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内閣政治と大蔵省支配

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著者:牧原出、出版社:中公叢書
 東京で1年間、中央官僚と身近に接する機会があったので、官僚の優秀さとモーレツな仕事ぶりを再認識させられた。優秀というのは、何事によらず、ともかく途切れることなく「理路整然」と話を展開していき、それがペーパーになって直ちにあらわれるということ、モーレツさという点では「夜、暗いうちに帰宅したい」という言葉にあるように、徹夜が何日も続いてなお仕事をやり遂げるということ。私は、どちらもできないし、やりたくもない。
 司法制度を改革するために審議会が設置され、その意見書にもとづいて目下、司法制度の改革がすすめられている。この本を読んで、このような審議会を通じて時の懸案を処理するスタイルを始めたのは中曽根康弘元首相だということを知った。85歳になってなお議席に恋々としたのは老害というしかない。それはともかく、審議会方式は「大統領的首相」を目ざしたものだという。国民一般から意見を聞くという姿勢をとり、また、国民の反応を見るために審議会が必要だった、という。そして、政治家への働きかけ、場合によっては、その操作が官僚にとって最大の課題となる。国会が始まると、官僚は全力投球で国会と議員対策にあたる。それこそ徹夜で作業をすすめる。
 この本ではもうひとつ、「官房型官僚」と「原局型官僚」という耳なれない言葉を紹介しつつ、官僚の世界の「内部抗争」を分析している。そこが面白い。たとえば、出向させられた官僚は、出向先の意向をより重視することもある。そのような苦労のなかで、所属官庁の意見と利害を超えた広い(高い)調整的な視野を身につけていく。これが「官房型官僚」である。もう一方では、もともと、あまり出向しないし、仮に出向しても、あくまで出向元の官庁の意向を体現する官僚がいる。両方の官庁のバランスをうまく取りながら、全体として官僚の世界が実権を喪わないように結束する。キャリア官僚の存在と処遇をめぐる議論は、容易に決着のつかない難問だ。

雑草の成功戦略

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著者:稲垣栄洋、出版社:NTT出版
 世の中に変わり者と言われる人は多い。とくに弁護士の世界では変わり者だらけと言って決してオーバーではない。かく言う私も、よく、「あんたは変わっているねー」と言われる。自分では「人格円満な常識人」だと思っているし、依頼者に対して「あなたは、もっと常識を身につけなくてはいけませんよ」とお説教することが多いのに・・・。何がそんなに変わっているのか、自分ではあまり思いあたるところがない。客観的には、それだけ本人に自覚が足りないということなのだろう。(こりゃ、ダメだ)
 ところがこの本を読んで、変わり者こそ世の中の進歩、そして生物の進化をうみ出していることを知って、大いに安心した。自然界では、生物の特性の分布は正規分布することが多い。平均値に近いものが一番多く、平均から離れるに従ってその頻度は少なくなる。ところで、平均値からかけ離れた個体が存在することによって、環境が変わると正規分布が変化していくとき重要な役割を果たすことになる。正規分布の端を切り捨ててしまうと進化は起こらなくなり、環境の変化に対応できない。変わり者こそ、進化にとって重要な役割を果たすのである。
 変わり者の私は、ここで、膝をうって、「そうだ、そうだ」と叫ぶ。この本を読むと、私たちのごく身近に咲いている雑草たちが、厳しい条件のなかで生き抜いていくために、いかに苦労と工夫をしているか、教えられる。たとえばタンポポ。花が咲き終わると、花の茎は地べたに横になる。しかし、種子ができあがると再び茎は立ち上がる。咲いている花をより目立たせるために、咲き終わった花は倒れて身を引くというのだ。なるほど、自然の仕組みは実に偉大だ。

神様の墜落

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著者:江波戸哲夫、出版社:新潮社
 昔、フランク永井の『有楽町で逢いましょう』という歌が流行った。私がまだ上京する前のことだ。どんなにか東京の有楽町に憧れたことか・・・。残念なことに、大学生になって上京してからも、有楽町にはとんと縁がなかった。理由は簡単で、有楽町でデートの約束を取りつけるような彼女を見つけることができなかったからだ。といっても、仮に見つけたとしても九州からポット出の田舎者では、デートがうまくいったはずもない。なにしろ九州弁まる出しだから、気後れして、ろくにデートのとき話もできなかっただろう・・・。それもこれも、遠い昔の話とはなってしまった。
 有楽町駅前に『そごう』があった。変なデパートだと思った。なにしろ狭い。ところが、この『そごう』、あれよあれよと見るまに全国に展開し、北九州の駅前にも出店した。そのうち海外にまで出店していった。すごいもんだなー、と感心した。ところが、この本によると、それは単なる放漫経営でしかなかった。
 百貨店というのは、規模と立地とタイミングさえよければ、どれほど低次元のプランニングでも、それなりの成果を生み出す不思議な産業なのである。『そごう』の元社長・水島廣雄は、店の成功は人材によるのではなく、もっぱら店舗そのものの条件と見ていた。経理を公開せず、取締役会すら開かずに、すべて水島社長の直観と政治力に頼って展開していった。もちろん、それを支える銀行(興銀)があった。
 それにしても、経営者の企業私物化のすさまじさには驚きかつ呆れる。怒りすら覚えた。このような低レベルのモラルしかもたない経営者が、市民に対しては「心のノート」などを使った道徳教育の必要性をぶちあげるのだから、日本の将来は大丈夫なのか、本気で心配になってくる。

みんなのこえが聴こえる

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著者:アツキヨ、出版社:講談社
 聴覚障害をもった女の子が健常者の男子とペアを組んで歌手になるなんて、とても信じられません。どうやって音程をあわせるのでしょうか?私は自慢ではなく子どものころから音痴でした。音程がうまくあわせられないのです。音域がとても狭いので、自然に自分勝手に変調してしまうのです。
 キヨは幼児期の交換輸血のため高音急墜性難聴になってしまいました。そこを本人の負けん気と母親の前向きの態度で乗りこえていくのです。それにしても、そんな彼女が歌姫にあこがれ、ストリートミュージシャンから本物の歌手になっていくなんて、この世の中もまだまだ捨てたものじゃありません。いじめにくじけず、自分の夢をつらぬいていく様子が生き生きと描かれています。読んでいてさわやかさ、痛快さを感じてくる本です。

セロ弾きのゴーシュの音楽論

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著者:梅津時比古、出版社:東京書籍
 花巻駅の近くに宮沢賢治記念館があります。そこで「セロ弾きのゴーシュ」のビデオをみて、しばし童心に帰りました。花巻温泉には夜になると「銀河鉄道」をスポットライトで浮かびあがらせる仕掛けの崖があります。なかなか幻想的なシーンが再現されます。もう一度行ってみたい場所です。
 音痴な私には音程なんて、とんと分かりません。身体の反応が鈍いのです。今さら親をうらんでも仕方がありません。私の子どもたちも親の影響を受けて音楽のセンスが弱いようです(私のように欠けているとまでは決して言いませんが・・・)。
 宮沢賢治もセロ(チェロ)を入手して練習し、上達するため上京して特訓を受けたことがあるそうです。ところが賢治は上達しなかったのです。「弘法、筆を選ばず」というが、事実は限りなく逆である。弦楽器奏者は、上達すればするほど自分に合った楽器選びが課題となり、そのことに苦労する。弘法であるからこそ筆を選ぶ。
 弦楽器は、舞台に出ても演奏前に必ずチューニングする。舞台袖や楽屋でチューニングするか、舞台に出てもう一度チューニングしなければいけないのだ。それだけ音程というのは数値を超える微妙な要素をもっている。袖と舞台とでは空間の広さがまるで違い、空気の温度、照明の度合い、出した音が跳ね返ってくる時間なども全く異なるから・・・。また、宮沢賢治の童話を読んでみたくなりました。

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