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蝶々は、なぜ菜の葉にとまるのか

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著者:稲垣栄洋、出版社:草思社
 ちょうちょう ちょうちょう
 菜の葉にとまれ
 菜の葉にあいたら 桜にとまれ
 桜の花の 花から花へ
 とまれよ 遊べ 遊べよとまれ
 これは文部省唱歌の歌詞。しかし、なぜ菜の花ではなく、菜の葉なのか。このちょうちょうは、モンシロチョウのこと。
 モンシロチョウは実際に菜の葉にとまる。産卵のためである。モンシロチョウの幼虫である青虫は、アブラナ科の植物しか食べることができない。そこで、モンシロチョウは、幼虫が路頭に迷うことのないように、足の先端でアブラナ科から出る物質を確認し、幼虫が食べることのできる植物かどうかを判断する。つまり、産卵しようとするモンシロチョウは、葉っぱを足でさわって確かめながら、アブラナ科の植物を求めて、葉から葉へとひらひらと飛びまわっている。モンシロチョウは、葉の裏に小さな卵を一粒だけ産みつける。
 といっても、この小さな卵はみるみるうちに大きな青虫になってしまいます。私も、キャベツ栽培に挑戦したことがありますから、よく分かります。毎朝、とってもとっても、翌日には大きな青虫が葉の裏にいつもいて、たちまち虫喰い状態になっていました。
 植物は昆虫に対する防御策をとっている。しかし、昆虫も、その毒性物質を分解して無毒化するなどの対策を講じている。ただ、それは万能というわけではない。だから、アブラナ科植物の防御物質を打ち破る術を身につけたモンシロチョウは、菜の葉だけを求めて飛びまわることになる。そうだったんですねー、なーるほど・・・。
 5月5日の菖蒲湯(しょうぶゆ)についての説明があります。
 旧暦の5月5日は、雨の多い田植えの時期。重労働で体は疲れる。気温や湿度の上がるこの時期に田んぼに入ると、虫や菌によって皮膚病にかかる危険がある。そこで抗菌力の強い薬湯に入って皮膚を保護する。ショウブやヨモギには強い抗菌作用がある。
 7月7日には、ほおずきの根を煎じた薬湯を飲む。ホオズキの根には堕胎の薬としての作用がある。7月7日に妊娠していると、もっとも忙しい稲刈りの時期に大きなお腹で動けなくなる。無理に重労働すれば、流産の危険があるばかりか、母体も危ない。そこで、7月7日にホオズキの薬湯を飲み、早いうちに流産させた。昔はどこの農家にもホオズキがあったが、それには実用的な深い意味があった。なーるほど、そうだったんですかー。
 昔の日本にあったモモは、先が尖っていた。桃太郎の絵本に描かれていたとおり。それが明治時代になって、現在のように丸いモモがヨーロッパから入ってきた。
 かつての日本では、花見は、梅の花を見に行っていた。ウメは遣唐使のとき、中国から日本にもちこまれた。万葉集には、ウメを詠んだ歌が 118首。サクラのほうは43首のみ。遣唐使が廃止されると状況は一変した。「古今和歌集」にはサクラの歌がほとんどで、ウメのほうはわずかになった。
 サクラのサは、田の神を意味し、クラは依代(よりしろ)の意味。つまり、サクラとは、田の神が下りてくる木という意味。
 植物にまつわるうんちくたっぷりの面白い本でした。

補給戦

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著者:マーチン・ファン・クレフェルト、出版社:中公文庫
 兵站(へいたん)の大切さは、古今東西かわらない真実です。腹が減ってはいくさは出来ないのですから。ところが、これまた、このシンプルな真理を無視してきた独裁者が昔も今もいます。もっとも、兵站が確保されても、大義名分がまったくなければ、今のアメリカのようにイラクで泥沼に陥って、もがけばもがくほどアメリカ兵が損耗していく苦境にたたされることになってしまいます。
 18世紀はじめ、スペイン継承戦争のとき、イギリス軍は、ヨーロッパ大陸で次のように進軍したそうです。
 軍隊は毎日昼ころに野営地に到着し、煮立ったスープ鍋をもった従軍商人によって迎えられる。その地の百姓も待ち構えており、行軍の費用を自分で支払うことのできる兵士に対して、喜んで商品を売却する。兵士はたらふく食べると、勘定を済まし、それから午睡に入る。うーん、なんというのんびりした戦場の光景でしょう・・・。
 当時の君主は補給隊を常設するより、請負人をつかったほうが安上がりだと考えていた。というのも、戦争が終われば解雇できるからだ。
 ナポレオンも補給を重要だと考えていた。ナポレオンは軍団に対して、4日分のパンと4日分のビスケットの携行を命じていた。ビスケットは予備品であり、緊急時にのみ手をつけるものとされていた。ナポレオンは補給に無関心どころか、作戦指揮に響くほど補給に注意を払った。
 ナポレオンがロシアにもっていったのは、24日分の食糧だった。このうち20日分は輜重大隊によって運ばれ、4日分は兵の背中によって運ばれた。1812年にナポレオンの本隊は600マイルを進撃し、途中でスモレンスクとボロージノという二つの大戦闘をたたかったが、モスクワに入城したとき、なお兵員の3分の1が残されていった。ナポレオンのロシア侵入は十分な準備なしに開始されたのではなかった。ところが、補給部隊が四囲の環境から崩壊してしまったのだ。
 ヒットラーのソ連侵攻のとき、補給物資の大部分は1200台の馬車によって運ばれていた。ドイツ軍は、自動車を手に入れることが困難だったので、民間から徴発した。すると、自動車の種類が多くなり、予備部品が不足して動かなくなっていった。
 ドイツのロシア侵攻軍が2000種類ものタイプの車輌をつかっていたため、予備部品が100万以上も必要となった。ロシアの鉄道はドイツの軌道と同じでないため、鉄道は利用できなかった。ロシア軍のガソリンはオクタン価が低く、ドイツ軍の車輌がつかうときには、特別につくられた施設でベンゾールを添加しなければいけなかった。
 ドイツ軍は、ロシア領内深く侵入する時点で補給困難に直面していた。秋のぬかるみの中で、ヒットラー軍は崩壊した。世界でもっとも近代的な軍隊が、その攻撃の成功にもかかわらず、今や重火器の支援を受けず農業用荷車しかもっていない歩兵の小部隊に頼っていた。ドイツ軍のモスクワ占領失敗は、冬将軍の到来に原因があるという意味は修正する必要がある。ヒットラーは兵站に何の関心も持っていなかった。これでは進撃できるはずもありません。戦争の裏面を知ることができる本です。

女甲冑録(おんなかっちゅうろく)

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著者:東郷 隆、出版社:文藝春秋
 戦国の歴史の中に立ち現れた女武者たち。かの女らの一瞬の光芒、その横顔が鮮やかに描かれています。女なれど、やわか男におとるべきや。そうなんです。日本の女性は昔から男に負けずおとらず、がんばっていました。それは戦国時代でもそうだったのです。
 萌黄威(もえぎおどし)の毛引き具足、白い上帯(うわおび)を締めなし、長(たけ)なる黒髪解いて颯と乱し、金の鉢金つけた鉢巻し、薄紅(うすくれない)の衣の裾引き上げ、紅い切袴(きりばかま)というのが常山御前鶴姫の姿。それに従う女性(にょしょう)たちも、赤あり、黒あり、紅裾濃(くれないすそご)、紫革(むらさきがわ)。男がまとうても派手派手しきを、女がまとえばなおのこと華やかな30余人の女武者姿。
 紫隔子(むらさきすそご)を織付けたる直垂(ひたたれ)に菊とじ滋(しげ)くなして、萌黄糸縅(もえぎいとおどし)の腹巻に同色の鎧袖付け、三尺五寸の大太刀。箙(えびら)に真羽(まば)の矢の射残したるを負い、連銭葦毛の馬に金覆輪の鞍を置く。兜は被らず、長(たけ)に余る黒髪を後ろに打ちなびかせ、金の天冠をば頭に置いたる異形の武者が馬を馳せていく。これぞ女武者巴(ともえ)であった。
 緑の黒髪を振り乱し、鳥帽子形(えぼしなり)の兜に小桜縅(こざくらおどし)の鎧、猩々緋(しょうじょうひ)の陣羽織。重大の太刀「浪切」(なみきり)、銀の采配を携え手綱を握って大手門に登場した甲斐姫は寄手を押し返す。
 武装した女性が立っている。長い髪を後ろに束ねた童形(わわがた)で、水色の鎧直垂に古式の銅丸をまとい、男のような革包(かわづつ)みの太刀を佩(は)いている。
 いやあ、本当に勇ましい日本の女性たちです。戦国期をたたかい抜いた女たちのあでやかな姿にほれぼれとしてしまいます。
 6つの短編小説から成る面白い本です。

土一揆と城の戦国を行く

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著者:藤木久志、出版社:朝日新聞社
 土一揆について、最近の通説は自律性のある惣村を単位として整然と組織され、債務証書を土倉(どそう。当時の金貸し)に迫って一人ひとり確認したうえで破ったとか、土一揆による放火や略奪は不測の逸脱に過ぎず、ほんらいの土一揆は、たしかな統制ある行動をとっていたとしています。
 著者は、これに対して、土一揆には激しい暴力的な行動があったことを強調しています。有徳人(うとくにん。富裕者)が、その社会的評価にふさわしい、危機管理の務めを果たさなければ、その徳(富)を実力でもぎ取る、つまり社会的な富の暴力的な再配分は当然だという自力救済の習俗が成立していた。
 飢饉状況は、金持ちの施主(有徳人・分限者)にとっては、安い労働力や資財を楽々と確保するのに有利な環境であっただけではなく、権力者の企てる飢饉のさなかの造作や普請も、権力が集積した富を放出して、飢饉にあえぐ人々に再配分する重要な回路であり、大規模な公共投資という性質を秘めていた。だから、もし有徳人・分限者が世の危機に期待される役割を果たさなければ、暴力による略奪の対象とされた。
 なーるほど、そういうことだったんですね。
 エジプトのピラミッドの建築も単に奴隷労働とみるのではなく、大型公共土木工事とみるべきなんだという学説を読んだことがあります。同じことなんでしょうね。
 民衆の戦争見物というのも、じつは戦場の略奪が目当てだった。村々の一揆の落人狩りなども、その一側面に過ぎない。明智光秀は、村人による落人狩りにつかまり、あえなく生命を落としたのでしたよね。
 これを読んで映画「七人の侍」を思い出しました。一見弱々しそうな村人たちが、実は、ひそかに米も武器も隠し持っていて、いざというときには落人狩りまでしていたのです。あれって、本当のことなんですね。
 いまの久留米市田主丸にあった筑後国の塩たり村には、天文4年(1535年)には庄屋がいたという地検帳があるそうです。庄屋というのは、近世にできあがった村の仕組みだというのが通説なのですが、ここにはもっと早くから庄屋がいて、自分で「作」もし、また、村の代表として「庄屋給」をもらっていたというのです。
 飢饉と戦争が相次ぐ世の中でしたから、暴力も公然とまかり通っていたことを事実として認識する必要があると思いました。

他人を見下す若者たち

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著者:速水敏彦、出版社:講談社現代新書
 今の子はすぐに怒ると多くの先生たちが言う。それはすべての子どもがすぐに怒るというのではなくて、極端に怒りやすい子どもの数が多くなったということ。
 飛行機のなかで暴言を吐いたり暴れたりする粗暴な迷惑客がこの4年間で5倍にも増えた。子どもだけでなく、大人のほうも同じようです。
 会社では、最近の成果主義の悪影響で、上司や同僚をバカにする社員が増えている。迷惑行為をする人は、周囲の状況、そして社会常識をまったく無視し、自分だけのルールで行動する。そして、それを否定されると、すごく攻撃的になる。
 今の子どもたちは、たとえ内面的に喜びの感情が芽ばえていても、それを抑制している。子どもは言葉や表情で喜びを表現するのを抑制するが、文章には表現しやすいようだ。
 今の子は個人の損得には敏感になったが、社会の損得や他者の損得には共感できず、鈍感になった。日本の若者は、あまり自分に自信をもっていない。
 現代の学生は、クラスなりグループなりを自ら組織することが大の苦手である。リーダー不在なので、まとまって行動することはなく、同じ学科を専攻している者同士でも、一度も会話しないで卒業することも珍しくない。全体のために働くことに対し、煩わしさを露わにする。
 中高年層でうつになる人が多いというが、最近は子どものうつも増えている。うつ状態の子どもは、小さなことですぐに傷つき、めそめそする。そして、気分が沈みがちで、しばしばため息をつく。
 現代の若者は、赤ちゃんのときの誇大自己をそのまま持続させている人が多いように思われる。公の場での発言は、年輩の人のほうが自己批判的、自己卑下的な言動が多く、若くなるにつれて自己肯定的、さらには自己高揚的な言動が多い。
 人間は、本来、常に自分を高く評価していたい動物である。人は自分よりも優れた人物について知りたがっているというよりも、自分よりも劣っている者についての情報を求めたがっている。下方比較の傾向がある。自己高揚欲求は、とくに自尊感情に対する脅威を感じたときに強く働き、その結果として自分よりも下位にある者との比較によって、自分の幸福感を増大させようとする。
 人の自信は、新しい人間関係にある周りの人たちから承認され、賞賛される経験を通じて形成されることが多い。ところが、そんな親密な周りの人たちが少ない社会では、個人の自信も形成されがたい。
 人間は個性化も大切だが、その前に社会化が必要だ。子どもたちに達成感や自己効力感をもたせる環境を設定する必要がある。
 タイトルは刺激的ですが、書かれている内容はしごくもっともなことばかりで、胸に手をあてて私も思いあたるところがいくつもありました。私の子育ても、あれで良かったのかなとつい反省させられてしまいました。といっても、もう遅いのですが・・・。

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