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サルの子どもは立派に育つ

カテゴリー:生物

著者:松井 猛、出版社:西日本新聞社
 高崎山のサルを30年間観察してきた人の本です。大変勉強になりました。なにしろ2500人のサル(最近は、匹などとは言わず、人間と同じく、人と呼んでいると思います)を全部、見分けることができるというのです。たいしたものです。どう見ても同じような顔をしていると思うのですが・・・。でも、日本人もアメリカ人からすると、みんな同じような顔に見え、まったく見分けがつかないという話を聞いたことがあります。
 母サルは母乳だけで育てる時期は、赤ん坊がお乳を欲しがると、いつでも飲ませる。生後3ヶ月すると、赤ん坊たちは遊びに飽きると母ザルの元に戻って、お乳を飲もうとする。
 赤ん坊のしつけに一番効果があるのは、授乳拒否。赤ん坊は泣きつかれると、母ザルはつい赤ん坊の背中に手をかけてしまう。これが授乳許可を出したサインとなる。
 母ザルは授乳拒否に時間をかける。これによって、それまで赤ん坊のペースにあわせてきた子育てが、次第に母ザルのペースに変わる。赤ん坊は、授乳拒否を経験して、お乳を飲みたくなっても、そーっと乳房に手を伸ばし、母ザルの反応を気にするようになる。
 母ザルは授乳拒否するとき、赤ん坊の目をのぞきこんで叱る。赤ん坊は母ザルから目をそらそうとするが、母ザルは赤ん坊の後頭部を握って正面を向かせ、お母さんの目を見なさいとばかり、荒々しくふるまう。このとき、母ザルは自分の気持ちを赤ん坊に伝えようと真剣、一生懸命だ。
 母ザルは赤ん坊にお乳は与えるが、それは、餌を与えることは絶対にない。餌のある場所に連れていって、見守るだけ。野生の世界で生きていくには、食べ物を与えないことこそが愛情なのだ。
 赤ん坊が手に入れたイモを母ザルが奪う。それは母ザルが奪わなくても、必ずほかの大人ザルから奪われる。そのとき、かみつかれて、大ケガしてしまうかもしれない。こうやって子ザルはイモを奪われないようにしてから食べることを学ぶ。
 ニホンザルの妊娠期間は人間の半分、5ヶ月半。6月が出産のピーク。母ザルは、2〜3年に1回、出産する。赤ん坊は出産当日から1ヶ月内が一番危険。赤ん坊が母ザルとはぐれると、ほとんど死んでしまう。
 双子が生まれる確率は低い。1万回の出産で9組のみ。そのうち2人とも1歳まで育ったのは3組だけ。
 サルの母と娘の上下関係は、死ぬまで母親の立場が強い。サルは母子家庭。メスザルの出世は血筋で決まる。母ザルは、子どもたちが兄弟ゲンカしたときは、必ず年下の側を応援する。だから、弟や妹の方が威張っている。
 メスザルは、一生のうちに10〜12人の赤ん坊を出産する。オスは4〜5歳のとき、故郷を離れる。
 ボスザルはもてない。メスザルと関係して生まれた娘たちを交尾する危険があるから。だから、群れに入ったばかりの血縁のない若いオスザルがもてもてになる。
 写真がたくさんあって、楽しい本です。中学生のとき、修学旅行で高崎山に行きました。餌場で右手をサルにがぶりとかまれて痛い思いをしました。私は、すぐ近くのサルにまず餌をやったのですが、次に今度は遠くのサルに餌をやろうとしたのです。それを見て、近くにいたサルがどうしてそんなことをするのかと怒ったのです。私としては、サルに公平に餌をやりたいという善意の気持ちからしたことでした。その痛みで、サルと人間の常識の違いが身をもって分かりました。

ぼくの村は戦場だった

カテゴリー:未分類

著者:山本美香、出版社:マガジンハウス
 今年40歳になる日本人女性のフリージャーナリストが世界各地の戦場をかけ巡った体験レポートです。本当に勇気ある女性です。私なんか一ヶ所だって行く勇気がありません。
 彼女が行った国は、この本で紹介されているだけでも、アフガニスタン、ウガンダ、チェチェン、コソボ、イラクなのです。一つだけでも、ぞっとします。そこへ彼女は重いカメラ機材などを運びこみながら取材してまわったのです。うむむ、すごーい。
 タリバン支配下のアフガニスタンで、秘密の勉強会を取材します。大学生が、友人の家を転々としながら勉強していたのです。そこでは、女性にブルカを強制するのに対して、次のような怒りの声が上がります。
 私たちはズダ袋じゃない。頭から足先まで隠せなんて、女性の自由を奪うもの。イスラム法にそんな定めはない。
 アフガニスタンでは、ほとんどがお見合い結婚だ。子どものときに親同士が許嫁(いいなずけ)を決め、適齢期になると結婚する。親と親、家と家の結婚で、本人たちの意志はあまり反映されない。
 一夫一妻が認められている。4人まで妻を娶(めと)ることができる。ただし、妻には平等の生活を保障することが条件となっている。だから、実際には金持ちでないと無理。 ウガンダでは、子ども兵士の存在が深刻だ。LRAゲリラは、草木が生い茂る4月と収穫期の10月に子どもたちの誘拐と食糧の調達のために北部に侵入してくる。これまでに拉致された子どもは2万人以上、避難民は160万人。
 ロシアでは、何をするにも当局から賄賂を要求される。ウィスキーから現金まで、やる気の度合いをモノで証明しなければならない。
 チェチェンで死んだロシア兵は、政府発表によると4000〜5000人。実際にはもっと多く、1万人を超えるとみられている。
 イラクのサマワに日本の陸上自衛隊がいたとき、宿営地をぐるりと囲むように設置された9ヶ所のコンテナハウスを拠点にして、イラク人警備兵が24時間体制で警備にあたっていた。その数300人。無線はない。日本軍である自衛隊をイラクの民間人が自動小銃で守っていた。彼らは月給200ドルをもらっています。そして、今や失業してしまいました。
 サマワから自衛隊が撤退するときは、正門に地権者が補償を求めて押し寄せていたので、裏門から逃げるようにして出た。サヨナラ・パーティーも開かれなかった。
 先日の新聞に、サマワに行った自衛隊幹部が、日本には憲法9条があって戦争できないことになっているとイラク人に説明して安心してもらっていた。だから、憲法9条は大切だ。そう語った記事がのっていました。私も、まさしくそのとおりだと思います。
 著者の今後のご無事を心よりお祈りします。あまり無理しないで下さいね。

S−1誕生

カテゴリー:社会

著者:白坂哲彦、出版社:エビデンス社
 国産初の世界レベル抗癌剤の開発秘話というサブ・タイトルがついています。実に20年以上かけて有効な抗ガン剤を開発したという話です。いやあ、たいしたものです。その地道な苦労に頭が下がります。
 抗ガン剤開発に携わる人間にもっとも必要とされる要素は、好奇心と執念。この仕事はケタ違いにスパンが長く、根気のいる仕事を毎日続けなくてはいけない。
 抗ガン剤の開発が感染症などの治療薬の開発に比べてはるかに難しいのは、標的となるガン細胞が体外から侵入してきた外敵ではなく、自分自身の体の一部だから。
 ガンの場合、ガン細胞は自分の体の正常細胞が異常増殖を始めたものなので、ガン細胞と正常細胞との間には、ヒトと病原部生物の細胞間にみられるようなはっきりした違いはない。
 抗ガン剤であるマイトマシンやプレオマイシンのルーツは、関東地方や九州で採取された土中の微生物にある。同じくアドリアマイシンもアドリア海の砂からみつかった微生物にルーツがある。
 いやあ、どこに貴重品がころがっているのか、世の中って本当に分からないものですね。
 会社というものは、誰もが成功に一役買いたいと考えるような、きれいごとの世界ではない。なかにはアラ捜しをして点数稼ぎをする者もいるし、やっかんで足を引っ張ろうとする者も出てくる。
 著者が開発したS−1は、基礎研究に15年、臨床試験に6年4ヶ月、承認の申請から承認まで1年3ヶ月、合計22年6ヶ月かかりました。すごい歳月です。
 著者たちは、ご飯が食べられるガン治療を目ざしたのです。ガン患者から生きる力を奪うのは、悪心、嘔吐、食欲不振、下痢、口内炎、全身倦怠感という副作用。たしかに、これらがあったら生きてる気がしませんよね。
 S−1は、外来通院でQOLを保ちながら、長期間投与することが可能。抗ガン剤の特徴は、はっきり効果が認められたものは、世代を超えてつかわれ続けることにある。
 20年後、日本も世界も、ガン治療は外来主体になっている。著者はこのように予測しています。果たして、そうなるのでしょうか。
 S−1は、進行・再発胃ガンの治療薬として承認され、その後、応用範囲が広がっているということです。このような地道な研究・開発をすすめておられる研究者に対して心より敬意を表します。
 まさに平和産業の最たるものです。もっと世の中の光をあてていいように思います。

三角縁神獣鏡・邪馬台国・倭国

カテゴリー:日本史

著者:石野博信、出版社:新泉社
 三角縁神獣鏡は、単なるおまじないの鏡だったという説が紹介されています。驚きです。古墳のなかに置かれていた位置と数からして、本当に値打ちの高い良い鏡だったか疑問だというのです。うーん、そう言われても・・・。
 この本では邪馬台国・九州説がコテンパンにやっつけられています。福岡県南部に生まれた私としては、もちろん昔から心情的には九州説なので、大変悲しいことです。山門郡のある瀬高(女山。ぞやま)あたりだという本居宣長(もとおりのりなが)の説に共感してきました。しかし、瀬高だったら船で30日かかる距離ではないし、遺跡も多くはないとバッサリ切り捨てられています。
 それでは、最近有名な、あの吉野ヶ里ではどうでしょうか・・・。これもダメというのです。民家が密集しているようなところは、広大な王宮と矛盾するとされています。
 そして、戸数5万戸あるという投馬国が九州説ではどこに位置するのか、説明されていない。ここが最大の弱点だと指摘されています。
 著者は、投馬国は吉備国(今の岡山)、邪馬台国は大和だとしています。大和国山辺郡を想定しています。
 奈良盆地には、古くから山辺(やまのべ)の道と上(かみ)つ道がある。そこらあたりに邪馬台国はあった。私も、この2本の古道を現地で歩いてみたいと考えています。
 卑弥呼は魏王から銅鏡100枚を贈られました。このとき倭国使節団は、別に2000〜3000枚もの鏡をつくらせて倭国へ持ち帰ったと著者は推定しています。
 三角縁(ふち。えん)神獣鏡は日本に500面が見つかっているが、中国では一枚も見つかっていない。そうなんですよね、なぜなのでしょうか・・・。
 「卑弥呼以死」とあるのを、卑弥呼は殺されたとする新しい解釈が提起されています。そして、卑弥呼は、自分の生きているうちに墓(寿墓)をつくっていたのだ、というのです。松本清張が言い、それを支持する学者もいるそうです。「以死」というのは自然死のときには使わない用語だというのです。
 前方後円墳というのは、幕末の勤王志士・蒲生君平(がもうくんぺい)が名づけたもの。しかし、長突円墳と呼ぶべきだとの主張が紹介されています。そして、これは壺の形に似せてある。蓬莱山をあらわしているというのです。
 最新の学説の状況が分かる面白い本です。

修身教授録

カテゴリー:社会

著者:森 信三、出版社:致知出版社
 戦前の昭和12、13年、教師養成期間である師範学校の生徒を対象として修身科の授業をした、その講義録です。生徒に口述したものを書き取らせるという授業のやり方でした。修身の国定教科書をまったく使わず、独自に口述したのです。異例なことでした。
 中味は、こうやって70年後に復刻されるだけの価値があります。とても高度で、濃い内容の授業です。倫理・哲学の講師であった著者42歳のときの渾身の授業です。
 われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見いだすことができる。もし読書しなかったら、いかに切実な人生経験をしていても、真の深さは容易に気づきがたい。書物を読むことを知らない人には、真の力は出ない。
 読書は、われわれ人間にとっては心の養分なので、一日読書を廃したら、それだけ真の自己はへたばるもの。一日読まざれば、一日衰える。
 人間は、読書しなくなったら、それは死に瀕した病人がもはや食欲がなくなったのと同じで、なるほど肉体は生きていても、精神は既に死んでいる証拠だ。ところが、多くの人々は、この点が分かっていない。心が生きているか死んでいるかは、何よりも心の食物としての読書を欲するか否かによって知ることができる。大丈夫です。これを読んでいるあなたは、今、しっかり生きています。
 本を読むとき、分からないところがあっても、それにこだわらずに読んでいく。そして、ところどころピカリピカリと光るところに出会ったら、何か印をつけておく。ちなみに私は、すぐに赤エンピツでアンダーラインを引くようにしています。
 人を知る標準に五つある。第一には、その人が誰を師匠としているか、第二に今日まで何を自分の一生の目標としているか、第三に今日まで何をしてきたか、第四に愛読書は何であるか、第五に友人は誰なのか、ということ。
 人間の知恵は、自分で自分の問題に気がついて、自らこれを解決するところにある。人間は、自ら気づき、自ら克服した事柄のみ、自己を形づくる支柱となる。単に受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もない。自分が身体をもって処理し、解決したことのみが、真に自己の力となる。
 人間が学校で教わることは、ちょうど地下工事にあたる。その上に各人が独特の建物を建てる。その建物のうち、柱は教えであって、壁土は経験である。
 性欲の萎えたような人間には、偉大な仕事はできない。みだりに性欲をもらす者にも、大きな仕事はできない。人間の力、人間の偉大さは、その旺盛な性欲を、常に自己の意志的統一のもとに制御しつつ生きてくることから、生まれてくる。
 人生は、ただ一回のマラソン競争みたいなもの。この人生は二度と繰り返すことのできないもの。この人生は二度とない。いかに泣いてもわめいても、われわれの肉体が一たび壊滅したら、二度とこれを取り返すことはできないのだ。したがって、この肉体の生きている間に、不滅な精神を確立した人だけが、この肉の体の朽ち去った後にも、その精神はなお永遠に生きて、多くの人々の心に火を点ずることができる。私がモノカキとして精進しようとしているのも、ここに理由があります。
 一時一事。人間というものは、なるべく一時(いっとき)に二つ以上のことを考えたり、あるいは仕事をしないようにしたほうがいい。ある一時期には、その時どうしてもなさなければならない唯一の事柄に向かって、全力を集中し、それに没頭するのが良いのだ。
 いろいろ考えさせられることの多い修身授業ではありました。やはり、国定教科書を押しつけるなんて、ダメなんですよね。「心のノート」なんて、まったくうわべだけのものと思います。

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