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華族事件録

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著者:千田 稔、出版社:新人物往来社
 実は、この本は何年か前に買って(2002年7月発行)、どうせキワモノだろうとそのまま棚ざらしにしていたのです。でも、華族について別の本(「華族」、中公新書)を読んだこともあって読みはじめたところ、案外に真面目な本で面白く読めました。偉人の子孫たちが親の威光の重さに耐えかねて自沈していったケースのなんと多いことか、驚くほどです。
 最後の将軍徳川慶喜の子孫は事件や問題を起こす者が少なくなかった。四男厚は自動車でひき逃げ事件をおこし、弟は自殺し、厚の次男の妻は不貞事件で世間を騒がした。これは慶喜の子が多かったことにもよる。正妻との4人の子は死んでしまったが、2人の側室には、それぞれ6人の子どもをもうけた。
 西郷隆盛の子寅太郎は侯爵となった。その妻が大散財をして、家屋敷は成金へ9万円で売却された。昭和43年の佐藤内閣で法務大臣となった西郷吉之助は寅太郎の三男である。
 岩倉具視のあとは公爵家となって、公家華族の筆頭だった。しかし、家計のほうは火の車だった。具視の孫の具張(ともはる)は300万円という巨額の借金をかかえてしまい、行方不明になった。
 東郷平八郎の孫娘が家出をして、浅草雷門の喫茶店で女給として働くようになった。新聞に知られて大騒ぎになり、客から問いつめられて本人が実家に戻った。
 北里柴三郎の長男俊太郎は赤坂芸者と心中を図った。
 勝海舟は明治20年に伯爵になり、明治32年に徳川慶喜の10男精(くわし)を長男の長女の婿として養嗣子として、家督を相続させた。ところが、この精が昭和7年に自殺してしまった。その生前、華族くらい馬鹿らしいものはないと友人に言っていた。
 華族の子弟に赤化した者が少なくないのを知って驚きました。こんなにもいたのですね。
 大河内子爵の嗣子正敏の長男信威は18歳ころから左翼芸術に関心をもち、昭和3年に、全日本無産者芸術連盟(ナップ)の書記となる。昭和5年、父の正敏は貴族院議院を辞任した。この信威については、真面目な華族だから、社会問題に関心をもった、と書かれています。
 八条隆正子爵の次男隆孟(たかなが)は、東京帝大を卒業して日本興業銀行に入った。ところが、隆孟は、帝大時代から読書会、反帝同盟、新聞班などで左翼活動を始めていた。昭和6年10月、帝大前にいた学習院の在学生、卒業生を組織して弾圧下の日本共産党の資金源をつくる責任者となり、銀座の喫茶店で資金を共産党に渡していた。隆孟がとりこんだ学習院在学の華族とは、子爵松本貞宗の長男従五位直次、男爵山田貞春、男爵久本道秋の次男道春らである。女子学習院では、公爵岩倉具栄の妹靖子が含まれ、爵位をもたない者をふくめると男女30人あまりになる。たいしたものです。
 子爵森俊成の一子森俊守は明治42年生まれ。これは私の亡父と同じ生年です。東京帝大を卒業した。「資本論」読書会に入り、月3円を提供する共産党シンパとなり、赤旗などの共産党印刷物を配布していた。特別資金局の学習院班を結成し、ザーリヤの第二分隊長になる。昭和7年7月には、学習院班を片瀬、鎌倉、軽井沢、東京の四班に分けた。四班に分けることのできるほどの人数を獲得していたわけなんですね。
 公爵岩倉具春(ともはる)の三女靖子は学習院から日本女子大の英文科にすすんだ。純粋なクリスチャンだったのが、マルクス主義に傾斜し、ついに地下に潜った。靖子は共産党シンパとなり、資金を集め始める。上村従義男爵の嗣子邦之丞らと突撃隊を組織し、女子学習院の責任者となる。警察に検挙されたあと、転向したが、保釈されて実家に戻って自殺した。
 伯爵土方久敬(ひじかたひさよし)は左翼演劇活動にうちこみ、ペンネーム与志(よし)として、小山内薫らと築地小劇場をつくり、日本社会の現実を批判的にとりあげるプロレタリア演劇運動にすすむ。日本を抜け出し、パリ経由でモスクワに到着し、ソヴィエト作家同盟の大会で演説した。昭和8年には、共産党に6千円もの大金をカンパしている。これに対して宮内省は爵位返上の処分をした。戦後釈放されるまで与志は転向せず、戦後も劇場の演出家として活躍した。
 いやあ、すごいものです。華族の子弟にまで日本社会の悲惨な現実が見えていたことを意味すると思います。今の日本ではどうなんでしょうか。財界の大物や社長族の子弟に社会の現実は見えているのでしょうか。社会奉仕のボランティア活動をふくめて、社会改革の運動に身を置いている若者はどれだけいるのでしょうか。私は大学生のとき、セツルメント活動に4年近くいそしみました。地域の現実を見て、足を地に着けた活動の大切さを学ぶことができました。弁護士活動の原点として、今も忘れていません。

異端の大義(上)

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著者:楡 周平,出版社:毎日新聞社
 組合の執行部に選出される社員は,選挙で選ばれることになっているが,候補者については前任者から事前に人事部の了解を取り付けることになっている。何しろ組合執行部には,表にできない会社の秘密といえる情報を見せることになるからね。とくに,委員長・書記長・賃金部長といった団交前の事前交渉の席に着く三役は,将来の幹部候補生と目される人間があたることになっている。
 組合執行部の役職にある者には,それぞれに自由裁量でつかえる予算枠が認められている。書記長は2000万円,賃金部長は500万円。教宣部長でも400万円。
 組合との団交は出来レースということ。団交なんて、儀式。ベースアップやボーナスの額は三役と人事との間の非公式の事前交渉で、おおよその落としどころが決まる。あとは、連中の面子を立ててやるような形を整えてやればいい。なにしろ,事務・技術職からは月5000円,一般職からは月3000円の組合費を徴収している。シビアな交渉の末に,少しでも要求に近い条件を勝ちとったということにせんと,格好がつかんからね。
 日本の企業内組合のほとんどがこのような実情にあるようです。これが,結局のところ,会社執行部の独走を許し,無法地帯を会社につくってしまったように思います。少数・異端者に対して排除の論理でのぞんでいると、結局のところ、日産のように最後には企業そのものの存立が危うくなってしまうのだと私は思います。最近発覚したトヨタの欠陥車隠しも同じことだと思います。
 日本の労働組合に存在感がなくなってもう20年以上になります。30年前の国鉄のスト権以来,日本ではストライキが死語になってしまいました。私にはそれでよいとはとても思えません。非正規労働者の増大は企業にとっても本当に喜んでいていいのですか。職場の団結力と活力を阻害しているのではありませんか。
 余人をもって代えがたい仕事なんて,どこの会社にもあらへんよ。誰かがいなくなれば,その後を継ぐ者が出てくるもんや。私も,そのとおりだと思います。ポストにすわると,たいていの人はポストにふさわしい活動をするものなのです。私も実例をたくさん見ています。
 有力取引先からの縁故入社は,いわば人質。業務のうえで戦力にならなくても,別の点で会社の業績に貢献することは事実。この典型があの有名な電通だということは前に紹介しました。
 田舎では高校時代に成績のいい者の多くは,一番近くにある国立大学の教育学部を選ぶ。東京の名だたる一流校に入る実力があるのに。そして,大学を卒業すると,大企業への就職など念頭になく,故郷に戻って教員か役場の職員を目ざす。なぜなら、企業に入って夢をかなえられるのは,ほんの一握りでしかない。少ない可能性に賭けるより,確実かつ安定した道を選ぶ。
 組織に身を置く者の一人として会社側に立つのか,あるいは苦楽を共にしてきた仲間の側に立つのか自分の立場を明確にして事にあたらないと,苦しい思いをするだけでなく,双方に無用の混乱をもたらす。
 会社のなかには,常に理不尽ともいえる決断を迫られ,それを実行することを命じられている人間がいるものだ。それを乗り切れなければ,次に切られるのはあなただ。
 会社の方針にしたがって東北の工場を閉鎖する任務を命じられたエリート社員の苦悩が伝わってくる本です。

父の国、ドイツ・プロイセン

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著者:ヴィプケ・ブルーンス、慧文社
 ヒトラー暗殺計画に連座して処刑されたドイツ国防将校の娘によって、父親の日記がよみがえります。
 子どもというのは、あえて言うなら、親には、いわば供給源としてしか興味をいだかない。関係は自己中心的。どれだけ自分を守ってくれるか、世話をやいてくれるか、支えてくれるか。両親がどういう人間で、どんなことを感じ、幸せであるかどうかということは子どもの前を素通りする。
 本当にそうなんですよね。私は大学生のときまで、自分が大きくなったのは自分ひとりの力だとまるで錯覚していました。思えば恥ずかしいことなのですが、本当のことなので仕方ありません。親をバカにしきっていたものです。さすがに弁護士になって私も少し考えを改め、さらに親の一生をそれぞれ本にまとめてみて、親にも素晴らしい劇的な人生があったんだと気づかされたのです。父親のときには死んでから、母親のときにはボケはじめてからのことです。一冊の本にまとめる過程で、やっと親と対話することができました。
 プロイセン・ドイツでは、女性の左側を歩くのは、その女性に敬意を表し、慣例に従って礼儀正しく、距離を保っていることを示す。右側を歩くのは夫。右側は所有のあかしであった。
 1934年。ヒトラーがSAのムーム以下を射殺した事件が起きました。母親の日記には、こう書いてあります。
 ヒトラーがSAと党の内部で血を流しての大掃除をやった。きっとしようがなかったのでしょうけど、こんなふうにやるのは、これが最後であってほしい・・・。
 もちろん、これが最後ではありませんでした。夫も、ヒトラーによって処刑されてしまうのです。
 1934年8月。ヒンデンブルクが86歳で亡くなったあと、ヒトラーはドイツ国の大統領と首相を兼務した。ドイツ軍人は全土で新たな宣誓をさせられた。もはや憲法とか祖国ではなく、ドイツ国と民族の総統アドルフ・ヒトラー国防軍最高司令官に無条件に服従し、勇敢なる軍人として、いかなるときにも命を賭ける用意がある、と。
 この年、ドイツでは国民投票が行われました。ヒトラー賛成票が3800万票。反対票は430万票。無効票90万票。このように1割の反対が出た。しかし、ドイツ国民の大多数はヒトラー当選を祝ってお祭り騒ぎした。
 1936〜37年のドイツ経済はうまくいっていると思われました。なにしろ失業者が600万人から50万人に減ったのです。ドイツの輸出は活気を呈していました。
 父親のH・G・クラムロート少佐は身内のベルンハルト中佐(32歳)がヒトラー暗殺のための爆弾を調達しているのを知って黙っていました。ドイツ国防軍の司令官以下、参謀本部員は、党(ナチス)とSSの暴徒とは一切かかわりあいをもとうとしなかった。ナチ党でないもので固めるという人事がおこなわれていた。だから将校仲間では、転覆計画がおおっぴらに語られていた。
 1944年8月15日、2人は絞首刑を宣告された。ベルンハルトは爆薬調達のかどで、クラムロートはベルンハルトたちを密告しなかったことで有罪とされた。
 ヒトラーは既に判決を下していました。
 まともな弾丸など使うまでもない。その辺の裏切り者と同じ絞首刑だ。執行は判決言い渡し後2時間以内。即刻吊せ。あわれみなどいらん。家畜のように吊せ。
 両親の日記が残っていて、それを娘の目で再現していくというのは、スリリングな作業だということがよく分かる本です。
 最近、ドイツのノーベル文学賞までもらった高名な作家が17歳のときナチスに入党していたことを自伝で初めて告白して話題となっています。ドイツでは今もナチスの負の遺産の清算を真正面から議論していることが分かります。それにひきかえ,日本では東条英機の孫娘が戦犯として処刑された父親を神とあがめたてまつり,父親は悪くなかったと堂々と開き直り、それをマスコミはそのまま黙認して批判すらしませんでした。日本では,今もって負の遺産を清算しようとしていないことを意味しています。日本が侵略戦争を起こした事実をきちんと認め,その反省から戦後日本の平和が守られてきたことを私たちは思い起こすべきだと思います。

最勝王

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著者:服部真澄,出版社:中央公論新社
 空海がまだ佐伯真魚(さえきのまいお)と呼ばれる少年のころから話ははじまります。真魚は四国・讃岐の国造(くにのみやつこ)の家柄に生まれました。
 小説家の想像力の豊かさに驚きます。どれだけ資料の手がかりがあるのか知りませんが,ディテイルをふくめた描写に圧倒される思いで読みすすめていきました。
 末尾の主要参考文献に密教や大蔵教,大日教,金光明教などの教典の注釈本があげられています。それらを読んで,この本に取り入れてあるのですから,すごいものです。ついつい感心しました。また,開法寺(どこにあるお寺なのか知りませんが)の秘蔵の板彫阿弥陀曼荼羅を開帳してもらったそうで,曼荼羅についてもその意味が解説されています。
 大陸へ通じる海路をゆく船を,つくのぶねと呼ぶ。遣唐使の舶が四隻を連ねて走ることが慣習になると,四の船(よつのふね)とも呼ばれるようになった。
 当時の唐に盛んだったのは天台宗と秘密宗の二派だった。秘密宗とは,どうも密教のことのようです。秘密宗が重んじている経典は,「大昆盧遮那成仏神変加持教」(だいびるしゃなじょうぶつべんかじきょう)。
 このなかに60心の迷いを乗りこえなければ,仏法の修行者として世間を超越したことにならないとされているそうです。いくつか紹介します。
 貧心(とくしん)。ものごとに染まり,むさぼる心。
 無貧心(むとくしん)。染まるべきものにも染まらず,善きものすらも求めようとしない心。
 智心(ちしん),知ったかぶり,思い上がる心。
 決定心(けつじょうしん)。師の仰せであれば,お説のとおりと,何でも従ってしまう心。
 疑心(ぎしん)。何を聞いても疑うだけの心。
 暗心(あんしん)。疑うべくもないことまで疑う心。
 明心(みょうしん)。疑うべきことすら信じてしまう心。
 人心(にんしん)。人との縁を損得ばかりで計る心。
 女心(にょしん)。何ごとも欲の欲するままに行う心。
 自在心(じざいしん)。一切を我が意のままにしようと思う心。
 商人心(しょうにんしん)。必要のないものまでも一網打尽に集めるだけ集め,取り捨ては後回しにし,とにかく利を得ようとする心。
 農夫心(のうふしん)。まず広く尋ね回ってから,求法するに等しく,無駄にあちこちを耕してしまう心。
 狗心(くしん)。しきりに尾を振る犬のように,もの足りぬ結果でも大満足しきって狎れる心。
 狸心(りしん)。狸のようにあたりを窺い,怯えて,そろそろとしか進まぬ心。
 迦楼羅心(かるらしん)。党を組み,翼を得ることなしには事に臨まぬ弱き心。
 いやあ,いくつも該当するんじゃないかというものがあります。これをすべて乗りこえるなんて,とても不可能のように思います。みなさんは,いかがですか・・・。
 60心は,喩え(たとえ)である。これら心の相は,およそ人であれば誰しもが内奥に持つものであり,60は仮に挙げられた数に過ぎず,煩悩妄心は複雑怪奇,無量無数である。仏法の奥の深さを垣間見る思いのする本でした。

人物を読む日本中世史

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著者:本郷和人、出版社:講談社
 高校の必修科目から日本史が外れされているのを知って、腰が抜けるほど驚きました。世界史の方は必修科目です。日本史、とくに明治以降の現代日本史を日本はもっと重視すべきではないでしょうか。
 鎌倉時代、現金収入の欠乏に苦しんだ朝廷は、実のない官職を売りに出した。これを成功(じょうごう)という。大納言とか蔵人頭(くろうどのとう)という、朝廷の施政に必要不可欠な官は対象にならなかった。買ったのは御家人たちで、幕府の許可を得て、競って官職を購入していた。たとえば、左衛門少尉(さえもんのじょう)という官職を得るのに100貫文の銭を上納した。これは今のお金で1000万円にあたる。
 平安時代の仏教は、庶民がどうなろうと関心がなかったのではないか。大乗仏教は自分の解脱(げだつ)を目ざし、人々の解脱を目ざす。このときの「人々」とは、ごく限られた一握りの人々、貴族ほかに限定されていたと解釈すべきである。根本的な問題として、日本では経典はついに日本語に翻訳されなかった。漢文の読めない愚昧な衆生などは、僧侶の眼中にはなかったのだろう。
 新儀非法(しんぎひほう)という中世のはやり言葉があります。それは新儀である。非法である。すなわち、新しいことは、すなわち悪であり、認められない。古いことは良いこと。世の中は新しくなればなるほど悪くなる。
 北条重時は子どもたちに残した家訓に次のように書いている。時としてどんなに腹が立つことがあっても、人を殺してはいけない。こんなあたりまえのことを、わざわざ言わなければならないほど、当時の武士は人を殺していた。たとえば、我が家の前を通るやつはとっつかまえて、弓の標的にしろ。庭の隅に生首を絶やすな。斬って斬って斬りまくり、新鮮なのを補充しておけ。えーっ、中世の武士って、こんなに残忍だったのですか・・・。想像を絶しますね。
 いろいろ日本史の裏を知ることのできる面白い本でした。

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