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日本帝国陸軍と精神障害兵士

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:清水 寛、出版社:不二出版
 徴兵制とは、その時代の国家目的にそって、戦時あるいは平時の軍事的必要度にみあうだけの兵力を、国民の中の壮丁(兵役義務の年齢に達した男子)の中から、強制的に集めるための制度であった。
 徴兵制度の歴史とは、広範な免役要件に対して、いかに制限を加えていくかという過程であり、同時に、免役条項を活用しての徴兵忌避、さらには強制徴兵制そのものに反対する運動を強力に抑えこんでいく過程にほかならなかった。
 明治期の軍隊の中には、かなりの低学力の兵士が送りこまれた。日露戦争を経たあたりから、無(低)学力兵士の問題が軍隊内部でも顕在化しはじめていた。
 明治35年(1902年)、陸軍懲治隊条例が制定された。懲治隊に入れられた入営前の非行・犯罪のあった者の中に、実は、思想犯もいた。社会主義を鼓吹する言動が問題となり、改悛の情なき不良兵士とされたのである。
 その中の一人である森川松寿は、幸徳秋水・堺利彦らの平民社に共鳴し、社会主義宣伝の冊子を販売する伝道行商に従事していた。森川は、兵役は国民の義務ではない、兵役は恥とするところ、戦争は罪悪だと公然と述べていた。
 偉い人ですね。なんと、17歳のころから活動していたといいます。
 徴兵忌避をする者が少数ではあったが、存在した。身体を毀傷し、疾病を作為し、また詐称したとして摘発された者が1918年に578人、1931年に474人、1935年に145人いた。
 日本が敗戦したときの動員兵力数は716万人。当時17〜45の日本男子は1740万人だったから、その4割以上が軍に動員されていた。1945年6月、義勇兵役法が制定され、男子15〜16歳、女子17〜40歳の全員が義勇兵役の対象に組みこまれた。
 1923年、陸軍懲治隊は、陸軍教化隊と改称された。陸軍となっているが、海軍兵も対象としていた。教化隊のなかにも思想要注意兵がいた。総員778人のうち8人が該当者であり、一般教化兵と隔離された。
 教化隊に編入された兵士は累計で1000人。このうち原隊に復帰したのは、6.2%(55人)のみ。あとは、満期除隊した。
 この本は千葉県市川市にあった国府台陸軍病院という精神病院の患者の実情を明らかにしています。そこでは、戦争神経症が研究されています。当初、ヒステリー患者とされていました。大戦中、ヒステリー患者は、ほぼ一貫して全精神神経疾患患者の10%前後であり、平均すると11.5%と高率だった。
 たとえば、その発症原因として加害行為についての罪悪感というものがあった。
 山東省で部隊長命令で部落民を殺したことがもっとも脳裏に残っている。とくに幼児をも一緒に殺したが、自分にも同じような子どもがいたので、余計にいやな気がした。
 ヒステリー性反応としては、その場で卒倒するケースが多いが、夢遊病者のように動きまわり、無意識のうちに離隊・逃亡することも少なくなかった。
 医師が戦争神経症に接して驚いたことは、ヒステリーの多いこと。目が見えない、耳が聞こえない、立ち歩きができないといったあらわな症状をもっていた。
 日本陸軍兵士における戦争神経症を研究した貴重な労作です。自他ともに認める軟弱な私などは、徴兵されて戦場に駆り出されたとしたら、真っ先にヒステリー症つまり戦争神経症にかかり、足腰が立たなくなること必至です。誰だって突っこめという号令に従って行動して無意味に戦死するなんてことになりたくはありませんよね。

シルクロードと唐帝国

カテゴリー:中国

著者:森安孝夫、出版社:講談社
 唐が漢民族王朝でないという著者の主張に、思わず椅子からずっとこけ落ちそうになりました。唐には、東魏、西魏分立時代から中国に巨大な経済的負担をかけた突厥人もいれば、商人として活躍したソグド人もペルシア人も、あるいは高仙芝や慧超のような朝鮮人も、阿倍仲麻呂や藤原清河や井真成(いのまなり)のような日本人もいた。彼らは、すべて漢語をしゃべれた。しかし、それをもって「漢化」したとか、唐が異民族を受けいれたのは唐の度量が大きかったからだというのは、後知恵の中華思想にすぎない。
 唐帝国創建の中核を担った異民族は朝卑系集団である。これは定説だ。
 唐建国の中心は朝卑系漢人と匈奴の一部であった。著者は、唐の真の建国は618年ではなく、突厥を打倒した630年であるとします。
 唐は、漢人王朝ではなく、拓跋(たくばつ)王朝であった。すなわち、タクバツ可汗に率いられた唐帝国が、軍事力によって突厥・鉄勒を包含するトルコ世界を制圧したのである。
 唐って、当然、漢民族がうちたてた王朝とばかり思っていましたが、違うんですね。驚きました。
 唐の前、隋の煬帝のとき、回転式スカイラウンジや数千人が入れる超大型テントなどをつくって突厥人の度肝を抜いたというエピソードがあるそうです。それがどんなものなのか、想像もつきませんが、今みても、あっと驚くようなものだと思います。
 618年に、長安で李淵が皇帝として即位したとき、唐王朝は東突厥の臣属国であったといっても過言ではない。そのころ唐は、まだ隋王朝のあとを狙う群雄の一つに過ぎず、多くの敵をかかえていた。
 父である高祖・李淵から実権を奪った李世民は、まず皇太子となり、2ヶ月後には太宗として即位した。突厥が大軍を率いて中国に侵入してきたのを太宗は迎え撃ち、撃退した。
 唐は、自らが異民族の出身であることを、少なくとも初唐・盛唐までは自覚していた。ところが、安史の乱をはさんで中唐になると、唐は急速に内向的になり、中華主義に陥っていく。安禄山は、ソグド系突厥人であった。
 安史の乱以降、唐は自前で軍事力を調達する武力国家から、お金で平和を買う財政国家へと変身した。そのとおりなのだが、いわば別の国家とは呼ぶべきではない。うーん、そうなんですかー・・・。
 私もシルクロードに一回だけ行ったことがあります。ウルムチからトルファン、そして敦煌です。ここに大変な文化・文明があったことを、この目で見て実感しました。
 この本ではシルクロードは単なる通過点ではなく、大変な文化・文明があったことが強調されていますが、まったく異論ありません。問題は、ここにいたソグド人が中国大陸の支配層としても登場していた時期があったという事実です。遺跡から発掘された文書が詳細に解説されているのを読むと、なるほどとうなずかざるをえません。
 シルクロードと中国文明の関連について、大きく目を見開かされる本でした。学者って、すごいですね。私と同世代です。つい大きな拍手を送りたくなりました。

パチンコの経済学

カテゴリー:社会

著者:佐藤 仁、出版社:東洋経済新報社
 日本の食品スーパーは1万8500店。パチンコ店は1万5000店。えーっ、多い。パチンコ業界は30万人が働く巨大な産業。
 先日、トイレ休憩で久しぶりにパチンコ店に入りました。私も司法試験の受験生だった学生のころは、図書館へ行く前にちょっと寄り道してパチンコ店に入り、たまには景品でチョコレートなんかをもって帰って友だちにプレゼントしていました。いまのパチンコ店は、トイレなんてピカピカ、きれい過ぎるほどです。スロットマシーンの前にはずらり老若男女が並んで坐っていました。空いている席がないほど埋まって、みんな真剣に盤面を見つめています。ただ、久しぶりにパチンコ店に入ると、あの騒音がたまりません。頭がおかしそうになって早々と退散しました。
 パチンコ業界の年間売上は28兆7000億円。パチンコ人口は1710万人。パチンコ機とパチスロ機とを合わせて490万台の遊技機がある。
 パチンコホール企業数は7000社、遊技機メーカーは50社。日本人の一年間のレジャー支出は80兆900億円なので、パチンコの占める比率は36%。
 パチプロは、一般に月10〜20万円、パチスロで20〜30万円かせぐのが可能だ。それには時間がたっぷりあり、遊技に関する情報収集に熱心で、フットワーク軽く動けることが条件だ。ただし、長くしていると健康を損ない、ひいては人格も失いかねない。うむむ、よく分かる指摘です。
 現在のパチンコ機は長くて1年、短ければ2〜3ヶ月で撤去されるという短期の入れ替えサイクルになっている。お客はピーク時の3150万人から、半減している。しかし、売上は減っていない。単位時間あたりの消費金額を増やして粗利益の絶対額を維持しようとしている。
パチンコ人口は10年後(2015年)は1270万人となり74%に減り、15年後(2020年)には1130万人と66%になると予測されている。その大きな理由は加齢現象。なるほど、パチンコが面白いといっても、最近の若者を大々的に呼びこめるものではないということなのでしょうね。
 日本のパチンコは面白すぎるのでギャンブル依存症の温床となっている。
 ひゃあー、そうだったんですか。知りませんでした。借金まみれになった人のうち、少なくない人々が、このギャンブル依存症です。なかなか抜け出せない病気です。でも、決してあきらめてはいけません。

テレビは戦争をどう描いてきたか

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:桜井 均、出版社:岩波書店
 第二次大戦と日本人の関わりをテレビがどう映像で取りあげたのかを後づけた貴重な本です。ハーバート・ノーマンは次のように語った。
 みずからは徴兵制軍隊に召集されて不自由な主体である一般日本人は、みずから意識せずして他国民に奴隷の足枷をうちつけるエージェントになった。
 なーるほど、言い得て妙の指摘だと思います。
 中国戦線に配置された兵士たちの多くは劣勢の太平洋(南方)戦線への転戦を命じられた。そこでの苛酷な転戦と敗北の過程で、被害体験を蓄積して生還した兵士たちは、中国大陸での加害の記憶をすっかり相殺していた。
 うむむ、そういうことだったのですかー・・・。
 井上ひさしが『父と暮らせば』で書いた言葉が紹介されています。すごい言葉です。
 他者の犬死にの上に生きのびた人間が、犬のように生きることは許されない。
 犬死にを強いたもの、これから犬死にを強いるかもしれないものに立ち向かうしかない。
 そうなんです。平和憲法をなくして、日本を戦争できる国にしたら、またぞろ徴兵制が復活します。若者があたら犬死にさせられるなんて、まっぴらごめんです。今のうちに憲法9条2項を守れと叫んでたたかいましょう。
 レイテ島の戦いで、日本兵8万4000人のうち8万1500人、97%が戦死した。軍上層部は、無謀な命令を出しておきながら、部下に抗命権を一切あたえず、兵に武器弾薬食糧を補給せず、投降する自由を認めなかった。
 そして、司令部と第一師団の主力800人は隣のセブ島に転進した。1万人以上の兵がレイテ島に置き去りにされた。私はレイテ島に行ったことがあります。密林なんてどこにもありませんでした。苛烈な戦火にあって、密林が消えてしまったのです。こんなところで多くの日本人の若者たちが餓死、病死そして殺されていったのかと、不思議な気がしました。いま日本企業がレイテ島にも進出しています。私は弁護士会の調査団の団長としてODAでたてられた三菱重工業の地熱発電所を視察しに行ったのです。
 大岡昇平の『レイテ戦記』には、フィリピン人に日本軍が何をしたのかという視点が欠落している、そんな指摘もなされています。なるほど、と思いました。
 昭和天皇は戦争の原因として次のように述べたそうです。
 わが国民性について思うことは、付和雷同性の多いことで、これは大いに改善の要があると考える。かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。軍備が充実すると、その軍備の力を使用したがる癖がとかく軍人の中にあった。
 つまり、付和雷同する国民と軍部の独走、この二つが結合したところに戦争の原因があったというわけです。そこには、天皇自身の戦争責任の自覚というものはありません。さらに、次のような天皇の言葉には驚かされてしまいます。
 負け惜しみと思うかもしれぬが、敗戦の結果とはいえ、わが憲法の改正もできた今日において考えてみれば、わが国民にとっては勝利の結果、極端なる軍国主義となるよりも、かえって幸福ではないだろうか。
 何千万人という多くのアジアの人々を侵略していった日本軍が殺し、また何百万人もの日本人が死んでいった戦争の悲惨さを自らの問題としてまったく自覚していない、いわば単なる傍観者的評論家としての言葉でしかありません。呆れ驚きます。
 昭和天皇を戦犯としなかった功績から、アメリカ軍のフェラーズ准将に対して1971年、日本政府は勲二等瑞宝章を贈った。この事実を知ると、日本が戦争責任をいかにあいまいにしているか、改めて実感させられます。質量ともに大変ずっしりとボリュームのある本でした。

アフリカにょろり旅

カテゴリー:アフリカ

著者:青山 潤、出版社:講談社
 東大の研究者は、ここまでやります!というのがオビのうたい文句です。東大でなくても同じでしょうか、ともかく学者って、大変な職業だと、つくづく思いました。なにしろウナギを求めて地の涯、海の涯まで、どこまでもどこまでも旅を続けるのですから・・・。たいしたものです。
 一般に川の魚と考えられがちなウナギであるが、実は、はるか2000キロも離れたグアム島付近の海で産卵する降河回遊魚であり、繁殖という生物のもっとも重要なイベントを太平洋のど真ん中で行う立派な海洋生物なのである。
 なんていう、小難しい話は出てきません。ウナギ全18種類を机の上に並べてみたい。ウナギの形態と遺伝子を調べるためには、世界に生息する全種類のウナギの標本を自分で採集するほかない。この本に登場するのは、これを前提としての話です。これが簡単なようで、実は大変なことなんです。
 アフリカ大陸に乗りこむ。マウライ、モザンビーク、ジンバブエの3ヶ国を10数時間で走り抜ける国際路線バスがある。時速100キロ。道の両側には未処理の地雷が埋まっている。検問所の壁には、ライフルや自動小銃からロケット砲まで、さまざまな武器がかかっている。おー、怖いですね。アフリカでは各地で内戦が起きていますからね。
 モザンビーク。気温は52度。体内の血液が沸騰しているかのよう。頭の中がグワングワンと回転する。シャワーから噴き出すのは40度近いお湯。
 湖にボートを浮かべ、また湖岸で釣り糸をたれてウナギを求める。湖岸は実は地雷原だった。なんという幸運。
 ホテルのベッドカバーには、小さな赤いアリがウジャウジャとはいまわっている。
 次に泊まったモーテルにはトイレがない。ドアを出たら、いくらでも空き地があるから好きなところでやりな。でも、あんまり家の近くでしたらだめだよ。
 うーん、なんということ・・・。
 モーテルの近くの人々にウナギ集めを頼む。インチキな宣伝だ。
 皮膚に斑紋をもつウナギを見つけたら1000クワッチャあげる。それ以外だったら 100クワッチャ。架空のウナギに1000クワッチャの値段をつけてみんなをウナギ捕りに巻きこみ、目的のウナギ(ラビアータ)を捕ってもらうという画期的な方法だ。さて、これがうまくいったか。残念ながら、ノー。
 ところが、ふり出し地に戻ったところで、ついに待望のウナギ、ラビアータに遭遇することができた。しかし、喜ぶのはまだ早い。学者の任務は、これを30匹集めること。
 どこの世界にも変わり者はいる。形態にしろ遺伝子にしろ、一匹だけの結果が、本当にその種類を代表しているかどうかは分からない。そのため、ある程度の個体数を集める必要がある。その目安が30個体なのだ。だけど、8匹しか集まらない。でも、もう2ヶ月のアフリカ生活で神経が切れる寸前まで行っていた。だから日本帰国を決断した。
 ニホンウナギは、新月の夜、マリアナの海山で産する。
 これが学者の仮説だ。なんとロマンチックな仮説だろう。しかし、そのロマンを支えているのは血と汗と涙なみだの体験だった。いやー、すごいすごい。あんまりすご過ぎるので、私はとてもアフリカに行く気にはなりません。

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