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靖国問題

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著者:高橋哲哉、出版社:ちくま新書
 靖国神社については、新聞を丹念に読んでいるので、ほとんど知っていると思っていましたが、それがまったくの間違いだったことをこの本を読んで深く認識させられました。汗顔の至りです。
 靖国神社は1869年に東京招魂社として創建されたものです。その前からあったわけではありません。10年後の1879年に靖国神社と名前を変え、別格官幣社となりました。日本の戦没者祭祀の中心施設となったのは日露戦争後のことです。
 靖国神社には、日清、日露、第一次大戦だけでなく、台湾出兵から台湾霧社事件や「不逞鮮人」討伐など、日本が植民地を獲得し、そこでの抵抗運動を弾圧するための日本軍の戦闘行為がすべて正義の戦争とされ、そこで死亡した将兵が英霊として顕彰されています。
 靖国神社は、戦士を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとするところである。家族を失って悲嘆の涙にくれる戦死者を放置していたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達することはできない。戦死者とその遺族に最大の国家的栄誉を与えることによってこそ、自らの国のための「名誉の戦死」を遂げようとする兵士たちを動員することができるのだ。
 この本には、靖国神社に合祀されている遺族の陳述書が紹介されています。大阪地裁に提出されたものです。
 「靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺して下さい。たった一言、靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれだし、それが見渡すかぎり、戦士たちの血の海となって広がっていくのが見えるようです」
 しかし、小泉首相が靖国神社参拝をくり返し強行することについては、中国や韓国そしてアジア諸国の犠牲者の遺族からの激しい怒りと哀しみがぶつけられています。この点について、著者は次のように指摘しています。
 日本の側に遺族感情や国民感情があるならば、アジア諸国の側にも、仮に感情の量を比べることができるとしたら、その何倍にもあたる遺族感情や国民感情がある。
 まことにそのとおりだと私も思います。実は、私の亡父も中国大陸に2等兵として渡り、戦場を転々としています。幸いにも病気(腸チフス)のため日本に送還されて命を助かりましたが・・・。また、三井の労務係として、朝鮮半島から徴用工を連れて帰る仕事にもついています。日本人に加害者の側面があることを決して忘れてはいけません。これは自虐史観という問題ではありません。諸国との友好を考えるなら、必要不可欠の視点です。
 身内から戦死者を出せば遺族は当然のことながら悲しみます。ところが、その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。悲しみから喜びへ、不幸から幸福へ、遺族感情が180度逆のものに変わってしまう。著者はこのように指摘しています。戦う国家とは祀る国家であり、祀る国家とは戦う国家なのである。このように喝破しています。まことにズバリ本質をついた言葉です。
 この本では、2004年4月7日に出た福岡地裁による小泉首相の靖国神社参拝を違憲とした判決を高く評価しています。私も大賛成です。たまには裁判所も勇気ある判決を下すものだとの感動を覚えました。それほど、ふだんは裁判官の勇気のなさに絶望的な思いにかられているからでもあります・・・。

映画道楽

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著者:鈴木敏夫、出版社:ぴあ
 私は映画を月1本はみるようにしています。本当はもっとみたいのですが、これでも現役の弁護士ですから、なかなか時間がとれません。もちろん、これは映画館でみる映画のことです。ビデオやDVDも仕方なくみることがありますが、家(自宅)ではモノカキが忙しくて見れません。ちなみに、テレビは全然みません。いつも新聞で近着の映画紹介をチェックしています。絶対みたいと思った映画がいつのまにか映画館で上映しなくなって悲しい思いをさせられることが何度もあります。本当に残念です。
 あっ、そうそう。東京・銀座の映画館で「サウンド・オブ・ミュージック」の完全リバイバル版をみました。広いスクリーンで、ジュリー・アンドリウスの 歌をきいて改めて感激しました。DVDを買って自宅でみましたが、やはり感激は小さかったですね・・・。
 著者は、私とまったく同じ、団塊の世代です。宮崎駿・高畑勲の両監督と一緒にプロデューサーとしていくつもの映画をつくった人です。
 「風の谷のナウシカ」(よかったですね。腐海の虫たちって、ダンゴ虫たちそっくりですよね)、「天空の城ラピュタ」(気持ちよく空をかけめぐっていましたね)、「となりのトトロ」(メイもサツキも、もちろんトトロもかわいいですね。テーマソングを口ずさむと、心まで軽くなります)、「魔女の宅急便」(ホーキに乗って空を飛びます。『ハリーポッター』より身近なフツーの女の子という感じです)、「紅の豚」(男のロマンを感じましたね。いい意味の反戦映画です)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(都市化は自然破壊をすすめていることを分かりやすく伝えています)、「耳をすませば」(なつかしい、子ども心をとり戻しました)、「もののけ姫」(うーん、森の奥深いところにもこんな人間の営みがあったのですね・・・)、「千と千尋の神隠し」(発想がすごいですよね、さすがです)、「ハウルの動く城」(戦争と平和をこんな視点からも考えることができるんですね。すごいものです)。
 仕事は公私混同でやるべきだ。こんな言葉が出てきます。誤解を招きやすい言葉ですが、私もそのとおりだと思います。自分の性にあった、好きなことを仕事としてやりたいものです。それにしても著者は絵が描けるので、うらやましい限りです。
 雑誌はタイトルひとつで売れる。雑誌の特集タイトルは内容を端的に伝えるものでなくてはいけない。タイトル・ロゴとして読みやすいのは、明朝体とゴシック体だ。コピーも大切。
 「私は、もう一人の自分と旅に出る」
 「私はワタシと旅に出る」
 どっちがいいか歴然としています。すごいですね、さすがコピーライターです。
 言葉のマジックのようなものです。
 私は、これからも、せっせと時間をつくって、いい映画を広いスクリーンでたくさんみたいと思っています。

しのびよるネオ階級社会

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著者:林 信吾、出版社:平凡社新書
 イギリスは、まさに階級社会である。医師や弁護士、大企業のエグゼクティブや成功した芸術家はアッパー・ミドルクラス。ロンドン・キャブ(タクシー)の運転手はロウアー・ミドルクラスで、2階建てバスの運転手はワーキングクラス。
 パブの内側は2つに仕切られ、入口も2つある。労働者階級向けのバーは立ち飲みだが、中産階級向けには大きめのソファーが置かれている。
 ブルーカラーの賃金は週給で、ホワイトカラーは月給であった。労働者階級はタブロイド版の大衆紙しか読まない。中産階級の言葉は標準語だが、労働者階級は、スラング(俗語)が多く、出身地の訛り丸出しで、これでも同じ英語かと疑問に思うほど違っている。しかし、階級が異なると、相互に会話する機会もほとんどないので、不都合は起きない。
 鉄の女とも呼ばれたサッチャー元首相の父親は靴職人の息子として生まれ、食料品店に就職し、商売で成功して市議会議員になった。つまり、ワーキングクラスからロウアー・ミドルクラスへ成り上がった。その娘(二女)サッチャーはオックスフォード大学を卒業しているが、苦心して上流階級の話し方を身につけた。
 イギリスにおける階級社会の問題とは、経済格差よりも、むしろ教育環境の格差なのだ。このような格差が何世代にもわたって固定化されてきた結果、労働者階級の子弟はどうせ自分たちは、ビジネス・エリートなんかなれないんだから、勉強してもはじまらないというすり込みをされている。向上心を捨てて、物質的には最低限の生活だろうが、気楽に生きた方がいいと割り切ってしまうと、苦労して勉強する必要も、あくせく働く必要もなくなる。
 イギリスの公立学校のほとんどは午前中で授業をやめてしまう。サッチャー元首相は小学校のときから秀才で、グラマー・スクール(公立の進学校)を首席で卒業した。しかし、オックスフォード大学には補欠合格だった。これは、非上流階級出身者に対するハードルがそれほど高いということを意味している。たとえば、入試において、面接や作文を重視している。そのとき、たとえば「外国に行ったことがありますか」と訊かれて、「ない」と答えると「視野が狭い」と評価され、低い点数しかつけられない。
 これまでの日本の教育システムは機会平等、結果不平等であった。しかし、これは、イギリスのように機会の平等すら階級社会よりはましなのではないか。職人の子どもは職人になればいいじゃないかと決めつけるような社会はもっと間違っている。
 以上は著者の考えです。イギリスと日本の違いを改めて知らされました。そして機会の平等を保持することはやはり大切だと思ったことでした。

江戸城の宮廷政治

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著者:山本博文、出版社:講談社学術文庫
 熊本藩主の細川忠興が、その子、忠利と相互に送りあった書状が2900通ほど残っているそうです。このほか幕府の老中や旗本そして他大名などにあてた書状もふくめると1万通をこえます。
 この本は、その2900通の父子間の書状をもとに大名の生活の様子を紹介しています。
 たとえば父(忠興)は、子(忠利)に対して、島津殿とあまり仲のよさそうな様子を他人に見せてはいけない。互いに並の関係であるようにふるまえと忠告しています。
 島原の乱のとき、細川勢は奮闘していますが、それをねたむ勢力も多かったようです。ですから、父は子に対してあまり手柄話はするなといさめ、子は大いに不満を覚えました。
 大名同士の足のひっぱりあいが絶えずあったなかで、生き残るために卑屈なほど徳川将軍の意向を先まわりする必要があったのです。細川家は、そうやって江戸時代をしぶとく生き残りました。

日露戦争

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著者:軍事史学会、出版社:錦正社
 日本軍に捕虜となったロシア人は8万5千人をこえます。ロシアの捕虜となった日本人は2千人ほどでした。日本は、7万2千人ほどの捕虜を日本国内29ヶ所に分散して収容しました。大阪に2万2千人、千葉に1万5千人などです。久留米市内にも多数収容されました。日本は第二次大戦のときと違ってロシア人捕虜を厚遇したのですが、その有力な原因のひとつが外国の観戦武官や記者が多く従軍していたということにあります。つまり、虐待して国際社会に報道されることを恐れたのです。日本軍には英米仏などの将校30人が2班に分かれて従軍していました。第二次大戦では考えられないことだと思います。
 日露戦争の勝因のひとつに日清戦争の結果、日本が中国(清)から得た3億5千万円もの巨額の賠償金があげられています。当時の日本の一般会計の4倍にものぼる賠償金です。これで、日本は金本位制度へ移行することができましたし、軍備拡張に投入することができました。陸軍のために6千万円近くを、海軍のために1億4千万円ほどつかっています。これによって、日露開戦の4年前(1900年)に日本は陸軍を13個師団体制とし、海軍も6.6艦隊体制を確立し、十分な運用訓練時間を確保することができたのです。
 うーん、そうだったのか・・・、と思いました。
江戸城の宮廷政治
著者:山本博文、出版社:講談社学術文庫
 熊本藩主の細川忠興が、その子、忠利と相互に送りあった書状が2900通ほど残っているそうです。このほか幕府の老中や旗本そして他大名などにあてた書状もふくめると1万通をこえます。
 この本は、その2900通の父子間の書状をもとに大名の生活の様子を紹介しています。
 たとえば父(忠興)は、子(忠利)に対して、島津殿とあまり仲のよさそうな様子を他人に見せてはいけない。互いに並の関係であるようにふるまえと忠告しています。
 島原の乱のとき、細川勢は奮闘していますが、それをねたむ勢力も多かったようです。ですから、父は子に対してあまり手柄話はするなといさめ、子は大いに不満を覚えました。
 大名同士の足のひっぱりあいが絶えずあったなかで、生き残るために卑屈なほど徳川将軍の意向を先まわりする必要があったのです。細川家は、そうやって江戸時代をしぶとく生き残りました。

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