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黄砂、その謎を追う

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著者:岩坂泰信、出版社:紀伊国屋書店
 この春、福岡には何度も黄砂の襲来があり、春霞のような状況が生まれました。ただ、先日の新聞によると、黄砂は光化学スモッグの原因物質を吸収する働きもしているそうで、有害無益の極悪人とは決めつけられないようです。
 いえ、この本によると、海中のプランクトンの栄養にもなっていて、日本人にも貢献していると言います。大気から海面に落下する黄砂は微生物にとって大切な物質になっている。海の動物プランクトンが黄砂を食べる。そして排泄物と一緒に再び海中に放出する。このようにして黄砂がミネラルや栄養素をプランクトンに供給している。そのプランクトンを魚が食べる。
 黄砂は空飛ぶ化学工場でもある。大気中の硫黄酸化物や窒素感化物を吸収しているのだ。
 黄砂は中国大陸から奥地から出発して、太平洋へ流れ出し、日本列島をこえて、アメリカ大陸にまで届いている。
 韓国の気象庁は黄砂について3段階の警報を出す。レベル3になると、老人と子どもの外出は禁止され、屋外行事は中止される。サッカーの試合も延期される。
 中国では黄砂といわず、一般には砂塵暴という。
 ラクダは砂漠で砂塵嵐がやってくると、自分の顔を埋めることのできるくらいの大きさの穴を掘り、そこに顔を突っこみ、嵐のあいだに気管に砂が入らないようにして呼吸する。
 中国大陸の2キロメートル上空は黄土高原の砂嵐から、6キロメートル上空はタクラマカン砂漠の砂嵐から飛んできたことが判明した。
 著者は敦煌で黄砂を測定する調査に従事しています。私も、敦煌には一度行ったことがあります。町の周囲は荒涼たる砂漠が広がっていました。お墓も砂漠にあります。いずれ砂に埋もれてしまうのでしょう。
 タクラマカン砂漠は黄砂を巻き上げる力のある砂漠である。私もウルムチからトルファンに向けて砂漠のなかを突っ走ったことがあります。どこまでも一直線でした。そして風が強いのです。黄砂が舞いあがるわけを実感しました。風が強いのを利用して、たくさんの風力発電機があり、壮観でした。

コールセンターのすべて

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著者:菱沼千明、出版社:リックテレコム
 インターネットに接続できるケータイ(ブラウザホン)の利用者は6000万人をこえた。私のケータイもインターネットを利用できるのかもしれませんが、私はまったくつかえません。
 最近、IP電話というのがあるそうです。依頼者から教えられました。海外に留学することになった子どもとタダ同然の電話で話せるというのです。すごいものです。IP電話では距離にかかわらず、一定金額の時間料金体系となっている。ただし、同じプロバイダーでなければいけないという制約があるし、電源が別に必要となる。
 アメリカでは銀行の営業店窓口でかかっていた顧客1人に対する対応コストがテレホン・バンキングによって2分の1から3分の1に削減された。これがインターネット・バンキングだと100分の1にまでコストが削減できるとされている。
 日本のコールセンターは、オペレーターが49席以下が7割を占めており、比較的中小規模が多い。ただし、金融業では大規模化がすすんでいて、半分以上が50席以上になっている。
 顧客からの電話は理路整然としないことが多く、そのペースにのって話すと時間がかかりすぎる。だから、マニュアルが必要となる。20秒以内に80%のコールに対応できることを目標とすることが多い。
 コールセンターのオペレーターに必要なものは、応対スキルに25%、LS意識やパーソナリティ、聞き方、意欲などの人間性に75%を配分する工夫が必要。面接するのも、採用した人を面倒みる人が直接あたるのが望ましい。
 オペレーターのスキル評価は、習熟度、経験、サービス、商品知識、電話対応能力、平均通話時間、ミス発生率、苦情発生率などによって評価されてきた。
 何らかの不都合があったとき、50人に1人のユーザーが企業に連絡をとる。ほとんどの人は不満を感じても連絡しない。しかし、そのうちの20%は黙ってほかのブランドに乗り換えてしまう。消費者は満足すると、5〜9人に伝えるか、不満なときは9〜10人に伝える。つまり口コミは、満足よりも不満の方が伝わりやすい。
 私の知人にNTTの104対応の職場で働く人がいました。彼女によると、深夜に話し相手を求める男性が104に電話してくるのだそうです。もちろん有料ですし、テレホン・セックスするわけでもありません。ただただ話し相手が欲しくて電話する男たちが大勢いるのです。それだけ淋しい孤独な男性が世の中に多いというわけです。
 私は電話が好きではありません。長電話なんて、大嫌いです。突然かかってくる電話は、さっさと終わらせたいといつも思っています。昔も今も、私にとって大切な人とは電話より手紙の方がいいと考えています。

うぬぼれる脳

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著者:ジュリアン・ポール・キーナン、出版社:NHKブックス
 つがいのサルを17年間、継続的に全身の映る大きさの鏡のある環境に置いたが、年間5000時間以上も鏡にさらされたにもかかわらず、2頭とも、自己認知の徴候をいっさい示さなかった。つまり、鏡に映った自分の姿を何者か理解することができなかったというわけです。
 女性は、自分の声に対する好感度評価は、いろいろな自己関連の刺激のなかで、もっとも高かった。つまり、自分の手や筆跡と比較して、自分の声は呈示刺激のなかで、もっとも好ましいと評価される率が高かった。
 ところで、自分の声は自分のものと分かりにくい。それは、他人が聞く自分の声は空気を通して伝わるが、自分のしゃべる声はそれだけでなく、骨伝導によっても聞こえるから。
 ユーモアを理解するのは、脳の右半球が関与している。主として右前頭葉が寄与している。病的な嘘は右半球と関係している。病的な嘘は、作話と呼ばれる障害とは違う。作話の場合、患者は一般に嘘をついている自覚がなく、その嘘で得をすることも通常はない。また、作話をする患者は記憶障害があり、欠失部分を埋めようとして嘘をつくと考えられている。「心の理論」の嘘とみなされる嘘の場合は、だます相手の心のなかに入りこまなくてはならない。作話をする患者たちは、それをしていないし、彼らの嘘は信じがたいものが多い。真の欺瞞は、だます相手の心を考慮に入れる。
 左利きの人(右半球優位になる機会が多い人)は、右利きの人よりも、実際に欺瞞の検知にすぐれている。つまし、もしあなたが左利きなら、右利きの人よりも嘘を見破る可能性が高いということです。えーっ、本当にそうなのでしょうか・・・。ぜひ、体験を教えてください。
 人はよく嘘をつく。配偶の機会を確実にするのに有用だとわかっている場合はとりわけそうだ。人間は、いくつかの理由から、ほかの霊長類よりもこの種の欺瞞を得意とする。人間は、ほかの類人猿とは違って、生涯にわたる一夫一婦婚の関係をつくることが多いので、おそらくそれが欺瞞を実践する舞台を設定するのだろう。
 生殖の機会を最大にしたがる男は、ほかの場所で配偶相手を探し求めるし、婚外の関係をもった女性は、生まれた子どもを夫に扶養させるために、自分の子どもだと思わせなくてはならないだろう。こうして妻は夫をだまし、夫は妻を欺く。
 実験の結果、女性は欺瞞者を見分けるのがうまく、男性はあてずっぽで推測していた。ところが、男性は女性より成績が悪かったのに自分の判断に自信をもっていて、非常に成績の良かった女性の方が、それほど確信をもっていなかった。
 女性は、男性が嘘をついているときのほうがそれを判断するのがうまく、女性が嘘をついていたときにはそれほどでもなかった。つまり、女性の欺瞞検知器は、配偶の機会が問題となっているときに敏感に働くようになっている。すなわち、女性は配偶がかかわる可能性があると、男性の嘘をより敏感に察知する。
 ふむふむ、そうなんだー・・・、本当にそうなのかなー・・・。ホントのところを知りたいと恋する女性にふられた私はつい思ってしまいました。いえ、嘘をついたつもりはまったくないのです。はい。

古文書はこんなに魅力的

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著者:油井宏子、出版社:柏書房
 古文書(こもんじょ)がすらすら読めたら、どんなにいいことでしょう。これは、私の長年の夢です。とてもかなえられそうもありませんが、それでもこうやって未練がましく古文書解読の本に手を出してしまいます。つれあいの亡き父親も古文書解読に挑戦しておられました。カルチャー教室に通って勉強していたのです。それだけでもすごいと尊敬していました。
 この本は本文だけ読むと、いかにも楽しい語り口なので、いまにもスラスラ古文書の難解なくずし文字が読めそうな気がしてきます。でも、くずし字にいろんなパターンがあるのを知ると、すぐに腰くだけになってしまうのです。ひぇーっ、ここまで字をくずしてしまうの・・・、と叫びたい気持ちです。でも、私の手書きのくずし字を解読して、ほとんど間違いなく素早く入力してくれる事務局の毎日の苦労を思うと、そんなこと他人事(ひとごと)みたいに言っておれないでしょ、と自戒させられてもしまうのです、ハイ。
 この本の面白いところは、2つの実例を紹介しているところです。まずは京都の相良郡山城町の庄屋であった浅田家文書です。そこに出てくる利助氏の顛末が紹介されています。当時31歳の利助氏は農業のかたわら綿を扱う小売商をしていたのですが、商売に行き詰まって、村を出奔(しゅっぽん)してしまったのです。6人家族でしたが、欠落(かけおち)したのです。この場合、欠落とは男女が手をとりあって逃げるということではなく、失踪したという意味です。借金を返せなくなって村を逃げて出ていったのでした。40貫匁の借銀(ここは関西ですから銀本位制です)をかかえていました。換算の仕方で異なりますが、今の2700万円から2億円にあたります。いずれにしても、相当の借金ではあります。夜逃げするのも当然のことでしょう。村役人は借銀返済のため、利助氏に所持している家屋敷・諸道具・田畑のすべてを売り払い、稲小屋に住めと裁定しました。利助氏はそれに納得できず、村を出たのです。そして、近隣の村で百姓の手伝い、紙商内の手伝い、農業の手伝いをしたあと、3ヶ月ほどして村に帰ってきました。村役人は、それを受け入れて帰村許可を当局に願ったのです。そして、それは認められました。そのころは、帰村を願ったら認められていたのです。村としても貴重な労働力を逃がしたくなかったからす。
 古文書には、主語がときどき分からなくなるので、注意するように、とされています。古文書の解読はやっぱり難しいのです。利助氏は村へ戻ってからは大工職で生計を立てていたようです。その顛末も分かって、勉強にもなる楽しい本です。
 次に、江戸は日本橋の白木屋の奉公人六兵衛の話です。そうです。白木屋と言えば、映画「男はつらいよ」のタンカバイにも出てくる、あの白木屋です。天保10年(1839年)から、安政6年(1859年)にかけて、白木屋の日本橋店の奉公人を取り調べた記録が残っているのです。店に対して何らかの不正を働いた奉公人120人の事例が記録されています。日本人って、昔から記録魔がいるのですよね。私は、それほどではありません。
 六兵衛は仙台様の御屋敷に掛売り代金の回収に出かけたはずなのに、帰って来ませんでした。9日後に居所が判明して戻されました。いったい、そのあいだ六兵衛はどこで何をしていたのでしょう。その謎が解き明かされていくのです。たしかに難しいくずし字にもだんだん慣れてきた気がします。
 白木屋では、手代たちが、3月、5月、9月の節句前、10月の恵比須講前、そして盆・暮と年に6回掛取りに回っていました。ただし、手代の心構えとしては、この6回に限らず、常々からお客様に油断なく催促して、少しでも残掛を減らすように工夫することが肝要であるとされていました。
 実は、六兵衛は、この掛売りの回収がうまくいかないのを悩んで、成田不動尊へ参籠するつもりになり、それが途中で気が変わって、実は日光に向かったのでした。苦しいときの神頼みに走ったのです。ところが、帰る途中で、知りあいの商人に出会い、もう一度、日光に出かけ、そして一緒に江戸に戻ってきました。
 江戸と山城(京都)で書かれたくずし字はほとんど同じだった。江戸時代全般にわたって、ほとんど全国的にくずし字は同じに統一されていた。青蓮院流が江戸時代に大衆化した御家流に全国統一されていたのだ。方言はいろいろあっても、書き言葉の方は文字は同じだった。これが日本の特徴だそうです。
 やっぱり、くずし字は難しい。でも、チャレンジしたい。そんな気にさせる本です。
 グラジオラスが咲きはじめました。ピンクのふちどりのある白い花です。清楚な印象を受けます。日曜日に青梅がザル2杯分とれました。ラズベリーの赤い実もなりはじめました。夜、ホタルを見に出かけると、見物客の方が多いくらいでした。

グッドナイト&グッドラック

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著者:ジョージ・クルーニー、出版社:ハヤカワ文庫
 映画をそのまま本にしたものです。この映画は福岡・天神の映画館で見ました。今も映していますので、まだ見てなかったら、ぜひ見てください。
 いまどき珍しい白黒フィルムの映画ですが、それが余計に時代を感じさせる迫真のストーリー展開です。かつては、テレビもこんな青臭い正論を堂々と論じていたんだと改めて感嘆しました。今は田原総一郎をはじめ、あまりにも小泉・自民党べったりで嫌になってしまいます。マローは、マスコミ人向けの講演会で、こう言いました。
 50年後、100年後の歴史家が、もし現在の三大ネットワークの一週間分のテレビ番組を見たならば、彼らはこの世にはびこる退廃と現実逃避、一般社会との隔絶を感じることでしょう。今の我々は裕福で肥え太り、安楽さの中に浸り切って、不快な、または不安をもよおすニュースにはアレルギー反応を起こします。マスメディアもそれに追随しています。だが我々はテレビの現状を直視しなければなりません。テレビは人を欺き、娯しませ、そして現実から目をそらさせる。そのことに、制作者も視聴者もスポンサーも気づかなければ、手遅れになってしまうのです。
 ええっ、これっていつの講演なんだろう・・・。なんと今から50年前の1958年 10月15日のことなんです。昭和33年10月です。まさか、と思うでしょ。今はテレビはもっと堕落がすすんでいます。1950年2月にアメリカで始まった赤狩り旋風に CBSのエド・マローが敢然と反旗をひるがえしたのでした。
 マローは、あまり表情を変えず、平板だが、よく通る語り口でテレビに向かって話した。
 マローの家は貧しくて、高校を卒業しても、大学に進学させるだけの家計の余裕がなかった。そこで、マローは自分で稼ぎはじめた。森林監督の仕事だ。そしてカレッジに入り、スピーチ学部に所属した。大学卒業してマローはCBSに入り、第二次大戦中のイギリスに渡り、ロンドン空襲を実況中継して有名になった。マローがマッカーシーの赤狩りを問題だとして取りあげようとしたとき、CBSの経営陣は、こう言った。
 経営は編集に介入しない。だが、編集が何百人という従業員の身を危うくさせることは許せん。
 それを乗りこえて、マローはマッカーシーを次のように厳しく弾劾した。
 ウィスコンシン州選出の新進上院議員の行動は、同盟諸国に驚きと狼狽を与え、我々の敵国を有利にしました。これは彼一人の責任でしょうか。彼が恐怖を生みだしたのではなく、それをうまく利用したにすぎません。ブルータス、悪いのは運命の星ではない。我々自身なのだ。グッドナイト、そしてグッドラック。
 このマローの番組を、およそ4000万人のアメリカ人が見ました。CBSには、2日間で1万3000件がマローを支持し、1400件がマッカーシー支持の電話をかけてきた。電話と電報の洪水は、1万件以上。手紙は数日間で7万5000から10万通に達した。良識あるアメリカ人はマッカーシーを苦々しく思っていて、マローのような勇気ある告発を待ち望んでいたのです。
 ニューヨーク・タイムズは、次のようにマローの番組を高く評価しました。
 ジャーナリストとしてのはっきりした責任感と、勇気に裏づけられた報道だった。これまで弱腰のそしりをまぬがれないテレビ報道の中にあって、しっかりとした市民権を主張した画期的な番組であった。
 マローは、マッカーシーと違って、イージー・カム、イージー・ゴーではない。取りつきやすく忘れやすいのとは違って、もっと深いところから考えさせる。マローの言い分は、緩効性である。そのかわり忘れないし、しっかりと根づく。要するに、マローは目覚めなのである。教育なのである。
 マローはマッカーシーに反論して、こうも言いました。
 マッカーシーのやり方を非難したり、反対したりするものは誰でも、共産主義者だと見なされる。それが真実なら、この国は共産主義者だらけということになる。
 なるほど、そのとおりです。今の日本にもぴったりあてはまる言葉ではないでしょうか。
 テレビが単なる娯楽と非難のための道具であるだけなら、もともと何の価値もないということなのです。テレビは単なる電線と真空管の詰まった箱にすぎないことになります。
 今の日本のテレビって、ほんとうに何の価値もないんじゃありませんか。いえ、むしろ有害な存在なのでは・・・。

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