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失われた革命

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著者:ピート・ダニエル、出版社:青土社
 1950年代のアメリカ南部を深くえぐり出した快作です。520頁もの厚さですが、ぐんぐん引きずられるようにして一気に読んでしまいました。オビの文章を紹介します。
 資本主義の波に翻弄される農民たち、プレスリーに象徴される黒人音楽と白人文化の融合の可能性、公民権運動の台頭、人種隔離主義者の反撃、そして人種共栄をめぐるリトルロック事件。混沌と激変の狭間でいくども訪れた改革・融和のチャンスがことごとく失われてしまったのはなぜか・・・。
 この疑問を見事に解明していく文章には胸のすく思いがあり、同時にアメリカ社会の病根の深さに暗澹たる思いにもかられます。では、少し内容を紹介しましょう。
 公民権運動は、白人を困惑させ、アフリカ系アメリカ人(この本では黒人とはいいません)に希望を与えた。白人の多くは人種隔離や宗教や男女観などにみられるゆがんだ歴史観を受け継いでいた。黒人労働者と白人労働者とを統合しようとする動きは戦後すぐに挫折し、共産主義(アカ)のレッテルを貼られて粉砕されてしまった。小心な聖職者たちは関わりあいを恐れてしりごみし、優柔不断な白人リベラルは、冷酷非道な人種隔離主義者にまったく太刀打ちできなかった。
 人種差別の壁に体当たりしたのは南部に定住した北部人たち。彼らは黒人に関する南部の伝統を無視した。彼らは黒人に対して平気で敬称を用い、高い給料を支払い、平等の権利を支援した。
 ところが、黒人男性と白人女性との結婚は、昔から白人の心に埋めこまれた恐るべき悪夢だった。共産主義者が陰で人種統合の糸を操っているのに違いないと考えていた。
 今の日本でもまだアカ嫌いは少なからず残っていますが、アメリカの方がもっと極端のようです。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962年)は私も読みましたが、大々的に農薬をつかって引き起こされた恐るべき自然環境破壊には背筋も凍るほどの戦慄を覚えました。この本によると、南部農業は大量の化学薬品をつかい、巨大農場での単一農作物栽培、農耕機械によって支えられていたというのです。薬品会社が安全だと誇大広告し、それを農務省の安全宣言が促進していました。
 空中農薬散布機の墜落死亡事故が55件もあり、そのうち7件はパイロットが毒性農薬を吸引し、手がしびれ吐き気がして墜落したというのです。すさまじいものです。それでも国は薬品会社と一緒になって農薬の危険性を隠しつづけました。
 私は、庭でまったく農薬をつかいません。ですから、花も葉も、すぐに虫喰い常態になってしまいます。それが自然の状態なのです。
 1950年代のアメリカ南部に流行したのが、南部音楽とカーレーシングです。自動車レースは労働者階級の究極のスポーツでした。月曜日から金曜日まではおとなしく飼いならされているかに見える彼らも、週末の行事ともなれば、大いに羽目をはずすのだった。その後、世界的評価を得てからは商品化され、商業主義が下層文化をねじ曲げてしまった。
 人種隔離の壁をうち崩す役割を果たしたのは、地域のリーダーではなく、ミュージシャンやスポーツ選手たちだった。
 ロックンロールと同様に、黒人パフォーマンスが広い範囲で人々に受容されるようになったこと、とくに白人女性に歓迎された事実は、白人人種隔離主義者のイデオロギーと真っ向から衝突した。
 「どこへ行っても黒人ばかりだ。テレビ・ショー、野球、フットボール、ボクシング、まったく切りがない」と白人たちは嘆いた。電話回線を黒人と白人とで別のものに分けるよう申し入れたという。こんな、まるでバカげたことが横行していました。
 農場の機械化、化学薬品、それに南部を白色化しようとする野望が三つどもえになり、黒人農場主の数を激減させた。1940年には15万9000人だった黒人農場主は、1964年には3万8000人に落ち込んだ。
 白人は、子育てのときには、黒人女性の手を借りて、黒人の影響力が及ぶままにしておきながら、公共の乗り物や法廷などで、人種の純潔性を保つという名目で人種隔離を実行しようとする。これは、いかにも不合理だ。
 この本の白眉は、リトルロックの9人の生徒の話です。1956年9月、セントラル・ハイスクールに9人の黒人生徒が入学した。白人人種隔離主義者の群衆が学校の外に集まった。アイゼンハワー大統領は、ついに連邦軍を出動させた。
 校内でも人種隔離主義の生徒たちは、黒人生徒に嫌がらせをし、黒人生徒と仲良くする白人生徒を脅迫した。9人の黒人生徒のほとんどがきちんと中産階級か労働者階級の家庭の子どもだった。9人の生徒たちは、校内で一部の白人生徒たちから毎日ひどいいじめにあった。平手うち、小突き、にらみ、「クロンボはさっさと出ていけ」とトイレの鏡に口紅で書かれていた。9人は、やられてもやり返さず、じっと虐待に耐えた。女子生徒が階段から突き落とされたが、犯人の女子生徒は「私は本で彼女を押しただけ。彼女には指一本さわっちゃいないから」と主張した。スカートは昼休みにインクをまき散らされ、台なしになった。昼食時、熱いスープが肩にぶっかけられた。彼らはひたすら耐え、白人の権力に挑戦した。
 そして、全員ではなかったが、無事にハイスクールを卒業した。卒業式は何の妨害も受けなかった。人種隔離主義者は敗北した。
 40年後、9人の生徒たちをふくめて関係者が一同に再会した。そのとき、当時いじめの先頭に立っていた女子生徒も謝罪をして参加した。
 私は、この一連の出来事を知って、本当に9人の生徒たちの勇気に改めて心から敬意を表したいと思いました。といっても、彼らも今では60代前半です。つまり私よりは年長なのです。未来は青年のもの。青年が動けば世の中は変わる。こんな言葉を、私たちは 20歳前後ころによくつかっていました。久しぶりに思い出したことでした。
 この本の最後に「ミシシッピーバーニング」として映画にもなった3人のボランティア(うち2人が白人)が殺害された事件が紹介されています。つい最近、その犯人のひとりの裁判が始まったという記事を読みました。アメリカの深南部では、まだまだ差別がなくなったわけではないことを思い知らされるニュースでした。

イラクからの報告

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著者:江川紹子、出版社:小学館文庫
 写真家の森住卓(たかし)氏の写真が満載の文庫本です。コンパクトですし、590円という安さですから、ぜひ買って読んでみてください。
 こうやっておすすめするのも、森住卓氏をお招きして講演会をもったからです。500人も入る会場を借りましたので、参加者100人ではみっともないので、依頼者の方に頭を下げて参加をお願いしました。当日は、なんとか400人近くの参加者があって格好がつき、森住氏の話を安心して聴くことができました。
 森住氏は、イラクの人々はとても親切だし、日本人を大歓迎してくれたと語りました。なぜ、アメリカ軍の一員として自衛隊を派遣したのか、イラクの人には理解できないのです。アメリカ軍がイラク侵略戦争で大量の劣化ウラン弾をつかったため、大量の奇形児がイラクで生まれるようになりました。無脳症の赤ちゃんや水頭症の赤ちゃんの写真は見るに耐えないものがあります。でも、あなたの写真にとってもらうために生まれてきたようなものだから、ぜひ撮ってくださいと看病していた医師から言われて森住氏がとった写真です。私たちも目を逸らしてはいけないと思いました。
 この本によると、イラクの公共工事を日本企業がたくさん手がけて、信用が厚かったということです。総合病院13ヶ所、高速道路126キロ、下水道、大学8校などです。
 130頁ほどの薄っぺらな文庫本ですので、簡単に読めます。イラクのことを知るきっかけになりますので、ぜひ読んでみてください。

ぼくと会社とにっぽん再生

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著者:日経産業新聞、出版社:日本経済新聞社
 第一世代のIT起業家として、アスキーの西社長は個人資産200億円を有していました。なんとなく石垣島の近くの島を数億円で買い、自家用ヘリコプターをもち、3000万円の超高級車を乗りまわし、ホテルオークラを定宿としていました。銀座で、1晩にロマネコンティを7本あけました・・・。ええーっ、ロマネコンティ。あの夢みるしかない超高級ワインを7本も・・・。ため息が出ます。
 しかし、西元社長は、それほど楽しくはなかった。そんな生活には何の意味もない、そう回顧しています。いまは埼玉で静かに大学教授をしているそうです。そういう人生もあるんですね・・・。
 この本を読んでもっとも教えられたことは、人材派遣会社は日本をダメにする、ということです。
 2004年3月、労働者派遣法が改正され、施行された。それまでは製造現場への人材派遣は禁止されていた。しかし、給与水準の高い正社員だけでは海外企業とのコスト競争をたたかえない。耐えかねた企業が続々と生産拠点を中国などに移すなかで、日本に工場を残すための「裏技」として1990年代に業務請負が急増した。
 メーカーの正社員の給与を時給にすると2000円。これに健康保険などのコストを加えると会社の負担は3000円となる。ところが、同じ仕事を請負会社にまわすと、1300円ですむ。労働者に支払われるのは1100円。ともかく、会社負担は3分の1ですむ。しかも、生産量の変動にあわせて、現場の人員は自由に増減できる。
 しかし、強い副作用がある。その一つは、現場の技能が伝承されないこと、もう一つは、安全確保が危ぶまれることだ。いくら経費を削っても、事故が起きれば、コストは一気に膨らむ。安全管理こそが結果的には最大の経費抑制となる。顔も名前も覚えられないほど頻繁に入れ替わる請負会社の社員がいると、職場としての一体感をもてず、現場感覚を教えようがない。業務請負など、協力会社に対して危険回避の情報伝達を簡素化している工場ほど、事故を起こしやすい。
 ところで、請負会社は神奈川県だけでも2000社もあり、生き残り競争は熾烈だ。
 今の30代、40代の労働者はヘトヘト。団塊の世代が定年を迎える2007年まであと2年。中堅層にエネルギーを充填しておかないと、団塊世代が抜けたあとが大変だ。
 強い会社は、ベテラン、中堅、若手のバランスがいい。
 正社員は同じ職場の請負社員とほとんど口をきかない。仲が悪いのではない。不用意に仕事の話をすると、正社員が請負社員に指示を出したことになり、メーカーが請負社員に直接指示を出す違法な「偽装請負」とみなされるからだ。
 メーカーの社員が請負で働く人に作業の指示を出し、残業も命じるなど、人材派遣でしか許されない事項をハローワークの窓口担当者が見つけると、「これは請負ではなく、違法派遣です」と求人をはねつける。
 請負や派遣で働く人が将来への希望をもてる仕組みが何よりも重要だ。メーカーが、いつでも解雇できる安価な労働とみているうちは、働く人の展望は開けない。100万人とされる請負労働者が将来の展望ももてずに働く現状は正常なのか。今のままでは、日本の製造業は衰退してしまう・・・。
 私の身近な人にも人材派遣会社、請負会社で働く人が本当に増えました。技能の蓄積がなく、安全面の配慮もないまま、ただ安くつかえればいいという発想の企業があまりにも多い気がします。
 どうでしょうか、みなさんのまわりは・・・?

歎異抄論釈

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著者:佐藤正英、出版社:青土社
 善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
 私は、この言葉に初めて出会ったとき、驚いてしまいました。親鸞の言葉は私たちを戸惑わせるところがあるとこの本に書かれていますが、まさに、そのとおりです。この本には、次のように解説されています。
 世の人は通常、悪人でさえも西方浄土に往き生まれる。まして、どうして善人が往き生まれないであろうかという。しかし、これは阿弥陀仏の誓願の趣旨に反している。というのは、自己のはたらきによって善の行為を実践するひとは、阿弥陀仏の絶対知のはたらきにひたすら身を委ねる心が欠けている故に、阿弥陀仏の誓願の対象にふさわしくない。煩悩をもっている私たちが、どのような善の行為によっても生死流転の境界を離れることができないのを大いにあわれみ、悲しんで誓願を起こされた阿弥陀仏の本来の意思は、悪人が絶対知を体得して仏になるためであるから、阿弥陀仏の誓願のはたらきに身を委ねる悪人こそ、まさしく西方浄土に往き生まれる存在なのである。
 ところで、この言葉は、実は、親鸞の師である法然のものなんだそうです。「法然上人伝記」に、善人尚ほ以て往生す、況んや悪人をや、とあるのです。親鸞は師である法然の言葉を、それと断りなしに弟子に語り伝えたのだと著者は言います。もちろん、そのこと自体に何の問題もありません。でも、やっぱり、ちょっと先ほどの解説は難しいですよね。善人とか悪人の定義は、何回読み返してもよく分かりません。
 善人とは自力作善のひと、ひとえに他力を頼む心欠けたる人、つまり阿弥陀仏の誓願に全面的に身を委ねようとはしない人のこと。悪人とは、煩悩具足のわれら、つまり、他力を頼みたてまつる悪人のこと、というのです。そして、悪人とは、西方浄土に往き生まれることの正機ではあるが、正因ではない。真にして実なる浄土に往き生まれる正因は、不思議の仏智を信ずること、つまり信にある、というのです。
 善人は、すべて他力を信じていないひとであって、他力を信じている善人はありえない。他力を信じたとき、ひとはみな悪人となる。私たちの多くは、阿弥陀仏の誓願への信を抱いていない。その反面、煩悩にはこと欠かない。同時に、漠然とではあるが、絶対知への希求をもっている。つまり、ごく普通の意味での日常な存在である。そのような私たちは、阿弥陀仏の正機としての悪人ではあるが、西方浄土に往き生まれることの正因としての悪人ではない。他力を信じることは難しい。
 このような解説は本当に難しくて、よく理解できませんでした。まして、人を千人殺して悪人になれとかいう問答となると、私の理解を超えてしまいます。
 本文だけで780頁もある大部な本です。京都に行った帰りの新幹線で読みふけりました。「歎異抄」が古くから有名な書物ではなかったこと、その作者は親鸞の弟子の一人であった唯円であろうということが、明治40年以降に定説になったことを初めて知りました。そして、「歎異抄」の構成が二部に分かれていることも知りました。
 京都に行って初めて沙羅双樹の花を見ました。インドと日本とでは、沙羅双樹の木は種類が違うそうですが、「平家物語」にうたわれた沙羅双樹は日本の木をイメージしたものです。
 朝に咲き、夕には散りゆく白い花です。庭にたくさんの白い花が散っていました。夏に咲く椿の白い花と思ったら間違いありません。
 形あるものは必ずこわれていく。形うつくしきもの永遠に保てず、という真理をあらわした花だということが実感できました。
 東林院のお坊さんの説教も聞くことができ、久しぶりに心が洗われた気がしました。
 お釈迦さまは、今日なすべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことが、よき一日を生きる道であるとお教えになっているそうです。今は今しかない。二度とめぐり来ない今日一日を大切に、悔いなき人生を送らねばという気持ちが、改めて湧いてきました。

ストリート・ボーイズ

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著者:ロレンゾ・カルカテラ、出版社:新潮文庫
 1943年9月28日から10月1日までの4日間、イタリアのナポリで市民がナチスドイツの機甲師団とたたかい勝利したという史実をもとにしたフィクション小説です。近く映画化も予定されているということですが、ナチスに親を殺され戦争孤児となった子どもたちが武器をもってたちあがり、ナチスとたたかう状況は手に汗を握る痛快さです。まあ、そんなことはありえないと思いつつも、情景描写が実に巧みですから、ついついひきこまれてしまいます。ナチス・ドイツの機甲師団が1人のアメリカGIに励まされた200人の子どもたちに翻弄され、壊滅していく様子は読んでいて気分がスカッとします。たまには子どもがナチスをやっつける話もあってもいい。そう思いながら、車中で我を忘れて読みふけりました。

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