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サバイバル登山家

カテゴリー:未分類

著者:服部文祥、出版社:みすず書房
 すごい山登りです。厳しい自然のなかで自分の全存在をかけて登っていきます。私にはとても真似できませんし、また真似するつもりもありません。冬に寒いのはいやですし、夏に蚊に刺されるのも耐えられません。ご飯はわが家でゆっくり食べたいし、トイレも水洗を愛用しています。雪の洞窟のなかに閉じこめられ、他人のいるところで用便するなんて、たまりません。それにしても恐るべき山登りの記録です。
 夜テントで寝ているところを、キツネに食料をごっそり盗まれてしまった。あと10日ある山行の14日分の行動食をキツネが袋ごと持ち去った。残った食料はモチ1キロと乾燥米12袋、紅茶と砂糖、ヤッケのポケットに入れていたアメ6個とカロリーメイト1箱のみ。海岸で打ち上げられた昆布と海辺に生息する小さなウニを見つけて無心で食べる。スキーをザックにくくりつけた人間の出現にエゾシカが驚き、崖から転落して死んだ。
 生きようとする自分を経験すること。これが著者の登山のオリジナル。山には逃れようのない厳しさがある。そこには死の匂いが漂っている。だからこそ、そこには絶対的な感情のある気がする。
 生命体としてなまなましく生きたい。自分がこの世界に存在していることを感じたい。そのために山登りを続けている。そして、ある方法にたどりついた。食料も装備もなるだけ持たずに道のない山を歩いてみる。最大11日間の山行にもっていく食料は、米5合、黒砂糖300グラム、お茶、塩、コショーだけ。電池で動くものは何も持たない。時計、ヘッドランプ、ラジオも、コンロと燃料もなし、マットもテントもない。タープを張って雨を避け、岩魚を釣って、山菜を食べ、草を敷いてその上に眠り、山に登る。
 えーっ、そんなことができるかしらん。
 山梨県南部の見延から、富士川支流をのぼっていく。南アルプス方面だ。ヤマカガシ(毒ヘビ)を見つけ、頭をふんづけて殺す。皮をはぐと、腹から溶けかけたカエルが出てきた。その未消化カエルとヤマカガシとヒラタケを塩味のスープとする。もう一匹のカエルは皮をはいで内臓を出して丸焼きにする。でも、食べるところは、ほとんどない。
 岩魚の内臓はスープ用にとっておき、卵は塩漬けにする。岩魚は、さばいたら塩・コショーして近くの枝にぶら下げておく。これで余計な水分が抜けて燻製づくりがうまくいく。岩魚は、ワタ(内臓)もアラも捨てない。捨てるのは胃袋の中身とニガリ玉とエラだけ。それが岩魚への礼儀だ。岩魚は型が良ければ、刺身が旨い。
 カエルは皮をむいて、毒腺から出た毒をよく洗い、内臓はごめんなさいと森に投げ、身だけを燻製にする。おみやげに喜ばれるカエルの姿干しだ。このカエルはおやつ専用。
 山のなかでの「なんとなく」という感覚は大事にする。言葉に還元できない総合判断、身体全体で考えているということ。研いだ米は、急がないなら誤ってけ飛ばさないところに置いておく。焚き火の近く、じんわり暖まるくらいに置く。
 はじめ調味料は砂糖と塩とコショーだけだったが、最近はミソとゴマ油そしてしょう油も持っていく。塩・コショーだけではあまりにも味気なくて、まいってしまった。たとえ数日間でも、同じもの同じ味を食べ続けるのは、大いなる精神的苦痛だ。
 一週間ほどの山行なら、全装備・食料が35リットルのザックに余裕をもって収まる。しかし、自給自足は手段であり、あくまでも登山が目的。
 長い冬山のあとは、炒め物や生野菜が妙に旨い。サバイバル登山とは、自分の体が隠し持っている能力に出会う機会でもある。
 山でもっとも厄介なのは風。風は、静かに降る雪や雨の何倍もの力で人の生命力を奪い去る。風の影響のないところに幕営地を変更した方がいい。予備の装備を持っていくより、道具をつくり出すための道具、使いやすいナイフや小さなペンチを持っていく。新聞紙が防寒具、タオル、ぞうきん、風呂敷のかわりをする。お尻は川か水たまりか雪で洗うから、トイレットペーパーも不要。シュラフは化繊から羽毛にかえる。軽く、小さくなる。
 沢をゆく旅では、行動用の服と泊まり場用の服を分けたほうがいい。泊まり場用の服とは、毛の下着、ステテコとラクダのシャツのこと。ないと困るのは、完全防水を可能にするビニール袋。乾いた衣服と寝袋そして雨をさえぎってくれる空間があれば、そう簡単に人は死なない。
 朝は6時までに出発する。出発したら9時を過ぎるまでザックは下ろさないし、何も食べない。これは自己規律。9時を過ぎたら1時間ごとに休みはじめ、ちょくちょく何かを食べる。12時を過ぎるころには、へたばってきて、その日の宿営地を探しながら歩く。13時から14時には泊まり場を決める。お米は2合強を一度に炊く。翌朝の分までつくっておく。
 すごい、すごーい。すご過ぎます。とてもとても私には出来ない山登りです。本を読むだけで十分でした。でも、知ってみたい山行きの世界です。
 台風一過、秋晴れの日となりました。曼珠沙華が咲いて、秋の気配が濃くなりました。
 台風で、庭の葉がかなり吹き飛んでしまいました。エンゼルストランペットは全滅です。芙蓉の花はまだ生き残りました。酔芙蓉の花がまだ咲いていませんが、なんとか花を咲かせてくれるものと期待しています。庭を片づけて、かなりスッキリしました。チューリップの球根を植える準備をすすめなければいけません。

中国を取るアメリカ、見捨てられる日本

カテゴリー:未分類

著者:矢部 武、出版社:光文社ペーパーバックス
 アメリカ人にとって、日本はもはや魅力や興奮を与えてくれる存在ではなくなり、その座を中国に取って代わられてしまった。アメリカのメディアにおける日本関連報道は激減し、アメリカ人の日本への関心は低下している。アメリカのメディアは、東京支局を閉鎖したり、縮小している。日本軽視、中国重視の傾向が強まっている。
 2003年、中国のGDPは1兆4000億ドルで世界第7位。2005年には2兆2000億ドルを超え、フランス・イギリスを抜いて世界4位となった。2017年には中国は日本に追いついて世界第2位となるとみられている。
 靖国神社にこだわる小泉首相によって日中首脳会議も開けない。隣国と対話できない日本は、アメリカにとっても役に立たない。日米同盟が機能するのは、日本が東アジアのなかで役割を果たしてこそだ。
 中国人の贅沢品・娯楽の年間消費高は20億ドル、世界全体の12%。これは、アメリカ、日本に次いで、世界第3位。カリフォルニア大学バークレー校では、2004年まで受講者数1位だった日本語は、中国語にとってかわられた。ハーバード大学でも同じ。日本語クラスを減らして、中国語を増やしている。受講者は中国語580人、日本語は半分以下の269人。
 戦犯を祀っている靖国神社へ小泉首相が参拝すれば、中国・韓国だけでなく、欧米をふくむ世界の国々からの理解は得られない。それは日本の国益にとって大きなマイナスとなる。
 小泉首相が何と言おうが、日本が中国を侵略したという過去を変えることはできない。小泉首相の靖国参拝は、「日本は悪くなかった。日本も被害者だった」と考える人々を勢いづかせ、それが一般日本人の対中観の悪化にも影響を与えている。その責任は重大である。そんな人々が小泉政権の強い支持基盤になっているのだろう。
 日本国憲法9条を改正しようという動きは、アメリカが冷戦の終結後、憲法9条を改正して、「普通の国」になっているよう圧力をかけてきたことによる。普通なら内政干渉として大問題になるところだ。しかし,日本がアメリカに抗議したことは一度もない。こんなことで、はたして日本は独立した民主主義国家と言えるのだろうか?
 いやあ、本当にそのとおりですね。情けないと私も、つくづく思ってしまいました。
 日曜日(10日),庭に出て剪定しました。ナツメの木や梅の木などが伸びすぎているのをカットし、ヒマワリはまだ咲いていましたが強制終了させてしまいました。芙蓉のピンクの花、アンデスの乙女の黄色い粒々の花、そしてエンゼルストランペットの淡い黄色の花が今、咲いています。下の田んぼの稲穂も次第に頭を下げてきました。秋の気配を日々感じるこのごろです。

誠実さを貫く経営

カテゴリー:未分類

著者:? 巌、出版社:日本経済新聞社
 最近の欠陥商品は、例のマンションの強度計算のごまかしと共通していると思います。ソニー、パロマそしてトヨタです。トヨタは経団連の前会長。最近、日本社会に格差が拡大することはいいことだ。活力ある社会になるから。そんなことを言ったそうです。とんでもない人物です。そして、現会長の会社(キャノン)は偽装請負で摘発されてしまいました。金もうけのためには何でもする。安全性なんか二の次。そして、ライトがあたっているところでは建て前を述べ、教育論をぶち上げる。なんだかいやになってきます。
 ルールの抜け穴や隙を、法の網をくぐり抜けることで利益をあげるという経営手法は、知らず知らずのうちに、利益をあげるためにはルール破りもよしとの発想にすすんでいく。理屈は簡単。トップがどこかでルール破りを期待していると部下が感じはじめると、部下は忠実にルール破りをやり始める。東横ホテルがそうでした。このホテルを紹介した本を読んで私も好感を抱き、いつか泊まってみようと思っていた矢先でした。障害者しめ出しのポリシーにまったく幻滅してしまいました。私は絶対にそんなホテルは利用しないつもりです。だって、弱者をいじめて金もうけするなんて最低でしょ。
 会社が大きくなれば、そのように考える部下が次々に増えていき、ついにはみなの感覚が麻痺し、ルール破りができなくて仕事がつとまるかという論理にまで行き着く。
 企業に求められている社会的責任のエッセンスをあげると、誠実さ(インテグリティ)に尽きる。インテグリティの本来の意味は、言うことと行うことが一貫し、そこにぶれがないということ。尊敬(リスペクト)と対話(コミュニケーション)も重要な価値である。
 2002年にスーパー西友は肉の産地偽装があったことを自ら公表し、返金すると発表した。ところが、それを悪用した人間が多くいた。西友のレシートをもってレジの前に並んだのだ。それでも、西友は、列の中に1人でも一般のお客様がいたら、最後まで返金を続けるよう指示した。うーん、たいしたものですね・・・。
 NHKのプロジェクトXがなぜ評価されたのか。それは、プロジェクトXが、無心に手を抜かず誠実に事に臨めば、情熱をもってまじめに事にあたれば、いつかは必ず成就するということを主題としていたからである。
 日本ハムは2002年8月、補助金の不正受給が発覚した。事件のあと就任した藤井社長は、「日本で一番誠実な会社を」という名刺サイズのスローガンを胸につけて働くことにした。これは並大抵のスローガンではありません。実際、日本ハムはこのあと何度もマスコミから叩かれました。それでもスローガンをおろさなかったのです。うーむ、やはり信念をもつのは大切なことですよね。

アメリカ弱者革命

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著者:堤 末果、出版社:海鳴社
 2005年10月時点で、イラクでのアメリカ兵の死者は2200人。万一、生きて帰っても誰も面倒はみない。予算カットで軍病院の予約もとれない。
 アメリカの自己破産申立の理由は2つ。医療費と離婚。まっとうに働いている中流階級の一家が、ある日、家族の一人が病気にかかっただけで、高すぎる医療請求書につぶされて破産し、社会的に抹殺されてしまう。
 大統領選挙のときにつかわれた電子式投票機械は、たとえばオハイオ州の黒人居住区では、投票待ち時間が平均5〜6時間。通常なら、184人に1台あるはずの機械が、貧困地区では1000人に1台しかないから。
 落ちこぼれゼロ法が軍のリクルーターに役立っている。この法律は、全米の高校からドロップアウトする生徒を救いあげ、ゼロにするため、周囲の大人が状況を正確に把握しておかなければいけない、としている。その大人のなかに軍も含まれる。だから、軍のリクルーターは、生徒の名前、住所、国籍、両親の職業、成績、市民権の有無、そして携帯番号を知ることができる。拒否した高校は、政府からの助成金が打ち切られる。
 軍に入ったら大学へ行く費用を全額、軍が持つという甘言でつられる。本当はそうではない。そして、州兵になっても、イラクへ送られる。イラクに駐留しているアメリカ兵の10人に1人は州兵と予備兵。一度、入隊してしまえば、上官からの命令にノーとは言えないのだ。軍隊なのだから・・・。
 アメリカ市民ではアメリカ軍の現役兵士が4万人近くいる。入隊すればアメリカ市民権を与えるというエサでつっているのだ。2004年にアメリカ軍がリクルート用につかった費用は3億3,100万ドル(330億円)。リクルーター若者には夢を見せてやるのだ、とうそぶいています。夢だけに終わるのだけど・・・。
 アブグレイブ刑務所でイラク人の捕虜の虐待が起きたとき、拷問したのは、職を奪われた工場労働者たちだった。大学費用がほしくて入隊した一人だった。
 イラクに駐屯したアメリカ兵の延べ人数は100万人。国防総省は、これから精神的治療が必要になる兵士は10万人をこすと予想している。極限状態におかれて精神が不安定になった彼らは、帰ってきても、普通に人と接することが難しくなる。家族とのコミュニケーションがとれない。夫婦仲がうまくいかない、自殺や殺人に走る。不安症や不眠症から仕事が続けられなくなる。
 2004年時点でアメリカには350万人のホームレスがいる。そのうち50万人がイラク帰還兵だという。すさまじい現実です。侵略する国においても内部崩壊がはじまっているのですね・・・。

霞ヶ関、半生記

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著者:古川貞二郎、出版社:佐賀新聞社
 5人の総理に内閣官房副長官として仕えた佐賀県出身の官僚が自己の半生を語った本です。なかなか読みごたえのある内容が語られていました。著者は平成11年夏に初期肺がんの手術をされたとのことです。今後のご健勝を祈念します。
 内閣官房副長官は、自治省(総務省)や厚生省(厚労省)など旧内務省系の出身者から選ばれることが多い。副長官は各省庁を引っぱっていく仕事なので、バランスが必要。旧内務省系は公平な立場から国家全体を考える役所だと考えられている。
 私の知人に自治省のキャリア官僚がいます。あるとき、雑談のなかで、旧内務省キャリアの名簿があるということを知らされ、ひっくり返るほど驚いてしまいました。内務省って、戦前あった役所だとばかり思っていましたが、この本にも出てくるように、今も生きている役所なんですね。げに、官僚の世界とは根深いものがあります。戦後60年以上たっているのに、内務省官僚だった人なんて、ほとんど現存していないのに(失礼、まだ生きている人がおられるとは思いますが)、役所の方は今も脈々と生きづいているのです。
 午前8時前に自宅を出て、午後7時まで分刻みのスケジュール。帰宅するのは、夜9時か10時。それから11時か12時まで番記者と懇談する。一日に少なくとも20人と会って話をする。弁護士の私も一日に20人ほど会って話をすることは珍しくはありません。でも、私が会う人は、みなさん肩書きもお金もない人ばかりです。いわば身の上相談みたいなもので、元気にしてますか、くよくよしないで下さいね、と励ますだけのことがほとんどです。まあ、それでも、ここに来るとほっとします、なんて言ってくれる人がいますので続けています。
 官房副長官は東京を離れられない。休日を除くと、8年間で東京を離れたのは、あわせて2週間だけ。ただし、千葉に菜園をもっていて、そこには通っていた。
 身体が頑健。そして、気分転換が上手でないとつとまらない仕事だ。
 閣議の様子が写真で公開されています。初めて見ましたが、円卓です。テレビで映されるのは、閣議前の閣僚応接室の様子。閣議室には、総理と全閣僚と、政務(2人)と事務の副長官そして内閣法制局長官の4人のみが陪席し、事務職員は入らない。
 しかし、閣議の前に次官会議がある。明治19年(1886年)から続いている必要なシステムだ。たしかに、そうなんでしょうね。
 首相官邸を新築する責任者として、近くに建った高層ビルから狙撃されないような手配もした。私も2度だけ首相官邸に入ったことがあります。司法制度改革審議会の顧問会議に陪席するためです。せっかくですから、トイレも使わせていただきました。さすがに豪華です。
 著者の父親は農業。成績は優秀でしたが、音楽と習字は苦手。一万人に一人という音痴だったそうです。音痴なのは私も同じです。九大に一度すべって佐賀大学の文理学部に入り、翌年、九大に入ることができました。そして、大手の損保会社に入れず、長崎県庁に合格。県職員として勤めながら厚生省を目ざしたのです。長崎県庁では、法令審議会で条例づくりを担当しました。これが後で役に立ちました。
 厚生省の上級職の学科試験には合格したものの、面接で不合格。このとき、著者は人事課長に直談判したというのですから、すごいものです。ちょっと真似できませんね。このように、著者はすべって、ころんで、しかし、しぶとく立ち上がっていきました。その苦労が報われたのです。誠実な人柄は、その苦労からも来ているようです。
 厚生省に入って、昭和35年(1960年)の安保改定反対デモにも飛び入り参加したそうです。これもすごいことですが、これを今堂々と語っているところも偉いですね。もっとも、今は安保条約肯定論者だということです。
 2年間だけ、警察庁に出向しています。このとき、報告書には、哲学を書くように指摘されたとのこと。なるほど、ですね。自分の頭で考えたことを書いてほしい、ということでしょう。
 そのあと環境庁に出向します。このころ仕事に没頭して家庭をかえりみなかったことから、長男から、「また来てね」と手をふられたそうです。ふむふむ、仕事人間だんたのですね。
 著者は公害健康被害補償法の立案と実施にも深く関与しています。私も、この公健法には密接に関わってきました。四日市ぜん息裁判の判決が下ったのは、私が司法試験の受験中だったでしょうか。この判決について、当時、現職裁判官だった江田五月氏をチューターとして招いて司法修習生の自主的勉強会で議論したこともありました。弁護士になって2年目から、日弁連公害委員会のメンバーとして、この公健法の改正を目ざして各種の提言づくりに関わってきました。
 著者は田中角栄首相の下で内閣参事官となりました。国会が始まると、質問を各省に割りふり、その答弁を首相宅に午前3時に届け、午前7時には家を出る。午前8時に登庁して官房長官に説明する。3時間しか眠れないので参事官だと冗談を言っていた。すごいですね。官僚を目ざしたこともある私なんか、官僚にならなくて良かったと思いました。
 厚生省に戻って、官房長となった。霞ヶ関では、自分の10の力を12と錯覚するくらいの自信がないとやっていけない。一方で、同程度の他人の力量は8くらいに見がちだ。そこで、人事に不満が生じる。それをふまえて公正を心がけるしかない。
 OB人事も官房長の仕事。うまくやらないと不満が出て、ひいては組織の士気にも影響してくる。組織を生かし、人を生かし、その家族を生かす。この理想はなかなか難しい。 平成5年、東大卒でない初めての厚生次官となった。
 内閣官房副長官の在任8年7ヶ月は、歴代最長。司法制度改革にも関わった。
 この本を読んで最後に疑問に思ったのは、これほど人柄が良くてバランス感覚抜群の人が、なぜ福祉切り捨ての福祉行政をすすめてきたのか、ということです。今や、老人は病気をかかえていても病院に長くいることができません。リハビリだって、途中で問答無用と打ち切られます。そんな冷たい福祉行政となってしまいました。すべては軍事優先(サマワへの自衛隊派遣には惜しみなく大金をそそぎこんでいます)の結果です。そのような冷たい政治の中枢に、どうしてこんな心の温かい人が中枢に座っていたのでしょうか。不思議でなりません。

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