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ひきこもり文化論

カテゴリー:未分類

著者:斎藤環、出版社:紀伊国屋
 ひきこもりの人口は100万人、平均期間は4.1年。平均年齢は20歳前だったのが、今では20代となり、30歳以上は珍しくない。ひきこもりの最年長は40代後半になっている。今や、ひきこもり救出ビジネスまで世の中に現われた。「2時間でひきこもりを直す」という自称カウンセラーすらいる。
 ひきこもっている若者の心の中は、焦燥感と惨めさで充満し、激しい空虚感や絶望的な怒りに襲われている。一見すると、無為・無気力のように見えても、「普通の生活」に対する憧れの強さは平均的な若者の「意欲」の比ではない。ひきこもっている人のコミュニケーション拒否は、むしろ絶望的なまでのコミュニケーションへの憧れを背景としている。
 ひきこもりの相談は1年間で1万4千件ほどあり、その77%が男性。ひきこもり期間が10年以上というのも2割ほどある。家庭内暴力も同じく2割ある。
 親しい友人や恋人関係が成立すると、特別な指導や指示はなくとも、多くのケースでアルバイトや通学を始めるようになる。
 著者は、青少年がひきこもる権利を社会がしっかり保障すべきだと主張しています。「ひきこもり」が生き方の選択肢のひとつにまで高められるとき、「ひきこもり」は減少するというのです。ひきこもりについて深く考えさせられる本でした。私の住む団地にもひきこもりの子どもたちがいます。決して他人事(ひとごと)ではありません。

ディリー、砂漠に帰る

カテゴリー:未分類

著者:ワリス・ディリー、出版社:草思社
 私は前に出た『砂漠の女ディリー』も読みました。アフリカに生まれ育った女性が苛酷な運命とたたかって、ついに世界のスーパーモデルになるまでの数奇な半生に心をいたく揺り動かされたことを今も鮮明に覚えています。でも、この本を読んで、
あっ、彼女の生まれ故郷はアフリカのなかでも、今も戦争状態にあるソマリアだったんだと気がつかされました。そうです。泥沼の内戦が今も続いています。アメリカでさえ手を焼いて撤退したあのソマリアへ、生まれ故郷に今も住む両親のもとへスー
パースターのディリーが命がけで帰ったのです。
 幸いにも、アラーのおかげで1週間、ディリーは両親とともに過ごすことができました。死んだと思われていた娘が帰ってきて、両親はどんなにか喜んだことでしょう。でも、ディリーが母への最高のプレゼントだと思って手鏡を差し出したとき、母親は鏡に映った自分の顔が老けているのを見て、鏡の受けとりを拒否しました。人間の美しさは内面にあるのです。鏡なんか必要ありません。歯みがきセットも、そんなもの必要ないとして、喜ばれませんでした。砂漠ではうがいのために水を浪費するなんて、考えられないことなのです。
 ディリーが小学校を訪問しようとするとき、衣裳選びに親兄弟からケチをつけられる場面があって笑わされました。ファッションショーで衣裳を売りこむのが仕事の世界のスーパースターが、自分の衣裳選びもままならなかったというのです。
 砂漠の民は、たとえば、女性は生理用品を使わない、生理中は、古くなった暗い色のドレスを着て、家の中にじっとしているだけ。ソマリアの花嫁は結婚式の夜、縫合された傷をあけられる。セックスができるように、ナイフで傷を少し開くのだ。翌朝、義理の母親が花嫁を確認し、血が流れているのを見れば、花嫁が痛みに耐えて夫を受け入れたことが分かる。義理の母親はこれを村中に触れまわり、花嫁の勇敢さを讃える。
 著者は幼いころに受けたFGM(女性性器切除)について告白し、その廃絶に向けた取り組みのため国連の特別大使にもなっています。その勇気を讃えたいと心から思わせる良書です。

がんから始まる

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著者:岸本葉子、出版社:晶文社
 エッセイストの著者が、40才のときに珍しい虫垂がんと診断され、手術を受けることになりました。健康には人一倍気をつかってきたのに、がんになるなんて・・・。やっぱり病気はなるときにはなるものだ。著者は、そう達観します。
 でも、入院生活そして手術を受けて退院する日々では動揺もさけられません。その揺れ動く気持ちを、さすが本職のエッセイストですから、文字にあらわしたのです。
 現在進行形の出来事であっても、文字に定着していくことで、自分にとって過去のことにできるのだ。そういう言葉が出てきます。著者は手術後2年たって、元気に生きています。何事もあきらめないことが肝心のようです。

となりのコリアン

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著:在日コリアン研究会、出版社:日本評論社
 久留米の馬奈木弁護士の長男の馬奈木厳太郎氏も著者の1人です。というか、厳太郎氏が久留米で憲法を講義するのを拝聴して感心したので、そこに並べてあったこの本を買って読んだというわけです。
 「在日コリアンの子どもたちに対する嫌がらせを許さない若手弁護士の会」という長い名前の団体があります。福岡で司法修習をしていた杉尾健太郎弁護士(東京)が代表です。
 在日コリアンをはじめ、日本にいる外国人と仲良くしていくのは、地球に生きる日本人にとって必要不可欠のことなのです。いま、拝外主義の風潮が日本社会に広がりつつあるのを、私も心配しています。日本社会がゆとりと寛容のこころを喪いつつあるということだと思います。戦争やテロのない平和な国際社会を築きあげるのは、私たちみんなの責任です。

歴史を読み解く

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著者:服部英雄、出版社:青史出版
 蒙古襲来のとき(文永の役、1274年11月26日)、モンゴル・高麗連合軍4万は、赤坂山占領を目標としていました。赤坂山とは、のちに福岡城が築かれたところ、つまり今の裁判所を含んだ一帯のことです。守る日本側が奮戦して、モンゴル軍のナンバー2の重要人物が日本の流れ矢にあたって舟に運ばれるなど、モンゴル軍は初戦に敗れて、海上に逃げ戻った。そこへ、夜半の嵐(台風ではない)が吹いた。モンゴル軍は、季節風のことを考えると、これでは時間切れと判断して自主的に撤退した。こう考えるべきだとされています。なるほどと思わせる説得力のある説です。
 福岡城には天守閣はなかったという事実も立証されています。といっても、天守台はあったのです。ただ、それは五層の天守閣というものではなく、二層の矢倉というべきものでした。
 ところで、天守閣というのは、落城時に、城主の切腹までの時間を稼ぐ役割がある建物だというのです。初めて知りました。時間を稼ぐために、天守閣への一つしかない入口は必ず迷路になっていて、外部から容易には入れない構造になっていたそうです。
 うーん、なるほど、歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあるようです・・・。

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