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ジャンヌ・ダルク

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著者:高山一彦、出版社:岩波新書
 おけましておめでとうございます。本年も楽しみながら続けるつもりですので、どうぞご愛読ください。
 オルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクについて私たちが詳しく知ることができるのは、彼女が裁判にかけられ、何人もの証人が調べられて、それが書面で残っていることによります。しかも、その裁判は、実は2回あったのです。1回目は処刑されたときのことですが、処刑されたあと、彼女の復権(名誉回復)のための裁判がもう1回あっているのです。敵に捕まって、いきなり処刑されたというわけではありません。裁判があったというのは面白いことですよね。2回とも、いわゆる教会裁判です。1回目の処刑裁判は、ジャンヌ自身が追求に答えて語ったところが詳しく調書に記載されて残っています。
 2回目は、ジャンヌの母親がローマ教皇に訴えて、ジャンヌが火刑されて25年後に行われた「やり直し裁判」です。そこでは、故郷の幼なじみや、オルレアンでともに戦った戦友・市民たちなど、100人をこす人が証人として証言していますが、この記録も残っているのです。これが、ジャンヌ・ダルク処刑裁判記録として全2巻の大部な本になっているそうです。私たちは、その要点を岩波新書で簡単に知ることができるわけです。
 ジャンヌ・ダルク自身が剣をふるって敵と戦ったことはない。旗印しを好んで手にしていたのは、敵を傷つけないためとジャンヌ自身が法廷で供述している。
 ジャンヌ・ダルクが登場するのは、1429年春、4月29日のこと。ロワール川中流にあるオルレアンの町をイギリス軍が包囲して半年に及んでいました。
 ジャンヌの処刑裁判は、1431年2月21日午前8時から、ルーアン城内の国王礼拝堂を法廷として始まった。このとき、修道院長ら聖職者が42人出席している。
 ジャンヌの生まれたトンレミ村は現在、人口200人前後のささやかな集落。オルレアンの町の包囲が半年も続いて絶望状態と思われていたのに、ジャンヌの出現によって10日足らずで解放された。
 火刑を執行したイギリス側は、火刑の最中に火勢をいったん止めて、焼けた死体を見物人に示して、娘が死んだことを確認させ、遺骸の灰を残らずセーヌ川に捨てさせた。これは、当時すでにジャンヌを聖女視する風潮が大衆のあいだに芽生えていたことを物語るもので、イギリス側は、ジャンヌの遺骸が聖者の遺物として崇敬の対象となることを防ごうとした。
 1455年6月11日、オルレアンにいたジャンヌの母からの再審の訴えをローマ教皇カリクスト3世は認め、ジャンヌ復権の裁判が始まった。1456年7月7日、判決が下された。
 前の裁判と判決は名実ともに欺瞞、中傷、不正、矛盾、明確な過誤を犯すものであり、被告の改悛、その断罪および諸結果を含め、過去および現在にわたり無効であり、否認されるべきものであることを宣言する。
 国王による調査から数えると復権の成立まで7年の歳月をかけ、あらゆる階層にわたってのべ110名あまりの証人を調べた裁判の結果の判決でした。
 実は、ジャンヌ・ダルクの処刑裁判のとき、ジャンヌの改悛事件というのが起き、いったんは火刑を免れそうになったのです。破門判決文の朗読のさなかに火刑台を目の前にすえられて火刑の恐怖に怯え、自分が聴いたと称してきた「声」は作り話であったと否認し、男の服装も捨てると誓約したということです。ところが、数日後、牢内で誓約を破って再び男の服装を身につけたことから、ジャンヌは今度こそ救済の余地のない戻り異端として教会からの破門という判決を受け、火刑に処せられました。
 ジャンヌは火刑台の上で息絶えるまで、「イエズス様、イエズス様」と叫んでいたと後の復権裁判のとき、修道士たちが証言しています。
 この本は、ジャンヌの改悛なるものは、かなりの混乱のなかで、ほぼ強制的に行われたものだとしています。そして、裁判記録にも重大な書き換えがあると指摘しています。いわば今日にも見られるような政治的裁判劇であったということでしょう。
 人間ジャンヌの素顔を知ることのできる面白い本です。

亡国

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著者:平野貞夫、出版社:展望社
 小泉に踊らされてはならない。オビに大書きされている言葉です。本のサブ・タイトルには民衆狂乱し、「小泉ええじゃないか」ともあります。著者は最後は自民党から参議院議員となった人ですが、長く衆議院事務局の職員として働き、その後、園田直衆議院副議長の秘書として2年間、前尾繁三郎衆議院議長の秘書を4年つとめました。
 政界を引退した今、著者は次のように述懐しています。
 政治とともに馬齢を重ねた私にとって、政治は私の生きる証ではあったが、残念ながら生きる希望にはなりえなかった。
 若いとき、政治家とは心の底に憂国の思いを抱いている人たちではないのかと畏敬の念をいだいていた。しかし、現実に遭遇したのは、これが日本の政治家と我が目を疑うようなことばかりだった。
 あくなき権力闘争と金権政治の腐臭に満ちた国会内で、謀略と嘘で固めた国体政治の裏方として、長く働いてきた私は、ここに亡国のドラマを書きつづる。
 メディアを通じ、魔術師小泉が全身で演じた狂気の催眠術によって国民は洗脳されたのではないではないか。アメリカの投機資本の餌食になってはならないのだ。
 自民党をぶっ壊すと言って民衆の支持を受けた小泉純一郎が自民党を亡霊のようによみがえらせ、日本の国をぶっ壊すことになるとすれば、これは一大事である。
 ええじゃないか、ええじゃないかと踊り狂っているあいだに、私たちの国がどこに向かってすすんでいくのか、忘れ去ってはいけない。
 以下はこの本に書かれていることではありません。小泉・自民党が先の総選挙で大勝したのはメディアによる世論操作に成功したから。自民党は「コミュニケーション戦略チーム」(略称・コミ戦)をつくり、「コミ戦戦略統括委員会」をつくった。チームのメンバーは自民党職員で幹事長室長、自民党記者クラブ担当、政調会長秘書、広報本部長、遊説担当、情報調査局員、それに広告代理店「ブラップジャパン」(B社)の担当者。小泉政権は低IQ層への働きかけ」を具体的にすすめた。小泉政権が照準にした「低IQ層」とは、主婦層と子ども中心、シルバー層、具体的なことは分からないが小泉首相のキャラクターを支持する層、閣僚を支持する層で、平たくいうと、お上の言うことを疑いもせずに信じ、従順に従う層だ。
 テレビ局を味方につけ、ターゲットにされた「低いIQ層」はそれまでの棄権から投票へ駆り立てられた。小泉劇場効果で若者を中心に投票率は7%上がり、そのほとんどが自民党に投票した。フリーターやニートたちが、生活は今は苦しいが、小泉改革で、将来はきっと生活を楽にしてくれると考えて自民党に入れた。また、コミ戦は、候補者には郵政しかしゃべらせなかった。有権者はみんな見事にひっかかった。
 うーん、このように言われてしまうと、本当に嫌になってしまいます。若者よ、しっかりせよ、そう簡単に騙されるなよ。自分を苦しめているものの正体を見破り、怒りをもって批判しよう。こう呼びかけたい気分です。

黄金国家

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著者:保立道久、出版社:青木書店
 太宰府に流され、怨みのうちに死んだといわれる学問の神様・菅原道真を取り巻く当時の社会状況を、この本を読んではじめて知りました。
 菅原道真は対外関係に対処するための有能な官僚と認められ、出世していった。895年(寛平7年)には、東宮大夫の藤原時平にならぶ異例の権大夫に任命され、897年(寛平9年)、醍醐天皇が即位すると、藤原時平とならんで補佐する位置についた。900年(昌泰3年)、宇多上皇の息子・斉世親王と道真の娘のあいだに宇多の初孫が生まれるや、王位をめぐる争闘に巻きこまれ、醍醐天皇の側が警戒して太宰府に流された。そこで怨みをのんで死去することになる。宇多天皇と次の醍醐天皇という父子関係の矛盾に悩まされていたわけである。
 このころ、朝鮮半島から新羅が日本に来襲するという危惧が高まっていた。朝鮮半島では、当時、後三国の内乱といわれる本格的な内乱の時代が到来していた。新羅からの日本来襲は893年(寛平5年)から翌年にかけて急に激化した。肥後国松浦郡に新羅の賊が来襲し、翌月には肥後国にまで押し寄せた。奈良時代以来はじめて、西国における明瞭な戦争状態が現出した。894年には対馬へ、新羅から大将軍3人、副将軍11人、大小船百艘、乗人2500という大軍が侵攻してきた。
 この状況で、宇多天皇は菅原道真を大使とする遣唐使を発表した。まもなく、それは取り消されてしまった。やがて(907年)、唐は崩壊する。道真が死んで4年後のことである。
 菅原道真が死んだあと、朝廷に不幸が連続した。まず醍醐天皇の皇太子が21歳で死去(923年)。すぐに道真左遷の詔書を取り消し、右大臣に復し、正二位を追贈した。ところが、925年に代わった皇太子も5歳で死亡。930年に、清涼殿に落雷し、そのショックから醍醐天皇は病気となって、3ヶ月後に死去した。
 菅原道真が朝廷で活躍していた当時、朝鮮半島も中国も大きくゆれ動いていたのでした。そのなかで外交手腕を発揮した有力官僚としてメキメキ出世していったということを初めて知ったというわけです。
 ところで、この本の表題である黄金国家というのは、8世紀初めまでは日本にとっては新羅こそ黄金の国であったが、陸奥に金が発見されてから、日本は一転して新羅の商人の中継なしに、直接に唐の海商を相手に豊かな黄金を支出するようになったということです。
 まだまだ日本史にも知らないことがいっぱいあると、つくづく思ったことでした。

人類の月面着陸はあったんだ論

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著者:山本 弘、出版社:楽工社
 前に、月面映像は実は地上で撮影されたもので、アポロは月面着陸なんかしていなかったという本(「人類の月面着陸は無かった論」)を紹介したことがあります。それがとんでもない間違いだということを論証した本です。
 前に書いたとき、トラックバックでとんでもないことなんだという批判を受けて、およそ分かっていましたが、この本を読むと、なるほどなるほど、とよく分かりました。まあ、それにしても副島隆彦という人物は、本当にとんでもない人なんですね。うかつに信じてしまった私もバカでしたが・・・。朝日新聞の本だということで信じたのもうかつでした。
 大気がないはずの月面で旗がはためいているのはおかしい。・・・この旗は、はためいているように見えるように作られたもの。布の中にワイヤーを入れてはためいているように見せかける。旗がダラーンとたれてしまっては、アメリカにとってカッコつかないので工夫したのだ。
 月面でとった写真のバックに星がうつっていないのはおかしい。・・・月をとったときは昼間だったから地面は明るい。空は大気がないので昼間でも暗い。だから、星がうつっていないのはあたりまえ。地域の昼間の空が青いのは、空気分子が太陽光線中の青い成分を散乱しているため。これをレイリー散乱という。月には空気がないので、レイリー散乱はないから、月の空は昼間でも暗い。
 宇宙飛行士が月に行く途中で浴びる放射線に耐えられたわけがない。・・・たしかに放射線を浴びるので危険はあるけれど、すぐに人間が死んでしまうほどのものではない。
 月面での砂ぼこりの立ち方がヘンだ。・・・真空なので、砂ぼこりは、放物線を描いて落下してしまうだけ。
 超高温の月で宇宙飛行士が生きていられるわけがない。・・・月面の最高温度は120度Cで、夜の最低温度はマイナス160度Cほど。月には大気がないので、気温もない。熱いのは月面だけ。だから直接ふれている宇宙飛行士の足の裏だけを保護すればいい。実は、飛行士にとって危険なのは外部からの熱ではなく、宇宙服の中に熱がこもって異常に上昇してしまえば人間は死んでしまう。そこで、液冷却の下着を着て、温度の上昇を防いでいる。
 そうなのかー、そんなに簡単に大勢の人をだませるようなことではなかったのかー・・・。そう言われたら、そうなんだよな。ひとり納得しました。それにしても、その後、月面に行くという話がなくなって、近くのイラクへ攻めこんで大勢の市民を殺してしまっているアメリカって、本当に変な国です。そんな国とばかり仲良くして世界から孤立する道を歩いている日本政府(小泉首相)って、やっぱりおかしいですよね。こっちの方は層簡単には騙されないぞ、と思っています。

文字の歴史

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著者:スティーブン・ロジャー・フィッシャー、出版社:研究社
 インカ帝国のキープ、エジプトのヒエログリフ、アメリカのマヤ文字などは有名ですが、それ以外にも古今東西、いろんな文字があります。その全体を概観できます。漢字を基調とする日本語とアルファベットを見慣れたものからすると、アラビア文字などは難しくてとても判読困難だと思うのですが、子どもでも読み書きしているわけですから、要するに慣れの問題なのでしょうね。
 日本語は世界でも難しい言葉のひとつだと、この本でも書かれています。
 日本語が実際、世界でもっとも習得困難な表記法であることに異論はないはずで、歴史上もっとも複雑な表記法であるという主張も、まったく正当であろう。しかし、日本の文字表記は完全に習得可能であるばかりか、明らかに成功であった。何世紀にもわたってこの表記システムを使ってきた日本人は、高い読み書き能力をもち、繁栄を築いてきた。きわめて豊かな文学の伝統ももっている。世界一の識字率を誇り、出版物の一人あたりの購入数は世界一である。一部の科学者は、日本人は複雑な文字をつかうために脳を余計に働かせることになり、そのために文字と直接関係のない分野においても秀でる人もいるのではないかとさえ言われている。
 日本人の頭は表意式の漢字かなまじりの文章を読んで話すように脳が機能するようになっているため、表音式の外国語の習得が難しいという学説があります。脳の働く分野が異なるからです。私はその信奉者です。何年たってもフランス語をうまく話せないからです。
 この本には言語と文字の将来予測も書かれています。現在、世界全体でつかわれている言語は約4000。100年後には、おそらく1000言語だけになるだろう。
 パソコンがつかわれるようになって、多くの人が話しことばより書きことばをキーボードにうちこんで過ごすようになった。未来には書くという行為はなくなるかもしれないと考えている人がいる。コンピューターの音声認識システムが書くのに取って代わり、読むにしてもコンピューターの音声応答システムが完成すれば消えるかもしれないというのだ。
 しかし、今後、何世紀たっても、ものを読んだり書いたりすることから得られる利益と喜びは、コンピューターの音声認識システムの比ではないだろう。というのも、書くという行為は、読み書きできる文化のほんどに内在するからである。どこの現代社会でも、人間の相互作用のほとんどは、あらゆる面で書きことばに依存している。25世紀の宇宙船の司令官は、宇宙船のメイン・コンピューターとの交信を音声指令や音声応答に依存するようになるのかもしれない。仮にそうなったとしても、自分の個室では、今日われわれが読んでいるのと代わらない、ホイットマンや芭蕉、あるいはセルバンテスの本を読んで楽しんでいるのではないだろうか。
 将来、文字がどんな形になろうとも、それは依然として、人類が経験したり、能力を得たり、記憶したりするのに中心的な役割を果たし続けるだろう。一人のエジプト人書記官は4000年前にインクで次のように書いた。
 1人の人間が死に、その肉体は土にかえった。彼の親族たちもみな土になった。彼を思い出させるのは文字である。
 私もまったく同感です。だから、これからも私は手で書き続けます。

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