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ひとり誰にも看取られず

カテゴリー:社会

著者:NHKスペシャル取材班、出版社:阪急コミュニケーションズ
 孤独死は全国で毎年3万人ほど出ていて、実は自殺者の3万2000人を上まわるのではないか。ええーっ、と驚いてしまう数字です。いつのまに日本はそんな国になってしまったのでしょう。
 トントントンカラリンとお隣りさん、という世界は、はるか彼方の遠い昔のこと。今では、隣りは何をする人ぞ、というだけ。無関心、没交渉。お金がいくらかあっても、まさに人知れず死んでいく人がなんと多いことか・・・。
 最近、私の依頼者でアル中の人が死後3ヶ月ほどして発見されました。同じ市内に親兄弟が住んでいたのですが、アル中のため散々、身内に迷惑をかけていたため、ついに家を追い出され、一人でアパートを借り、生活保護を受けながら生活していたのです。発見の契機は、通院先の病院から、実家に「最近、通院されていませんが、どうしたのでしょうか」と安否を尋ねる電話がかかってきたので、アパートに行ってみたところ、死後3ヶ月たっていたというのです。発作をおこして病死したようです。痛ましい孤独死でした。
 孤独死の定義は、いろいろあるようです。
 孤独死とは、低所得で、慢性疾患に罹患していて、完全に社会的に孤立した人間が、劣悪な住居もしくは周辺領域で、病死および自死に至るときをいう。
 孤独死とは、すでに社会的関係が絶たれていて、その結果、誰も死に気づかず、死後かなりたってから、第三者に発見された場合をいう。
 千葉県松戸市にある常磐平団地は4、5階建ての中層集合住宅。入居開始は1960年4月。総戸数4839戸。入居完了は1962年6月。当時は入居希望者が殺到し、抽選倍率は、なんと20倍。
 当時としては、まさに夢の住まいだった。団地内に、保育所、幼稚園、小・中学校、郵便局、商店街まで備えた、一つの町、ニュータウンが誕生した。団地族が誕生した。人口のピークは、1970年ころ、2万人。一戸あたりピーク時4人、今は2人を下まわっている。65歳以上の住民が3割に達している。
 家賃滞納で孤独死が発覚するケースは、今はほとんどない。家賃を口座引き落としにしている人が9割以上だし、生活保護を受けていると、毎月、引き落としされる仕組みになっているから。人と人とのつながりが希薄になっているだけでなく、システムとしても孤独死が見えにくくなっている。このため長期間、放置されてしまうケースが出てくる。
 孤独死する人は、電話も止められていないのに、誰にも連絡することなく亡くなっていることが多い。うへーん、寂しい話ですよね、これって・・・。
 40代、50代、60代の中年男性の孤独死が、高齢者の孤独死を上回っている。
 孤独死を扱った番組に対して、読者からの投書には、なぜ孤独死してはいけないというのか、孤独死する覚悟はできているぞ、というものが多かった。
 これに対して著者は反論する。死を概念的にしかとらえず、「放置された死」がどういうものか知らないことも大きい。ウジがわき、ひどい臭いを放つ姿になった自分を、赤の他人に見られる。遺品もすべて他人の手に委ねられる。そして、それを処理する人の迷惑。現実の孤独死は、美学とはほど遠いものでしかない。
 うむむ、そうなんでしょうね・・・。考えされられる本でした。
(2007年8月刊。1400円+税)

北朝鮮はなぜ潰れないか

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者:重村智計、出版社:ベスト新書
 北朝鮮は、すでに社会主義国ではない。社会主義の柱である「配給制」をやめたからだ。社会主義は事実上、崩壊した。支配機構としての労働党が存在しているに過ぎない。社会主義というよりは、政治学の分類では「軍事独裁」といった方が正確だろう。
 北朝鮮は、2002年7月1日から配給制を廃止した。国民は、すべて自分で稼いで生活しなければならなくなった。事実上の初歩的な市場経済の導入である。このため、給料を20倍から30倍に引き上げた。
 ええっ、そうだったんですか・・・。私は、知りませんでした。
 韓国は、なぜ北朝鮮の崩壊を望まないのか。東西ドイツの統一を見て、尻込みしてしまった。ドイツは、統一後、不景気や失業に悩まされた。かつての西ドイツ国民の生活水準が下落した。統一ドイツは、旧東ドイツに毎年10兆円の補助金を出した。10兆円は、韓国の国家予算の6割にあたる。とても、こんな負担には耐えられない。
 韓国民にとって、統一は理想だ。しかし、今すぐの統一は「悪夢」だ。だから、北朝鮮が崩壊しないよう、食糧や肥料の支援をせざるをえない。
 キム・デジュン(金大中)前大統領は、金日成総書記と面会するとき、面会料として、5億ドル(600億円)を支払った。
 韓国が、いま崩壊した北朝鮮を引き取ると、経済が停滞し、大混乱に陥るのは間違いない。統一すれば、韓国民の一人あたりのGDPは、今の1万4000ドル(170万円)が、半分の7000ドル(80万円)に落ちこむ可能性がある。
 北朝鮮を崩壊から救っているのは、韓国と中国である。
 北朝鮮は暴発する能力をもっていない。正規軍100万人いるのに、軍が最大限つかえる石油は45万トン。これではまともな訓練もできない。日本の自衛隊は、年間150万トンの石油をつかっている。空軍のパイロットは、アメリカ軍や自衛隊では、年間200時間の飛行時間が求められる。北朝鮮では、それがやっと年間20時間。訓練もままならない。50万トンしかない石油では、10日以上は、戦闘を継続できない。
 テポドンもノドンも、最新鋭のミサイルではない。三代前くらいの古いミサイルである。なぜ古いのか。まず液体燃料をつかっている。新鋭のミサイルは、固形燃料でないと武器として意味がない。
 液体燃料は、事前に発見されやすい。攻撃を受けやすい。発射直前に燃料を注入するから。早くから燃料を注入すれば、金属が腐食して発射できなくなる。また、注入に時間がかかるから、発見される可能性が高い。
 うむむ、北朝鮮からミサイルが飛んできたら、どうするのか、というのが憲法改正の大きな理由の一つとなっています。この本を読んで認識を改めないといけないと思いました。
(2007年7月刊。680円+税)

はい、わかりました

カテゴリー:社会

著者:大野勝彦、出版社:サンマーク出版
 ごしんぱいを おかけしました
 両手先 ありませんが、
 まだまだこれくらいのことでは 負けません
 私には しなければならないことが たくさんありますし、多くの人が 私をまだまだ必要としているからです
 がんばります
 これは、45歳のとき、農作業しているとき、ちょっとした自分の不注意から両手を失った著者の初めての言葉です。すごいですね、心がふるえるほど感激しました。
 この本のタイトル、「はい、わかりました」は、両手のない人生をはじめた著者が、いちばん大切にしている言葉です。言われたことは否定せず、まずは受けとめよう。心を閉ざさずに肯定しよう。
 そうやって受け入れる人生を歩みはじめると、それまで見えなかったことが、見えるようになった。
 なーるほど、ですね。この詩画集にのせられている絵は、どれもこれも、実に生き生きと躍動しています。いかにも、いま生きていることが楽しい。そんな感じの線であり、色あいです。派手目の色が今にも飛び出してきそうなほど輝いています。
 昔のわたしは理屈ばかり言っている人間だった。説得力とは実践だ、と言わんばかりに、眼光は鋭く、けっして笑わない。笑う男は軽いヤツだとまで思っていたほど。たくさんのやさしさに囲まれている今のわたしが思うこと。笑顔必携、やさしさ持参。人に会うたびに、人間の顔はすごいなあと気づかされる。
 著者の生き生きした絵を見ると、きっと両手を喪う前から絵を描いていた、あるいは幼いころ絵描きを目ざしていたと思います。ところが、著者によると、絵心なんて昔からあったわけではないというのです。色をつかう発想も最初はなく、墨をうすめて水墨がのようなタッチで窓から見える山の風景とか身のまわりを描いていた、といいます。
 それが、今では1年365日、絵を描かない日はない。どこかへ行ってすわったとたん、もう義手が鉛筆を握っている。無意識のうちに、風景を見ていると、ワクワク、ドキドキしてきて、デッサンしたあと、さささっと水彩絵の具で、色をつけてしまう。理屈ではなく、からだが反応してしまう。
 そんな著者の絵が、阿蘇にある大野勝彦美術館にはたくさんあるそうです。ぜひ、一度行ってみたいと思いました。
(2007年7月刊。1600円+税)

左手の証明

カテゴリー:司法

著者:小澤 実、出版社:Nanaブックス
 周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』は、とてもいい映画でした。残念なことに、『Shall wee danse?』ほどの観客動員はできませんでした。日本人の社会意識って、まだまだ遅れているところがありますよね。毎度毎夜のバカバカしいテレビ番組(私はテレビ自体を見ていませんが・・・)を見るヒマがあったら、こんな映画こそ見て、いったい日本国民の基本的人権はどうやったら守られるのか、心配してほしいと思います。ホント、です。
 私は大学1年生のとき、岩波新書『誤った裁判』を読んで愕然としたことを今もはっきり覚えています。ええーっ、日本の裁判官って、信用できないのか、そう思ったとき、背筋が冷たくなる気がしました。そのときには自分が弁護士になるなんて夢にも思っていませんでしたので、いったい、冤罪にまき込まれたとき、どうやったら自分の身を守れるのだろうかと、心底から心配しました。
 この本は、2006年3月8日に、東京高裁で逆転無罪となった満員電車内のチカン冤罪を扱っています。女子高校生がチカン被害にあったこと自体は事実のようです。しかし、真犯人は別にいて、被告人とされた人は間違われただけだということです。
 女子高校生のスカートのなかに男が左手をさしこみ、下着の中にまで手を入れて触ったという事件です。ところが、被告人とされた男性は左手に、でっかいスポーツ腕時計をはめていたのです。下着の中に左手を入れたら、すぐにひっかかるか、何か不都合が起きたでしょう。写真を見たら一見して、そう思えます。
 しかし、警察の捜査段階では、そのことが何も問題になっていません。弁護側は、一審でも、当然、そのことを大きな問題と指摘し、弁論しました。ところが、岡田雄一裁判官は懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を下しました。
 女子高生の下着は長く使用していたため、腰のところのゴムが多少緩くなっていた。左手首に時計をはめた状態で女子高生の下着の中に左手を入れることは想定困難な行為であるとは考えられない。このように判断したのです。ところが、肝心の女子高生の下着は、証拠として提出されておらず、その形が客観的に明らかにされていないのです。岡田雄一裁判官は証拠にもとづかず、ひとり勝手に想像して、被告人を有罪としたわけです。思いこみというのは恐ろしいものです。プロにまかせていれば裁判は安心、というものでは決してありません。
 いずれにしても、有罪判決が出てしまいました。こんな不当判決でも高裁でひっくり返すのは大変です。そこで、弁護団は、控訴審の第一回公判のとき、被告人と3人の弁護人が法廷内で電車内の位置関係を再現するパフォーマンスを敢行しました。すごいですね。私も、今度やってみようと思います。
 そして、改めて電車内の再現実験をして、ビデオにとって証拠申請しました。検察官が不同意としたので、ビデオは上映できません。そこで、ビデオをとった責任者である弁護士が証言台に立ちました。その結果、裁判所は再現ビデオを証拠として採用したのです。うーん、すごーい。粘り勝ちですね。しかも、高裁は、改めて被害者の女子高生を職権で尋問しました。
 事件発生・逮捕が2003年10月22日。保釈が認められたのが3ヶ月たった(106日)の翌年2月4日。一審有罪判決は、さらに翌年の1月21日。そして、高裁での逆転無罪判決は、事件発生・逮捕から868日の3月8日のことでした。実に2年半近くもたっています。その間、奥さんの自殺未遂などもありました。本当に大変だったと思います。控訴審判決には、次のような指摘があります。
 警察官(戸塚警察署)が杜撰ともいえる犯行の再現実験などで、強引なまでに被告人の弁解を封じて、一顧だにしない態度をとったために、被害者は次第に被告人が犯人だと確信するようになってしまった。被告人と被害者との言い分を当初から冷静に吟味すれば、あるいは本件は起訴には至らなかった事案ではないかと考えられる。この種の事案を、たかが痴漢事件として扱うのではなく、当然のことながら慎重な上にも慎重を期した捜査を経たうえでの起訴が必要である。
 刑事被告人として逮捕・勾留・起訴されることの重さを、警察に、そして、裁判官にもっと考えてほしいと思わせる本でした。
 朝、澄み切った青空の下、わが家の庭に何十匹もの赤トンボが群れ飛んでいました。折から昇ってきた朝の太陽に照らされ、眩しいばかりに光り輝く赤トンボの乱舞に、生命の躍動を感じました。背の高い、黄色い小さな花をたくさんつけたヒマワリ畑と、ピンクの大輪の花の芙蓉の花のあいだを、たくさんの赤トンボが行ったり来たりしているのです。エサを取っている気配もありません。朝の運動なのでしょうか。いったい、どこから小川のほとりにあるわけでもないわが家に集まってきたのか、不思議でなりません。
 秋らしい日々となりました。近くの小学校では子どもたちが運動会の練習に励んでいました。子どものころのリレー競争をつい思い出してしまいました。自分では速いつもりでいたのに、追い抜かれて悔しい思いをしたこともついつい思い出してしまいました。
(2007年6月刊。1500円+税)

第百一師団団長日誌

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:古川隆久、出版社:中央公論新社
 伊東政喜中将の日中戦争というサブ・タイトルがついています。数少ない師団長クラスの日誌が物語る戦場の現実、オビに書かれているとおりでしょう。
 遺族の提供によって東京を母体とする特設師団(101師団)の実情がさらに解明されたわけです。素人ながら、その意義は大きいと思いました。
 盧溝橋(ろこうきょう)事件が勃発したのは70年前の1937年(昭和12年)7月7日のこと。日中戦争が始まった。その4年後には太平洋戦争へと拡大していく。
 日中戦争初期の1937年8月から1938年9月にかけて、第101師団長であった伊東政喜(まさよし)陸軍中将の日誌を解読し、中国側の資料もふまえて丁寧な解説がついています。素人にも大変わかりやすい内容の本です。
 第101師団は、いわゆる特設師団であり、予備、後備役の召集兵、つまり現役兵としての勤務を終えて社会に戻り、その中堅層として活躍していた人々で編成された部隊である。首都東京を根拠地とする部隊であるうえ、激戦地に投入されたため、多くの美談や武勇伝を生み、人々に広く知られた。
 伊東日誌はA5版のノート6冊から成る。伊東は、1881年(明治14年)に、大分市に生まれた。大分中学から陸軍幼年学校へすすんだ。そして陸軍士官学校を1902年に卒業し、砲兵少尉に任官した。さらに陸軍大学校に進学した。陸大は、30歳以下の少尉や中尉のなかから上官の推薦を受けた者が受験できる学校で、作戦をたてる役目をもつ参謀将校の養成を目的とした。師団長・軍司令官、陸軍中央の要職といった陸軍の高官は、陸大を卒業していないと、まずなれない。
 中国に駐屯する日本陸軍の傍若無人のふるまいが日中戦争を引き起こした。その背景には徹底した中国蔑視があった。それがまかり通った原因として、日本の軍隊が政府の指揮下になく、独自の組織となっていた(統帥権の独立)こととあわせて、日本社会に中国蔑視が蔓延していたことがあった。日本の陸軍や一般の人々は、中国軍の実力はたいしたことはなく、本気を出せばすぐに降参するだろうと高をくくっていた。ところが中国軍は、かねてドイツ軍から顧問を招いて上海地区に強固な陣地を構築し、精鋭部隊を配置していた。伊東師団長の率いる第101師団は、このような状況のなかで上海へ出征していった。
 特設師団は常設師団よりも兵器の配備の点でも格段の差別を受けた。旧式兵器であり、機関銃以上の火力は、せいぜい半分程度だった。携行する砲弾も常設師団の3分の1でしかなかった。
 第101師団が東京を出発するときには、楽観的かつ熱狂的な雰囲気の中で戦地に向けて出発していった。日誌には次のように書かれています。
 特設師団は編成素質不良にして、かつ、訓練の時間なく、しかも、もっとも堅固な敵正面の攻撃にあてられ、参戦以来3週間、昼夜連続の戦闘をなし、相当の死傷者を出した。
 幹部の死傷が多いのは、近接戦闘において自ら先頭に立つによる。そうしないと兵が従わないからだ。こんな涙ぐましい美談が少なくない。
 この「美談」は、そのままでは内地で報道することができませんでした。それはそうでしょうね。兵隊の士気がないことが明らかになってしまうからですね。
 東京で、第101師団について、不名誉な噂が広まり、伊東師団長はやきもきさせられました。第101師団は杭州攻略戦に参加したため、南京事件にかかわらずにすんでいます。南京大虐殺事件について、著者はあったことを否定できないとしています。私も、そう思います。このころ、日本軍の軍紀(綱紀)が相当ゆるんでいたことを、伊東師団長も再三、日誌のなかで嘆いています。
 ところで、このころ、日本は軍需景気に沸いていたということを私は初めて認識しました。そうなんです。戦争は、一部の人間にとっては、もうかり、楽をさせるものなのです。このころ、正月の映画興行がにぎわい、国内観光旅行客が急増しました。出版業界もバブルという好況になりました。
 軍需産業の繁栄と、日本が中国に負けるはずはないという思いこみによる将来への楽観視が、中国大陸の戦場の苛酷さとうらはらに、戦後1980年代日本のバブル景気を思わせる雰囲気を、この時代の日本はもっていた。読売新聞は、東京で一日3回発行していた。
 慰安所設置のことにも日誌はふれています。陸軍当局の方針として慰安所が設立され、運用されていたことは歴史的事実なのです。
 また、第101師団が、日中戦争で毒ガスをつかっていることも判明します。青剤(ホスゲン)や茶剤(青酸)のようなガスで直接的に多数の死者を出すものではなく、赤剤つまり、くしゃみ、嘔吐剤であり、戦力・戦意の一時的な喪失を狙ったものでした。
 なぜ、日中戦争で特設師団が勝つよう(多用)されたかについて、ちょうど同じ時期の日本を分析した岩波新書『満州事変から日中戦争』(加藤陽子。2007年6月刊。780円+税)には、次のように説明されています。
 日本軍の陣容を眺めると、特設師団(番号が三桁の師団や、軍縮で廃止された師団番号をつかって編成された師団)が含まれていることから分かるように、参謀本部は、ソ連の動向を考慮するあまり、現役兵率の高い精鋭部隊を上海・南京戦に投入しなかった。つまり、陸軍はあくまで北(ソ連)を向いていたのである。
 この日誌を読んで、当時の日本軍の状況が師団長レベルの考えから、よくとらえることができました。ちなみに、600頁もの大部の本です。読み終わったあと、つい昼寝の枕にしてしまいました。ちょうどいい高さなのです。井上ひさしの『吉里吉里国』を読んだときを思い出しました。
(2007年6月刊。4200円+税)

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