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宮廷料理人アントナン・カレーム

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著者:イアン・ケリー、出版社:ランダムハウス講談社
 お正月にお餅を食べ過ぎたわけでは決してありませんが、またまた少し太ってしまいました。これまで、あと3キロ減量が必要だと言ってきましたが、これで5キロ減量を余儀なくされました。でも、これってホント難しいんですよね。お正月に食べたお餅は、お雑煮に入った1個と夕方のアンコロ餅の1個のみです。あっ、2日にも1個だけ食べました。3日目からは、いつものように朝食はニンジン・リンゴジュースだけです、いつも1日2食です。だから、貴重な2食を大切にしています。マックやケンタ、そして牛丼なんかの有害ファーストフードとは無縁の生活です。いえいえ、それどころか美食についての本をすこぶる愛好しています。
 この本はフランス革命のころ、フランス料理にも革命をもたらしたと言われているアントナン・カレームの一生をたどったものです。カレームは、なんと、親に捨てられた子どもでした。それなのに、王様のシェフであり、シェフたちの王様にまでのぼりつめたのです。それだけでも、たいした人物です。カレームには、24人もの兄弟がいて、16番目の子どもだったといいます。本当でしょうか・・・。
 父親はカレームを捨てるとき、次のように言ったそうです。
 いまの世の中、根性さえあれば、運をつかんで、出世できるってもんだ。そして、おまえにはその根性がある。あばよ、坊主。神様からもらったものを持って、行っちまいな。
 幸運にも、10歳のカレームは、ひとりの料理人に拾われました。革命前、パリのレストランでは食事ができませんでした。レストランが出すのはブイヨンやポタージュなどのスープだけ。当時のスープとは、流行に敏感な人たちが、いい気持ちになったり、呼吸器の病気を和らげるために飲むものだった。かつてのコーヒーと同じ役割だ。レストランとは、文字どおり健康を回復するために行くところだった。
 ナポレオンは食べ物に興味がないことで有名だった。公式の席で食事することを好まず、皇后ジョセフィーヌも公式の晩餐会を嫌っていた。歯並びの悪い口元を隠したがっていたから。したがって、カレームは、ナポレオンのシェフをつとめたことは一度もない。
 カレームはタレーランそしてイギリス皇太子のお抱え料理人ではありました。そして、大富豪ロスチャイルド夫妻の料理人に就任したのです。カレームを抱えたことで、ロスチャイルド夫妻は新興ブルジョア上流社会に次第に受け入れられ、支配すらするようになった。最高の料理は、最高の芸術と同様に、金銭で購うことができる。
 ただ、カレームは50歳で亡くなっています。料理人は、たいてい地下で職業人生を送る。昼なお薄暗い照明が視力を弱め、蒸気とすきま風がリューマチを悪化させ、料理人の人生は悲惨なものになる。胸に吸い込むのは木炭の煙と蒸気ばかり。そう、それがシェフの人生なのだ。うーん、ホントに悲惨ですよね。
 カレームは、図書館にこもる熱心な読書家でもありました。だから、たくさんのレシピを残し、本として出版することができたのです。この本には、そのレシピとあわせて、カレーム自身が描いた料理の壮大な盛りつけの絵も紹介されています。
 ああ、こんな美食を前にして、明日からどうやってダイエットしよう・・・。

光の国・インド再発見

カテゴリー:未分類

著者:我妻和男、出版社:麗澤大学出版会
 10億をこえる人口をもつインドには、少なく見積もっても300の言語があります。紙幣で100ルピーと表示するのにも、15言語で書かれているのです。他の州に行けば、ほとんど字が読めません。それでもインドの識字率はインド全体で65%。男性75%、女性54%ですから、高いというべきでしょう。
 インドの人口は本当は11億人ではないかと噂されています。あと20年もすれば中国を抜いて世界第1位になることでしょう。
 有名なマハトマ・カンジー(この本では、ガーンディー)についても紹介があります。ガーンディーとは、香辛料を商う人という意味だそうです。ガーンディーの祖父から3代にわたって藩王国のディーワーン職をつとめていました。ディーワーンというのは首相とか総理大臣と訳されていますが、誤解を招きやすい。民事事件の調査、治水工事の監督などを職務とする役職の名前でした。
 インダス文明は紀元前2500年をはさんで前後1000年ほどのあいだに栄えた古代文明です。その最大の特徴は、軍事力を背景とした王が存在しないということだそうです。えーっ、それでどうやって国を統治していたのでしょうか・・・。インダス文字が解読されていないため、その全貌は不明のままだということです。
 ゴータマ・ブッダは、憎しみをもって憎しみに報ずれば、憎しみは絶えることがないと説きました。かつブッシュによくよく叩きこみたい言葉です。
 インドといえば、なんと言っても映画でしょう。年間につくられる映画がコンスタントに800本、2001年には、なんと1013本もつくられたそうです。アメリカが400本、日本は300本というのですから、ケタ違いの多さです。インドではアメリカ(ハリウッド)映画よりも自国の映画が好きです。
 インド映画は「踊るマハラジャ」のように、途中で必ず歌と踊りがはいります。例外的に入っていないのもありますが、観客は歌と踊りの入っているのを圧倒的に好むのです。上映時間も3時間というように長く、途中で休憩が入るのです。観客は映画を見ながら泣き、笑い、そして歌をうたって、踊り狂います。ちょっと日本とは違いますね。
 インドは貧富の格差が大きい国として知られていますが、統計のうえでは、ブラジル31.5倍、メキシコ19.3倍、中国10.7倍、アメリカ8.4倍に比べて4.7倍と、格差はそれほど大きいものではありません。ちなみに、日本は3.4倍です。経済の発展にともなって所得格差が縮小している現実があるのです。ちょっと不思議ですよね。
 インドでは日本のカラオケははやっていません。他人(ひと)の前で歌をうたうのは乞食のカーストのやることという心理的抵抗感が強いからです。
 言ってみたいなという気持ちも少しはあるのですが、なにしろ遠くて・・・と思っているところです。

いま問いなおす「自己責任論」

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著者:イラクから帰国された5人をサポートする会、出版社:新曜社
 評論家の大宅映子は次のように語りました。
 人質家族の「自衛隊は撤退しろ」や当事者の「またイラクで活動したい」発言には呆れてしまう。退避勧告を無視して事件を起こした責任を、まずはしっかり認めるべきだ。こうした事件のように、自己責任でやれることを何でも国のせいにしていると、国は非難される前に規制をたくさんつくって、今以上に国民をがんじがらめにしてしまう。
 アメリカのパウエル国務長官(当時)は、インタビューで次のように発言しました。
 誰もリスクを引き受けようとしなかったら、私たちには前進はなくなる。私は、あの日本市民たちが、より大いなる善のため、よりよき目的のために、すすんで自分の身を危険のなかに置いたことを嬉しく思っている。日本の人たちは、こういう人たちがすすんでああいう行動をとったことを誇りに思うべきだ。
 どうでしょうか。イラク侵略の張本人であるアメリカの支配者のなかにも、こういう考えを表明する人がいるのです。それに比べると、大宅映子の発言はいかにも安っぽいものに思えてなりません。まさしく小泉好みの御用評論家ではないでしょうか。
 いかなる思想の持ち主だろうが、国民保護は政府の義務のはずだ。論者は強調しています。私も、まったく同感です。小泉首相を支持する人間だけが日本人ではないし、小泉支持者だけが政府に税金を納めているのではないのです。小泉をいまの日本で最大の危険人物とみている私も、それなりに税金をおさめています。
 昔から日本人は世界各地の危険なところへ進出していったことで有名です。それなのに政府の退避勧告を無視したら、あとは何も言えなくなるなんて、とんでもありません。それに、だいいち、自衛隊は「安全な」サマワに行っているというのが政府の建て前なのではありませんか。しかも、イラクのサマワで給水活動にあたっているフランスのNGOに対しては、日本政府は、給水車35台分のレンタル料35万ドルについて、無償資金協力をしています。つまり、日本政府はフランス人がボランティア活動するのはいいけれど、日本人の民間ボランティアが活動するのは困るというのです。まるで筋が通りません。
 読売新聞は社説で人質になった3人とその家族を次のように攻撃しました。
 3人は事件に巻きこまれたのではなく、自ら危険な地域に飛びこみ、今回の事件を招いたのである。自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である。
 人質の家族の言動についてもいささか疑問がある。記者会見で公然と自衛隊の撤退を求めていることだ。武装グループの脅しに屈し、政府の重要政策の変更まで求めることが、適切といえるだろうか。
 えーっ、と驚いてしまいました。そんなことを言う資格がいったいに読売新聞あるのでしょうか。サマワで自衛隊を取材していた記者は全員撤退しました。もちろん読売の記者もです。そして、それは、政府の費用負担だったのです。そもそもサマワで自衛隊がしているのは何なのか、日本のジャーナリストは本当のことを現地からまったく伝えていません。いえ、伝える努力すらしていないのです。政府が退避勧告したから、それに従っているというのでしょう。しかし、その後もフリーのジャーナリストはイラクへ何度も出かけているではありませんか。私たちはそれによってイラクの現実を知っているのです。
 3人が解放される前、公明党幹部が記者団に次のように語ったそうです。
 3人が解放されて、帰国後にヒーロー、ヒロイン扱いされ、自衛隊撤退を訴えられたら厄介だ。
 つまり、3人が解放されて、自衛隊撤退を求める世論が高まるのを恐れ、その前に3人を叩きのめしてしまったというわけです。恐るべき世論操作です。
 それにしても、3人叩きに乗せられた日本人が多かったということは、今の日本社会の底流にドス黒い怨念がドロドロうずくまっている。そんな感じがしてなりません。いかにも冷え冷えとした思いに駆られてしまいます。

マルクスだったらこう考える

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著者:的場昭弘、出版社:光文社新書
 私が大学生のころはマルクスやエンゲルスそしてレーニンの本を読むのはあたりまえの雰囲気でした。私も結構読みました。哲学の話にはとても難解なところがたくさんありましたが、それでも目をはっと大きく開かせるような視点があって、本当に勉強になりました。今でも当時読んだ本は、文庫版がほとんどですが、書斎に置いてあります。
 ところが、今やマルクスなんて話題にものぼらなくなりました。この本によると、大学の経済学部にマルクス経済学がなくなっているのは当然のこと、大学内でもマルクス主義を信奉しているなどと人前で口にするのもはばかられるというのです。えーっ、本当にそうなんでしょうか。実社会はともかく、学問の社会では存在してよいと思うのですが・・・。最近のイギリスの調査では20世紀の偉人のトップに多くの人がマルクスをあげたそうです。
 最近ではアメリカ資本主義だとか、アメリカ帝国主義という言葉まで口にすることがはばかられるようになっている。かわって、アメリカ民主主義、アメリカ自由主義と言わなければならない。なるほど、マスコミの報道はたしかにそうなっていますよね。でも、かつてのベトナム侵略戦争と同じことを今、現にイラク侵略戦争をアメリカはした(している)わけです。それも大義も根拠もなく、ただ石油利権の支配を求めてしたことが明白となったわけですから、アメリカ帝国主義と呼んで何が悪いのでしょうか。
 著者は、資本のグローバリゼーションが進行する今、それに対する抵抗戦線としてマルクス思想を再構築する必要があると訴えています。なぜか? それは、資本のグローバリゼーションこそ、私たちをとことん貧困にし、かつ非人間的な存在にするものだから。貧富の二極化傾向は、国家や民族をこえて、世界的規模で促進されつつある。市場原理の進行によって、こうした現象が水面下ですすんでいる。
 たとえば、教育システムの有償化。国公立大学の行政法人化、私立大学の助成金の削減は、教育の分野にも市場原理が導入されたことを意味している。教育レベルが将来の所得を決定するとすれば、こうした社会は両極分化を加速させていることになる。
 私は、このくだりを読んで、北欧の国々では大学の授業料が無償であり、学生には手厚い奨学金制度が完備しているということを思い出しました。日本は、まさにアメリカのように逆行した道を突きすすんでいます。
 教育は社会の義務である。子どもは最初から集団のなかで教育を受けなければならない。
 巨大資本は巨大メディアを傘下におくことで、あらゆる運動に対してメディアをつかったコントロール戦略をとっている。資本が多部門を吸収しつつあるのに、資本に対抗するはずの労働組合が単一部門の中に引きこもるというのは、実に奇妙なことだ。
 若者たちが大学で英会話や会計学、コンピューターなどの実務教育を受けている。しかし、このような実務教育は、就職にすぐに役に立つスキルではあるかもしれないが、学ぶべきものを学ばないことになる。ちゃんとした経済学や哲学を学ばなかったことから、若者たちは自分たちがフリーター予備軍として取り扱われていたのだということを自覚できないようになっている。これは、大学が社会に対する批判の目を養うための教育を放棄することで、体制に唯々諾々(いいだくだく)と従う労働者をつくり出すシステムになっている。
 福祉に投入されているのは、税金という形をとった集合労働の成果だ。だからこそ、福祉は当然の権利なのだ。
 賃金は本来みんなのもの。だから、福祉の切り捨てなどあってはならない。働かない者を働ける者が助けるというのは、何も人間社会に限った話ではなく、動物社会でも広く見られる。自然の摂理なのだ。それなのに、高度に成長した人間文明にあって、逆に福祉が減少していくとは、いったいどういうことなのか・・・。
 著者の考えには賛同できないところもありますが、結論として力説しているところには、心から同感します。今こそマルクスの見直しが必要だと私は思います。他者を排除するのではなく、福祉を大切にする社会をつくりあげていきたいものです。今のような弱いものに冷たい日本だと、出生率が落ちて2200年には日本人は700万人しかおらず、いずれ消滅するという予測が出ているではありませんか・・・。今こそ考え直すべきときです。今なら、まだ間に合います。

アラン・デュカス

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著者:小椋三嘉、出版社:新潮社
 フランス料理の有名シェフの素敵なレストランとご馳走を紹介した大判の写真集です。私は1ヶ月間ほど、寝る前の10分間、この本を手にとって燦々と陽のさす南フランスの開けた野山を前にしたテラス・レストランで手のかかった料理を美味しくいただいている姿をしっかり目に焼きつけて布団に入っていました。これで幸せな眠りが保障されるのです。3800円もする高い本ですが、1ヶ月ほども美食を目で堪能できたわけですので、それを考えたら安すぎて申し訳ないほどです。でも、一度は現地のホテルに出かけてみたいと本気で思っています。
 道路の両側にはオリーブの木が育ち、ラベンダーの花が咲き誇っている。あたりにはハーブのにおいが立ちこめる。観賞のためではなく、レストランでつかう自家製オリーブオイルやラベンダーエッセンスになる。レストランの周囲にある広々とした庭には、鹿や馬やロバなどが飼育され、手入れの行き届いた菜園には、トマトやナス、ニンジン、ジャガイモといった見慣れた野菜から、ハーブや薬草、今は市場から消えてしまった珍しい品種まで、さまざまな種類の野菜や果物が育つ。バジルだけで15種類、トマトになると35種類もの品種がある。そのほかバラ園をはじめ、観賞用の花などを楽しむこともできる。
 夏には、はるか遠くの山まで見渡すことのできるテラスで、その雄大な景観を眺めながら食事が楽しめる。
 秋は、何と言ってもジビエ料理。そのなかでも小鳩は比較的くせがなく、食べやすい。小鳩のもも肉をココット鍋で焼いてから、オーヴンで火を通す。そこへニンジン、新タマネギを入れ、再びオーヴンへ。フォアグラの両面を軽く焼いた後は、その旨みと香りをグリーンピースに移しながら炒め、鶏のフォンで煮る。別々に調理した食材をココット鍋に戻して完成。
 黄金色に焼きあがった小鳩のもも肉と、今にもとろけ出しそうなフォアグラが陶器製の鍋にすわり食欲をそそります。ニンジン、タマネギ、グリーンピースなど野菜もたっぷり。ああ、おいしそう・・・。
 もうひとつだけ料理を紹介します。あっと驚きました。巨大なフォアグラが丸ごとこんがり黄金色に焼きあがり、黒コショウと白い食塩が美しさを引きたて、もちろん食欲もかきたてています。
 丸のままで500グラムほどもある鴨のフォアグラをポワレして表面に焼き色をつける。それから200度のオーヴンで7分間。イチジクを24時間つけ込んだポルト酒を、イチジクごとポワレで煮詰めながらとろみを出したソースをかける。仕上げにフルール・ド・セル(塩)と黒コショウを振ってサービスする。口の中でとろりとしたフォアグラとポルト酒づけのイチジクの甘みが官能的に溶けあったところに、カリカリとした塩とコショウが食感と味わいにパンチを利かせる。
 あー、もうたまんないですね。見るたびに口のなかによだれがたまってきます。うーむ、食べてみたい。そんな叫びをあげてしまいました。ナイフを入れると、トロトロのフォアグラが溶けだし、鼻腔の奥まで芳しい香りが届きます。ああ、なんと頭がクラクラしてきます。だ液がたまってきて、そっと舌の上に乗せます。うーむ、舌になじむ・・・。至福のとき。赤ワインはほんの少しでいいのです。でも、これだと、やっぱり、グラス3杯は軽くいってしまうでしょうね。でも、それだけでいいのです。舌がバカになってしまっては、せっかくの料理の良さが分かりませんからね。
 南フランスはいいですよ。ぜひ、もう一度行ってみたいですね。なにしろ、夏は夜10時近くまで明るいんです。そのうえ、めったに雨が降らないのです。ですから、観光客として、こんなに過ごしやすいところはありません。エクサンプロヴァンスに4週間滞在したのも、今から13年も前のことになりました。また行きたいと本当に思っているのです。はい。ご一緒にいかがですか・・・。

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