした)。
 日本の半導体装置メーカーの売上高は2013年に100億ドルだったのが、2021年には3倍に増加している。そして世界シェアは最高だった2012年の35%が2021年には28%へ、7ポイントも低下している。これは、世界全体で伸びているなかで、相対的に低下しているということ。
世界最大かつ最強の半導体ファウンドリーであるTSMC(台湾)が、熊本に新しい工場をつくろうとしている。これには、ソニーやデンソーそして日本政府が膨大な補助金をあてている。ところが一方、アメリカでも同じようにTSMCはアリゾナ州に1.3兆円を投じて新工場をつくろうとしている。また、インテルやサムスンもオハイオ州やテキサス州に新工場をつくりつつある。これらに対して、アメリカ政府は6兆円の補助金を支給する。このように、アメリカは国内に半導体産業の生産工場を確保することで、中国との覇権対立を乗り切ろうとしている。
 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という掛け声で酔っ払ってしまった日本政府には反省してもらうしかありません。それにしても、半導体産業も食料自給率の確保と同じように、日本にとって大切なものだということを改めて認識させられました。
 ただ、熊本にTSMCが進出してきて、地下水の枯渇と汚染を私は心配しています。本当に大丈夫なんでしょうか…。
(2023年6月刊。2200円+税)
 山の手(徒歩5分で登山口)の高級住宅街(高台です)に住んでいますので、自然をごく身近に感じる生活です。
 家の中は、大小のクモをあちこちに見かけます。ときに、台所には小さなアリが行列をつくっています。ナメクジが出てくることもあり、ゴキブリやムカデが出てきて驚かされます。風呂場などに小バエが湧いてきます。夜になると、窓にヤモリがぺたっと張りつきます。
 庭にはセミの抜け殻を見つけますが、セミは減りました。トンボはシオカラトンボやアキアカネです。チョウはクロアゲハ、そして、ミツバチやマルハナバチが花の蜜を吸っています。アシナガバチがわが家に巣をつくろうとしている気配がありますので、その予防のため蚊取り線香を軒下のあちこちにぶら下げています。
 台所の生ごみを入れたポリバケツにはウジムシが湧いていますので、満杯になると庭に穴を掘って埋め込みます。おかげで庭の土は黒々、ふかふかです。アスパラガス、そしてサツマイモを楽しみにしています。ブルーベリーは終わりました。ミミズを狙うモグラがいますし、土ガエルも見かけます。気をつけなくてはいけないのがヘビです。40年前に入居した当初から、庭にヘビが住みついていますが、いったいヘビは何を食べているのか不思議です。
 庭の隣の藪からタヌキが朝、出てきて散歩しているのを見かけたときはびっくりしました。夜道をイタチが横断することもあります。
いま、庭にはフジバカマを植えています。秋になったらアサギマダラ(チョウ)がやって来るのを待っているのです。
田舎で生活するというのは、こういうことです。

戦争法制を許さない北の声

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 髙崎 暢 、 出版 寿郎社
 安保法制の違憲性を司法の場で明らかにしようとした北海道訴訟の記録集です。本文2段組で、なんと790頁もあります。思わず、昼寝用の枕にちょうど良いと皮肉られた井上ひさしの『吉里吉里人』を調べてみました。それは843頁ですから、さすがに上には上があるものです。それでも、2段組の本書のほうが、勝っているんじゃないかと思い、念のために再度『吉里吉里人』を見てみると、なんとなんと、こちらも2段組だったのです。さすがに井上ひさし大先生にかなうものはいないということです。
 盆休みも終えて、少し暇なところに届きましたので、暇にあわせて、午後から読みはじめました。というのも、同期の岩本勝彦弁護士より、書評を書いて紹介せよという指示が添えられていたのです。この指示に背くわけにはいきません。他の仕事そっちのけで、自宅に持ち帰って、夜までかかって、その日のうちに読了しました。私の取り柄は、なんといっても速読なのです。
この北海道訴訟は一審・二審と敗訴して、上告は断念しています。一審(岡山忠広裁判長)は証人調べも一切やっていません。原告弁護団が忌避申立したのも当然です。でも、控訴審(長谷川恭弘裁判長)も、結局は、一審判決を是認し、控訴棄却としました。
田中健太郎弁護士は、「憲法は多数決民主主義の欠陥を裁判所の違憲立法審査制度で正し、個人の人権を保障したり平和と人権の体系である憲法秩序を維持させようとしているのに、裁判官たちは職責を果たそうとせず逃げ回った」と、厳しく弾劾しています。
一審判決は、「現時点においても、戦争やテロリズムによる原告らの生命・身体及び財産等の侵害の危険が切迫し、現実のものとなったとはいえない」「恐怖や不安を抱いたとしても、それは漠然かつ抽象的な不安感にとどまるものと言わざるを得ず、原告らの人格権ないし法律上保護される利益が侵害されたということはできない」「原告らの抱く不安や恐怖は、同時点においては未だ抽象的な不安の域を出ないというものである」と判示したのです。この裁判官たちは、あのJアラートの切迫感あふれる「警告」をまったく聞いていないようです。
そして、二審判決においても「平和的生存権が憲法によって保護された身体的権利であるとはいえない」として、原告団の主張を排斥するだけでした。
そこで、次に、原告となった人たちの主張を紹介します。
この本で圧巻なのは132人の思いが込められた陳述書です。
戦争体験のない人がほとんどですが、それでも身内に戦死者がいるというのは珍しくありません。しかも、それは戦死というより餓死であったり、輸送船が撃沈されて亡くなったりというものです。むしろ戦場で敵の弾丸によって戦死したというのは少ないのではないでしょうか。さらに、私も記憶がありますが、戦後まもなくは、駅頭に白装束の男性が何人か立っていて通行人にカンパを訴える光景をよく見かけました。傷痍(しょうい)軍人です。戦場で負傷した人たちの生活が守られていなかったのです。
ある人が、こう書いています。「戦争はいったん始まってしまうと、誰も責任を取ることなく、無責任に遂行されることは歴史が証明している」。ロシアのウクライナ侵略戦争がまさに、これを証明しています。戦争にならないように懸命に努力するしかないのです。
北朝鮮がロケットを飛ばすと、日本ではJアラートが発令されて、大々的に警戒発令となりますが、韓国では何事もなくフツーの日常生活です。日本政府は日本国民を恐怖で脅しているのです。
北海道では、毎年500人以上の高校生が卒業後自衛官になります。そのとき、他国の若者と武器を持って殺し合うことなど、考えにありません。せいぜい、災害救助のときの活躍のイメージでしょう。
現職の自衛官を息子にもちながら反戦・平和を叫び続けている平和子さん(仮名)は、ついに自衛官の息子に絶縁状を書き、息子との連絡は絶ってしまいました。息子には妻子がいて、生活を考えると、自衛隊を退職するのは容易なことではないと考えています。
それでも、平和子さんにとって、息子の命が奪われることは、自分の身が引き裂かれるのと同じ。そして、平和子さんは、自分の息子さえ無事であればいいとは考えていません。息子の無事のためだけでなく、それ以降の世代のためにも、まだ見ぬ子どもや孫のためにも、安保法制の違憲を命ある限り訴え続けたいと結んでいます。
かの有名な恵庭(えにわ)事件の元被告だった野崎健美さんも原告の一人です。野崎さんは昭和10(1935)年生まれで、日本敗戦時は国民学校5年生。両親の営む野崎牧場は自衛隊の演習場に隣接していて、ジェット機の轟音、そして大砲の射撃訓練によって、乳牛の育成に多大の困難・支障が生じました。それで、抗議するため、自衛隊の連絡用通信線を切断したのです。被害額は、せいぜい数百円。そして、器物損壊罪で始まった取り調べは、起訴されたときには自衛隊法121条違反となっていたのです。それで、たちまち全国480人の弁護士が応援する大裁判になりました。野崎さんは大いに勉強し、裁判のなかでは、基地公害と自衛隊の反国民性に焦点をあてて主張しました。
自衛隊トップの栗栖統幕議長が、自衛隊とは何を端的に言ったのは、このころのこと。「自衛隊は国民を守るためにあるのではない。天皇を中心とする団体を守るためにある。国民は勘違いしている」
この裁判で、裁判官は、法廷で検察官に対して論告・求刑を禁止したというのです。信じられません。「ただし、自衛隊の合憲性についての論告は許可します」。
この裁判では、自衛隊と自衛隊法が合憲かどうかだけが争点になったのです。ところが、裁判官は肩すかしの「無罪判決」。この無罪判決を聞いた検察官は怒ったり、落胆するどころか、「良かった、良かった」と肩をたたきあって喜んだのでした。もちろん、検察官は控訴せず、確定。被告人も無罪判決ですから、控訴できません。
野崎さんは言います。「平和を生きる権利」を守るためには、不断の努力が必要で、憲法はその武器になる。本当に、そのとおりだと思います。流されてはいけません。そして、小さくても、そこで声を上げる必要があります。
アジア・太平洋戦争に召集され、戦後に駆り出された兵士たちは「お国のために」命を捧げたはずですが、実のところ、日本が仕掛けた大義のない侵略的戦争だったわけですから、「国家に殺された」のです。そんなことを繰り返すわけにはいきません。
原告弁護団の共同代表である藤本明、高崎暢の両弁護士は、私も以前からよく知っていますが、実働の常任弁護士は、10人ほどで、良く言えば「少数精鋭」だったとのこと。大変だったと思います。そう言えば、福岡もほとんど同じです(私は法廷に参加するだけで、実働はしていません)。
一審裁判のとき、岡山忠広裁判長が、まさかの証人申請却下・終審を宣告したとき、高崎暢弁護士は、すぐ「忌避します」と言った。そうなんです。裁判官の不当な訴訟指揮には勇気をもって忌避申立すべきです。私の自慢は、弁護士2年目のとき、一般民事裁判で裁判官に対して忌避申立したことです。代理人は私ひとりで、とっさに申立しました。何の事前準備もありません。事務所に戻って報告すると、先輩弁護士たちから、「勇気あるね」と皮肉なのか、励ましなのか分からないコメントをもらいました。今でも、私は、このとき、「忌避します」と言ったことを、ひそかに誇りに思っています。たとえ弁護士2年目でも、おかしいと思ったらおかしいと言うのは正しいのです。もちろん、忌避申立すると、少しばかり(2~3ヶ月)、裁判が遅くなります。でも、それは明渡を求められる被告事件なので、訴訟遅延は喜ばれるだけということは私にも分かっていました。
本論に戻って、北海道裁判の原告と弁護団は、「断腸の思い」で、上告を断念しました。その残念な思いが、この部厚い記録集に結実したわけです。本当にお疲れさまでした。髙崎暢弁護士より贈呈していただきました。ありがとうございます。
                           (2023年7月刊。4500円+税)

『小右記』と王朝時代

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 倉本 一宏 ・ 加藤 友康 ・ 小倉 慈司 、 出版 吉川弘文館
 『小右(しょうゆう)記』は、平安時代、藤原道長と同じころに生きた貴族・藤原実資(さねすけ)の書いた日記。実資は90歳で亡くなったが、右大臣にまで上りつめていて、21歳から84歳までの63年間、日記を書き続けた。
 この日記には、当時の政務や儀式運営の様子が詳細かつ精確に記録されている。
 『小右記』は、実資個人の日記というだけでなく、小野宮(おののみや)家にとっての共有財産だった。つまり、小野宮家をあげて情報を持ち寄り、それを総合して記事としたもの。
 鎌倉時代の貴族である藤原定家は、夢のなかで実資と会ったことを『明月記』に記載している。それほど、定家は『小右記』を熱心に読み込んでいた。実資は、藤原道綱を罵倒していることで有名だ。
 「先輩の自分が先に大納言(だいなごん)になるべきだろう。ましてや貴族の中でも博識で能力ある自分を差し置いて、名前がやっと書ける程度で、漢籍などの知識のないあいつが何で昇進するのか…」と怒っている。
 道綱について、功労や才能がないのに、いたずらに禄を受けるもの、職責を果たさないのに高位高官にいるものと厳しく批判した。実資は、一条天皇のキサキ藤原彰子を評価していた。この彰子の伝言を実資や小野宮一家に取り次ぐ女房が紫式部だった。
 実資は健康に気を配り、輸入品から作られる貴重な薬をことあるごとに摂取していた。
平安時代の1人の貴族の書いた63年間もの日記の意義をかなり分かりやすく(「かなり」というより、実のところ難しいところが多々ありました)。解説してくれている本です。平安時代の雰囲気を少しばかり味わうことができました。
(2023年5月刊。3800円+税)

老いの福袋

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 樋口 恵子 、 出版 中央公論新社
 ヒグチさんは88歳、「ヨタヘロ期」を明るく生きています。後期高齢者入りを目前にした私にとって、大変参考になる指摘のオンパレードでした。それにしても88歳で、こんな元気の出る本を出せるなんて、ヒグチさんは本当にたいしたものです。
 ヒグチさんは、夫に先立たれ、独身の一人娘さん(医師)と2人で生活しています。週に2回は「シルバー人材センター」の人に来てもらって家事をしてもらいます。また、助手の人(親戚)もやって来ます。なので、孤独死の心配はしなくてすみます。
 ヒグチさんは、70歳のとき、かの女性差別論者の石原慎太郎に対抗して、東京都知事選挙に出ました。わずかな準備期間なのに82万票もとったというのですから、すごいです。それにしても石原慎太郎って、ひどい男ですよね。ほとんど都知事として出勤することなく、作家業と遊びに専念していたようです。それでも、実態を知らずに(知らされずに)と知事に投票した都民が大勢いたのは本当に残念です。
 それはともかく、「ヨタヘロ期」とは…。もう何をするにも、ヨタヨタ、ヘロヘロ…。フレイルとは、加齢とともに心身の活力が低下し、健康や生活に障害を起こしやすくなった状態、つまり老人特有の虚弱。サルコペニアとは、高齢になるにともない、筋肉量が減少していく現象。著者は、その両方をあわせて、「ヨタヘロ期」と呼んでいます。とてもイメージがつかめます。
 「ピンピンコロリ」は理想であって、現実的ではない。実際には、ヨロヨロ、ドタリ、寝たきり往生する人のほうが多い。つまり、ある日、バタリと死ねるのではなくヨタヘロ期を通過して、何年も寝込むのが現実的。ヨタヘロ期は、朝、起きるだけでも一(ひと)仕事。80歳をすぎると、料理するのがおっくうになってしまう。
ヒグチさんが、冷蔵庫のなかのもので簡単にすませていたら、なんと、低栄養で貧血になってしまったとのこと、それは大変です。やっぱり、ちゃんと食べなくてはいけません。
 そして、ヨタヘロ期になると、買い物までおっくうになってしまった。朝、起きたとき、空腹感を感じないので、料理しようという気にならず、それで買い物に行くのも面倒になってしまうのです。
 ヒグチさんは、食事フレンド(食フレ)をつくって、たまに外食を一緒にするとか、「孤食」を避けるよう工夫することをすすめています。なーるほど、ですね。老いたら、できるだけ予定を入れて、「多忙老人」になり、「老っ苦う」の連鎖を断ち切る。ヒグチさんのアドバイスです。
 高齢になってからも仕事があり、「自分も社会の役に立っている」と実感できることは心の支えになる。まさしく、今の私にあてはまります。定年のない弁護士のありがたみです。
 ヒグチさんは、無理な断捨離(だんしゃり)をすすめません。子どもに迷惑をかけるので、ガラクタも残すけれど、少々の遺産も残したらいいというのです。これまた、一つの考えです。でも、私は子どものころから整理整頓が大好きでしたので、大胆な断捨離をすすめています。私の担当した事件ファイルは法定の保存期間を過ぎたものは、私が選別して捨て、また保存しています。ですから、50年近く前の事件も残しているものがあります。自宅の本もかなり捨てました。それでも大学生のころに読んだ文庫本も残していたりします。恐らく2万冊ほどは書庫に本があると思いますが、書庫に並べられる限りとし、それ以上のものは選別して捨てています。すぐに捨てるのはもったいないので、法律事務所にもっていって、所員に拾ってもらい、拾われなかった本を捨てるのです。前は書庫には、後列にまで本があったり、横に寝かせたりもしていました。今では、みな背表紙がすぐ読めるようにしています。そうしないと書庫においておく意味がないからです。
 子どもに親が言ってはならないコトバは「あなたの世話になんかならない」とのこと。私も肝に銘じています。いずれはお世話にならざるをえないからです。
そして、親は、最後まで自己決定権を手放してはいけない。つまり、財産(家や預金)を子どもに渡してはいけないのです。私も弁護士としての経験から大賛成です。少しずつ子どもに贈与するのはいいのです。でも、全財産を子どもに渡したら絶対にダメなんです。あとは年金だけ、それも通帳管理は子どもがしているなんていうのは最悪のパターンです。
「ファミレス時代」というのを初めて知りました。ファミリーレス、つまり家族がいない人のこと。50歳児の未婚率は、男性23.4%、女性14.1%(2015年)。65歳以上の「夫婦のみ世帯」は全世帯の32.3%(2018年)。つまり、ケアを担う家族が減って、介護を必要とする高齢者は増えていくという世の中になりつつあるのです。
お互い、健康で、また楽しく過ごせる毎日でありたいものですよね…。
(2021年5月刊。1400円+税)

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