(霧山昴)
著者 アントニー・ビーヴァー 、 出版 白水社
戦記物の第一人者がロシア革命の内実を刻明に描いた本です。もちろん、レーニンの率いる赤軍が勝利して、白軍を駆逐したわけですが、内戦の過程では双方が残虐行為を重ねていたことが繰り返し明らかにされていて、読み手の心を傷つけてしまいます。
革命というのは、ネフスキー大通りを旗を持って行進するようなものではない。これに似たことを誰かが言っていたと思います。中国の内戦についても、毛沢東が同じようなことを高言していました。
そして、レーニンの下で、トロツキーとスターリンが(激しく)争っていたことも紹介されています。
1919年正月、チェーカー長官のジェルジンスキーが泥酔のうえ、レーニンに自分を射殺してほしいと懇願した。あまりに多くの人々の生命を奪ってきたからという理由だった。しかし、レーニンがチェーカーを使って実行しようとしていた階級絶滅作戦は、まだ始まったばかりだった。
このころ、南ロシアの赤軍16万のうち、2万は中国人兵だった。どうやって中国人兵が赤軍に加わったのでしょうか。まさか、中国紅軍ではないと思いますが…。
テロがテロを生み、さらに大規模で度を越えた残虐行為を引き起こしつつあった。
また、このころ日本軍がシベリアに出兵していた。日本軍は「ヨシワラ」と称する慰安婦グループを同行していた。そのため、日本軍の性病罹患率は非常に低かった。それに対して、アメリカ軍の性病罹患率はきわめて高かった。
赤軍が司教や教会を敵視し、コサックの伝統的な生活様式を破壊し野蛮な「非コサック化」を進めたことにより、コサックの住民は抵抗した。レーニンは、コサックの伝統を尊重するように指示したが、現地の赤軍司令官たちは無視し、従わなかった。
赤軍指導部の内部でも激しい対立があった。ツァリーツィン攻防戦におけるスターリンの行為をトロツキーは批判した。スターリンは、赤軍の軍事的専門性を高めるためにトロツキーが旧帝政軍の士官を採用したことを批判した。
白軍の兵士の士気が低下したのは、戦線の後方にはびこる腐敗、堕落だった。将兵は大量のコカインを常用し、アルコールを消費していた。コサック集団の野蛮な残虐な手法を眼にして、保守的な農民層が白軍から離反していった。また、白軍は、ユダヤ人はすべてボリシェヴィキだとして、恐るべきポグロムをすすめた。
アメリカ軍は白軍を援助しようとしたが、コルチャーク軍が規律に欠けているのを見て、関わりたくはなかった。
スターリンはペトログラードに入ると、全市を軍事化、恐怖政治を始めた。スターリンが恐れていたのは、味方から裏切り者が出ることだった。
スターリンが旧帝政軍の大佐だったセルゲイ・カーメネフを赤軍総司令官に任命したのは、軍事委員会のなかで自分の支持者を増やして、宿敵のトロツキーを少数派に追い込むためだった。
トロツキーは、大衆的恐怖を大衆的勇気に変える能力を持っていた。革命的トリックを駆使し大聴衆を動かすやり方は、トロツキーの真骨頂だった。そのため、自動車を戦車に似せて見せることもした。
白軍の将校たちは、内戦を金もうけの手段とみていた。将校たちは貨車に国の財産を積み込んで自宅に送っていた。
反ユダヤ主義的感情は、ロシア全土を席巻していた。ロシアでは、誰でもボリシェヴィキの支配とユダヤ人による支配を同一視している。
トハチェフスキーは貧乏貴族出身の職業軍人だった。自信と野心は十分に持ちあわせている。4度にわたって捕虜となったが、そのつど収容所から脱走した。シベリアで次々に勝利したことから、「赤いナポレオン」とたたえられた。これでは、スターリンがねたみますね…。
ボリシェヴィキの側には、どんなに貧しい商人や職人であっても、ユダヤ人をブルジョアの搾取階級とみなす傾向があった。
1920年8月、赤軍は敗退した。これはスターリンが命令を無視したことが原因だった。そこで自分の立場を守る最善の方法は、他を攻撃することだと考えるスターリンは、トロツキーとカーメネフを攻撃した。それがうまくいかず、スターリンは泣きながら革命軍事委員を辞任した。そのことでトロツキーを許そうとはしなかった。スターリンはあきれるほど執念深い性格だった。
1920年11月、赤軍は内戦の勝利を宣言した。共産党政権の徴発隊は、残忍かつ無能であり、非道な略奪をしたため農民に憎まれた。
赤軍は、西シベリアで、60万件の農民蜂起に直面した。反乱鎮圧のための軍事作戦は、トロツキーお気に入りの司令官トハチェフスキーの指揮によって進められた。
白軍が内戦で赤軍に敗れた最大の理由は、柔軟性の欠如にあった。土地改革への対応が遅すぎた。旧ロシア帝国内における諸民族の自治要求を応じなかったのが決定的要因だった。白軍が敗北した主な原因は「道徳的崩壊」にあった。白軍はあまりにも頻繁に人道に反する最悪の行動に出た。ただし、その反対側のボリシェヴィキの非人道的な行為も許し難いものだった。
人間ドッグ(一泊)の合い間に読みふけりました。350頁もある面白い大作です。
(2025年6月刊。3900円+税)
フランス語検定試験(1級)は1997年から受験しているようです。手元に結果を知らせるハガキを残しています。23枚あります。問題冊子のほうは、それより多くて30枚ありますので、初めのころは悔しくて捨ててしまったようです。
150点満点で最高79点をとっています。ただし、合格点も113点ですので、易しかったのでしょう。次は74点です(2015年)。このときは88点で合格ですので、14点差にまで迫ったわけです。最低点は34点(2008)年です。30点代はあと1回あります。50点以上とったのが17回あります。今回は合格点との差は31点でした。引き続きがんばるしかありません。


