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典子44歳、いま伝えたい

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著者:白井のり子、出版社:光文社
 映画「典子は、今」の主人公は今44歳。結婚して、2人の子どもの母親として元気です。私は、本を読みながら、涙腺がゆるんで仕方がありませんでした。
 幼いころ、いじめにあった話も出ています。それでも、ともかく前を向いて生きてきた典子さんの話に心を打たれるばかりでした。最近、ちょっと元気をなくしたな、なんて思っている人には最適の本です。きっと明日に向かって生きる元気が湧いてくると思います。
 典子さんの長女は福岡で勉強中とのことです。長男はまだ小学校5年生。典子さんと子どもたちのうつった写真も紹介されています。お母さんそっくりの長女で、一瞬、どっちが典子さんか分かりませんでした。
 典子さんは、話し方教室に2年間、週2回、休むことなく通ったそうです。それだけでもたいしたものですが、おかげで講演で堂々と話せるようになりました。典子さんは、 26年間勤めた熊本市役所を退職していま講演活動を始めています。私もぜひ一度、典子さんの話を聞いて、彼女から元気をもらいたいと思います。
 典子さんのお母さんは看護婦。眠れないため睡眠薬を常用していたところ、サリドマイドが入っていたのです。典子さんが生まれたのは1962年1月27日。母親と赤ちゃんが対面したのは、なんと生まれてから50日目。その間に、典子さんの指は切除されていました。
 子どものころの典子さんは、まったく手のかからない子どもだった。いい子にしていないと母親から見捨てられるかも・・・と子どもながら自己防衛していたのかもしれない。
この世に頼れるのは母親ひとりきりですから、その母親に嫌われないよう、いい子にふるまったのではないか・・・。そう書かれています。きっとそうなのでしょうね。
 典子さんは足でなんでもできるようになります。母親は、それをほめて、ほめまくります。足で絵を描くと、うまいね、芸術家だね。そうほめてもらったそうです。
 1968年。小学校に入学するのも一騒動でした。結局、小学校に入れたのですが、昼休みの時間に母親にトイレの介護に来てもらったのです。学校でのトイレは一回だけということなのです。大変なことです。それを中学、高校まで一日も欠かさず続けました。母親の努力に頭が下がります。母親は看護婦ではなく、昼休みに学校に行けるような仕事をしたのです。
 典子さんは中学生のとき、友だちの心ない言葉に傷つきました。言った本人は自覚がなかったのかもしれませんが・・・。その体験から、眼が沈んだ子どもを見かけたら、優しい笑顔で、そっと「だいじょうぶ」とささやいてあげてください、と書いています。
 高校生のころは編み物・縫い物が得意でした。珠算も三級を取ったのです。すごーい。
 典子さんが映画に出演したのは19歳のとき、1981年のことです。母親は、家庭内の事情に立ち入らず、また家庭内を撮らないという条件をつけました。なるほど、ですね。
 広島まで行くシーンがあります。熊本駅で切符を買う。どうやってか・・・。典子さんは、切符の自動販売機の前に立って通り過ぎる人を物色します。頼んだら必ず手伝ってくれる人を探すのです。もちろん勘です。自分の勘を信じるのです。一発必中でした。
 私はこれを読んで、自分の胸に手をあてました。私は典子さんのおメガネにかなう自信がありません。いつもせかせかしていて、なんだか他人の世話を焼くようにはとても見えないのではないだろうか・・・、と。
 映画の試写会には今の天皇夫妻も見に来ていたそうです。実は、私は残念なことにこの映画をまだ見ていません。サンフランシスコ映画祭で2度もグランプリに輝いたそうです。10年間にわたって世界の人々に勇気を与えたというので、 10年後にも受賞したのです。すごいことですよね、これって・・・。
 映画は大変な反響があり、ついに典子さんの勤務先に見学者があらわれるようになりました。典子さんにとっては大迷惑だったでしょう。でも、彼女の働いている姿を一度見てみたいと私も思ったことです。ですから、見物人をあまり責める気にはなれません。一日800通、一ヶ月に3万通の手紙が届き、6畳の部屋にぎっしり積み上げられたといいます。
 典子さんは21歳のとき、縁あって結婚しました。彼の両親はすぐ賛成したのに、典子さんの母親の方が反対したのです。人並みに家事ができるのか、育児ができるのか。その心配もよく分かりますよね。しかし、ちゃんと家事も育児もできたのです。そして、足だけで運転する車にも乗れるようになりました。
 典子さんは、自分が障害者であるとは思っていません。これも、すごいことです。
 こう書いているだけでも、なんだか生きる勇気がわいてきます。典子さんと子どもたちの笑顔が実に素敵です。
 アガパンサスの青色花火のような花が咲きはじめました。梅雨空によく似合う花です。東京の日比谷公園に見かけたとき、つい声をかけてやりたくなりました。

不老不死のサイエンス

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著者:三井洋司、出版社:新潮新書
 赤血球には寿命がある。120日。人間の身体に流れている血液中には、1マイクロリットルあたり、男性で420万個以上、女性で380万個以上の赤血球がある。1日につくられる赤血球は、なんと、2000億個。この赤血球には核がない。
 ところが、神経細胞は分裂しないので、ヒトが死ぬまで生き続ける。神経細胞には核がある。
 クローン生物をつくるときには、初期化の作業をする。スイッチが入る元の状態に戻す。
 ドリー(羊)の場合、初期化のために核を使用する乳腺細胞を飢餓状態に置き、いったん活動を停止した状態にさせた。そして、脱核卵子にその核を入れるときに、電気ショックと栄養を与えて、細胞核の活動を再開させた。この方法で初期化できるのは、細胞が飢餓状態になると、遺伝子が働きにくくなる。体細胞は、特定機能以外の遺伝子が働かないよう、使われない機能の遺伝子をロックしていたが、危機状態に陥ると、そんな悠長なことも言っていられなくなり、生き残るために、この際、ぜんぶ開けておこうとしたのだろう。こうして全能性をもたせた。ところが、ドリーは早く死んでしまった。その早すぎた死は、初期化が本当に完全ではなかったからではないか・・・。これまでつくられたクローン動物が完全に寿命をまっとうした例はない。マウス、ネコ、ブタ、ウシ、サル、いずれも、そうだった。なるほど、そういうことなのか・・・。
 カロリー制限は、下等生物から高等生物に至るまで、現在では、もっとも確実に寿命を延ばすことのできる方法である。カロリーを70%に制限すると、寿命が延びることが実証されている。
 100歳以上の高齢者を百寿者という。1950年には100人足らず。1970年でも300人あまりだった。ところが、1997年には8500人近くになった。その後も、急増し、2005年には2万5554人になった。
 エストロゲンというホルモンは、女性の生殖機能が続くときには必須だが、閉経後には分泌が減少する。それを補うと称して若いときの濃度を維持しようとすると、乳ガン、子宮ガンの危険が大変増える。
 スポーツ選手の特殊な能力は、遺伝で決まっていることが多いのは事実。もちろん、素質だけではなく、厳しい訓練も必要。訓練の過程で、素質があることを監督が見抜いて一流の選手へ育てていく。
 ヒトの遺伝子には、40億年の環境変化にどう対応してきたかという経験が詰まっている。いま使われていない遺伝子、必要ないと思われている遺伝子が、いつどんなときに力を発揮するかは、環境が変化してみないと分からない。つまり、種が存続するために大事なのは、今日現在すぐれていると思われている遺伝子に統一されていくことではなく、あらゆるタイプの、あらゆる特性をもった遺伝子が、今も生き続けているということ。大きな環境変化に対応できるよう、これからも否定されることなく生き続けていくことが大切にされなくてはならない。
 多様性の尊重って、ヒトが生き延びていくために絶対に必要なものなんですね。よく分かりました。

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沢木耕太郎、出版社:新潮社
 エヴェレストに挑んだ登山家の本は何冊も読みましたが、この本もまた、すさまじい山との格闘記録です。凍傷にかかって、両手の指を全部失い、さらに鼻の頭まで欠けてしまった女性がいるなんて、とても信じられません。なぜ、そうまでして自然の脅威とたたかいながら山の頂上をめざすのでしょうか・・・。
 ヒマラヤにあるギャチュンカンという山をのぼりつめる話です。ギャチュンカンとは、百の谷が集まるところにある雪山の意。8000メートルにわずか48メートル足りない7952メートルの高さ。
 極地法あるいは包囲法と呼ばれる登り方と、アルパイン・スタイルで登るやり方の2つがある。アルパイン・スタイルでは、ベースキャンプを出たら他の助けを借りないのが前提。シェルパや他の隊員による前進キャンプの設営やルート工作などの援助を一切受けない。固定されたロープに頼ることもしない。
 山野井泰史と妻妙子が登山する費用は総額150万円。スポンサーなしの自前。
 高度になれるため、山野井は鹿屋体育大学で低酸素室に入って訓練した。スポーツ選手の高地トレーニング用につくられた施設で、密閉された空間に4000メートル、5000メートル、6000メートルといった高さと同じ希薄な空気をつくり出している。そこで昼夜を過ごし、自転車をこぎ、ランニング・マシーンの上を走る。
 アルパイン・スタイルの登山は、できるかぎりの軽量化をはかる。たとえ100グラムでも削れるのなら削ってしまう。それでも、2人の荷物は合計で300キロになった。これは他に比べると極端に少ない。
 山で着る下着は化学繊維のものにする。綿だと汗を吸って水分を閉じこめてしまう。フリースなどの化学繊維のものはできるだけ新品がいい。そうでないときには洗っておく必要がある。清潔にするためというより、古くなったり汚れたりして繊維がつぶれたり目が詰まって保温力が格段に落ちてしまうから。そうなんですかー・・・。
 高地では、血液中の酸素が少なくなるため、赤血球が増える。赤血球の増加は、血液を濃くし、流れにくくする。それを防ぐには、水分を十分にとって新陳代謝をよくしておかなくてはいけない。登りはじめたら、どれだけ水分をとれるか分からないので、飲めるときに飲んでおかなければならない。やっぱり、生命の水なんですね。
 いよいよ登りはじめるときには、ひとり5キロ未満の荷物とする。食物の重量は850グラム。クライミング用のロープは50メートルのもの1本だけ。幅7ミリのものにするか、8ミリのものにするか迷う。少しでも軽い方がよい。しかし、丈夫なことも必要だ。ところが7ミリのロープにしたところ、岩の角で切れそうになってしまった・・・。このロープ1本にまさに命がかかっているのです。
 山の上では、なぜかコーヒーではなく、だれもが紅茶を飲みます。どうしてなのか、ぜひ教えてください。この本には、珍しく熱くて濃いココアを飲む場面が出てきます。紅茶もココアも、私の大好物です。
 寒さに弱い私には、まったく考えられもしない苦闘の連続です。たいしたものなんですが・・・。オオッ、ブルブル・・・。

刑事の墓場

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著者:首藤瓜於、出版社:講談社
 知人は警察官の妻です。団塊世代ですから、月給は50万円ほど。今度、夫が大都市周辺の署から田圃の真ん中にある田舎の署に移動したところ、なんと9万円も給料がダウンしたといって嘆くのです。ええーっ、そんなはずはあるまいに・・・。その理由(わけ)を訊くと、やはり例の報償費の分け前が大幅ダウンした影響なのでした。大きな署では人数が多いだけに報償費も巨費にのぼるのでしょう。そこは盆・暮れの雑踏警備で有名なところですから、ますます大きいようです。田舎の署には平和で事件も少ないだけに報償費を捻出する口実もないのです。まあ、それにしても、ちょっと署を異動しただけで月9万円も給料がダウンするなんて・・・、やっぱり異常な世界です。
 この小説は、挫折したエリート刑事が赴任した署は、刑事の墓場と呼ばれるところだったということから始まります。
 外勤の制服警官など皆同じようなものだ。上からあれこれ命令されることに慣れ切っていて、自分の頭で物事を判断することができない。
 知能犯係の刑事は、情報収集と称して新聞や週刊誌の記事を読んでいる時間が少なくないし、体調が優れずに外回りをしたくないときなど、一日中パソコンに向かっていても、捜査データを入力しているところだ、と言えば言い訳が立つ。
 所轄署勤務の警察官の人事権を握っているのは、その署の署長だ。毎年、定期異動の時期になると、県内の所轄署の署長が署内の対象者の異動方針を県警本部警務部に伝える。警務部の人事課は、各署長から提出された要望を勘案しながら、階級と部署に見合った役職にはめこんでいく。組織全体の整合性を保ちつつ、どこからも不平が出ないようにおさめるのは手間がかかるだけでなく、神経を消耗する作業だ。しかし、県警本部の人事課の仕事は、あくまで調整であり、それ以上ではない。
 こんな警察署が本当にあるのだろうか・・・。いまだかつて捜査本部が置かれたことのないような署。署員は、どこか別の署で問題を起こして流されてきた人間ばっかり・・・。でも、その連中の内部結束は固い。
 推理小説なので、最後の顛末は書けません。ええーっ、という感じだったとだけ書いておきます。そんな馬鹿な・・・。ちょっと変わった警察小説です。
 梅雨に入り、下の田圃に水が張られ田植えの準備がすすんでいます。去年はなぜか田植えされず寂しく思っていましたが、今年は大丈夫のようです。この田圃のおかげで、わが家は夏にもクーラーなしで過ごせます。水面を吹いてくる風が涼しいのです。夜になるとカエルの大合唱です。道路を大きな蛙がノッシノッシと歩いていて、車をあわてて停めました。自然との共存にも気をつかいます。

やむをえぬ事情により・・・

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著者:フレッド・フレンドリー、出版社:早川書房
 映画「グッドナイト&グッドラック」のもとになったエド・マローの相棒だったプロデューサーの回想録です。この本では、マッカーシー放送以外のCBSテレビの取り組みも紹介されています。
 マローは第二次大戦中から活躍していました。真珠湾が攻撃されたとき、ルーズヴェルト大統領と一緒にいた唯一の報道人だったし、チャーチルとはロンドンの地下深くの防空壕にある首相の戦闘司令所で同席していた。
 マッカーシー旋風が吹き荒れていた1954年の冬ころ、放送業界は恐れおののいており、マッカーシーの攻撃演説に呼応して国策がうち出されることがしばしばだった。
 マッカーシーによってディーン・アチソン(のちの国務長官)は「赤いディーン」というレッテルを貼られたし、マーシャル元帥も反逆者扱いを受けた。
 マローはテレビで次のように述べました。
 ウィスコンシン州出身の新進上院議員は、調査と迫害との一線を何度も踏みこえた。彼が主として成しとげたことは、大衆の心に共産主義の内的脅威と、外的脅威についての混同を生じさせたことでした。我々は反対意見と虚実とを混同してはいけません。告発と証言とは違い、確信は証拠と正当な法の手続によって得られるということを常に忘れてはいけません。他人を恐れて歩くことはやめましょう。マッカーシー上院議員のやり方に反対の者も、それを認める者も、沈黙を守っているときではありません。彼がこの恐怖を生み出したのではありません。彼はただ、比較的上手に、それを利用しただけです。
 そうですよね。いま同じように、5年間も続いて日本をすっかりダメにしてしまった小泉純一郎の政治手法に反対する人も、それを認める人も、声をあげてその当否を議論すべきなのではないでしょうか。マスコミで真正面からの議論があまりにも少ないことに、私は残念でなりません。
 エド・マローのこの放送のあと、トルーマン元大統領夫人、グルーチョ・マルクス(コメディアン)、アインシュタインも賛成の意を表明しました。
 映画にも出ていましたが、この番組のスポンサーだったアルコアは、エド・マローを信頼し、スポンサーをおりることはありませんでした。アイゼンハワー大統領も記者会見のなかで、マローを私の友人だとわざわざ言って、讃辞を送ったのです。もちろん、このことは夕刊の見出しを飾りました。
 ニュース解説で重要なのは、優れた判断力と確かな抑制力をもっていると思われる真面目なジャーナリストを信頼することである。そのとおりだと私も思います。
 CBSはボストン警察が賭博場と密接な関係にあることを暴露するドキュメンタリー番組をつくって放映しました。この顛末も紹介されています。日本では、この種の報道がまったくないのではありませんか・・・。警察の捜査費ごまかしの追及もあまりに及び腰だったと思います。独走していた北海道新聞が警察に逆襲されたとき、他のマスコミは見捨ててしまった気がしてなりません(もし、違っていたら訂正します。ご一報下さい)。
 グレシャムの法則。悪貨は良貨を駆逐する。この法則はテレビ編成ばかりでなく、その視聴者にもあてはまる。今日の放送ジャーナリズムにおける編集者、プロジューサー、記者は興奮したり、とことんまでやりとげるということがほとんどなくなっている。
 短期的には経済的利益を生むつまらない番組が電波を満たしていくにつれて、嗜好がつくり出されるのである。ちょうどう広告が、食事や喫煙やドライブに影響を与えるように、これによって国民の嗜好がつくられる。今のテレビ編成についての作る側の弁明は、我々は人々が望んでいるものを与えているのだ、というもの。しかし、現実に起こっているのは、洗脳された視聴者たちが自分たちの好みのものを選び、その一方、もっと深遠なものを好む性向をもった人々は視聴者たることをやめてしまうといった事態である。
 そうなんです。私もテレビをほとんど見なくなってから30年ほどになりますが、ちっとも困っていません。困るのは、今どんな広告をやっているかを知らないことだけです。
 ある日、ウォルター・リップマンは、今日のテレビの窮状を次のように言い表しました。
 要するに、この国に三台の巨大な印刷機しかない、というのと同じこと。これにしても、たったの三台だ。われわれは、これをどうしようというのか、どう利用しようというのか、しかし、この三台の印刷機は、そのほとんどの時間を宣伝物の印刷についやしており、そのほか漫画本を印刷している。なるほど言い得て妙ですね。お互い、気をつけましょう。

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