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岐路に立つ日本

カテゴリー:社会

著者:後藤道夫、出版社:吉川弘文館
 明仁(あきひと)天皇は、即位したあと靖国神社に一度も参拝していない。ええーっ、そうだったんですか。そう言われたら、聞いたことありませんよね。父親である昭和天皇が靖国神社に参拝したのは1975年(昭和50年)11月21日が最後で、そのあと1978年にA級戦犯が合祀されたからは一度も行っていない。
 宮内庁は、議論の分かれているところには行かれないと説明する。なーるほど、ですね。
 明仁天皇は1996年に栃木県の護国神社に参拝したことがあるが、そのときも、事前にA級戦犯が合祀されていないことを確認したうえのこと。
 このように、A級戦犯の合祀は、天皇と靖国神社、護国神社との関係を切断する結果をもたらしている。
 明仁天皇は戦後的価値観をそれなりに身につけている。たとえば、昭和天皇時代と異なり、天皇単独の行幸(ぎょうこう)が減り、天皇と皇后はそろって行幸啓(ぎょうこうけい)が増え、皇后の役割の増大が目立っている。記者会見を受けるときにも、天皇と皇后が並んで坐り、記者の質問も「両陛下にうかがいます」となっている。天皇と皇后はまったく平等に扱われている。
 また、1999年11月の在位10年記念式典の際に民間代表として選ばれたのは、阪神・淡路大震災の被災者(女性)と、障害者スポーツの代表(女性)だった。
 明仁天皇は、韓国のノテウ大統領が訪日したときの宮中晩餐会で次のように発言した。
 「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛恨の念を禁じ得ません」
 この発言は、右派のナショナリストに大変なショックを与えた。このあと、彼らは天皇を政治の局外に置くべきだと主張しはじめ、天皇の天首化を主張することはしなくなった。
 世論調査によると、若年層は皇室に親しみを感じず、無関心層が分厚く存在している。尊敬20%、好感41%、無感情36%となっている。
 女性週刊誌がこのところ一部に雅子さんバッシングを相変わらず書いていますが、あまり皇室の提灯記事を見かけないのは、このことの反映でもあるのでしょうか。
 小沢一郎はアメリカと日本財界の意向を受けて、日本の軍事大国化を目ざした。そのためには社会党をつぶすか変質させなければならない。そこで、小選挙区制を導入することにした。中選挙区制ならともかく、小選挙区制で社会党が生き残るには共産党でなく民主・公明党と組むしかない。そうなると、社会党は安保・外交政策を転換させる必要がある。小選挙区制が導入されたら、社会党は少数政党へ転落するか、変質するか、どちらかを選ばざるをえない。いずれに転んでも障害物としての社会党は消える。この小沢の狙いはあたった。
 いま、その小沢一郎は民主党の代表です。自民党と民主党と名前の違いこそあれ、政策的にはまったく同じ。憲法改正をすすめる点も違いありません。いつだってアメリカ言いなりです。にもかかわらず。マスコミは相変わらず、あたかも違いがあるかのように二大政党制をもちあげるばかりです。いやになってしまいます。
 日本人のなかにも多種・多様な考えがあることをふまえて、少数野党の言い分をきちんと報道するのは公器としてのマスコミの責任ではないでしょうか。
 まやかしの二大政党論は、もううんざりです。

犬も平気でうそをつく?

カテゴリー:生物

著者:スタンレー・コレン、出版社:文春文庫
 犬の鼻は、よく見ると、こまかい畝ができている。この模様と鼻孔の輪郭で構成される鼻紋は、人間の指紋のように個体によって違い、一つとして同じものはない。
 犬は人間より積極的に臭いを集める。左右の鼻孔を別々に動かして、臭いがどの方向から来たかを探る。そして、一瞬、息をとめて臭いを嗅ぐ。犬の鼻がいつも冷たく濡れているのは、匂いの分子を集めやすくするため。鼻の中には、こまかい毛のようなものがあり、それが匂いの分子を鼻腔へと送りこむ。この毛状のものが溶けた匂いの分子を内側へ押していき、匂いを感じとる特別な細胞の近くに分子を集める。この仕組みを常に効果的にはたらかせるためには、大量の粘液が必要になる。
 人間の嗅細胞は500万個しかないが、ジャーマン・シェパードは2億2,500万個ももっている。最高はブラッドハウンドで3億個。だから、1グラムの酪酸を10階建のビルの中で蒸発させても犬は嗅ぎ分けることができる。
 これに反して、犬の視力は、最高で0.26しかない。犬は飼い主が動いているときは1.5キロ離れても見分けることができるが、動かないとわずか90メートルしか離れていなくても見分けられない。ただし、犬の視界は270度ある。
 犬は人間ほど味にこだわらない。犬の味蕾(みらい)は、人間の5分の1しかない。犬は塩分をほしがらないし、敏感でもない。それは肉食だから。肉にはナトリウムが含まれている。犬は慣れ親しんだ味より、新しい味を好む。新しいもの好きだ。
 犬のヒゲが切られると、犬は不安になり、ストレスを感じる。そして、自分の周囲を十分に感じとれなくなる。
 犬は、人間と違って痛みを表現せず、じっとガマンする。群れの仲間から襲われないためだ。だから犬が痛みをあらわすのは、身を守るためのガマンを限界を超えたということ。
 犬は抱かれることをいやがる。動きを制限され、拘束されたように感じるからだ。
 犬が生まれて3週目から12週目までの期間内に人間にふれあうことが大切で、それによって子犬は人間との関係に自信をもつ、知らない人を怖がらなくなる。生まれて8週間きょうだいと一緒に育った子犬に比べて、すぐに引き離された子犬は、相手を強くかんでしまう傾向がある。
 生後10週目までにまったく罰を受けずに育った子犬は、ほとんど訓練不可能な犬になる。犬に罰を正しく与えるのは、非常に難しい。不適切な懲罰は、犬に非常にマイナスの心理的影響を与え、飼い主と犬とのきずなを完全に壊してしまう。
 10歳以上の犬の62%に認知症の症状があると推定されている。認知症でない健康な老犬でも、加齢によって頭の働きは鈍ってくる。
 うちの犬は、自分を人間だと思っている。この考えは間違っている。犬は、私たち人間を犬だと思っている。二本足で歩く、妙な姿をした犬。犬的な行動に完全に反応できない、あまり頭の良くない犬。こう思っている。
 犬は人間について、擬犬化をしている。だからこそ、犬は、ほかの犬にするように人間に向かって尾をふり、前脚をのばして遊びに誘うおじぎをし、人間の匂いをかいでいるのだ。
 最後に、この本のタイトルにあるとおり、犬はほかの犬も人間に対してもうそをつくことができます。だますのもゲームのうちなんです。
 古くからの人間の良き友、犬についてまたまた認識を深めることのできる本でした。
 雨の少ない梅雨になりそうだというので、水不足の夏になるのかと心配していましたが、このところ大雨が降っています。蝉の鳴き声を7月2日に一度だけ聞きましたが、その後は、雨のため地上に出てこれないようです。実は鳴き声を聞く前、まだ雨の降らない6月末(6月30日だったと思います)に蝉の死骸が路上に落ちているのを早くも見つけ、えっ、今年は早いなあと思ったものでした。参院選も今週から始まります。世の中をいい方向に変えたいものですよね。

公明党VS、創価学会

カテゴリー:社会

著者:島田裕巳、出版社:朝日新書
 公明党は2005年9月の衆院選挙で900万票近くとった。2000年6月には  776万票だったので、120万票も伸ばしている。しかし、創価学会の会員が100万人も増えたという事実はない。この120万票は、自民党との選挙協力によるものである。
 創価学会の会員数は実数で256万人。有権者数でいうと220万人。学会員は選挙になると、F取りによって会員一人あたり外部から2.5票をとってくる。220万に2.5をかけると550万で、それに会員数の220万を足すと770万になる。これは、連立以前の参院選での公明党の得票数。
 このようにして、創価学会は「てこの原理」をつかうことによって、実際の力以上の政治力を発揮している。
 「F取り」とは、公明党の票をとってくること、「Kづくり」とは、活動していない創価学会員に働きかけて活動家にすること。
 公明党の議員のなかに、いわゆる二世議員はほとんどいない。
 公明党は、独自の経済政策というものを持っていない。公明党が独自の経済政策を提唱したことはなく、連立以降は、経済政策にかんして、自民党に任せきりになっている。公明党選出の大臣は、現在、経済政策を決定するうえで重要な役割を果たしている経済財政諮問会議のメンバーに入っていない。
 創価学会の多様化がすすむことは、公明党を支持する会員が減っていくことを意味する。創価学会は現世利益の実現を説くことで巨大教団に発展したが、皮肉なことに、その目標を達成すると、公明党の支持者から外れていく可能性が出てくる。実際、学会員だからといって必ず公明党に投票するわけではない。
 創価学会にはエリートに力をもたせない仕組みが備わっている。エリートが幅を利かすことは難しい仕組みだ。エリートにとって創価学会は居心地の悪い組織である。学会はエリート会員を組織に引きとどめることに躍起になっている。
 学会員にとってもっとも重要なものは本尊でもなければ、教義でもなく、学会員同士の人間関係である。与党である公明党と創価学会の関係について、鋭い分析がなされている本だと思いました。
 いま政権与党として我が世の春を謳歌しているように見える公明党もいろいろと大きな矛盾をかかえていることがよく分かる本です。

エリカ、奇跡のいのち

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ルース・バンダー・ジー、出版社:講談社
 柳田邦男氏が推薦していた絵本です。絵はとても写実的です。きれいに整いすぎている感じすらします。
 1944年のことです。1933年から1945年までの12年間に、600万人ものユダヤ人がヒトラー・ナチスによって虐殺されました。600万人といっても、まったくピンときませんよね。でも、福岡県の全人口より多いし、東京都民の半分というと、少しは想像できるようになります。殺されていった一人一人に語られるべき人生があったのですよね。600万人という数字だけで片づけられてはたまりません。
 そのとき、わたしは生まれてやっと2ヶ月か3ヶ月の赤ちゃんでした。父や母と一緒に、牛をはこぶ貨車に押しこめられ、立ったままぎゅうぎゅう詰めで動くこともできなかったでしょう。列車がある村をとおるとき、スピードを落としたので、母は「今だ」と思って、貨車の天井近くにある空気とりの窓から、外にわたしを放り投げてしまいました。
 すぐ近くの踏み切りで、村の人が汽車の通り過ぎるのを待っていて、貨車から投げ出される赤ちゃんを見ていたのです。
 母は、自分は死にむかいながら、わたしを生にむかって投げたのです。
 村人がわたしをひろいあげて、女の人に預けました。ユダヤ人の赤ん坊を預かるなんて、生命にかかわることでしたが、家族の一人として大切に育ててくれました。
 まさしく奇跡が起きたのですね。
 先日、福岡の小さな映画館で「それでも生きる子どもたちへ」という映画を見ました。少年兵として殺し、殺されの毎日を生きているアフリカの男の子、両親からエイズをうつされ、学校でいじめにあうアメリカの女の子、空き缶ひろいなどをしてたくましく生きているブラジルの兄と妹・・・。
 中国の大都会で捨て子として育った女の子は、金持ちの子が両親の不和から大切にしていたお人形さんを投げ捨てたのを拾ってもらって、大切に世話しています。でも、頼りにしていたおじいさんが交通事故で死んでしまうのです。
 たくましく生きていくこどもたちの姿に、何度も目がウルウルになってしまいました。

春の日の別れ

カテゴリー:社会

著者:長瀬佳代子、出版社:手帖舎
 著者は岡山に住む元ソーシャルワーカーです。私が30年前まで関東にいたときに知りあいました。もう永くお会いしていませんが、古希を迎えられたそうです。その記念に作品集を一冊の本にまとめられました。自分で装丁を考えられたそうですが、とても上品な味わいある本です。
 岡山文学選奨賞に入選した「母の遺言」など、12篇の随筆を思わせるような淡々とした展開を示す作品が掲載されています。
 長く地方自治体の職員として働いてこられただけに、その職場での体験を生かした情景の描きかたが迫真的でみごとです。人情の機微をよくとらえていると感心しました。
—– ぼくには福祉の仕事が向いていないんです。
—– みんな、そう言うな。本当は嫌なんだよ。考えてみりゃ、福祉って他のことが面倒な比べて仕事に比べて面倒なことが多いからな。それに最近は厚生省の指導が厳しいし、仕事がやりにくくなって嫌気がさすのも無理はないが・・・。
——- 長く続けてするのは大変ですが、でも、勉強にはなりました。
——- そうさ、社会の縮図を実際に見られるのだからな。役所の仕事をしていくうえでは、絶対、福祉現場を体験しなくちゃいけないんだ。ところが、だいたい三年でさよならしてしまう。福祉に生き甲斐をもって仕事しようという人間なんかほとんどいない。役所の仕事に上下なんかないのに、福祉というと低くみるんだ。おかしいと思わんか。
——- 分かりません。
——- お前なんか、まだ先のことと思っているかもしれんが、おれたちの年齢の者が考えてるのはポストのことばかり。今度は誰があのポストにいくか、自分は出世コースに乗ったか、はずれたか。そんな話を、飲みながら探りあうんだ。
 ホントに今夜もこんな会話が、全国にある市役所近くの一杯飲み屋で、かわされているのでしょうね。著者の今後ますますの健筆を祈念します。

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