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ロストユニオンに挑む

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著者:戸塚章介、出版社:共同企画
 フランス労働運動から学ぶこと、というサブ・タイトルがついています。ご承知のとおり(と思いますが・・・)、フランスでは今も盛んにストライキがやられ、ときにはゼネスト(全国的な統一ストライキ)まで決行されます。日本のようにストライキが死語となってしまった国とは大違いです。そして、労働時間は週35時間、残業のないのがあたりまえの国です。フロシキ残業とかカローシ(過労死)とは無縁の国です。といっても、ニッサン(ルノー)のゴーン氏のようなひと握りの特権的エリートが猛烈に働くのは、日本と同じのようです。
 私の身近な話としては、私がフランス語を習っているフランス人は、自分の労働条件について日本の弁護士である私に相談するとき、日本では労働組合というのはまったくあてにならないようだが、フランスではそんなことはないし、労働者の権利を守るためにたたかうのは当然だ、黙っていたら権利は守られないと考えている、そこが日本人のメンタリティーとは全然違う、このようにしきりに強調していました。日本人の奥さんをもち、日本語を自在にあやつる人ですが、私はあくまでフランス人なんだと断言するのです。私は、権利の上に眠れる者は救われない、という法格言を思い出し、なんだか申し訳なく、かなり恥ずかしい思いをしました。
 そんなフランスでも、実は労働組合の組織率は8%となっています。イギリスの31%、ドイツの27%に比べてもかなり低いのです。その理由のひとつに、フランスに組合費のチェック・オフ制度がないことがあげられています。つまり、組合費の徴収は組合の手でなされるのです。私はいまNHKの受信料の支払いをやめていますが、誰だって意義を認めたくないお金は支払いたくないですよね。
 ストライキの盛んなフランスですが、それは労働組合の組織的行為ではなく、労働者個人を主体としています。ええーっ、ストライキって労働組合がやるんじゃないのか・・・と驚いてしまいました。もちろん、提起するのは労働組合です。ストライキ委員会が労働組合の違いをこえて組織されますが、これはあくまでも一時的な組織です。
 職場には労働組合が複数存在し、お互いに労働者の支持を競い合っています。2つある選挙が組合の支持率を明らかにします。従業員代表制度と労働審判制度です。労働審判制度は毎年16万件から19万件の申立があります。
 フランスの複数組合主義は既に長い歴史をもっています。これは、路線のちがいをお互いに認めあったうえで、対立はするが、相手の抹消は目ざさないというものです。
 日本のユニオン・ショップ協定は形骸化し、その本来の意味を喪っている。自動的に増えた組合員は組合の力にならなくなっている。
 著者はこのことを再三強調しています。日本の現状を見ると、まったく同感です。
 ニッサン労連の塩路一郎元会長のように経営(人事)にまで口を出し、労働組合の原点を忘れてしまった文字どおりの「ダラ幹」をうみ出している根源がそこにあります。
 ところで、この本では昭和30年代、40年代に、青年労働者の改革の息吹を当時の経営トップたちの度量のなさから弾圧していったことが、今の労働運動の低迷ひいては日本経済全体の混迷をもたらしたという趣旨の指摘がなされています。
 この点については、もちろん経営側からの反論も大いにありうるところでしょう。でも、いまのように職場に労働組合の姿が見えず、過労死やフロシキ残業が常態化していて、成果主義のかけ声のもとで、ますます個人の持ち味が圧殺されている現状は、大いに反省すべきだと思うのですが、いかがでしょうか・・・。
 ちなみに、旅行会社で働いている私の娘も長時間のサービス残業などでくたくたに疲れています。自分の健康を損なってまで会社に尽くす必要なんかない。そんな会社はさっさと辞めて、自分にあった仕事を早く探した方がいい。私は娘から相談を受けたときに、そう言いました。今の若者にとって、仕事がないか、過労死寸前まで酷使されるか、その両極端ばかりです。労働者の権利を守る砦としての労働組合の復活が日本の将来のためにも必要なのではないでしょうか・・・。

古代日本・文字の来た道

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著者:平川 南、出版社:大修館書店
 文字と漢字とは違うという、考えてみれば当たり前の違いを気づかされました。
 漢字は、中国のもっとも主要な民族である漢民族が話す言語を漢語といい、その漢語を表記するための文字なのである。
 漢字の直接の祖先は甲骨文字です。この甲骨文字は戦争とか農産物の出来具合を占うためのものだということは私も知っていました。しかし、単に占いのためだけなら、文字は不要です。占いの内容があたったかどうか、その結果を刻みこんだものが甲骨文字なのです。そして、この甲骨文字は今ではほとんど解読されています。
 甲骨文字は、むしろ占いの正しさを立証し、保存しておくためのものだったのです。一般の国民に読ませる文字ではありませんでした。文字の読者は神様であったのです。
 同じように、当時の青銅器(たとえば、紀元前1000年頃の殷・周時代)には、容器の内側に文字が記されています。したがって、文字の読者は生きた人間ではなく、神様とか祖先の霊魂だったのです。
 秦の始皇帝のころから、文字が不特定多数の人間に向けたものとして使われるようになりました。日本で文字をつかい始めたのは、2〜3世紀ころのことで、百済から日本列島に渡来してきた人たちの影響によると考えられています。文法として朝鮮語と日本語はまったく同じということです。しかし、高句麗と百済は扶与族で、母音で終わる言語をつかい、新羅は韓族で発音が子音で終わるという違いがあります。現代の韓国語は新羅語につながっています。
 日本の仮名のもとである万葉仮名は朝鮮半島の漢字の表音的な用法をまねして成立していきました。ところが、日本の読み方が、オからケに変わるという変化もあって、韓国語と違っていったのです。
 日本で本格的に漢字をつかい出したのは5世紀のこと。しかし、6世紀は空白の世紀を言われています。文献資料に乏しいのです。7世紀になると、大量の木簡もあって漢字が普及していることが分かります。
 また、木簡の材質が日本と韓国とではまったく異なるそうです。日本はヒノキが大半で、スギもいくらかありますが、韓国ではほとんどマツ。ちなみに、仏像の材質も日本はクスノキ、韓国はアカマツです。
 ところで、塩を波の花、すり鉢をあたり鉢と言いかえて、縁起をかつぐという話が紹介されています。私は知りませんでした。

阿部謹也自伝

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著者:阿部謹也、出版社:新潮社
 私が著者の本を最初に読んだのは、「ハーメルンの笛吹き男」(ちくま文庫)でしょう。中世ドイツの都市に生きる人々の姿が生き生きと描き出されており、一心に読みふけりました。「オイレンシュピーゲル」の話も面白く読みました。「中世の窓から」(朝日選書)など、ヨーロッパ中世の社会を知るにつれ、日本との異同をいろいろ考えさせられました。
 この本では、一橋大学の前学長として、国立大学が独立行政法人化するときの悩みや問題点などについても鋭い指摘がなされています。さすが歴史学者だけあって、それに至る状況が、ことこまかく分析的に語られています。
 ところで、著者が卒業論文のテーマ選択に迷っているとき、相談した恩師は次のように答えました。
 それをやらなければ生きてゆけないテーマを探せ。
 なんとすごい言葉でしょうか・・・。私にそんな研究テーマがあるのか、はたと考えてみました。私にとって、たったひとつ思いあたるものとして、大学一年生のときに出会った学生セツルメントがあります。これについては、私なりに研究し、なんとか成果を本にまとめてみたいと考えています(近く第1巻を出版する予定です)。
 著者がドイツに留学し、ハーメルンの笛吹き男の資料に関わるようになった経緯も明らかにされています。なかなか大変だったようです。
 ちなみに、ドイツには、「先日はありがとうございました」というようにさかのぼってお礼を言う習慣がないそうです。また、ヨーロッパには、「今後ともよろしくお願いします」という日本人の私たちがよくつかう言い方もありません。
 アフリカの人は、ひとたびしてもらったことについては、生涯、感謝し続けるので、一度でもありがとうと言ってしまえば、感謝の行為はそこで終わってしまう。だから、ありがとうと言わない。このようなことも紹介されています。
 一橋大学の学長として著者が取り組んだ問題のひとつに、1969年に結ばれた確認書を破棄することがありました。私たちが大学生としてストライキを含めて闘った成果の確認書ですが、今では実質を喪って単なる過去の証文になっていたうえ、桎梏にまでなっていたのです。残念というか、感慨無量というか・・・。
 私たちは1969年、大学運営に学生の声を反映させるよう求め、当局に大衆団交に応じることを認めさせました。当局との大衆団交というと、学生が何百人どころではなく、それこそ何千人と集まっていた当時の話です。ところが、時代は移り、今では、学生運動という言葉自体がほとんど死語になってしまっています。
 著者は、当時と今は違うんだと、次のように指摘しています。
 現在、大学生は同世代の人口の5割近くを占めている。それほどの数の学生が、大学教師になったエリートたちと同様の価値観をもっているはずがない。彼らは大学で教えられている教科がどのような価値をもっているのかを知らず、少なくとも自分は関係ないと思っている。大学における教養教育は、まずこのような学生を知ることから始めなければならない。彼らの1人1人が自分を発見し、社会のなかにおける自分の地位がわかるまで指導しなければならない。大学の構造が今では戦前とまったくちがっているのに、教師は今も自分が学んだ学問が誰にとっても価値があるものだと思いこみ、それを理解しない学生を馬鹿にしている。大学は、このような状態のなかで、確実に死にかけている。
 いやー、そうなんですねー・・・。そのように考えるべきなんですね。私たち先輩弁護士は、司法修習生に対しても同じように考えるべきだ。最近、そのように思うようになりました。

アフリカ発見

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著者:藤田みどり、出版社:岩波書店
 日本におけるアフリカ像の変遷というサブタイトルがついています。アフリカ「発見」とあり、発見にはカギカッコがついています。私は、この本を織田信長の側近にアフリカ黒人がいたことを紹介しているとの書評を見て買いました。なんと、あの本能寺の変のとき、信長と最後をともにしたらしいというのです・・・。
 黒人という言葉には、白人と違って差別のニュアンスがあります。でも、ここでは、あえて黒人という言葉をつかわせてもらいます。日本の文献にはじめて黒人が登場するのは「信長公記」だそうです。
 きりしたん国より黒坊主(くろぼうず)参り候。年の齢(ころ)26、7と見えたり。全身の黒きこと、牛の如し。この男、健やかに、器量なり。しかも、強力なこと、十人並以上(少し原文を変えてあります)。
 イタリア人巡察師ヴァリニャーノは従者として1人の黒人を連れていた。信長は噂を聞いて自分自身の目で確かめようと、本能寺に呼びつけた。黒人の肌の色が自然であって人工でないことが信じられなかった信長は、黒人に着物を脱がせ、その場で洗わせた。しかし、黒人の皮膚は白くなるどころか一層黒くなった。
 ヴァリニャーノにとって予想外だったのは、信長があまりにも黒人を気に入ったため、献上物に加えて、その黒人を手放さなければならなかったこと。
 この黒人は、モザンビーク生まれのアフリカ黒人であった。もとは喜望峰周辺の住人である。少しではあるが日本語を話し、多少の芸もできた。身長6尺2分。名前を彌助といった。彌助は本能寺で戦い、信長の死後に、信忠のいる二条城へ駆けつけ、最後まで果敢に戦った。光秀は殺さないでよいとした。しかし、その後の消息は不明である。
 豊臣秀吉も、肥前名護屋城でポルトガル人の連れてきたアフリカ黒人に会っている。あちらこちらに飛びはねる踊りで、爆笑の渦につつまれたという。
 安土桃山時代にある程度の人数の黒坊が日本にいたことは、南蛮屏風のなかに数多くの黒人が描かれていることで分かる。
 ところで、このころポルトガル国内に多数の日本人奴隷がいたといいます。ええーっと驚きました。ザビエルが鹿児島に到着した頃(1949年)、多くの日本人が奴隷として海外に売り渡されていたのです。ちっとも知りませんでした。ポルトガル人が、日本人を男は労働者として、女は売春婦として輸出していたのです。
 龍造寺隆信と有馬晴信との戦さでも1人のアフリカ黒人が有馬陣営の大砲の砲手として活躍して有馬側に勝利をもたらしたというのです。これまた大変おどろきました。
 世の中って、本当に知らないことって多いんですね。

腐蝕の王国

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著者:江上 剛、出版 銀行を舞台にした小説をこのところ何冊も読みました。この本も読み手をぐいぐい銀行の内幕に引っぱっていく力をもっています。さすがプロの筆力は違う、と唸りながら(妬みも感じながら)一気に読みすすめていきました。
 銀行内で順調に来た人間に対する嫉妬は並大抵ではない。一人落ちれば、一人上がるという社会だから。銀行は不祥事に備えて、警察官僚の退職者を顧問として雇っています。なにかのときに警察を抑えてもらうのです。警察は典型的なタテ社会だ。だから、元警視総監から依頼されて、断ることのできる地元署の署長など、いるわけがない。こう書かれています。きっと、そのとおりなんでしょう。
 不祥事のときの記者会見に、中途半端な知識でのぞむのは失敗のもと。記者会見はともかく時間が過ぎればいい。記者会見をやって頭を下げたことが重要なのだ。知らない、調査中だ。なんと言われようと、これで逃げ切る。記者会見の冒頭、8秒間、ゆっくり頭を下げる。声を出さずに、ゆっくり数を一、二、三、四・・・、八とかぞえるのだ。
 リーダーとは、人一倍欲のある人間だ。その欲を上手にコントロールできれば権力者になれる。しかし、欲を支配できなければ、滅びる。
 銀行は大蔵官僚の接待のためなら、予算の上限など気にせずにお金をつかう。一銀行で億単位だ。気をつかえばつかうほど、役人は喜び、便宜を図ってくれる。
 銀行の内側の雰囲気がよく出ている小説です。バブル時代に突進し、今では不良債権の処理に汲々としている様子がよく描かれています。そのあまりのおぞましさに、銀行なんかに勤めなくて良かった。そう思いながら、ほっとした思いで最終頁を閉じました。
社:小学館

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