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織田信長、石山本願寺合戦全史

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著者:武田鏡村、出版社:ベスト新書
 織田信長と石山本願寺とのあいだの足かけ11年に及ぶ合戦の行方を詳しく追った本です。なかなか面白い内容でした。さすがの信長も宗教を敵にしたら、簡単にはいかなかったのですね。
 石山本願寺が信長に抗して挙兵したのは1570年(元亀元年)9月12日。石山本願寺は、信長軍に包囲されながらも、4万人が生活できる空間域を確保していた。
 信長は本願寺の退去をしつこく強要した。それには二つの戦略的な展望があった。まず第一に、本願寺を屈服させ、大坂から退去させることで、各地の大名と結ぶ門徒勢力の力を配下におけば、尾張、美濃、近江、京都そして摂津、河内、和泉、大和が結ばれて、織田軍の軍事と交易の回廊は瀬戸内海を通じて四国・中国・九州へと伸ばすことができる。
 信長は本願寺勢力を長袖者と侮りました。これは、法衣などの長袖をまとう坊主や、それに従う農民などの力は、いかほどのものか、という侮り(あなどり)の思いがあらわれていました。しかし、その認識がまったく甘かったことを信長はやがて思い知らされるのです。逆に信長は、四面楚歌に陥ってしまいます。
 1574年(天正2年)正月元旦、岐阜城の信長は朝倉義景・浅井久政・浅井長政の三人の首を薄濃(はくだみ。漆塗りして金粉で色づけしたもの)した三つの髑髏(どくろ)として、その前で織田家の前途を祝った。これは、真言立川流の秘儀によるもので、死者に非礼をしたものではない。7年間、安置して祀(まつ)れば、8年目にどくろに魂がよみがえってきて、神通力を与えるという風習を尊重したのです。つまり、信長は彼らのどくろを祀って、その霊力を受けて活力としたいという思いがあったわけです。
 本願寺合戦で、信長も足に鉄砲の弾を受けて軽傷を負ったそうです。初めて知りました。
 本願寺は、4年に及ぶ長期の籠城生活を余儀なくされます。それだけの本願寺の財力と、門徒衆の力、そして本願寺を支援することで信長の勢力を削ごうとする毛利などのバックアップがあって初めてできたことです。
 信長は本願寺の完全封鎖を指示すると、近江の安土山に築いていた安土城工事の監督に帰ったりしています。安土城をつくる過程で本願寺合戦が同時併行していたのです。
 毛利水軍は、焙烙火矢(ほうろくひや)という、投げつけると爆発炎上する火矢を信長方の水軍のもつ安宅船に投じた。この焙烙火矢の威力は絶大で、信長方の軍船は次々に炎上し、沈没していった。ところが、信長はこれを教訓として、2年後に焙烙火矢や弾丸をはね返す鉄板の装甲を施し火砲三門を備えた巨艦の軍船を浮かべて、本願寺の生命線を絶ってしまった。
 本願寺の門主の顕如は信長と講和し、退去して明け渡すという方針をとった。しかし、その子の教如は徹底抗戦派だった。この親子の確執については、信長の目を欺く演技だったという話もあるが、著者はそうではなかろうとしています。
 いずれにしても、信長が本当に約束を守るのか、大変な決断だったと思われます。
 本願寺の講和は、天皇の要請を受諾した勅命講和として、天皇の権威を絶対視している。これは権威や権力と一線を画してきた親鸞以来の本願寺の立場を大きく改変した。第二に、信仰の主体を門徒から宗主に切り替えた。本願寺宗主の貴人化は、このときから増幅され、加速していった。
 専制体制を開くか、中世的自由な特権を守るか、これが信長と本願寺の戦いの根底にあった。教如派の不満は、新たな本願寺の創立に向けられ、本願寺が東西に分立する大きな原因となった。
 石山本願寺合戦で本願寺が信長に屈服したことは、中世的自由民の生活の終焉であり、宗教教団が政治に支配・統制される序章となった。本願寺は、自ら内部対立を惹起したことで、やがて東西本願寺に分立する原因をつくり、それによって武家の宗教統制と身分制度の受け皿となった。
 このように石山本願寺合戦は日本の中世と近世を画する大きなエポックとなる戦いだった。なるほど、なるほど、よく分かりました。

ジェーン・フォンダ、わが半生(下)

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著者:ジェーン・フォンダ、出版社:ソニー・マガジン
 ジェーン・フォンダはベトナム戦争の真最中にベトナムに行きました。そして、北爆を受けたベトナムで少女からこんなことを言われたのです。
 私たちのために泣くことはありません。私たちはなぜ自分たちが戦っているのかを知っていますから。あなたの国、あなたの国の兵隊さんたちのために泣いてあげてください。その人たちは、なぜ戦うのかも知らないで私たちと戦わされているのですから。
 そして、別の男性役者はこう言いました。
 私たちのような小国は、アメリカ人を憎んではやっていけません。いつか戦争が終われば、私たちは友人にならなければなりません。
 ジェーン・フォンダは、少女の言葉でハッと気がつきました。この戦いは、彼らの問題ではなく、私たちの問題ではないのか、と。戦うのは簡単なのだ。だけど、平和を守るのは、戦うより難しいこと。
 ベトナム戦争では5万8000人のアメリカ人(そのほとんどは私と同世代の前途有為な青年でした)と100万人のベトナム人の生命が犠牲になった。いま、アメリカはベトナムに10億ドル以上の投資をしている。アメリカとベトナムの貿易総額は60億ドルに達し、アメリカはベトナムにとって最大の輸出市場になっている。2003年秋ベトナムの国防大臣はペンタゴンの歓迎式典で最大の敬意を払って迎えられた。ベトナムは観光でもビジネスでも、もっとも安全な国のひとつと見なされている。変われば変わるものですね・・・。私も、ぜひ一度はベトナムに行ってみたいと考えています。
 ジェーン・フォンダはベトナム反戦運動に身を入れ、とかくの批判を浴びましたが、女優としては、実は、それまで以上に花開いたのでした。そして、ジェーン・フォンダはホームビデオの世界に乗り出し、大成功をおさめたのです。実は、わが家にもビデオがありました。ジェーン・フォンダのエクササイズです。本を5冊、ビデオテープを23本もつくったというのですから、たいしたものです。1本のビデオを5日間で撮影しました。ただし、その準備には6ヶ月から1年かけたそうですが・・・。
 ジェーン・フォンダは自分が浮気をしていたことを次のように告白します。
 私の摂食障害は完璧という不可能を求めていたことの裏返しで、食べ物を体に「入れる」ことで自分の中の空虚を埋めようとしていた。過食して吐くという行為は止めても、私自身は変わっていなかった。自分の体と本気で向きあい、自分の心を包んでしまった偽りのコントロールという頑丈な容器を打ち壊さなければならなかった。
 私は食べ物の代わりにセックスに逃げ場を求めた。浮気をしたのだ。それはすばらしかったが、同時に心の傷になって残るような経験だった。いつか、この背信の報いを受けるだろうという不安に絶えずつきまとわれながら、そのくせ心地よい解放感も感じていた。ただ楽しむために誰かと一緒にいる。妻でいなくてもいい相手と一緒にいることは、私のなかのずっと死んでいた部分を生き返らせてくれた。なんという大胆な告白でしょうか。
 ジェーン・フォンダは45もの映画に出演した。本当に満足のいく演技のできた作品は、そのうち8〜9作しかない。今日は、おまえが分不相応なギャラをふんだくる詐欺師だったことがバレる日だという悪魔の声に絶えず脅えていたそうです。うむむ・・・。
 グレゴリー・ペッグが一日中くり返し練習している様子も見たといいます。役者としてのアイデンティティは、すべて周囲で用意してくれ、その日のシーンで何を考え、何を感じ、そして言う言葉まで渡される台本が教えてくれる。役者の責任は演じる人物の感覚や言葉に命を吹きこむことの一点に絞られる。これこそが難しい。だからこそ役者は、これに対して報酬が支払われる。
 役者は他者を感じ理解するために、他者の気持ちになることを要求され、この他者の目を通して物事を見ることが俳優に同情という感情を与える。芸術家が独裁者を嫌悪し、愛国者を装った独裁者にガマンできないのは、このためではないか。
 芸術家は人の心がもつ多様性を愛するが、独裁者はそれを忌み嫌う。
 私の言う親密さとは、セックスのことだけではない。セックスも親密さのひとつではある。だが、親密さのすべてではない。ときとしてセックスは快楽を目的とした単なる性器の刺激である。私の言う親密さとは、二人の人間が心を通わせあうことであり、互いに明らかな欠点があろうとも、心を大きく開いて向きあうことである。
 心を開けば人は傷つきやすくなる。だからこそ信頼が大切になる。また、自分を愛することも大切である。自分を愛せなければ、誰かと心を開きあって真に親密な関係になることなどできない。
 私は、相手が求めるとおりの女になっていた。セクシーな若い女であり、物議をかもす生活家、そして大実業家に寄り添う貞淑な妻だった。間違ってはいけない。女が男を選ぶ。男が女を選ぶんじゃない。私も、本当にそう思います。
 ジェーン・フォンダが豊胸手術をしていたというのでビックリしました。そんな必要はなかったでしょうに・・・。ところが、そのインプラントをとる手術を受けたのです。そのときの女医さんは、こう言いました。
 女性は、ある年齢になって、本当の自我が育ち、自分をもう外見で判断しなくてもよくなると、インプラントを取りたいと思うことが珍しくない。
 ここまで確固たる自己分析をされると、さすがです。心から拍手を送りたくなります。
 男性遍歴の数々がことこまかに描かれていて、そこらの小説を超えてしまいます。事実は小説より奇なり、なんていう言葉は今となっては古めかしすぎますね・・・。人生とは何かを考えたい人に一読をおすすめします。

動物感覚

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著者:テンプル・グランディン、出版社:NHK出版
 大いに目を開かされる本でした。自閉症をもつ動物科学者が動物の行動と感覚を分かりやすく解説した本です。なるほど、なるほど、そうだったのかー・・・と、思わず何度もうなずきながら読みすすめていきました。440頁の大部な本ですが、おもしろさと未知の発見でドキドキしてしまう本です。
 著者は自閉症のおかげで、動物に関して、ほとんどの専門家とちがった見方ができる。動物は私たちの思っている以上に賢い。長年、動物とともに暮らしていながら、私たちが動物の特殊な才能に気づかない理由は簡単だ。その才能が見えないということ。
 自閉症の人は絵で考える。頭の中では、まったくといっていいほど、言葉はめぐっていない。次から次へとイメージが流れているだけ。
 動物は明るい場所から暗い場所に移動するのが大嫌いだ。とても大事なことは、動物は目に見える世界にきわめて敏感なこと。
 ふつうの人の知覚系統は、見慣れているものを見るようにつくられている。
 動物であれ人間であれ、目で見て考えるタイプは、こまかいことにこだわる。動物は細部にこだわる。自閉症の人も、ものの全体よりも細部に大きく注意を向けている。動物と自閉症の人は似ているところがいくつもある。
 牛がなにか目新しいものに自分から近づいていくのは、好奇心があるから。動物はみな好奇心が強い。遺伝子に組みこまれている。好奇心が強くなかったら、必要なものを見つけたり、不要なものを避けたりするのに苦労する。好奇心は用心の裏返しだ。
 自閉症の人は、ほとんど常に音に対する鋭い感受性で苦しんでいる。大量の音から受ける影響を説明しようと思ったら、太陽を直視することにたとえるしかない。ふつうの人には聞こえない音を聞いている。たとえば、となりの部屋であめ玉の包みをはがす音が聞こえる。
 人間は意識して気づいている以上に、たくさん知覚している。不注意による見落としとしては、頭脳処理の高度なレベルで起きる。脳は、なにかを意識に送りこむ前に、数多くの処理をおこなっている。ふつうの人の脳は知覚情報が入ってくると、その正体を突きとめ、それからようやく人に情報を伝えるかどうかを、その重要性によって決定する。つまり、知覚情報を人が意識する前に脳がすっかり処理しているのだ。
 ふつうの脳は、人が望んでも望まなくても、関心のない細部を自動的にふるい落とす。自閉症の人は違う。ふるい落とすことができない。身のまわりの何千億という詳細な知覚情報が意識のなかに入りこんできて、圧倒される。めくるめくような大量のこまかい情報だ。自閉症の人は、ほかの誰も見たり、聞いたり、感じたりできないものを、見たり聞いたり感じたりしているのだ。
 動物と人間の情動の大きな違いは、動物には人間のような心の葛藤がないこと。動物は相反する感情をもたない。動物同士や人間と愛憎関係にはならない。動物は忠実だ。人を好きになったら、とことん好きだ。外見や収入など気にしない。子どもの情動も、犬の情動のように率直で、忠実だ。
 自閉症の人の感情も、ほぼ単純だ。自閉症の人の気持ちは、動物の気持ちと同じように率直で赤裸々だ。自分の気持ちを隠さないし、気持ちにゆれがない。
 動物は人間がもっているような複雑な情動を恐らくもっていない。
 脳の探索回路が活発になるのは、ついに食べ物を見つけたとき、あるいは食べているときではなく、食べ物を探しているあいだだ。探索それ自体に快楽を覚えるのだ。動物と人間は食べ物探しを楽しむようにつくられている。だから狩猟家は、殺した動物を食べるわけでもないのに狩猟を楽しむ。猟をすること自体が好きなのだ。
 遊びには新皮質がまったく必要でない。人間の子どもは誰でも成長して前頭葉が成熟するにつれて、だんだん大はしゃぎをしなくなる。前頭葉が支配的になるほど、「まじめ」になり、遊ばなくなる。
 ラブラドールは、ニューアゥンドランドの作業犬だった。氷のような水中にとびこんで漁網から魚をとってこなければならなかった。ラブラドールは水中で、魚をつかまえようとして、がむしゃらに水をかく。ラブラドールは奇妙な犬だ。恐怖心があまりなく、攻撃性が低く、社会性が高い。しかし、これは正常な組み合わせではない。
 犬をしつけるもっといい方法は、胸やおなかをくすぐったり、なでたりして、犬にとって楽しいゲームをしながら寝ころがせ、そのときに餌を与えること。こうすれば、犬は何もいやなことをされずに服従の姿勢をとる。動物に新しいスキルを教えるために罰を与えるのはよくない。ほとんどすべての場合、肯定的な方法をつかえば、動物に芸当を覚えさせたり、スキルを伸ばしたりする訓練ができる。
 犬が人間と暮らすようになったのは、人間が犬を必要とし犬も人間を必要としたから。人間と犬の関係だけでなく、自閉症の人を動物と比較することによって、人間とは何か、どういう存在なのか、もうひとつ認識が深まった気がしました。

日本のがん医療を問う

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著者:NHK特別取材班、出版社:新潮社
 がんの死亡率は欧米では下がりはじめている。アメリカでは1993年をピークに減少に転じた。イギリス、フランス、ドイツでも死亡率は頭打ちになっている。ところが、日本では依然として増え続けている。年間30万人、日本人の3人に1人が、がんで亡くなっている。
 世界の治療現場で標準的につかわれている抗がん剤が、日本ではつかえない。アメリカの臨床医の教科書に標準的な治療薬として掲載されている抗がん剤111種のうち、3割にあたる35種が日本では承認されていない。
 放射線治療施設と治療器の数がアメリカに次いで世界第2位でありながら、日本は、品質保証体制がまったく整っていない国となっている。専門医も診療放射線技師も少ない。
 日本には、がん難民がうまれている。ほとんどの病院には、抗がん剤治療を専門とする腫瘍内科医がいない。抗がん剤は、誰がつかっても同じような結果の出る抗生物質のような薬とは違う。たとえば、乳がんの薬は、ホルモン剤や分子標的治療薬も含めておよそ20種。少ないとは言え、ほかのがんの倍近くある。その特性を知って、効果的にがんをやっつけなければいけない。それが腫瘍内科医の仕事なのだ。
 日大病院では2003年度に手術を受けた乳がん患者のうち、温存手術は第一外科で 61%なのに、第二外科では27%、第三外科では46%だった。受診した曜日によって乳房を残せるかどうか左右されていた。治療方針は医局によって、それほど異なっていた。
 全国のがん患者を128万人と推計し、そのうち半分の64万人が抗がん剤治療を必要とし、一人の医師が1年間で抗がん剤をつかって治療する患者を20〜50人とすると、抗がん剤を専門とする専門医が2万人は必要となる。
 そして専門医をめぐって、2つの学会が争った。専門医は、明らかに不足しているのですが・・・。
 集団検診がどれほど有効なのか、人間ドッグで本当にがんの治療ができるのか、いろいろ考えさせられました。

最後の狩人

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著者:ニコラ・ヴァニエ、出版社:小峰書店
 お盆休みに、福岡の小さな映画館で、この映画をみました。カナダのロッキー山脈の雄大な大自然がよく描かれています。
 実在の罠猟師がそのまま主人公で出てくる映画です。彼が、木がどんどん伐採されて森に木がなくなりつつある、動物たちも減少していると嘆いているのをみて、森林とそこに棲む動物たちがいなくなったら、人間の将来もないなと思わざるをえませんでした。
 テレビにもラジオにも縁のない、森の中での生活です。エスキモーの妻が留守を守り、犬たちと一緒に狩りに出ます。犬ぞりに乗って・・・。
 スノーモービルだと故障したら、もうどうしようもない。しかし、犬は故障しない。
 シベリアン・ハスキーが森の中で生き生きと活躍し、素敵です。暑くて自然に乏しい町のなかで生活するような犬ではないのですよね。
 凍った湖を犬ぞりで走行中に割れた氷のなかにおぼれるという実体験が、映画のなかで再現されています。スノーモービルなら氷中に落っこちたら、とても助からなかったことでしょう。でも、犬たちに呼びかけていたら、引き返してくれたのです。そこは日頃の付きあいのたまものでした。
 主人公はいつも犬に話しかけ、ほめる。犬との付きあいの基本はほめること。そうやって心を通じていないと、いざというときに、いうことをきかない。
 冬は氷点下40度の世界だから、氷中に落ちたとき、たとえはいあがれたとしてもマッチやライターが濡れていると、火はなかなかつかない。かじかんだ手もいうことをきかず、火をおこせない。凍死の危機が迫る。映画では犬の身体で手指のしびれをなくしてマッチをこすることができました。彼らは、こんな事態にそなえて、ワックスで防水したマッチを常にオーバーやシャツの襟に何本か縫いこんでいるというのです。
 極北の地では体力と知力を総動員しないと生きていけない。これをフルライフという。一度フルライフを経験したら、快適な都市生活は安易に過ぎて退屈なのかもしれない。
 オオカミは犬を襲う。しかし、近くに人間がいると襲わない。オオカミは物語と違って人間を襲わない。初めて知りました。
 犬ぞりでシベリアを3ヶ月かけて8000キロ走破したという冒険家が監督した、大自然の素晴らしさを描いた映画です。

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