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戦後裁判史断章

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著者:竹澤哲夫、出版社光陽出版社
 著者は私の尊敬する弁護士の一人です。何度も講演をお聞きする機会がありましたが、いつも謙虚そのもので、真に才能があって、優れた実績のある人は違うなとそのたびに感服させられました。
 弁護士生活55年をふり返り、これだけの本が書けるというのは、本当にすごいことです。私も、これで弁護士生活は32年目になっていますが、質量ともに、著者の足もとにも及びません。
 まずは軍事裁判です。いま、裁判員裁判によって連日開廷が実現しそうになっていますが、終戦後のアメリカ軍による軍事裁判は週3日開廷、期日変更を許さない午前9時から午後3時までの審理でした。これは大変なことです。しかも被告人が18人(朝鮮人16人、日本人2人)もいたというのですから・・・。
 軍事裁判は警視庁の5階で開かれた。連合国の旗を背景とするものの、裁判官も検察官も警備のMPも制服の米軍人だった。布施辰治弁護士が審理の冒頭で、「少なくとも朝鮮へ行ってきた裁判官は朝鮮人を裁判する裁判所を構成する資格はない。裁判の公正を期するが故に質問する」と前置きし、5人の米軍人裁判官ひとりひとりに対して「朝鮮へ渡って戦争に参加したことはないか」と質問した。その結果、2人が朝鮮での戦闘参加を認めて裁判官席から去った。これは、朝鮮戦争のさなかのことであり、朝鮮人に対して米軍はあたかも捕虜に対するようなさっきがちらついていた状況下のこと。南への強制送還は死を意味していた。何か戦場の延長のような一面をもった雰囲気のなかでの布施弁護士の、何ものにも臆しない、道理をつくした申立に強い感銘を受けた。
 私は、この文章を読んで、本当に腰が抜けるほど驚いてしまいました。裁判官に向かって堂々と質問したこと、その結果、2人も裁判官が交代したなんて、とても信じられないことです。
 騒擾事件として有名な平(たいら)事件の場合は、1951年秋から、毎週月火の2開廷を3週間続けて1週休み、月に6開廷のペースで3年続けたそうです。被告人は、なんと150人あまり。一審判決は全員無罪となりましたが、控訴審は逆転有罪となり、上告審は弁論はあったものの、上告棄却の判決でした。
 平事件では、裁判所は平事件専門の部を構成しているから月8回開廷するという方針を変えようとしない。しかし、それでは被告人は生活ができない。裁判をそんなに頻繁に強行するのなら日当を出せと要求した。弁護人はそれはいくらなんでも・・・と絶句してしまう。
 生活が苦しくて法廷に出られないという被告の訴えは、結局、裁判における当事者の対等を奪い、それは裁判の公開をも奪う。だから、当事者の対等を維持して公正な裁判をするには、月8回開廷というのは裁判所が間違っているという主張なのだ。先輩の岡林・大塚弁護士から指摘された。
 裁判所もやがて徐々に被告らの真意や実態を理解するようになった。被告に日当を出せ、という切実な訴えは、裁判所が失対当局に裁判日当も日給を支給してほしいという行政的解決をもたらした。うーん、そんなこともあるんですね・・・。まったく考えられもしない発想です。
 法廷において、弁護士同士のあいだには、経歴の新旧、長幼序はない。弁護人として公判にのぞむからには、それぞれが被告に対し、大衆に対し、たたかいの全体に対して責任をもつとともに奮闘するのだ。個人プレーは無縁だ。
 著者はいくつもの再審無罪事件に深く関わっています。財田川事件というものがありました。そのなかに被告人の捜査段階の「自白」のなかに、「百円札80枚を逮捕されて押送途中に気づかれないようにポケットから取り出し自動車の外に投げ捨てた」というのがあったそうです。同乗警官が7人も8人もいるのに、札束を投げたのに気がつかなかったなんて、そんなバカな・・・、と思いました。でも、それで自白調書として堂々と通用していたというのですから、驚きです。
 刑事弁護人の心構えとして、著者は先輩弁護士の話を引いています。テクニック以前の問題として情熱だ。この被告人がもし自分の兄弟だったら、自分の子どもだったらと考える。そうすると、情熱が湧いてくる。なるほど、ですね・・・。
 徳島事件について、警察は一貫して外部犯行説であったのに、検察庁だけが妻であった冨士茂子さんを犯人として起訴した。実の娘も外部犯行説を裏づける証言をした。そして、母親とずっと一緒に生活していた。母親が「父親を殺した」のなら一緒に生活なんてできるはずがない。そして、その娘は、「私は裁判というもの信じていません」と証言し、再審には加わらなかった。徹底した裁判所不信を植えつけてしまった・・・。
 いろいろ本当に学ぶところの大きい本でした。多くの弁護士に読まれることを願います。

生物時計はなぜリズムを刻むのか

カテゴリー:未分類

著者:ラッセル・フォスター、出版社:日経BP社
 ヒトは、時計をもたずに暗い洞窟に入り、日光の届かない状態で数日過ごすと、遠い昔の生活パターンに戻る。時間を知る手がかりを失うと、ヒトのリズムは外界から徐々にずれていく。
 地球上の時間が体内の時間に正しく反映されるよう、生物時計は毎日の日の出と日没によってリセットされる。ちょうど、テレビやラジオの電波をつかって原子時計の正確な振動に腕時計をあわせるのと似ている。このたとえは、今や古くなってしまいました。私も、安い電子時計をもっています(もらいものです)。衛星から送られてくる電波によって、自動的に時刻を自分であわせる仕掛けになっています。
 機械式時計が地球上にあらわれたのは1300年ころのこと。花時計の方は1751年にできた。オニタビラコとタンポポの花が、毎日誤差30分以内の周期で開いたり閉じたりすることに目をつけて、オトギリソウ、マリーゴールド、スイレンなどを円形に植えてつくったもの。たとえば、ミモザも暗いところに置いても、その葉は、まるで昼夜が分かっているかのように周期的に開いたり、閉じたりする。
 ゴキブリも、暗いなかにおいても、およそ24時間ごとの2〜3時間に活動を集中させる。自分のなかで昼と夜を区別している。
 ハチの「8の字ダンス」は有名です。今ではハチの一匹一匹に小さなバーコードをつけ、巣箱を出入りしたらレーザースキャナーで個体を識別している。ええっ、そこまでしてるのかー・・・、おどろきました。探索バチが巣に戻る時間が夕方遅くなって、ほかのハチがもう出かけられないとき、どうするか。その日はダンスを踊らず、翌朝ダンスする。そして、距離を示す尻振り回数や太陽に対する方向を覚えていただけでなく、12時間の時間差まで正確に補正してみせた。なんという能力でしょうか・・・。
 ニワムシクイという鳥に、時間ごとにエサの置き場所を変えると、鳥は決まったパターンで飛んでいくようになった。では、この鳥を3時間エサ場に行かせなかったら、どうなるか。3時間後に放たれた鳥は、その時間にエサのある場所にまっすぐ飛んでいった。つまり、ニワムシクイは、3時間という時間をきちんと認識して、それにあわせて自分の飛行スケジュールを調整したのだ。うーむ、すごーい・・・。
 ヒトの体内では、1個1個の原子が1016ヘルツで振動している。
 17年セミがいる。このセミの幼虫で、15年間を地中で過ごした幼虫をとりだし、1年に2回花をつけるように操作した桃の木の根から栄養を取らせるようにした。すると、セミは1年早く地上に出てきた。セミは木の根から栄養を取りながら、木の生理学的な変化を感知し、年数をカウントしていることになる。でも、どうやって、カウントした数を覚えているのか、謎のままだ。
 砂漠のラクダはどうやって高温に耐えているか。ラクダの体温は昼は41度にもなるが、まだ死ぬほどではない。夜は、水分を失ったラクダの体温は34.2度まで下がる。これはヒトにとっては危険状態。しかし、ラクダにとって体を冷やしておけば、翌日、体温が高くなるまで長い時間かかるという利点がある。つまり、ラクダは、体を保護するため夜間の低体温症を利用しているということ。そうなんですか、すごい生物の仕掛けですよね。
 ヒトは基本的に昼行性動物である。ヒトは、本来、夜には活動しない。体のあらゆるリズムは24時間の昼行性リズムで動いており、短期間で夜行性のパターンに順応することはできない。午前3時に単独事故を起こす確率は、夜勤を4日続けると、50%上昇する。午前7時から8時には、さらに高くなる。
 チャレンジャー号の爆発事故の直前、NASAの主要スタッフの睡眠時間は2〜3時間であり、しかも、24時間、連続勤務していた。
 フィンランドの客室乗務員の乳ガンの有病率が高いという統計もある。
 ヒトと生き物の時間に対するかかわりを考えさせる本でした。
 百合の花が咲きはじめました。朱色の百合、そして白にピンクのふちどりのついた百合です。大輪のカサブランカを植えたこともあるのですが、見あたらなくなってしまいました。ヒマワリがぐんぐん伸びています。家の近くの小川にホタルが乱舞しています。いつ見ても心がなごみます。

山内一豊と千代

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著者:田端泰子、出版社:岩波新書
 戦国武士の家族像というサブタイトルがついています。
 山内一豊の妻・千代に対して内助の功と呼ぶのは正しくないと著者は指摘しています。
 戦国期の妻は、化粧料として特有財産をもち、夫とは対等な人格であった。一豊と千代の関係は、手柄を立てて出世する夫と、それを献身的に助ける妻という夫婦ではなく、妻に特有財産があって政治情勢も把握している、双方ともに賢い夫婦の共同歩調で獲得した出世だった。
 現代と戦国時代とのもっとも大きな差異は、戦国時代には妻の地位と役割の重かった点、妻が家庭にいて社会的活動をしていないという姿ではなかったという点にある。妻も夫も一緒に知恵を働かせ、大まかな役割分担をしながら、時代の変化に対応する手だてを考えたのであり、大まかな役割分担は相互に移行可能であったので、夫が亡くなり、後継者が幼い時には、妻が亡き夫に代わって後家として家を管轄した。妻は夫のパートナーであると同時に、夫のよき代理者でもあったというのが戦国期の夫婦の実態だった。「内助」の意味は現代とは大きく異なっている。
 戦国時代の婚姻はつねに離別を前提とした政略結婚だったというのも正しくない。婚姻関係を結ぶことによる家と家との平和的協力関係こそが、戦国期の武士階級の婚姻の目的だった。
 戦国期に生きた女性には男性と同じ賢さ、判断力、持続的な努力や忍耐力が、現在以上に必要だった。人形のように主体性のない一生を送ることは時代が許さなかった。
 鎌倉期の女性は、男性と同じく、所領や地頭職を持っていて、それを自分の意思で子孫に譲ることができた。
 日本の女性は古代だけでなく戦国期も、やはり強かったのです。

スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」

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著者:小澤徳太郎、出版社:朝日新聞社
 スウェーデンは「人間社会の健全性」と「エコシステムの健全性」のバランスがもっともよくとれていると評価され、「国家の持続可能性」1位にランクされた。日本は24位、アメリカは27位。
 スウェーデンの国土は日本の面積の1.2倍。人口は901万人なので、神奈川県や大阪府に相当する小さな国。
 スウェーデンの行動原理はきわめて常識的で、単純明快。あたりまえのことを、あたりまえのこととして実行する。たとえば、スウェーデン政府は、「地球は有限」を前提として、「経済は環境の一部」と見なしている。
 スウェーデンは、1813年のナポレオン戦争以来、戦争に参加していない。アメリカのイラク戦争にも軍隊を派遣していない。
 物流システムは、IT革命がいくら進もうとも、実体経済のなかで、必ず重要な地位を占める。消費者や事業所への配送ニーズは、これまで以上に高まるだろう。世界最高水準の燃費を誇る日本車や日本の省エネ型家電製品も、使用台数が増えれば、エネルギー総消費量は増える。
 インターネットを介してやりとりされる情報量の増大により、パソコンなどIT関連の機器の消費する電力量は10年間で8倍に増え、2010年には現在の日本の電力需要の3分の1にも達すると予測されている。
 スウェーデンは電磁波対策がもっともすすんでいる国。電磁波は光や電波の仲間で、レントゲン撮影につかわれるX線はがんを誘発したり、遺伝子を損傷する可能性がある。スウェーデンでの調査によって、電磁波は子どもの白血病とかかわりがあることが判明した。そこで、高圧の送電線を学校などの生活ゾーンから引き離したり、コンピューター画面から離れるように規制した。携帯電話からもれる電磁波も心配だが、通信状態を整備するために建てられるアンテナからの強い電磁波がさらに心配である。
 スウェーデンは景気回復と財政再建の二兎を追って、二兎を得た。日本はどちらも得ることができなかった。にもかかわらず、「経済大国日本」を自負する日本の政官は、アメリカ以外はお手本としないという、きわめて不遜な態度をとっている。
 スウェーデンでは、収入に応じて保険料を支払い、払った保険料の総額に応じて給付を受けとる単純明快な所得比例制度がとられている。低所得者のためには、税金でまかなわれる最低保障制度もある。ただし、スウェーデンの給付水準は現役の手取りの38%にすぎない。それでも、医療・介護・住宅といったサービス保障が充実しているから、老後は安心なので、現金支給は多くなくても安心してやっていける。
 スウェーデンの真似をしろというのでは決してありません。でも、スウェーデンに学ぶべきところが日本は大きいことを痛感させられました。

団塊の世代だから定年後も出番がある

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著者:布施克彦、出版社:洋泉社新書Y
 著者も団塊世代です。
 よど号ハイジャック事件や浅間山荘事件など、団塊の世代が世間を騒がせた。一部バカ者の行為なのに、世代全体がショックと自信喪失感に包まれた。
 この「一部バカ者」という表現にはアンチ全共闘だった私にも実は抵抗感があります。著者は当時の大学闘争に没交渉だったのではないでしょうか。よど号事件はともかくとして、連合赤軍事件が全共闘シンパ層に与えた影響は相当に深刻だったと思います。それを簡単に「一部バカ者の行為」として切り捨てられると、そう言われたら、確かにそうなんだけど・・・、という気がしてしまうのです。ただ、その点を除くと、この本で指摘されていることは、ほとんど同感できるものです。現在700万人ほどの団塊世代が生きている。人数が多いというのは、最大の武器である。
 団塊世代のもらう退職金総額は50〜80兆円。2010年の団塊世代関連市場は100兆円をこえる。国民総資産1400兆円の過半数を中高年世代が握っている。
 ところが、団塊世代の多くが自信を失っているように見える。かつて、腕に覚えがあり、仕事の虫だった団塊世代。順風と逆風の両時代を知る柔軟性もある。バブル経済時代までは、どこの会社にも鮮明な派閥があった。社内の人的関係の多くが、団塊世代をもって途切れてしまった。これから日本を背負うべき30代から50代前半の世代は、いま疲れているように見える。
 学生時代に世の矛盾をついて大人に食ってかかった団塊世代は、社会の一員になって実際の矛盾と向きあったとき沈黙した。毎年あがる給料やボーナスを捨てるのは賢くないと判断したのだ。はじめは違和感を覚えた矛盾が、いつか身体に染みこみ、感覚は麻痺してしまった。矛盾を器用にのみこむのが、組織で栄達する前提条件だった。
 団塊世代の多くは転職に自信がない。団塊の世代は後進国に生まれ、中進国に育ち、先進国で仕事する。しかし、団塊世代は自信を失う必要はない。今まで通過してきた人生のなかでこの世代はすでにしっかりと武器を身につけている。これから始まるシニア時代を生きていくうえで、必要なものを十分に身につけている。問題は、本人がそのことをあまり自覚していないこと。自信喪失とともに、本来武器であるべき要素を不要あるいは邪魔なものと考えていることさえある。
 団塊世代気質の核に、枠と標準によって固定された協調と競争の調和精神がある。
 永遠の若者であり続けたい団塊の世代の多様な人生経験のなかで勝ちパターンを知り、挫折も味わって、精神の鍛錬も経験した。ハザマの時代を生きて試行錯誤から、柔軟性も身につけている。そんな団塊の世代は、きっと世の中に役立つ多様な仕事ができるはずだ。そうなんです。お互い、もっと自信をもって、今の変てこな社会を変えるためにがんばろうじゃありませんか。変人・小泉になんか負けてなんかおれませんよ。

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