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多賀城、焼けた瓦の謎

カテゴリー:日本史(古代史)

著者:石森愛彦、出版社:文藝春秋
 アテルイが活躍していた時代の様子が絵で再現されています。イメージを豊にふくらませることができました。
 奈良時代の780年、伊治公呰麻呂(これはりのきみまろ)が朝廷に対して反乱を起こした。按察使(あぜち。長官)の紀広純(きのひろずみ)を取り囲んで殺害した。
 645年の大化の改新のあと、東北地方にも奈良朝廷の勢力が次第に拡幅していった。現在の新潟県の阿賀野川の河口に渟足柵(ぬたりのさく)がつくられ、次第に北上していった。今の仙台に近い多賀城がつくられたのは724年、秋田城は733年、伊治(これはり)城は767年。
 この朝廷の柵より北側に住む人々を「蝦夷」(えみし)と呼んだ。この蝦夷を中央集権国家に組み込むため、城柵(じょうさく)をつくった。だから、城柵には三つの役目があった。饗給(きょうきゅう)、斥候、征討というもの。饗給とは、物資や位を与え、朝廷へ恭順させること。
 このころ東北地方で砂金がとれるようになって、奈良の大仏を金で飾ることができた。金のとれる東北地方に朝廷はますます目を向けた。
 朝廷は蝦夷を征服すると、全国へ強制的に移住させた。九州にも776年に400人近くの蝦夷が送られている。ひゃあ、そうなんですか。九州にも蝦夷の血が混じっている人がいるのですね。
 圧迫され、隷従を強いられた蝦夷たちが反乱にたちあがり、多賀城が焼きうちされた。その後、なんと25年間も争いが続いた。
 789年3月、5万の朝廷軍が蝦夷を攻めた。ところが、アテルイやモレたちの反撃によって朝廷軍は大敗した。
 794年、今度は坂上田村麻呂は10万の兵とともに進撃し、ついにアテルイたち蝦夷軍をうち破った。アテルイとモレは降伏し、京都に送られた。坂上田村麻呂は助命を願ったが、2人は斬首されてしまった。
 『火怨』(高橋克彦。講談社)に描かれたアテルイの知略にみちた戦いを思い出しました。
 焼き討ちにあった多賀城の焼けた瓦が最近になって発掘されたのです。この本は、その発掘調査をふまえて、つくられました。
(2007年7月刊。1429円+税)

コウモリのふしぎ

カテゴリー:未分類

著者:船越公威、出版社:技術評論社
 ワルガキのころ、夕闇のなかでコウモリが飛びはじめると、物干竿をふりまわしてコウモリをたたき落として遊んだ覚えがあります。そのころは、家の近くにそれほどたくさんのコウモリが飛んでいました。いま、山の麓に近いわが家には夕方になってもコウモリの姿を見かけることはまずありません。いったいコウモリはどこへ消えてなくなったのでしょうか・・・。
 この本には、たくさんの種類のコウモリの写真が紹介されています。コウモリの顔は見れば見るほど不細工で、グロテスクです。まさに魔界から地上へ派遣された使者という雰囲気です。そんなコウモリを真剣に研究する学者がいるなんて・・・。
 でも、実は、コウモリが空中を飛ぶ秘訣を究明すると、人類にとっても大いに役立つことなのです。
 コウモリは、哺乳類のなかで、唯ひとつ、飛翔に適応した。コウモリの種は1100種をこえる。哺乳類が5400種なので、その2割を占めている。ネズミ類の次に多い。
 飛べない鳥がいるが、コウモリはすべての種に翼があり、飛翔できる。コウモリは南極と北極を除く世界中に広い分布している。
 コウモリの70%は食虫性だが、植物を食べるもの、動物や魚を食べるものもいる。血液を食物とするチスイコウモリもいる。コウモリの顔は鼻と耳に特徴がある。
 コウモリはメスの方がオスよりわずかに大きい。コウモリは自分の体重の10〜40%という重たい赤ん坊を出産する。
 母親コウモリは、幼獣を母乳で育てる。コウモリは年に2回以上の出産が可能。
 コウモリの寿命は、体サイズから推測されるよりも3倍も長生きする。その寿命は5〜15年ほど。30年以上も生きたコウモリ、41歳のコウモリもいる。
 コウモリは、生物の老化の謎を解き明かすための鍵となる生物として注目されている。
 コウモリの発声は110デシベル以上であり、電車のガード下の騒音よりも大きい。
 コウモリは、一夫一婦、一妻多夫、一夫多妻、多夫多妻もある。
 コウモリは、なぜ逆さまにぶら下がるのか。ぶら下がっていたら、すぐに飛びたつことができる。捕食者にも気づかれにくい。そして威嚇の効果もある。コウモリの祖先は、樹上生活のなかで、まず逆さにぶら下がることによって、前肢を四足移動から開放し、翼の機能を獲得した可能性がある。なーるほど、そうでしたか・・・。
 ジャワに棲む世界最大のコウモリは、翼を広げると2メートル近い。コウモリは逆さまでも排泄することは可能。コウモリは糞尿の頻度が高い。
 コウモリのことが初心者にもかなり詳しく分かりました。
(2007年7月刊。1580円+税)

プロになるための文章術

カテゴリー:社会

著者:ノエ・リュークマン、出版社:河出書房新社
 書き出しの何ページかを仔細に読めば、全体の見当がつく。1ページ目にとんちんかんな会話があれば、その先、どの頁にもきっととんちんかんな会話があると思っていい。
 書き出しの5ページをお粗末と思ったら、念のため中ほどへ飛び、さらに巻末を見る。都合3ヶ所を拾い読む。これで原稿は評価できる。
 なーるほど、たしかにそうでしょう。といっても、私の文章については、ぜひ最後まで読んでください。お願いします。
 文章家として高度の水準を達成するために何にもまして重要なのは自信である。正面から創造の世界へ足を踏み入れる揺るぎない自信がなくては物書きはつとまらない。
 いやあ、そう言われてもですねー・・・。私には、自信なんて、ありませんよ・・・。うーん、困りました。
 もちこまれた原稿を没にするのにもっとも手っ取り早い方法は、形容詞と副詞の多用、誤用を洗い出すこと。
 形容詞や副詞を多用する書き手は、ともすれば表現が月並みである。
 形容詞や副詞に重複があると、一つだけ残してほかは削る。そのとき、もっとも印象の強い、新鮮な語彙を活かすようにする。
 修飾語なんか必要としないだけの迫力がある的確な名詞や動詞をつかいたい。推敲にあたっては、単語ひとつ削れば100ドルの得と思うくらいの気構えが必要である。
 物書きのたしなみとして、語彙は豊富であるべきである。
 言葉は物書きの道具である。言葉に精通していない物書きは道具箱に利器をもたない職人に等しい。語彙を増やすのは物書きのつとめと心得なければならない。
 実は、ここで操觚(そうこ)という漢語がつかってありました。私の知らないコトバです。岩波の国語辞典にのっているはずはない。そう思って引いてみると、なんと、あるのです。無知とは恐ろしいものです。変な自信があったのですが、バッサリ切られてしまいました。詩や文章をつくること、とあります。
 ただし、著者は次のように忠告します。新しい語彙を取り入れるのは大いに結構だ。だけど、それを日常会話や習作でしっかり身につけるのが肝腎であり、覚えたばかりの言葉を右から左へ作品につかうのは考え物だ。日頃つかい慣れない借り物のコトバで文章を書くべきではない。板についていない言葉は、たちまちメッキが剥げる。
 偽らざるところ、原稿を没にするにあたって、まずどこを見るかと言えば、会話である。会話は作者の力量を容赦なくあぶり出す。会話は感性の鏡である。
 会話を情報提供の手段として用いると、登場人物の輪郭があいまいになり、人間関係の起伏、陰翳を損なって、ときには作者自身さえ虚をつかれる人物の成長や、物語の意想外な発展を妨げる。
 会話を情報手段に用いる作家は、えてして筋立て優先で、それ以外には神経が行き届かない。
 会話が現在進行中の出来事を伝えるときは、「語る」のではなく、「見せる」ことが鉄則だ。登場人物に感情移入し、その立場で考えることが肝腎だ。人物は作者の創造だが、ひとたび動き出した人物を、作者は放任しなくてはならない。
 うむむ、そうなんですよね。私もいま体験をもとにした小説を書いていますが、ひとたび創り上げた登場人物は、ペンの思うまま走り出していって、作者といえども止めることができないというのを何度も実感しています。
 作家は、すべからく会話のほかに感情や心理を伝える技法を身につけるべきである。そうなんです。実は、これが難しいんです。
 原稿とは、実に複雑怪奇で油断のならない曲者である。読者に多少の努力を強いることは必要だが、その努力が重荷になってはいけない。読者がページを繰り続けるようでなくてはならないが、気忙しく追い立てるのも好ましくはない。
 うへーん、やっぱりプロになるのは難しそうです・・・。
(2007年6月刊。1890円)

なぜ社員はやる気をなくしているか

カテゴリー:社会

著者:柴田昌治、出版社:日本経済新聞出版社
 80年代半ばころから、日本の会社では職場の様子が変わっていった。机を並べた同僚どうしの雑談も含めて、対話の機会が減りはじめた。ほとんどの会社で社内行事が少なくなり、アフターファイブのつきあいも激減している。とくに上司が部下をつれて飲みにいく機会が少なくなった。おやじ文化の後退は、明らかに日本的経営の強み(人間関係の濃さを背景とした強み)を損なっている。
 対話の機会が減ったのは、Eメールが普及してきたせいもある。しかし、メールでは伝えられない大切な情報がある。非データ系と呼んでいる情報が、知恵の創造という場面で果たしている役割は非常に大きい。
 今の若い人は、やる仕事が限定されているために、どうしても全体を見る目が育ちにくい。大局観が養われにくいのだ。全体が見えていない人間は余裕をなくす。見えていないから不安になるのだ。
 たしかにシステム化がすすみ、仕事自体ははるかに効率的になってきている。しかし、なぜか楽にはなっていない。アメリカ流の人事管理が一般的になり、請負や人材派遣があたりまえの状況のなかで閉塞感が蔓延し、会社に対するロイヤリティの低さはすでに世界でも最低クラスになっている。
 この本には棒グラフがついていて、日本人の会社への忠誠心や仕事への熱意は10ヶ国のうち最低だとことが示されています。私は腰が抜けるほど驚いてしまいました。会社人間という言葉は、今や死語になってしまったようです。
 日本人は、忠誠心、熱意がまったくないとした人が24%です。これはアメリカ17%、ドイツ18%、イギリス20% を上回ります。また、忠誠心が非常にあるとした人は9%に過ぎず、アメリカ人29%、イギリス人19%、ドイツ人13%よりもはるかに下回ります。いつのまに日本はこうなってしまったのでしょうか。フリーターが横行し、派遣社員や偽装請負が流行するなかで、日本は変質してしまったのですね。御手洗日本経団連会長は、ますますこの傾向を促進することになるでしょう。それでいいとは、私にはとても思えません。
 サラリーマンの美学とは何か。問題や不満があっても、自分ができる範囲のことだけをして、あとは黙って自分で自分を納得させる。不平不満は口にせず、組織を余計に混乱させないのがサラリーマンの美学だと考えているのである。目の前の利益だけを考えるのなら、会社にとってこれほど都合のいい社員はいない。そして、こういう人が多いほど、組織は見かけ上は、問題なく回っていく。
 派遣社員や偽装請負社員が混在していることによる社内の混乱状態について、著者には、もっと問題点を強く指摘してほしいと私は思いました。
 著者はスポンサーシップの効用を強調しています。初めて聞く言葉でした。
 狭義のリーダーシップと、スポンサーシップのもっとも大きな違いは、その部下に対する見方にある。狭義のリーダーシップでは、部下は指示によって自由に動かせる「駒」として認識されている。駒の評価は、指示された中身をどれだけ正確に実践しうるか、という点でなされる。これに対して、スポンサーシップにおける部下は、内発的な動機の有無で考える力、知恵を出しうる力が左右される主体的な存在として認識されている。
 狭義のリーダーシップでは、仕事上の答えをつくっていくのは、必ずリーダーである。これに対して、スポンサーシップでは、リーダーは自分の考えを押しつけるのではなく、部下の知恵を引き出しながら、一緒に答えをつくっていく。事実を大切にし、対話をくり返しながら知恵を生み出していく創造的な時間が、働く喜びを取り戻し、組織に活力をもたらしていく。
 スポンサーシップが機能している組織では、少々バランスは悪くても、「思い」のある人間のもつポテンシャルがまず評価される。こういう組織では、働くということの中に、何の遠慮もなく、自分の頭をフルにつかって答えを考えることが含まれているから、働くことが即、人の成長につながっていく。したがって、仕事にやり甲斐を感じ、仕事に楽しさを取り戻すことができるようになるし、働くことが、その人の幸せにもつながっていく。
 世の中に多い仕事のしかた、つまり、狭義のリーダーシップが幅を利かしている組織における仕事のしかたでは、部下の仕事はどうしてもマンネリ化しやすい。
 弁護士の仕事もマンネリ化しやすいものの一つです。人の顔こそ違っていても、言うことはほとんど同じ。そういう状況は弁護士なら誰でももっていると思います。そこで、ちょっとした創意工夫をふくめて何らかの知恵を出すようにしないと、たちまちマンネリ化して、意欲が著しく減退してしまうのです。これは、自戒の意味で書きました。
 日曜日、ツクツク法師が鳴いているそばで、ナツメの実を収穫しました。50コほどとれましたので、干して果実酒にするつもりです。サボテンがたくさん可愛い子をふやしましたので、地面におろしてやりました。両手で丸めた大きさ以上には大きくならず、子どもをつくったら親は枯れていきます。もう何代目でしょうか。気がつくと、そばに曼珠沙華の仲間の花が咲いています。次々と咲いていたヒマワリも終わりかけです。酔芙蓉はようやくツボミになりました。庭は秋の気配です。
(2007年5月刊。1575円)

獄中記

カテゴリー:社会

著者:佐藤 優、出版社:岩波書店
 著者は外(拘置所の外。つまり社会のこと)にいるとき、速読で、1日に  1500〜2000頁は本を読んでいた。速読とは、ペラペラと頁をめくりながらキーワードを目に焼きつけていく手法。目次と結論部分だけは、少しゆっくり読む。対象となるテーマがなじみのものなら、500頁程度の学術書なら30分、一般書なら15分で読める。そして、ワープロで20分ほどかけて読書メモをつくる。こうやって、1日で 1500〜2000頁の本を読むのは、そんなに難しいことではない。ただし、対象についての知識のない本については、この方法では不可能。どんな本でも斜めに読む方法という速読法はない。まずは、背景となる知識(教養)がどれほどあるかが問題なのだ。
 私は、著者ほど速くは読めません。ただし、一定知識がある分野なら、30分で本一冊を読了するというのは珍しいことではありません。
 締め切りに迫られる作業を抱えていると、他の分野の読書がはかどる。中学校、高校の定期試験勉強中に、その他の分野の読書に熱中したことを思い出す。
 いやあ、これは私にも心当たりがあります。試験と関係ない文学書をモーレツに読みたくなり、つい手にとって読みふけってしまうのです。そして、あわてて試験勉強に戻るという経験を何回もしました。ところが、その試験が終わって、ゆたーっとした気分に浸っているときには、ほとんど本を読む気がおきないのです。時間はたっぷりあるはず、なのですが・・・。
 人間は20歳前後で形成された人柄というのは、なかなか変わらないと思う。
 著者はこのように書いています。なるほど、私の場合にも、大学2年生のころに変わったままの考えを今もひきずっていますし、性格はそれ以前のものが、そのまま、という気がしています。意識的に人を変えようとしても難しいのですよね。それでも、私は学生のころ、セツルメントというサークルに入って、自己変革の必要性を大いに議論していました。人は変わるものだ、という確信をもつことも必要なのだとも思うのです。
 田中真紀子を政権中枢から排除しただけでも、鈴木宗男は日本の政治のために大きな貢献をしたと思う。
 著者はこう書いています。たしかに田中真紀子は一種の性格破綻者なのでしょうね。そんな人物を小泉純一郎が外務大臣に任命したことは大きな誤りでした。しかし、いずれ遅かれ速かれ、田中真紀子は馬脚をあらわして失脚していたのではないでしょうか。ですから、鈴木宗男が、そのことで日本の政治のために大きく貢献したと言われたら、ええっ、と大きな違和感を覚えてしまいます。
 1968〜73年くらいの大学が全共闘運動で機能不全に陥った時期に学生だった人々が、いま外務省の幹部になっている。この人たちは、一番重要な時期に基礎的な勉強をしていない。しかし、競争好きで政治的には悪ズレしているので、自らの権力を手放そうとはしない。団塊の世代である。この連中は、自分より上の世代の権威は認めないが、下の世代の台頭も許さない強圧的なところがある。この世代が去らない限り、外務省の組織が本格的に変化することはない。
 うむむ、私の属する団塊世代は、いわば保守反動の集団みたいですね。1968年6月から1969年3月ころまで、1年近く東大駒場で授業がなかったこと自体は事実ですが、「基礎的な勉強を(まったく)していない」と決めつけられると、つい反発したくもなります。ゼミと授業だけが基礎的な勉強ではないんじゃないの、と言いたいわけです。それでも、著者の指摘が半ば以上あたっていることは認めます。
 著者は獄中で学術書を200冊読み、60冊のノートを書いた。
 たいしたものです。日頃の教養の幅と深さの違いです。著者は拘置所に入って、まずはヘーゲルと聖書研究を始めたというのです。なかなか出来ることではありません。
 著者の学んだ同志社大学神学部は語学のウェイトが高く、英語、ドイツ語、現代と古典のギリシア語、ヘブライ語、ラテン語が必修だった。そのうえ、朝鮮語とサンスクリット語にも取り組んだといいます。自他ともに認める語学力のない私など、声も出ません。
 1日でA4 のペーパーを50〜60枚つかい、1本のボールペンを1週間で使い尽くしてしまう。そんな生活を送ったというのです。恐るべき人物ではあります。

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