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さよなら、サイレント・ネイビー

カテゴリー:社会

著者:伊東 乾、出版社:集英社
 オウムには、きちんと整合、首尾一貫した教義は存在しない。金剛乗仏教だと言っているが、主神とされるシヴァ大神はヒンドゥーの神様だし、ハルマゲドンはユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の概念だ。典型的な新興宗教による教義の合金(アマルガム)。どんな非現実的なストーリーでも、自分たちは攻撃されているという被害者意識にとらわれたら、人は簡単に隘路におちこむ。
 麻原が説く潜在意識は徹頭徹尾「孤独」だ。人間として受け容れ、あるいは受け容れられるという豊かな経験を一度も持つことがないまま歪んだ松本の欲望は、自分を神聖な存在=グルと位置づけることで、それこそ顕在意識レベルの解消を図ろうとする。
 オウムの信者であった豊田亨は、東大でも最難関の物理学科を卒業した。その出家期間は、わずか3年にすぎない。オウム自作自演の「ハルマゲドン」を演出するために、東大卒の物理学者が必要だった。ただそのためだけの出家=拉致。いったん出家した後は、自身が関わってもいない「実験」の説明をテレビカメラの前でさせられたり、教祖に都合のよい会話の相手役をさせられたり、あげくの果てに、地下鉄に毒ガスを散布する実行役を押しつけられてしまった。
 どうして、東大でも最難関の理論物理学教室に入って勉強していた優秀な人物が、あんなエセ宗教に身も心もささげて、殺人までしたのか、本当に不思議でなりません。この本は、豊田亨の同級生の著者がその点を追究しようとしたものですが、私には今ひとつよく分かりませんでした。
 次に紹介するアフリカ・ルワンダの話は、すごいことだと思いました。出張したとき、私が福岡で見損なった映画『ホテル・ルワンダ』をたまたまビデオで見ることができました。権力を握った者の扇動によって大勢の人々が狂気にかられ、客観的には同じ民族を大量に虐殺していったというおぞましい事態のなかで、勇気ある人もいたという映画です。
 1994年の4月から7月にかけて、アフリカのルワンダでは、たった3ヶ月間に、 100万人の人々が虐殺された。主な凶器は鉈(なた)。ということは、その実行にも  100万人規模の人間が関わったことを意味している。治安が回復して、これらの人間を裁かなくてはいけなくなった。でも100万人の人間を殺した100万人の人間を再びすべて死刑にしたら、虐殺を二度くり返すことになる。本当に国が滅びてしまう。実際には、100万人の犠牲者に対して、1996年に22人の虐殺指導者を処刑したにとどまる。
 ルワンダ政府は、容疑者を4つのランクに分けた。第一は虐殺を計画した者、第二はそれを実行した者、第三は殺人は行わなかったが略奪などした者、第四は、自分の家族や財産などを守るために正当防衛した者。
 第一ランクの容疑者だけで3000人をこえてしまう。全員の処刑など、現在の国際世論が決して許さない。これらの容疑者を裁くために、「ガチャチャ」と呼ばれる伝統的な裁判が大量に組織された。地域の信頼される長老を中心に16万人の裁判官が選ばれ、1万2000の法廷がつくられた。2005年現在も、毎週土曜日に法廷が開かれ、いまだ裁判は終わっていない。
 ガチャチャは糾弾・断罪ではなく、和解と補償を勧めている。赦しは、ときに処刑より強い刑罰となりうる。すでに10万人規模の受刑者を抱えるルワンダの刑務所は、これ以上の犯罪者を収容できない。
 虐殺に関係した多くの人々は、灰燼に帰した祖国の土を耕し、家を建て、外貨を獲得できる作物であるコーヒーを育てる。日々、生きるために労働しながら、虐殺の実行者たちは、自分の行為のトラウマから逃れることは終生ない。
 すごく重い事実ですね、これって・・・。
(2006年11月刊。1600円+税)

「白バラ」尋問調書

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:フレート・ブライナースドルファー、出版社:未来社
 無責任な暗い衝動に駆り立てられた支配者の徒党に、抵抗もなく「統治」を許すことほど、文化民族の名に値しないことはない。誠実なドイツ人ならば、今や誰でもおのれの政府を恥じているのではないか?
 これは「白バラ」が1943年1月にまいたビラの冒頭の文章です。その格調の高さに圧倒されます。20代も前半の学生が中心のグループが書いたのです。
 ドイツ民族のこのがん腫瘍が、初期にはそれほど目につかなかったとすれば、それを押さえるのに正義の力がまだ十分に力を発揮していたからに過ぎない。しかし、腫瘍がだんだん大きくなり、ついに忌まわしくも政治を腐敗させて権力を握り、同時にその腫瘍が破裂し、全身に毒が回ると、かつて反対した者の大多数が姿を消し、ドイツの知識人たちは地下の穴蔵に逃げ込んで、闇に生きる植物のように、日の光を浴びぬままやがて息絶えてしまった。今や、我々は終末を目前にしている。
 私は諸君に問いたい。もし知っているのなら、なぜ動かないのか。
 人間は、おのれの権利を要求する力すら残っていなければ、必然的に破滅してしまう。諸君の臆病さを、賢明さというマントの下に隠してはならない。
 これも同じく「白バラ」のビラの文面です。すごい問いかけですよね。
 「白バラ」は、ビラを9000部印刷し、計画的に配布した。アレクサンダー・シュモレルは1500通の封筒に入れたビラが入った荷物をもってウィーンに行き、そこから、フランクフルトなどへ発送した。ゾフィー・ショルは2500部のビラをハンス・ヒルチェルに渡した。シュモレルとハンス・ショルは、ミュンヘン市内中心部の路上に、夜間、5000部のビラをまいた。
 これらのビラは、大きな動揺をナチ党指導部に引き起こした。
 ゲシュタポに依頼された古典文献学者ハルダー教授は、次のように鑑定した。
 この作者は天分ある知識人であり、自分のプロパガンダを大学関係者、とくに学生のあいだに広めようとしている。文章にはある程度勢いがあり、政治的な意思による固い決断を感じさせるが、この知的産物は、しょせん机上の空論である。絶望視孤立した者の口調ではなく、背後に一定の仲間はいるようだが、政治的な力を持って活動しているグループから派出したものではない。それには文章が抽象的すぎる。これでは兵士や労働者から幅広い反響を得ようとしているとは、また得られるとは思えない。
 さすがに、なかなか鋭い分析で、感心します。
 「白バラ」の活動家たちは、仮面をかぶるのではなく、ごく普通に生活していた。それが隠れみのとして有効だった。
 「白バラ」はミュンヘン以外の都市にも定着させ、広域で把握しにくい、強力な組織をつくりあげようしていた。それが不首尾に終わったのは、声をかけられた人々の大多数がそれに応じなかったから。「白バラ」の活動がミュンヘン、しかも大学周辺の狭い範囲で行ったため発見される危険がますます大きくなったのは、単に協力者が少なかったからに過ぎない。
 うーん、そうなんですか、そうなんですね。まさしく、悲劇ですよね、これって。
 「白バラ」グループに関わっていたクルト・フーバー教授は、ドイツ人が犯した戦争の残虐行為の責任はひとえにナチス親衛隊にあると考えていた。しかし、前線での戦争体験をもつ「白バラ」の学生たちは、違った。国防軍は、後方での殺人行為を許し、見て見ぬふりをし、ヒトラーを止めようとはしなかった。国防軍は軍人の礼節のよりどころではなかった。ヒトラーの思いのままに操られる道具だった。やはり、軍隊ってー、どんなに起立がたもたれていたとしても、しょせんは人殺し集団なんですよね。
 法廷で「白バラ」のショル兄妹の裁判を目撃した人(司法修習生)は次のように語った。
 被告の態度に深い感銘を受けたのは、私だけではないだろう。そこに立っていたのは、まぎれもなく、自分たちの理想に満ちあふれた人物たちだった。被告たちは冷静沈着で、明晰かつ毅然とそれに答えていた。
 公判の日程は公表されず、傍聴席は、このために動員されたナチ組織のメンバーで占められていた。昼12時45分に死刑判決が宣告された。宣告後、親との面会が許され、看守は3人に一本のタバコを一緒に吸う機会を与えた。そして、17時、3人はギロチンで処刑された。
 「ついさっき、僕にはあと1時間しか残されていないと聞かされました。僕の死は安らかで、喜びに満ちていたと伝えてください」
 なんという気高い言葉でしょうか。
 ショル家の父親は、はじめからナチに対して非常に批判的でした。しかし、その子どもたち(殺された兄妹のことです)は3年間も、リベラルな父親の意見を聞く耳をもたず、ヒトラーを熱狂的に歓迎し、ヒトラー・ユーゲントに所属して、そのリーダーになっていたというのです。
 真実を見抜くには時間がかかる。そして、真実を実現するのは勇気が必要だ。こういうわけです。
(2007年8月刊。3200円+税)

野の鳥は野に

カテゴリー:生物

著者:小林照幸、出版社:新潮選書
 「日本野鳥の会」の中西悟堂の一生をたどった本です。改めて、すごい人だったと思いました。ただ、晩年は、組織を私物化した面もあるようです。やはり、どんな偉人であっても老害は避けられないのでしょうね。
 中西悟堂は明治28年(1895年)に金沢市で生まれた。1歳のときに両親を失った(父は戦傷死。母は行方不明)。10歳のとき、虚弱体質の改善のため秩父の寺に預けられ、山中で150日間、滝行、座行、断食行を課された。この修業により体質を改善し、一種の透視力を得た。
 18歳のとき、遊泳中に眼を痛めて失明状態となり、兵隊検査は不合格となった。
 30歳のとき、世田谷区にあった山野(武蔵野)の一軒家を5年分の家賃を前払いして借りた。3年半のあいだ、米食と火食を断った木食(もくじき)採食生活を送った。主食は水でこねたソバ粉。茶碗もハシもつかわず、木の葉や野草は塩でもんで食べた。風呂がわりに川に入り、雑木林の中に敷いたゴザの上を書斎として、多くの書に触れた。木食生活は自然との一体感を養い、鳥、昆虫、魚、蛇などをじっくり観察する時間でもあった。
 33歳のとき、杉並区善福寺に移り住んだ。悟堂は鳥の習性を徹底的に把握すべく、小鳥屋から鳥を買い、鳥の放し飼いを始めた。籠に入れず、書斎の隣に金網で囲った部屋をつくり、鳥が慣れたころ書斎に通じるようにした。鳥の放し飼いは悟堂が考案した。
 鳥の糞を見て汚い、と思う人に鳥は馴れない。糞をとっさに見分けて、腸の具合を考える神経をつかう者に鳥は馴れるのだ。
 なーるほど、ですね。でも、これってなかなか出来ないことですよね。
 悟堂は愛鳥の観念を変えたかった。当時、鳥は鳥かごに入れて飼うことが当たり前だったが、これを止めたい。鳥かごをふみつぶし、野に自然のままの鳥を観賞する。それが本来の愛鳥である。
 昭和27年、57歳となったとき、梧堂は冬でもパンツ一枚、上半身は裸で過ごすようにした。朝食は梅干し一つに番茶だけ。それから、庭に出て一時間たっぷり柔軟体操する。お昼は、そばがきか食パン一枚。夕食は、玄米に菜っ葉のごく平凡なもの。
 家にいるときは、いつも活字を離さず、つい夢中になって徹夜してしまう。夜が勝手に明けたといって怒った。常識というものをどこかに置き忘れてきたような人だ。これは、妻の評言。睡眠時間は3時間。すごい人です。まさに超人的な生き方です。とても真似できません。
 わが家の建物には恐らく2家族のスズメ一家がすみついています。建物を出入りするときには静かに、そして庭ではチュンチュン大きな声で鳴いて飛びまわり、下の田んぼでも楽しそうに群れをなして遊んでいます。カササギがたまにやってきます。朝一番にうるさいのはヒヨドリです。秋は百舌鳥の甲高い声が響きます。モズのテリトリー争いを解説した面白いテレビ番組をビデオで見たことがあります。彼らも自分のナワバリを守るのに汲々としているようです。あっ、もうひとつ、ヤマバトもいました。そろそろエサをやりましょう。春になると、メジロがやって来ます。せわしく桜の花を蜜を吸っています。庭に小鳥のための水場をつくってみようかなと考えています。
(2007年8月刊。1100円+税)

チョコレートの真実

カテゴリー:アメリカ

著者:キャロル・オフ、出版社:英治出版
 私はチョコレートが大好きです。といっても、それほど食べているわけではありません。高級チョコのおいしさはなんとも言えません。それにしてもバレンタインデーが私の子どものころになかったのは良かったと思います。だって、あれって露骨に差別を見せつけるじゃありませんか。私は嫌いです。いえ、もらったチョコレートは喜んで食べます。
 この本はチョコレート生産現場の苦い真実を伝えています。
 世界のカカオの半分近くが、高湿な西アフリカの熱帯雨林に生まれている。カカオの木とは神々の食べ物ということ。熟した実をナタで切り落とし、割って中の宝物を取り出す。パルプと呼ばれる淡黄色の果肉に包まれて、くすんだ紫色をした、アーモンド大の種が数十個ある。向こうを見ると、バナナの葉を敷いた台の上に、取り出した種を果肉ごと積み上げてある。そうやって数日間、湿気と熱気の中で発酵させると、驚くべき錬金術が行われる。熱帯の強い日差しにさらされるうちに、果肉から甘くとろりとした液が浸み出し、種がその中に浸る。強烈な臭いを発しながら、微生物が働き出す。これが何の変哲もない豆を魔法のように、世界でもっとも魅惑的なお菓子に欠かせない原料に変える。異臭の中で、5、6日発酵させたあと、台に広げて乾燥させる。さじ加減の難しい、こうした手作業の積み重ねとチョコレート製造技術のおかげでチョコレートがつくられている。
 1万5000人のマリ人のこどもたちが、コートジボワールのカカオ、コーヒー・プランテーションで働いている。多くは12歳以下で、140ドルで年季強制労働に売られ、一日12時間、年に135ドルから189ドルで働く。
 『ブラッド・ダイヤモンド』という映画がありました。2003年にクリーンダイヤモンド貿易法が出来て、奴隷労働が規制されています。同じような規制がカカオについても必要だと思いました。
 フェアトレード運動は、途上国の農民に恩恵を与えるよりも、先進国の人々の罪悪感をなだめるためのものだった。それでも、途上国の人間に多少なりとも公正になるようにはした。
 有機食品運動は、現在では、ほぼ全面的に市場原理主義に吸収されてしまった。この原理がアグリビジネスを動かし、世界中で農民を貧困に追いやった。
 コストは最小に、利益は最大に。この風潮を招いている本当の要因は消費者だ。安全性、手軽さ、手頃な値段がある限り、消費者は、生産者が誰なのか、原料が何なのか、あまり関心を持たない。
 駅にあるケンタ、赤坂交差点にあるマックに群がって買い求めている人々を見るにつけ、地球環境の保全は道遠しだな。私はつくづくそう思います。
(2007年9月刊。1800円+税)

露の玉垣

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:乙川優三郎、出版社:新潮社
 登場人物はすべて実存するという歴史小説です。窮乏にあえぐ越後の新発田藩。その家老たち一族の物語が史実をふまえて生き生きと語られます。
 話は天明6年(1786年)に始まります。家老の溝口半兵衛はまだ31歳の若さ。記録方で歴代藩主の廟紀(びょうき)を編纂(へんさん)していた。
 新発田藩は慶長3年に藩祖溝口秀勝が入封して始まった。5万石から、新田開発を続けて、実高は9万石をこえた。広大な平地と水に恵まれながら、潟や湿地が多く、米のほかにこれといった特産物がなく、ひとたび川が氾濫すると、水泡に帰してしまう。
 溝口家の祖は藩祖秀勝の弟である半左衛門勝吉にはじまり、以来、賓客として徒食を強いられてきた。家中に溝口を名乗る家はいくらかあるものの、先祖が家臣となったのちに溝口姓を賜ったものが多く、代々、半左衛門か半兵衛を名乗ってきた彼の家とは主家とのつながり方が違った。家老の溝口内匠(たくみ)の実氏は加藤であったし、武頭(ものがしら)で普請奉行の溝口数馬の先祖は坂井といった。どちらも元は織田家の家臣で、信長の死後、溝口に仕えた。彼らが高禄を食んで重く用いられてきたのに対し、半兵衛の父祖は賓客としての名誉を与えられたかわりに、およそ藩政や重要な役目に関わることはなかった。そのため、知行が増えることも減ることもほとんどなかった。
 家中の祖には織田をはじめ、逸見、斎藤、浅井、朝倉、柴田、蒲生、加藤といった家々の遺臣が多い。加えて松平や上杉、酒井や細川などから任官替えした家臣たちの子孫が城の周りに軒を並べている。もし一斉にかつての旗印を掲げたら、まるで乱世の縮図のようではないか。
 ひゃあ、そうだったんですね。江戸時代の藩士というのは、いろんな地方の元浪人を抱えこんで成り立っていたのですね。おどろきました。
 家老が博奕(ばくえき。バクチです)を好み、博打仲間が切腹させられ、本人は隠居させられるという事件も起きました。
 学問せぬものは、目なき擂鉢(すりばち)といって、人のためにも自分のためにもならん。当人はそのことにも気付かずに未熟な自分ひとりの考えを正しいと信じて一生を終えてしまうものだ。なーるほど、ですね。
 信長の死後、羽柴秀吉が明智光秀を討ち果たし、やがて天下取りをかけて柴田勝家と対立したとき、高浜城主となっていた溝口秀勝は羽柴方の丹羽長秀の武将として参戦したが、同時に柴田方へ家臣の柿本蔵人を、念には念を入れて羽柴方へ姉婿の加藤清重を送っている。やはり信長の遺臣で、勝吉とともに柴田に属した溝口久助こと丹羽久助秀友は清重の娘婿であったから、兄と弟、義父と婿、主君と家臣がそれぞれ敵味方に分かれて戦った。 藩主のお国入りの準備役が、本陣として予定していた町で大火が起きて予定が狂い、ほかにもいろいろ変更があって乱心し、同役を斬り殺してしまった。もちろん、切腹。やはり、すまじきものは宮仕え、なのですね。
 連年の災害と借上げ、終わりのない生活の苦しさも、そこへ巡ってきた馴れな役目と対象的な相役、予期しない日程の変更、津川の大火、そういうものが重なりあって悪く働いた結果の乱心ではないか。運の悪さは夫の罪ではない。乱心は御宿割の役目を果たしたあとのこと、重責やそこに至るまでの苦悩を斟酌しないのはおかしい。彼の妻はこのように言い募った。
 江戸の人々の生活と心理状態が見事に描かれた本です。さすがは実録歴史小説だと感嘆しました。私も一度はこういうものを書きたいと考えています(目下、挑戦中なのです)。
(2007年6月刊。1500円+税)

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