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歌姫あるいは闘士、ジョセフィン・ベイカー

カテゴリー:アメリカ

著者:荒 このみ、出版社:講談社
 ジョセフィン・ベイカーって、名前は聞いたことがありましたが、どんな女性だったのか、この本を読んではじめて知りました。
 ジョセフィン・ベイカーはアメリカ生まれの生っ粋の黒人。アメリカでの黒人差別に嫌気がさして、パリで成功するとフランスに定住する。成功した歌姫としてアメリカで公演するときも、黒人なので会員制クラブではおろか、レストランでもホテルでも公然たる差別を受けた。それに対してジョセフィン・ベイカーは敢然とたたかった。人種差別のない世界を目ざして、世界中から12人の養子をとった。1954年4月、日本にも来て、1人を養子にするはずが、2人の男の子を養子にした。
 第一次世界大戦のとき、40万人以上のアメリカ黒人が兵役につき、そのうち20万人がフランスに送られた。アメリカ側では黒人兵がフランス人と接触することを回避しようと、禁止令を出したが、効果はなかった。
 ジョセフィン・ベイカーたちはフランスでの公演でパリ市民を熱狂させた。
 写真を見ると、すごいのです。パリ市民がそれまで見たこともないような踊りだった。観客を戸惑わせ、それ以上に歓喜させ、狂喜させた。ほとんど裸体の踊りなのだが、エロチックというより躍動美であり、ついつい見とれてしまったのである。
 ジョセフィンの茶色の肌は観客にとってエキゾティックで蠱惑(こわく)的、本能的だった。踊りの速さ、動き、奇妙さは、それまでパリが経験したことのないものだった。ジョセフィンの官能的で機知に富んだ性格の輝きがあった。
 ジョセフィンの踊りから、人間の身体の根源的な美しさが感じられ、生の躍動がじかに魂に伝わってきた。だからこそ、パリの観客の心は激しく揺さぶられた。
 パリのレストランで、ジョセフィン・ベイカーが友だちと食事をしていると、アメリカ人の女客が店長を呼びつけて叫んだ。「あの女を追い出してちょうだ。私の国では、ああいう女は台所にやられるのよ」 ところが、どうぞお立ちくださいと言って店長が追い出したのは、そのアメリカ人の女客だった。
 いやあ、アメリカ人の黒人差別(実は黄色人種の差別も)は、昔も今も変わりませんよね。日本への原爆投下も猿以下とみなしていた日本人蔑視によるものであることは、歴史的事実ですからね。これはホントのことです。
 ジョセフィン・ベイカーは、フランス南部に城(シャトー)と所有し、そこで12人の養子を育てました。商業的には結局、破綻してしまうのですが、その夢は今も生きている気がします。
 そして、ジョセフィン・ベイカーは、第二次世界大戦中には、ナチスの支配に抵抗するレジスタンス運動に加担するのです。たいしたものです。情報員に求められるのは、勇気と直観と知性。この三つとも彼女には備わっていたと、レジスタンス運動に引っぱりこんだ幹部が語っています。
 ジョセフィン・ベイカーは、アメリカに帰ったとき、若い黒人大学生に語りかけた。一つは、社会で何かを成しとげるときには努力が必要なこと。自分の才能というのは天性であるとともに、努力するからこそ花が開く。二つ目に、黒人は劣等感にさいなまれているが、自分たちの人種的劣等感を捨てて、これまで自分たちの仲間が立派に活躍してきたことを誇りに思うこと。三つ目に、黒人の文化を教育することの重要性と緊急性である。これって、今の日本人の若者にも、すごくあてはまる大切なことのように思いますが、いかがでしょうか・・・。
(2007年6月刊。1890円)

伝説の社員になれ

カテゴリー:社会

著者:土井英司、出版社:草思社
 ビジネス書を1万冊も読んだというのです。あれれ、ビジネス書って、そんなに面白いものなのかしらん、私は懐疑的になりました。
 最低限の利益を出すには、人件費は売上げの3割におさえるのが経営の原則だ。つまり、今もらっている給料の3倍の売上げをあげて、ようやく給料にみあう働きをしていることになる。
 必要なことは、出世したり、高い給料を追い求めることではない。一生を通じて自分がケアをし、それによって自分も成長できる、そんな対象を見つけること。
 どんなことでも9年間続けたら成功できる。そして、成功するためには、その代償として何を捨てなければならないのか、それも考慮する必要がある。
 一流の人と出会い、つきあうことの利点は、情報をもらえる、何かトクがあるということではない。この人には絶対かなわないと実感できることだ。一流の人にふれると、彼らに勝てるとしたら、自分のどの部分だろうと考えるきっかけにする。
 一流の人にふれる利点は、素直に負けを認められること。
 私も新人弁護士のとき、先輩弁護士のあまりのすごさに圧倒されてしまいました。とてもかなわないと思いました。今でも、それは同じです。ともかく、口八丁、手八丁なのです。いやあ、これはかなわない。そう思ってしまいました。でも、どこか、私もできるところがあると思い、生まれ故郷にUターンしたのです。
 継続するための一番の方法は、それを習慣にしてしまうこと。
 一日の生活を単純化しています。夜12時に寝て、朝は7時に起きる。それは絶対に崩さない。朝はフランス語の書きとりをし、土曜日はフランス語会話教室に通う。夜はテレビを見ず、ひたすら活字を読むか、書きものをする。これで30年以上、やってきました。ようやく、世の中が少しずつ見えてきました。
 いろいろ参考になる言葉が紹介されていました。
(2007年4月刊。1200円+税)

幕末下級武士の絵日記

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:大岡敏昭、出版社:相模書房
 私も小学生のころ、夏休みに絵日記をつけていたことがあります。ところが、変化のない毎日ですので、何も書くことがなく、苦労した覚えがあります。そして、残念なことに絵も上手ではありませんでした。いえ、下手ではなかったのです。絵をかくのは好きなほうでした。ただ、自分には絵の才能がないということは子ども心に分かっていました。この本は、江戸時代末期に下級武士が自分の毎日の生活を絵と言葉でかいていたというものです。すごいですね。江戸時代についての本は、私もかなり読みましたが、武士が絵日記をつけていたというのは初めてでした。行灯(あんどん)の絵もかいていたというのですから、もちろん絵が下手なわけはありません。劇画タッチではありませんが、当時の下級武士の日常生活が絵によってイメージ豊かに伝わってきます。とても貴重な本だと思いました。
 ところは、現在の埼玉県行田市です。松平氏所領の忍(おし)藩10万石の城下町に住む10人扶持の下級武士、尾崎石城がかいた絵日記です。
 石城は御馬廻役で100石の中級武士だったところ、安政4年、29歳のとき、藩当局に上書して藩政を論じたため蟄居(ちっきょ)を申し渡され、わずか10人扶持の下級身分に下げられてしまいました。ときは幕末、水戸浪士が活動しているころで、尊皇攘夷に関わる意見書だったようです。
 石城の絵日記をみると、毎日、実にたくさんの友人と会って話をしていることが分かる。平均で5〜6人、多い日には8〜9人にもなる。当時は、それだけ人と会うのが密接だった。家にじっと閉じこもっていたわけではなかったのです。
 石城は書物を幅広く読んでおり、自宅には立派な書斎をかまえていた。貸し書物屋が風呂敷に包んだ本を背負って、各家を訪ねていた。石城が読んでいた408冊も日記に登場する。万葉考、古今集、平家物語、徒然草、史記、詩経、五経と文選、礼記、文公家礼などの中国古典もあり、庭つくりの書まであった。
 床の間の前で、寝そべりながら、友人たちと一緒に思い思いの書物を読んでいる姿も描かれています。のんびりした生活だったようです。
 酒宴がよく開かれていたようです。しかも、そこには中下級の武士たちだけではなく、寺の和尚と町人たちも大勢参加しているのです。身分の違いがなかったようです。仲間がたくさん集まって福引きしたり、占いをして見料(3800円)をもらったり、ええっ、そんなことまでしてたのー・・・。と驚いてしまいました。
 酒宴をするときには、知りあいの料亭の女将も加わって踊りを披露したり、大にぎわいのようです。そのなごやかな様子が絵に再現されています。
 茶店は畳に座るもので、時代劇映画に出てくるようなテーブルと椅子というのはありません。
 石城が自宅謹慎(閉戸、へいと)を命ぜられると、友人たちが大勢、そのお見舞いにやってきたとのこと。なんだかイメージが違いますね。友人がお酒1升と目ざしをもってきたので、みんなでお酒を飲んだというのです。
 石城は明治維新になって、藩校の教頭に任ぜられています。独身下級武士の過ごしていた、のんびりした生活がよく伝わってくる絵日記でした。

反転

カテゴリー:司法

著者:田中森一、出版社:幻冬舎
 ヤメ検の悪徳弁護士として名高い人物が自分の半生を語った、いま話題の本です。検察庁内部の実情とあわせて裏社会の動きがかなりナマナマしく描かれており、興味深い内容でした。
 大阪地検にいたころ、「割り屋」と呼ばれていた。割り屋とは、被疑者を自白に追いこむプロという業界隠語だ。自白を引き出すために、被疑者を逮捕したあと、はじめの10日間の勾留のあいだは、ほとんど相手の言い分や情状を訴える言葉を聞かない。貴様、オドレ、お前と常に呼び捨てにし、一方的に怒鳴りつける。机を激しく叩きながら、ときにフロア中に響きわたるほどの大声を発して責めたてる。被疑者を立たせたまま尋問することもしばしばだった。
 はじめの10日間は、弁護士が被疑者との接見を求めてきても、体よく断わった。大事な調べだから、今日は勘弁してください。今日は現場検証に連れていくから。そんな口実をつくっては、接見をさせない。そうして被疑者を孤独にさせ、こちらのペースにはめ込む。あえて、ガンガン取調べをし、自白に追い込む。
 被疑者にとって、自白は究極の決断といえる。その様は人によってそれぞれ異なる。検事は、そのタイミングを逃してはならない。脂汗を流しはじめる者、突然泣き崩れそうになる者、顔面が蒼白になっていく者、それぞれ落ち着きがなくなり、椅子からずり落ちる者など、さまざまだ。10人中、8、9人は顔からさっと血の気が引く。そのとき、これで落としたと察知して、たたみかける。
 人間の記憶は曖昧なものである。だから、取り調べを受けているうち、本当に自分がそう考えていたように思いこむケースも少なくない。それを利用することも多い。
 毎日、毎日、繰り返して検事から頭の中に刷りこまれる。すると、本当に自分自身に犯意があったかのように錯覚する。多くの被疑者には犯行の意図はなくても、心の奥底では相手を憎らしいという思いが潜んでいることがある。それが調書のなかで、全面的に引き出される。すると、殺すつもりだったという調書ができあがる。
 狭い取調室で、被疑者に同じことを毎日教えこむと、相手は教えこまれた事柄と自分自身の本来の記憶が錯綜しはじめる。しまいには、検事が教えてやったことを、被疑者がさも自分自身の体験や知識のように自慢げに話し出してしまう。
 そして、多くの被疑者は、いざ裁判になって記憶を取り戻して言う。それは、検事さんに教えてもらったものです。しかし、あとの祭り。裁判官は完璧な調書を前に、検事の言い分を信用し、いくら被疑者が本心を訴えても通用しない。
 捜査日誌を使い分けていた検事もいる。ひとつは調書にあわせ、創作した捜査日誌。もうひとつは事実をありのままに書いたもの。これは、検事自身が混乱しないよう、整理をつけておく工夫のひとつだ。
 著者は、いま弁護士ですから、割引いて受けとめるべきものなのかもしれませんが、私はかなりあたっている気がしました。
 1987年12月、著者は弁護士となった。検察庁からもらった退職金は800万円。それに対して弁護士開業の祝儀は総額6000万円。1000万円の祝儀が3人から届いた。その一人が食肉業者「ハンナン」の浅田満会長。
 弁護士をはじめて1年目で、顧問先企業が100社をこえた。1社あたり10万円として、顧問料だけで月に1000万円をこえる。
 そこで、節税のために、7億円のヘリコプターを買った。生まれ故郷の長崎の島に、川崎敬三と二人で、ヘリコプターで降りたった。島に5000万円で家もたてた。
 検事時代は、歳暮や中元はもちろん、ビール券や商品券も不自由しなかった。
 佐賀県知事は、病院の経営者を2号さんにして、その税金ごまかし事件を手がけた。
 高知地検では、宿毛市長選挙の公選法違反事件を手がけようとしたが、身内である竹村照雄・最高検総務部長が泣きを入れて妨害した。
 大阪地検のとき岸昌知事の黒い噂を事件にしようとした。すると、大坂地検の検事正が、こう言った。
 お前は、たかが5000万円で、大阪を共産党の天下に戻すつもりか。
 共産党に戻すかどうか、聞いとるんや。
 ええーっ、驚きました。警察だけでなく、検察庁でも、そんな政治判断で動いているのですね。いったい、どういう了簡でしょうか・・・。
 福岡の苅田町の裏口座の事件では、森喜朗へ5000万円が流れていた。森は安倍派の事務局長。だから、ある日突然、天の声が聞こえてきて捜査はしぼんでしまった。
 いやあ、ホント、ひどいものですね。
 これらは実名で書かれていますので、著者は責任もって書いているのでしょう。なんだかあまりにもドロドロしすぎていて、いやになってしまいます。政治検察というしかありません。
(2007年6月刊。1785円)

鳥が教えて教えてくれた空

カテゴリー:生物

著者:三宮麻由子、出版社:NHKライブラリー
 山のふもとと言ってよいところに住んでいますので、夏の朝、ウグイスを一番に聞くことができます。朝6時ころに鳴き出します。春とは違って、安定した、明るい鳴き声です。ホー、ホケキョという鳴き声を聞くと、今日もいい一日を過ごせそうだと思うことができます。そして、そのうち、蝉の大合唱がはじまります。
 トイレに座ると、スズメたちが元気に鳴いています。わが家には、少なくとも2ヶ所にスズメの巣があり、一家が住みついています。にぎやかなものです。でも、正確にいうと、トイレの窓のすぐ上にあるスズメの巣をスズメたちが出入りするときには、ほとんど物音をたてません。ときに羽ばたく音がするくらいです。スズメなりに気づかれないようにしているのです。巣から少しはなれたところにとまって、にぎやかに鳴きはじめるのです。この本の著者はスズメの鳴き声について、次のように書いています。
 午前5時台には、スズメも寝ぼけ気味のようで、チュンチュンと小さめの声でまばらに鳴きあっている。6時過ぎると、突然にぎやかになり、ジクジクジク、チーユン、チョン、チーエムなど、いろいろ変化がつく。起きているかい、起きてるよ、というような一種の喧噪に聞こえてくる。7時を過ぎると、声はにわかに落ち着きを取り戻し、宴のあとの雑談よろしく、そこここに散っていく。8時にはエサを求めて出勤していくのだろう。通りがかりのスズメがチュンと鳴きながら、バタバタと飛んでいく音くらいになり、外はかなり静かになっていく。
 たくさんのスズメが来ている日は天気が良く、近くであまり声のしない日は、曇りか雨になる。
 著者が全盲であるのを知ったのは、このあとのくだりを読んでからでした。耳だけでよく観察しているなと感心したものでした。著者が全盲になったのは4歳のとき。眼圧を下げる手術によって、一日で光を失ってしまったのです。
 カナリアはひどい寂しがり屋で、そばでチイとつぶやくと、何回でもチイという地鳴きを返してくる。
 鳥は、神様のハシ休めだと思う。小さかったり、弱かったり、またワシやタカののように空の王者と言われても、生態系の頂点の微妙な場所にいる繊細な生きものだ。でも野鳥がいなければ、地球の生活はどんなに無味乾燥なことだろう。
 森の中で、自分が今どんな地点にいるかを知るためには、まずしゃがんで、できるだけ低い姿勢をとりながら耳を澄ますこと。しゃがまなければ、手に入れることのできる情報量は半分ほどに減ってしまう。
 いま、著者が聞き分けられる鳥の鳴き声は100種を超えるそうです。鳥の歌を、そのまま耳に残して覚えたものといいます。すごいですね。
 ソウシチョウは一羽ずつ歌が違うので、簡単に区別がつく。
 ええーっ、そうなんですかー・・・。著者の家ではソウシチョウをゲージの中で飼い、また、放し飼いにしていたとのことです。時間になると、きちんと戻ってくるといいます。たとえば、昼ごろに放すと、午後3時ころに戻ってきて、とまり木にお座りしているというのです。頭がいいし、可愛いですよね。
 ソウシチョウは水が好きな鳥で、水を入れ替えてやると、間髪を入れずに水浴びを始める。しかも、水浴び用と飲み水用の水入れは自分でつかい分ける。水浴びのときでも、必ずくちばしで水質を確かめる念の入れようだ。うむむ、小鳥がそこまでやるのですか。
 ソウシチョウは、自分の名前は一ヶ月で聞き分けて寄ってくる。一羽ずつまったく違う歌を十数種も生み出していく。放し飼いにすると、人間が探しているのを見て、先回りして家に帰っていたりする。ええーっ、ウソでしょ。と言いたくなるような話です。ホントなんでしょうが、まるで信じられません。
 わが家の庭にやってくるのはスズメのほかは、例のあのうるさくて厚かましさ天下一品のヒヨドリ、そして図体のでかいキジバトです。ときどき白と黒のツートンカラーのカササギも庭におりたちますが、何を食べているのか、よく分かりません。春先にはメジロもやってきます。ウグイスは来ますが、姿が目立ちませんので、見たことはありません。
(2002年2月刊、830円+税)

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