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概説・日本法制史

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 出口 雄一・神野潔 ほか 、 出版 弘文堂
 改めて日本法制史を読むと、知らないことがたくさんありました。
鎌倉時代の執権は、政所別当と侍所別当を兼ねる役職からなる。
 鎌倉時代の訴訟は三問三答式。訴人(原告)が問注所(裁判所)に訴状と証拠書類の写し(具書案)を提出し、また訴人は論人(被告)に訴状を届ける。論人は、反論(陳状)を提出する。このやりとりは3度まで。そして両者の対決がある。訴人と論人が担当の奉行からの質問に答える。そして、裁許状(判決文)が作成される。現代日本の労働審判は3回期日で終わりですので、発想は似ている気がします。
 戦国時代の刀狩令では、槍・弓・鉄砲は没収されず、刀、脇差ばかりが没収された。これは帯刀する権利を武士、奉公人で独占し、他の身分には許可制とする、身分政策だった。
 江戸時代、村の百姓も脇差は差すことができ、村には野獣狩りのための鉄砲はたくさんあった。一揆のとき、百姓たちは鉄砲を使わないという暗黙のルールがあった。
 江戸時代、三代将軍家老のときまで六人衆がいて、老中・若年寄制はまだなかった。六人衆が亡くなったとき、補充されず、老中と若年寄が制度として確立した。
 幕末のころ、隠れ切支丹を幕府は取り締ったが、明治政府は開港・開国のなかで、キリスト教禁令を解除せざるをえなかった。ただし、明治政府がキリスト教の信仰を制限つきでありながら認めたのは、明治22(1889)年の大日本帝国憲法だった。それまで隠れ切支丹だった人々が大挙して長崎で出現したのです。同じことが久留米の先にも起きました。浮羽の先の今村地区です。明治になってから立派な教会堂が建設されました。改築されて、今も堂々とした教会堂として現存しています。
 帝国憲法(明治憲法)は君主主権をうたっています。国民主権ではありません。先日の参院選で「躍進」した参政党の新日本憲法草案は、国民主権ではなく天皇主権に戻すというものです。今どき信じられない発想です。参政党の草案には、憲法が権力を縛るものだという発想がまったくありません。そして、日本国憲法で保障している、表現・言論の自由などの基本的人権の保障がほとんど抜け落ちています。恐ろしい内容です。そんなことを知らないで、ムードに流されて参政党に投票した国民が少なくなかったように思われます。
 日本を名実ともに法治国家にして、人権がきちんと保障されるようにしたいものです。そのための不断の努力が求められています。
(2023年10月刊。3960円)

統一教会との格闘、22年

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 鈴木 エイト 、 出版 角川新書
 安倍晋三元首相が奈良県で白昼、手製銃で殺害されたのは今から3年前の2022年7月8日のことでした。ようやく、この秋から裁判が始まります。
銃撃して1人の人間を殺害したことを許すつもりはまったくありませんが、山上被告が統一協会(決して教会ではありません)の被害者であることは間違いありません。
報道によると、山上被告の母親は今でも統一協会の信者だそうです。自分たち一家が経済的に丸裸にされ、生活保護を受けざるをえないほど追い詰められてもなお信者だというのです。まことに洗脳というのは恐ろしいものだと思います。
統一協会の教祖であった文鮮明はとっくに死んでいます。今から13年前の2012年9月3日、風邪をこじらせ肺炎から意識不明となって病死しました。92歳でした。今、その妻が教祖を引き継いでいるようですが、そのナンバー2だった信者は前大統領の妻に高級バッグ等を贈ったとして、つい先日、韓国で逮捕されています。
 文鮮明の息子たちの多くはアメリカにいるようですが、利権をめぐって醜い争いをしていると報道されています。
安倍殺害事件のころから急に全国的に有名になった著者は、実に22年前から、街頭やビデオセンターでの統一協会への勧誘行為への妨害行動をしてきました。驚嘆します。
 実は私も、統一協会のビデオセンターに押しかけて妨害行動をしたことがあります。
 そのとき、ビデオセンターの責任者の女性(当時30代と思います)はすぐに110番しましたので、パトカー2台、警察官が6人ほどやってきました。私はバッジもつけていて弁護士だと名乗って、被害回復のための交渉に来ていると自己紹介しました。すると、警察官は、110番した女性責任者のほうに事情を聴きはじめたのでした。結局、私は騙しとられていた300万円の全額を取り戻すのに成功しました。
 統一協会は駅頭などで「手相を見ています」「自分の運勢を知りたくないですか」などと、宗教色を見せずに声をかけてビデオセンターに誘い込もうとします。そこで著者は、いや、これは宗教団体の勧誘行為だと対象とされた人々に教えてやるのです。たいした度胸です。
 それにしても、統一協会からガッポリ献金と票をもらい、お互いに持ちつ持たれつの関係にある自民党の国会議員がなんと多いことでしょうか。その典型が萩生田光一議員です。今でも、しれっとして国会議員なのですから、呆れてしまいます。
 統一教会の信者は、お金だけでなく、秘書にもなって国会議員を取り込んでいます。本当に怖いです。自民党のほうは利用しているだけ、のつもりでしょうが、客観的にみれば、統一協会のほうが自民党議員をしっかり利用している関係にあります。今、タカ派の若手ホープとして売り出し中の小林鷹之議員も統一協会とは密接なつながりがあるようです。
統一協会の教義によると、日本は韓国に罪滅(ほろ)ぼしのため仕えるべき国なので、献金をするのは当然だというのです。ということは、「日本人ファースト」なんていうものではありません。どうして、超タカ派の自民党議員が「韓国ファースト」の宗教と結びつくのか、不思議でしかたありません。
それにしても、著者が地道な活動を22年間も続けているというのには頭が下がります。
(2025年3月刊。1040円+税)

虫・全史

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 スティーブ・ニコルズ 、 出版 日経ナショナルジオグラフィック
 昆虫は、種の数と個体数のいずれでも、これまで地球上に存在した動物のなかで、もっとも繁栄しているグループ。今までに110万種が確認されていて、それ以外に未発見の種が世界中には500万種いるとみられている。そして、個体数は1000京匹という。つまり、地球上に生息する動物の4分の1が甲虫で、10分の1がチョウかガという計算になる。
 昆虫は節足動物。つまり、節足動物門に属している。クモやムカデなども節足動物。動物には32の門がある。節足動物門はずば抜けて大きい。
 体長2メートルもの節足動物の化石が発見されている。アノマロカリス類だ。
オルドビス紀の海には、奇妙な生き物の集団であふれていて、その多くが節足動物だった。節足動物は、今から5億年ほど前のカンブリア紀の初期か、その始まる直前の海で進化した。頑丈な外骨格とさまざまな用途をもつ脚のおかげで、節足動物はすぐに優位な立場を確保した。
 昆虫のもっとも古い祖先は海洋生物だったに違いない。オルドビス期(4億8千万年前のころ)の初期に水生の昆虫が陸地に上がって生活するようになった。
 昆虫は、その多様性に対応するために、27の「目(もく)」に分けられている。
昆虫のなかでは、完全変態する種類がもっとも多い。完全変態とは、成虫とは全然異なる幼虫段階のある昆虫のこと。
 ネムリユスリカは、幼虫期が完了するまで、何度でも必要なだけ乾燥と蘇生を繰り返すことができる。ネムリユスリカは、幼虫のときには、身体の水分の95%を失っても死なない。幼虫は、マイナス270度から102度までの温度変化に耐えたあと、水を吸収すると生き返る。
アフリカのウガンダでは、1本のアカシアの木に、37種もの昆虫が共存している。
 もっとも重い昆虫は、ニュージーランドに生息する、飛べないコオロギ、オオウェタで、重さは71グラムもある。もっとも長い昆虫は、ナナフシで、ボルネオ島で発見された個体(メス)は、体長40センチもある。
酸素濃度が節足動物の体の大きさに実際に影響しうることが判明した。酸素がカンブリア爆発の火種(ひだね)になった。
 昆虫は人間の食べ物にもなる。世界中で、2000種の昆虫を人間が食べている。
 昭和天皇は、蜂の子ごはんを大好物にしていた。
 昆虫の脚は、6本。6本もの機態的な脚があることが、昆虫の多様性に役立った。飛翔能力の進化は、昆虫の成功の大きな要因になった。
 チョウの幼虫は、葉をむしゃむしゃ食べるが、成虫は蜜(みつ)を吸う。カマキリは魚を捕らえて食べる。
 シロアリは、世界に2500種いて、生態系は他のほとんどの昆虫よりはるかに大きい。シロアリは土壌に酸素を運び、大量の糞を取り除き、地下深くから無機物を運び上げる。
600頁もの部厚さで、昆虫に関する全容を教えてくれる、百科全書のような本です。
(2024年8月刊。3960円)

高所綱渡り師たち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 石井 達朗 、 出版 青弓社
 30年以上も前のことですが、ナイアガラの滝を、アメリカ側とカナダ側のそれぞれから2回、訪れたことがあります。大変なスケールの滝で、圧倒されました。この滝にロープを渡して綱渡りをした人が何人もいるようです。
 一番最初は、1859年6月30日で、フランス人のブロンディン。
 峡谷の幅は335メートルあり、そこに396メートルのロープが設置された。ロープは直径8.3センチの麻綱。ロープの巻き上げ機などない時代なので、人力で張ったので、ロープの中央部分は陸地に固定された箇所より15メートルも低かった。つまり、ブロンディンは、水面から53メートルの高さからロープを歩き始め、38メートルの高さまで、ロープを下っていく。そして、そのあと、再び53メートルの高さまで昇る。
バランス棒は長さ11.6メートルある。ブロンディンは身長163センチ、体重は63キロ。安全対策など何もなく、命綱はない。バランス棒だけが命の綱。行きは15分、帰りは7分で渡り終えた。見物人は8千人ほど。収入は250ドルであり、ロープ代だけで350ドルかかったので、完全な赤字。それでもナイアガラの滝で綱渡りした男として高く評価された。世間は、ブロンディンが単なる奇人・変人ではなく、畏怖すべき曲芸師だと認めた。
 女性もナイアガラの滝の綱渡りに成功している。イタリア生まれのマリア・スペルテリーは1876年7月、23歳の若さだった。ロープの上を後ろ向きに歩いたり、目隠しをしたまま歩いたり、また桃を入れるバスケットを足に固定させたり、いろいろな技も見せている。
 バランス棒はロープが揺れたときに身体のバランスを保つために必須のアイテム。バランス棒なしの、素手で渡るのは不可能ではないが、相当に難易度が上がる。日本の曲芸師は、棒をもって渡るのを「カンスイ」といい、手に何も持たないで渡るのは「素渡り」という。
曲芸師が、ロープからわざと落ちて、とっさに片腕でロープをつかみ、ロープにぶら下がる。そして、やおらロープの上に体を持ち上げ、ロープに座る。
 野外の高所での綱渡りする者にとって、予期せぬ突風は最大の敵となる。ワイヤーの質、その設置方法、バランス棒、綱渡り師の体調など、すべてが完璧であったとしても、予期せぬ突風に突然襲われたら、大変危険。うむむ、こればっかりは自然の脅威ですからね…。
 「七人のピラミッド」を演じている様子の写真がありますが、見るだけでハラハラさせます。
 七人は文字どおり運命共同体。ワイヤーの上に四人、その上に二人、その上に一人。
 三層で、「四一二一一」という体勢をつくる。一本のワイヤー線の上に全員が乗っているので、一見すると平面的。しかし、生で見ると、いかにも立体的。七人全員が長く両端がしなっているポールを持っている。七人のバランス棒は、七本が同じように動くのではない。各自が自分の体のバランスと自分の位置でのバランスを微妙に調整し、かすかに波打つようにポールを揺らしながら進行する。いちばん上の女性は、椅子の上に座ったままポールでバランスをとっている。
 この芸を17日間に38回もやり遂げた。すごいですね。1997年のことのようです。
2001年、倉敷チボリ公園では、「八人のピラミッド」を成功させたのでした。いやあ、信じられません。私は、現地で、観たくなんかありません。だって、生(なま)だと、失敗したのを目撃しかねないじゃありませんか。目の前で人が死んだり、大ケガしたりするのを見るなんて、私には耐えられません。
 9.11でテロ対象となった世界貿易センターも高所綱渡りの場になったようです。いやはや、なんと恐ろしい…。よくぞ調べあげたものだと感心しました。
(2025年4月刊。3740円)

本ができるまで(増補版)

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 岩波書店編集部 、 出版 岩波ジュニア新書
 私は地下鉄の電車の中で携帯電話で通話ができることが不思議でなりません。電波って、コンクリートも鉄も瞬時に通過するようですが、理解できないのです。同じように、カラー印刷ができるのも不思議です。いったい、絵の具を誰が、どこで、どうやって混ぜて多彩な色彩を再現できるのでしょうか…。
 黒一色の印刷なら分かります。極小の点々に分けてしまえば、印刷できるというのは理解できます。でも、カラー印刷となると、色を混ぜあわせるわけですが、その仕方がとても理解できないのです。多色刷りの版画なら、きちっと紙をおさえて何回も重ね塗りすれば出来あがるというのをテレビで見ましたし、理解できました。
 この本は、色再現には加法混色(かほうこんしょく)と、減法混色(げんぽうこんしょく)の二つの方法があるとしています。これは絵の具を混ぜるというのとは、根本的に違うもの。CMYK(Cはシアン、Mはマゼンタ、Yはイエロー、Kは黒)の各色について、網点(あみてん)と呼ばれる小さな点のパターンを生成し、それらを重ね合わせることで、色調を再現する。
 ということは、木版画と同じように何回も上から塗っているということなのでしょうか…。誰か教えてください。
 ルネサンスの三大発明は、火薬、羅針盤、活版印刷。このどれもが中国または朝鮮半島に起源がある。なるほど、1300年代に高麗で金属活字を使って印刷された本が今も残っている。すごいことですよね。
活字に用いた金属は鉛。この鉛には、炉から出た瞬間に固まるという特性があり、この性質を生かしている。
 溶けやすく、固まりやすく、かつ硬い金属。グーテンベルクは鉛にいくつかの金属を混ぜあわせて金属活字をつくり出した。そして、油性インキもつくり上げた。
 現代日本では、1年間に32万トンものインキを消費している。
 近代日本で、大量印刷物として出回ったのが、大正14(1925)年に創刊された『キング』。これは創刊号75万部、最盛期100万部というのですから、すごいものです。
オフセット印刷は、多色グラビア輪転機がつくられて始まった。
 インキの厚盛りが可能となり、豊富な色調再現が可能となった。塗り重ねているということでしょうか…。
 かつて印刷所には、金属の活字がたくさんありました。私も見たことがあります。それを取り出して、組み込むのです。その仕事をする人を文選(ぶんせん)工といいました。そして、植字(「しょくじ」と一般には読みますが、印刷業界では「ちょくじ」と読むそうです。初めて知りました)します。
 今では、みんなインターネット(パソコン)にとって代わられています。
 さて、本にするなら、背に接着剤を注入して、すぐに熱風で乾燥させなければなりません。雑誌は針金で閉じこみます。
 今や電子ブックの時代です。私の書いた本もいくつか電子ブックになっています。この電子ブックも進歩していて、「Eペーパー」というのは、液晶画面のように光を発するのではなく、紙に印刷された文字と同じように反射式で人間の目に入ってくるそうです。
私が電子ブックを読まないのは、赤エンピツで傍線を引けないし、フセンを立てることができない、一覧性がないからです。
 入院でもしたら、オーディオブックで落語か古典文学を聴くつもりです。でも、やっぱり紙の本が読みたいです。
 紙製の本がなくなることはない。私の絶対的な確信でもありますが、この本でも再三強調されていて、意を強くしました。
(2025年4月刊。1320円)

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