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警察の視点、社会の視点

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著者:広畑史朗、出版社:啓正社
著者は現在、福岡県警本部長です。栃木県警本部長をつとめていたとき、石橋警察署で、被害者の親からの捜査要請を無視しているうちに、その少年が殺害されたという重大な警察のミスが発覚しました。この対処をめぐって、各署に出かけて一般署員に向けてした訓話を中心にまとめた本です。
 著者は、その後、政府の司法制度改革推進本部のもとにおかれた裁判員制度・刑事検討会の委員もつとめています。いわば警察官僚のチャンピオンなのです。私も一度その講演を拝聴しましたが、なるほどと思わせるソフトな語り口でした。
 警察官に不祥事が多いというけど、実はそれほどでもない。弁護士に比べたら格段ましなんだ。このことが何度も紹介されています。警察官の士気を高揚するために本部長として言いたかったことでしょうが、弁護士である私には、やはり大いにひっかかります。
 「バブル経済の崩壊後、毎年2桁台の弁護士が逮捕されている。弁護士は1万7千人、警察職員は26万人だから、警察官が年間150人以上捕まる計算となる。警察職員より弁護士集団の方が犯罪発生比率のはるかに高いことは、案外知られていない」
 「弁護士の現職は1万5千人、うち懲戒請求が1030件。弁護士の10数人に1人がクライアントから不適正だとして懲戒請求を受けている。なかなかのものじゃないか、ということを公然と言いたいのを私はじっと我慢している」
 私も弁護士に非行がないとはもちろん言いません。しかし、弁護士の逮捕が年間2桁というのを問題とするなら、警察は例の裏金を自ら全面的に明らかにしてからモノを言うべきだと思います。証拠となる会計帳簿を自ら処分しておいて、真相究明できませんでしたというのは通りません。しかも、ことは本部長以下、部長クラスの幹部がほとんど利益を享受していたという問題なのです。警察が国民の信用を回復するためには、まずは裏金問題を公正に処理すべきではないでしょうか。

上がれ、空き缶衛星

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著者:川島レイ、出版社:新潮社
 350ミリリットルのジュース缶が人工衛星になるなんて・・・。しかも、それを大学(院)生が打ち上げるとは、信じがたい話です。世の中もすすんだものですね。さらにそのあと、1辺が10センチのサイコロ型の、人間の手のひらにのってしまうほど極小の衛星を同じく大学(院)生がつくって宇宙へ打ちあげ、今も立派に実用衛星として通用しているというのです。たいしたものです。
 この本は、そんな空き缶衛星を大学(院)生たちが打ちあげに至るまでをドキュメントタッチで追いかけています。ブレインストーミングという、枠にとらわれない自由な発想の議論、助走期間中にしぼまないようなアドバイスが必要なことなどの教訓も紹介され、はじめは荒唐無稽であっても、工夫次第でモノになることがあることが示されています。いつまでも夢をもち続けることの大切さが伝わってくる本です。

金正日の私生活

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著者:藤本健二、出版社:扶桑社
 金正日氏のお抱え料理人として13年間仕えていたという日本人調理士が金正日氏の私生活を暴いた本です。これを読んだら北朝鮮の政治の動向が分かるというものではありません。それより、金正日氏一家などの支配階級の日常生活について、調理人の眼を通して、その一端が図や写真つきで開設されているところに、この本の面白さがあります。招待所の内部の配置図がきわめて詳細です。やはり現場を見た人だからこそ、と私は思いました。
 著者は金正日氏に個人的に可愛がられたため、人間としては今も大変な愛着をもっているようです。
 北朝鮮の招待所って、どんなところなのかな、と思う人には参考になります。

孝明天皇と一会桑

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著者:家近良樹、出版社:文芸新書
 「一会桑」(いっかいそう)という言葉を私は知りませんでした。一橋慶喜、会津藩、桑名藩の頭文字をとった言葉です。幕末の孝明天皇と一会桑は、お互いを必要不可欠の存在として認めあい、深く依存する関係にあった。
 明治以降の日本人が想像してきたほど、薩長両藩の「倒幕芝居」における役割は圧倒的なものではなかった。それより、今までの政治体制ではダメだという多くの人々の思いが政治を変えた。「一会桑」などが中心になった長州再征がうまくいかなかったのも、日本全国に内輪もめはやめろという意見が強かったからだ。
 幕末の政治情勢と天皇の果たした役割について考えるうえで、大変勉強になりました。

戦場の精神史

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著者:佐伯真一、出版社:NHKブックス
 実に面白い本でした。知らないって恐ろしいと思いました。武士道について、根本的に考え直させられました。
 新渡戸稲造の『武士道』が有名ですが、これは1899年(明治32年)にアメリカで刊行された本です。新渡戸は『武士道』という言葉は自分のつくった言葉(造語)だと思っていたそうです。それほど、日本の武士道の先例を知らなかったのです。いや、日本の歴史や文化についてほとんど知らないまま、アメリカで病気療養中に、いわば自分の思いこみで書いた本なのです。
 そもそも武士道という言葉は中世の文献にはほとんど出てこない。ようやく戦国時代から使われるようになったが、それほど多用されていたわけでもない。爆発的に流行するのは、明治30年代以降のこと。武士道というのは歴史の浅い言葉。江戸時代までの日本の武道は、ひずかしくすすどくあらねばならないと教えてきたと貝原益軒は批判している。「ひずかし」とは、心がねじけ、ひねくれているさま、「すすどし」とは、機敏で油断がならないさま。人のとった敵の首をも奪って自分の手柄にするようなのが日本の武道なのだ、というわけです。要するに、切り取り強盗は武士の習い、というのです。
 武士は戦いにおいては、もっぱら虚言を用いるのだ。それを嘘をついたといって非難するのは、何も分かっていない女のような奴である(『甲陽軍艦』)。
 戦場において一騎打ちの闘いがルール化されていたというのは誤った幻想でしかない。 ひたすら勝つことが大事であって、敵を騙すことは非難されるべきことではない。
 このことが「平家物語」やら「将門記」「吾妻鏡」「太平記」など、いくつもの文献をひいて実例があげられています。そこまでやるか、と驚くほどのえげつない騙し方がいくつもあります。しかし、それは騙し方、つまり勝った方がいかに賢かったかという賞賛の手柄話であって、決して非難されてはいないのです。
 「武士道」の実体を知った思いです。

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