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小説家の庭

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著者:丸山健二、出版社:朝日新聞社
 同じ著者の「荒野の庭」「花々の指紋」(いずれも求龍堂)も読みました。すごい庭です。花と植物が実に生き生きと輝いています。丹精こめて育てている。いえ、慈しんでいるというのが、よく分かります。もちろん、写真のでき具合いが素晴らしいのもありますが・・・。
 私も、モノカキのかたわら、狭くはない庭に花や木を植えています。でも、日曜ガーデニングでしかありません。著者とは段違いです。それでも、わが庭に咲くのと同じ花がいくつかあって、それを見ると、ついうれしくなってしまいます。
 前二作とは違って、著者の家と庭の遠景が紹介されています。水田に隣りあわせていて、遠くに山並みが見えます。これは庭の手入れは大変だ。日曜ガーデニングで50坪ほどの庭の手入れだけでも、ひと苦労している私には、とても真似できそうもない作庭です。
 小さなミドリガエルが緑の葉っぱにちょこんと坐っています。わが家にもいます。梅雨どきになると、なぜか、わが家の門柱の上に毎年、同じように鎮座し、出勤する私を見送ってくれます。
 無限の変転を辿ってやまない動物と植物と鉱物・・・、周辺に満ちるエネルギーを素早く掠め取りながら、一瞬の今を懸命に生きている。
 年末年始、冬と思えない温かい陽気の下で、庭づくりに励みました。畳一枚分を掘りおこし、枯れ草と生ゴミをすきこんで、土を元通りかぶせて、植え替えをします。
 同じ球根でもチューリップは一年しかもたないのがほとんどですが、水仙などはぐんぐん仲間を増やしていきます。庭が水仙だらけになるのも困りますので、間引きせざるをえません。例年なら、庭づくりをしている私のすぐ近くにジョウビタキがやって来て声をかけてくれるのですが、今年は残念なことに通り過ぎてしまいました。
 青紫色の華麗な花を咲かせるジャーマンアイリスがあります。わが庭にも咲きます。人手をかけることを嫌う丈夫な花です。放っておくのが一番いい栽培法です。こんな説明をして、知人の庭にたくさん嫁入り(婿入り)させました。たいてい無事に育っているようです。前に、どなたかトラックバックで、この青紫色のジャーマンアイリスの気品にみちた花の写真をのせていただきました。また、お願いします。
 島根に住む心優しい同期の弁護士から正月牡丹をもらいました。2度目です。何年か前にもらった牡丹は、今でも春になると妖艶な濃赤紫の花を咲かせてくれます。春に咲く牡丹を園芸店のほうで正月に咲くように仕掛けがしてあるようです。今度の牡丹は甘いピンク色の花です。
 ガクアジサイ、クリスマスローズ、クレマチス、わが家にあります。いずれも私の大好きな花なので、庭のあちこちに植えています。
 テッセンとも呼ばれるクレマチスは、赤紫色の花も風情があっていいものですが、その純白の花も見ているだけで心が洗われる気がしてくるほど素敵です。
 年末年始にクワとスコップをふるい過ぎて、右腕が痛くなってしまいました。何ごともほどほどが良いのでしょうが、つい夢中になってしまいます。ともかく心地よい一瞬一瞬なのです・・・。

脳は空より広いか

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著者:ジェラルド・M・エーデルマン、出版社:草思社
 1972年に43歳の若さでノーベル医学賞を受賞した学者による本です。人間の意識を科学的に究明しようという本ですので、やはり難しいところが多々あります。私もよくは理解できませんでしたが、なんとなく分かった気もして読みすすめました。
 ひとつだけ、はっきり分かったことは、脳はコンピューターではない、ということです。コンピューターは前もってきっちり決められたプログラムにしたがって入力されたアルゴリズムや効果的なプロシージャーを実行していく。配線に間違いは許されない。
 しかし、脳はあらかじめこと細かに配線が決まっているわけではない。どのニューロンとどのニューロンが結びつくかは統計的に変動する出来事だ。種としては同じパターンを共有しながらも、その個体にしかないネットワークができあがる。普遍的かつ多様だ。
 脳のふるまいはデジタルな計算処理とは考えられない。たとえば、コンピューターにとっては致命的だとされているノイズが、脳の高次機能を働かせるためには不可欠だ。
 スーパーコンピューターをいくら直結しても、それだけでは意識は生まれない。意識とは何か。もちろん、脳なくして意識はない。しかし、それでは、脳や身体のどのような構造や機能が、意識が現れるための必要十分条件なのか。
 意識は、かたちのある物ではなく、流れていく過程である。
 意識とは、脳のさまざまな領域で分散して活動するニューロン群によって、ダイナミックに遂行されるプロセスである。
 意識を生成するのにある領域が必要不可欠だということは、その領域さえあれば意識が生じるという意味ではない。ある瞬間の意識活動に必要だったニューロンが、必ずしも次の瞬間に必要だとは限らない。
 意識は個人のうちにのみ生じる。
 意識は常に変化しながらも連続している。
 意識は志向性をもつ。
 意識は対象のすべての面に向けられるわけではない。
 意識を内面から見ていると、静止することなく、絶えず変化しているように思える。それでいて、その一瞬一瞬は、ひとまとまりだ。この一瞬一瞬を、著者は想起される現在と呼ぶ。
 大脳皮質には、少なくとも300億個のニューロン(神経細胞)が含まれ、シナプスと呼ばれるつなぎ目は、なんと10万×100億個にも達する。仮にシナプスを今から数えはじめ、1秒に1つ数えると、数え終わるのは3200万年後になる。
 意識の発生を理解するのに大脳皮質と並んで重要な構造は視床だ。視床は意識の働きに絶対欠かせない存在だ。
 脳は空より広いのです。そうでしょう。だって、みんな私の頭のなかに入ってしまうのですものね。

アメリカ監獄日記

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著者:高平隆久、出版社:草思社
 前にアメリカの刑務所生活を体験した日本の若い女性の書いた本を紹介しました。今度の本は、日本人の中年男性が同棲していた若い日本人女性からレイプ犯として告訴され、拘置所で生活した体験を報告したものです。
 この本を読んで、アメリカという国は本当に怖い国だとつくづく思います。拘置所のなかで抹殺(リンチ)されることが現実にあり、その恐怖の下で生きていかなければならないのです。日本ではそんな話は聞きません。
 同棲していた若い女性とのあいだでレイプ罪が成立するかどうかについては、私にはもちろん分かりません。本人は無罪を主張していますが、結果としては司法取引に応じて有罪となり、日本へ送還されたのです。
 逮捕されて拘置所に入ってから、パブリックディフェンダー(公選弁護人)を頼むのですが、低い評価しかなされていません。パブリックディフェンダーの弁護士は役に立たないって有名だ、とされています。残念です。
 逮捕されて2週間あまりで、パブリックディフェンダーが4人交代した。著者は本当にいい加減なシステムだと怒っています。たしかに、こんなにコロコロ変わってしまうのでは、心細い限りですね。
 拘置所の住人の多くは前歯がない。これはフリーベースという、コカインに重曹を入れて熱したものを吸収し続けていると、歯ぐきがやられて歯が抜け落ちてしまうからだ。
 それほどアメリカでは薬物中毒者が多いということです。
 拘置所は体力勝負のところ。着いたらすぐ喧嘩になるかもしれないし、夜中に襲われるかもしれない。強そうに見える人間には、すぐにいろいろな人間が力試しに喧嘩を売って
くる。弱そうな人間は、すぐにボクシング大会と称して戦わされる。そして、それが見てる者の賭けの対象となる。勝った方も、生意気だと、ボスにやっつけられる。
 アジア人の集団のなかにヒスパニック系の人間を入れると、たちまちリンチが始まる。もちろん、逆も真なりだ。
 サウスサイダーとは、不法入国してきたヒスパニック(ほとんどがメキシカン)の親をもつ、アメリカ生まれのアメリカ国籍にヒスパニック系アメリカ人のこと。
 ジュートボールとは、人間の一日に必要なミネラルやビタミンが固められているボール状の食事。懲罰房に入れられたときの食事。
 拘置所の面会は土・日の午後1時から5時まで、3つあるトイレは夜中には1人ずつしか使えない。アメリカでは、にんじんとタイレノール(鎮痛剤)が、キリストと同じくらいに厚く信仰されている。
 部屋は不潔で、ねずみがすぐに捕まえられるし、クモにかまれることもある。シャワーも数が少ないので、気の弱い人間はとてもつかえない。
 いやあ、アメリカって、本当に大変な国ですね。勝ち組のアメリカ人は負け組のことなんて人間とも思っていないのでしょうね。だいいち、刑務所人口が何百万人(200万人と言われています)いても、選挙権がないのですから、無視できます。また、処罰を厳しくせよと叫ぶほうが票が集まるのですからね。ともかく、ぞっとする本でした。

ジャングル

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著者:藤田一咲、出版社:光村推古書院
 マレーシア・ボルネオ島の熱帯雨林をとった写真集です。
 ボルネオ島のオランウータンが絶滅の危機に瀕しているというニュースに接して悲しくなりました。人間が食うために森林を伐採しているのです。ところが、そこでも日本の力が及んでいます。要するに日本が建築資材で熱帯の木材を大量に買い付けるからです。アマゾンのジャングルが減っている原因のひとつにも日本人があげられています。マックの牛肉を食べ、また大豆をブラジルから大々的に輸入しているため、熱帯雨林が次々に開発されていっているのです。ところが、私たち日本人はまったく自覚に乏しいのが現実です。おバカな番組をテレビで見て笑いころげるだけではいけないと思うのですが・・・。
 さすがプロのカメラマンだけあって、すばらしい出来栄えのジャングルの写真が満載です。ジャングルの夜明けは紅く染まって目を覚ますのです。
 ジャングルと熱帯雨林は、学術的には区別されているものだそうです。知りませんでした。同じもののカタカナと漢字の違いだとばかり思っていました。
 ジャングルには地球上のどこよりも鳥たちがいる。しかし、ジャングルで鳥たちの姿を見るのは簡単ではない。鳥たちは密生した葉の陰に溶け込むように、じっとしていることが多いから。
 ジャングルでは花々が咲き乱れていると思っていると、実際に花に出会うのは難しい。ジャングルの中は光が少ないので、花を咲かすような植物は生長できない。ジャングルでは、花は日光のあたる、木の上のほうに咲いていて、見上げても、なかなか見ることができない。
 ジャングルを訪れるとは、虫の王国を旅すること。虫をさけて通ることも、無視することもできない。虫がいなくなったら、植物は死に、ジャングルどころか、ぼくたち人間も姿を消すことになる。世界はつながっているのだ。
 ジャングルでは雨が毎日のように、よく降る。バケツの水をひっくり返したように一気に激しく降る。それは土の中の養分を洗い流してしまう。だから、その土から効率よく養分を吸収し、大きな体を支えるために、ヒダのような根を四方に張り出した木は多い。木にとってジャングルで生き抜いていくのは楽ではない。
 夜のジャングルは、にぎやかだ。コオロギの仲間たちによる通奏低音に、金属的な音の独奏を重ねる虫がいる。そこにカエルたちの歌とコーラスをそえるオペラ仕立ての一大コンサートが毎晩開かれる。雨が降ると、カエルたちの鳴き声はいよいよ盛り上がる。
 他の生きものたちは、この音楽をバックに眠りにつくか、食うか、食われるかあるいは求愛している。それは楽しげだが、血なまぐさい残酷な舞台、現実の生活の一部だ。1億年もの長い間のよき観客であるジャングルで輝く月や星々は、そのくり返しをずっと見つめてきた。だが、明日もそれが見れる保証は、今のジャングルにはない。
 ジャングルの美しさが巨視的に、微視的にとらえられています。目の保養になりました。
でも、私はヘビに噛まれたくありませんので、ジャングルに足を踏み入れる勇気はありません。

朝鮮王朝史(下)

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著者:李 成茂、出版社:日本評論社
 1674年、粛宗が14歳で王位に就いた。粛宗在位の46年間は、朝鮮中期以来続いた党争が絶頂に達する。そのバランスを欠いた政治運営によって、党争の弊害がさらに進んだ。
 粛宗の課題は、前の顕宗時代に礼訟論争を通じて傷ついた王室の権威、弱められた王権を強化することにあった。
 粛宗の私生活は、愛憎の偏りが激しかった。粛宗は、換局という手法で政権を交替させ、王権の回復と強化に非凡な能力を発揮した。
 二人の学者が、殺さなければ殺されるという非常な政治論理とあいまって、戦いをエスカレートしていった。宋時烈(ソンシヨル)と尹鑴(いんけい、ユンヒュ)の二人である。尹鑴は、朱子の説を絶対不変の金科玉条としては受け入れなかった。朱子を尊敬はしたが、盲信はしなかった。生きては宋時烈の憎悪を受け、老人では忌諱の対象となって、自派からも見捨てられた。これが自由主義を追求して、教条主義的な理念に果敢に挑戦した一人の思想家の運命だった。尹鑴の死んだあと、朱子学の教条主義は、以前にも増して猛威をふるうようになった。
 朝鮮第21代の王である英祖は朋党の弊害を列挙して、蕩平(とうへい)策への強い人事・地位をみせた。党論が殺戮の元凶となり、殺戮が亡国の元凶になることを、王世子時代からの体験を通じて見にしみて知っていたので、各派に均等に人事・地位を与える策をとることにしたのである。不偏不党の政策である。ところが、これは両派いずれの支持も得られなかった。そこで英祖は国王としての権威を前面に押し出し、臣下を抑えようとする一方、嗚咽(おえつ)する姿を見せて感情に訴えたりもした。しかし、このような威嚇も説得も臣下に通じなかった。英祖時代の序盤の政局は限りなく混乱した。
 難局を乗り切った非凡な君主として、英祖は30年以上にわたって蕩平の名で臣下を弄び、国王としての権威を一身に享受した。
 士禍の終わりは、党争の始まりでもあった。士大夫とは、読書する士と、政治に従事する大夫との合成語だ。これは、両班とほとんど同義語として使われる朝鮮王朝支配層の総称である。
 19世紀、憲宗朝。ヨーロッパの帝国が進出してきた。イギリスは商業活動を目的とし、フランスはキリスト教の伸張をめざした。イギリスはインドに会社を設立して植民地の併呑計画を立てていた。フランスはベトナムへの教会創設を口実として侵略をすすめていた。
 1846年9月、金大建神父が処刑された。天主教徒は死をみること天国のようで、自分を痛めつける棍杖をいささかも恐れなかった。天主教は先行きが不透明だった19世紀前半の朝鮮で、政界から排除された勢力や一般国民、女性たちに来世に対する確固たる信頼を与えた。1865年、天主教徒の総数は2万3000人となり、朝鮮にいる宣教師は12人だった。
 高宗は、朝鮮王朝最後の国王として34年(1863〜97年)、大韓帝国皇帝として10年(1897〜1907年)、通算44年間、君主の座にあった。日本に強要されて退位した高宗は、1919年、68歳のとき亡くなった。高宗は歴代の君主のなかでは長寿だったが、孤独な一生だった。
 朝鮮軍民が日本を敵視するようになったのは、1876年2月の江華島条約からである。江華島をめぐる日本と中国の対立の始まりだった。以後、野心に満ちた日本商人が争って朝鮮の対外貿易を独占した。これによって朝鮮の自給自足の経済基盤をゆるがし、それが都市零細民と下級軍人の不満を招き、壬申軍乱の一つの要因となった。
 壬申軍乱のあと、日本は朝鮮に迫って50万円の賠償金を課し、日本軍のソウル駐屯権を確保した。壬申軍乱は、日本の朝鮮に対する軍事的支配の序幕となった。真に大韓帝国の外交権を剥奪した元凶は日本の伊藤博文、桂太郎、林権助、長谷川好道の5人というべきだ。これらの元凶たちは日本の教科書では、今では、今なお賛美されている。乙巳五賊にのみ責任を押しつけてよいものだろうか。
 下巻も600頁近くもある大部な本です。激闘のなかにあった朝鮮王朝の実情を知り、後半期における日本の責任を考えさせられました。
 年の暮れに韓国映画「王の男」を見ました。韓国で4人に1人が見たという大ヒット作品ですが、実によく出来た映画で、最後まで画面をくい入るように見つめ、時のたつのを忘れました。
 ときは16世紀初頭。燕山君(ヨンサングン)の時代です。旅芸人の若い男2人が漢陽(今のソウル)にやって来て、宮廷を面白おかしく皮肉った芝居を街頭で演じて民衆の大人気を博します。そのあと、宮廷に招き入れられ、その陰謀と策略に巻きこまれていくのです。旅芸人の芸も見事なものです。狂気の王の眼つきの妖しさに目を奪われ、女形を演じる旅芸人の美しさにため息が出ました。韓国映画の力量(レベル)の高さに改めて感心させられました。日本では大きな劇場で上映していないのが残念でなりません。

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