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銀しゃり

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:山本一力、出版社:小学館
 いやあ、うまいですね。何が、ですって?そりゃあ決まっています。本のつくりといい、出てくる鮨の美味しそうなことと言ったら、ありゃしませんよ。思わず、ごくんとつばを飲みこんでしまいそうです。
 ときは、江戸も寛政2年(1790年)。木場で働く川並(いかだ乗り)や木挽き職人相手の飯屋で働く職人の話。
 手早く米を洗い、米は1升五合に加減した。水は心持ち多目にした。重たい木のふたから出る湯気は勢いがよかった。シュウッと力強く噴き出した湯気が、炊き上がりの上首尾を請合っているようだった。鮨飯には、シャキッと硬い飯の腰が命だ。
 21歳の新吉は、もっとも江戸で手間賃が高いと言われる、腕利きの大工と肩を並べる給金をもらっていた。最初の給金が24両。月にならせば2両である。天明4年(1784年)は、飛びきり腕のよい大工の手間賃が出づら(日当)700文だった。月に20日、働いたとして、大工の手間賃が14貫文。金に直せば2両3分だ。
 炊き口で火勢を見ている新吉は、薪を動かして炎を強くした。重たい木ぶたの隙間から湯気が立ち始めれば、火をさらに強くするのがコツである。
 煙を出していた薪から、大きな炎が立った。へっついの火が、さらに勢いを増した。炎につられたかのように、湯気が噴き出し始めた。
 木ぶたのわきに手を置くと熱い。すぐさま炊き口の前にしゃがむと、まだ燃え盛っている薪を取り出した。三本の薪を取り除いたところで、湯気の勢いが弱くなった。飯が炊き上がりつつある。思いっきり細めた火が燃え尽きたところで、へっついから釜をおろす。そして、しっかり木ぶたを閉じた。ここからゆっくり三百を数え終われば、飯が一番うまく蒸し上がる。
 うまいものですね、この描写。本当に飯がうまく熱々に炊き上がる情景が眼前に浮かんできます。子どものころ、キャンプ場で飯ごう炊飯しました。夏休みに兄と田舎のおじさん家に行くと、炊事場にはへっついや釜がありました。なつかしく思い出します。
 湯気が消えて、釜のなかの飯が見えた。ひと粒ひと粒、きれいに立っている。一合の酢に40匁の砂糖をつかう。
 炊き上がった賄いメシを口に含んだとき、新吉は心底から驚いた。米粒が艶々と光っていたし、米には旨味が加わっていた。旨味はコンブのものだけではなかった。井戸水の塩気を巧みに残し、その味にコンブの旨味を乗せていた。
 こいつあ、てえした按配だ。
 私と同年生まれの著者の筆力には、いつもほとほと感嘆させられます。
(2007年6月刊。1600円+税)

伝統の逆襲

カテゴリー:社会

著者:奥山清行、出版社:祥伝社
 かつては日本の技術が「猿真似」だと非難されることもあった。しかし今では、そんな批判があたらないということが世界的に認知されている。元のオリジナルが何であったのか分からないほど、完全に自分のものとしてマスターし、新たな日本の「オリジナル」となっているからだ。
 器用さと開発能力に加えて、日本の職人には大きな特徴がある。寡黙なことだ。
 トリノの塗装職人は、日本円にして年収3000万円を得ている。しかも、イタリアのマエストロは社会的地位が確立していて、周囲から尊敬の念をもって迎えられている。日本の大企業の役員に匹敵する。日本の家具メーカーのトップクラスの職人は、世界的に高い技術を持ちながら、年収は300万円ほどでしかない。
 著者は日本の美大を卒業したあとアメリカに渡りました。そこで、カーデザインを専門に学ぶ大学に入り、GMから奨学金をもらいました。1年間に350万円もの奨学金をもらっていたのです。ですから、卒業後、GMに入り、その研究センターに入りました。そして、1500人いるデザイン部において社内評価が3年続けて1位になったというのです。才能と努力、どちらもすごいですね。
 30歳のとき、ポルシェに移り、新型911のデザインにとりくんだ。そして2年後、またGMに戻った。4年後、イタリアのピニンファリーナに移った。フェラーリをはじめ、世界の名だたる名車のデザインをしている会社だった。しかし、給料はGMのときより3分の1に下がった。秘書なし、オフィスなし、肩書きなし。しかも、言葉も話せない。それでも移ったのは、自分の作品をつくりたい、残したいと熱望したから。
 うーん、すごいことです。若いからやれたのでしょうね。
 1995年にピニンファリーノに入ったとき、デザイナーはわずか5人だけ。この5人は1人ずつ独立して仕事をする。社長がそのうちの2〜3人のアイデアを選ぶ。選ばれたデザイナーは、プロジェクトの最後まで一人で関わる。ほかの人が手伝うことはない。勝者だけが次にすすみ、敗者には仕事がない。敗者はコーヒーでも飲みながら、勝者の仕事を見ているしかない。これは、デザインのようなクリエイティブな要素は、結局、個人の頭の中から出てくるもので、集団で議論してつくるものではない、という考えによる。
 仕事はムチばかりの恐怖政治では人は動かない。モチベーションを上げて、気持ちよく仕事をしてもらうのが本筋だ。ところが、欧米の経営者やマネージャーには、自分がいなくても成り立つような組織をつくろうとする人間はまずいない。逆に、自分がいなければ問題が起きる仕組みや、短期的に業績が上がって自分の給料も上がり、辞めたとたんに業績が落ちるような仕組みをわざとつくる。
 むむむ、そうなんですか。日本でも後者のようなことはあるんじゃないでしょうか。
 アメリカの特徴は、大きなスケールで「もの」をつくることが絶対的な善であると考えていること。ある程度の数がこなせてこそビジネスが成立するという考え方。だから、どうしても大量生産を主眼にした開発や生産に力点が置かれる。
 アメリカがインチ表記を続けている限り、緻密なものづくりは難しい。アメリカ製品が総じて大雑把につくられている最大の理由は、インチという単位にある。
 ドイツ人は不器用であるかわり、ひとつの仕事をするのに非常に時間をかけ、精魂を傾けて道具をきちんとつくる。
 イタリアは厳しい階級社会のため、名家の出身でもない限り、いくらがんばっても社会的に高い地位にはつけない。どうせ上には行けないのだから、今のレベルで楽しもうという「あきらめ」が根底にある。
 ヨーロッパにおけるイギリスの絶大な存在感。イタリアの上流階級は、ほとんどが子女をイギリスに留学させる。
 日本人は想像力に長けているおかげで、深い思いやりと洞察力をもっている。
 日本人の問題解決能力は非常に高い。課題が与えられたら、苦労しながらも、工夫と努力で解決してしまう。
 フェラーリは、社員3000人、年間の生産台数は5000台。ポルシェは10万台。フェラーリは2000〜3000万円台。
 2002年に発表したエンツォ・フェラーリは1台、7500万円。著者が最初から最後までデザインを担当した。これを349台、限定販売すると発表したら、世界中から 3500人もの顧客が押し寄せた。そこで、フェラーリは、申込金を預かったうえで審査した。年収、社会的地位はもちろん、レース経験、フェラーリの所持実績(2台以上もっていたか)など、ブランドにふさわしい人物を選んだ。投機目的の人を排除し、希少性を保った。
 いやあ、世の中にはすごい人がいるものです。たいしたものです。
(2007年8月刊。1600円+税)

暴走老人

カテゴリー:社会

著者:藤原智美、出版社:文藝春秋
 成熟した高齢者が中心の社会になれば、時間はゆったり、のんびり流れるだろう。社会をとりまく空気も穏やかでゆとりのあるものになり、ぎすぎすした雰囲気は消えるかもしれない。漠然と、そう考えていた。しかし、現実は違う。穏やかな社会というのは大いなる幻影ではないか、むしろ私たちが進もうとしているのは、今まで以上にストレスのかかる高齢化社会ではないのだろうか。
 残念ながら、そのようです。私は、後期高齢者に医療費を負担させようとする今回の政府の施策は根本的に間違っていると思います。75歳になったら、医療費を全部タダにして、死ぬまで安心してゆっくり、のんびりお過ごしください。このように言うのが政治の責務というものではありませんか。軍事予算にまわすお金はあっても、老人福祉にまわすお金はないなんて、まったく政治が間違っています。
 お年寄りを大切にしないどころか、あからさまに早く死ねと言わんばかりの政治がすすめられています。だから、キレて叫ぶ老人が頻出するのは、ある意味で当然です。誰だって、無視されたくはありません。大事にしてもらいたいのです。お金がなければ虫ケラのように扱われる。そんな日本に誰がしたのでしょうか。プンプンプン、私だって怒ります。
 若者による殺人などの凶悪事件は、1958年をピークに減少し、現在、ピーク時より圧倒的に少ない。反対に、「いい歳をした」危ない大人が増えている。2005年、刑法犯で検挙された者のうち、65歳以上が4万7000人。1989年に9600人だったので、わずか 16年間で、5倍にも増えてしまった。ちなみに、この間の高齢者人口の増加は2倍。
 60歳以上でみると、2000年から2005年までの6年間で、刑法犯は4万人から7万5000人へ、1.8倍も増えている。
 老人が暴走する原因は、社会の情報化にスムースに適応できないことにある。病院で、突然キレて暴力をふるう患者が10年前から増えている。1年間に看護師の55%が何らかの暴力被害にあっている。仕事をしていて暴力を受ける確率が半分以上という職場は、ほかに考えられない。ひゃあ、知りませんでした。大変なことですよね、これって・・・。
 歳をとるごとに時間が早くたつと感じる理由は、高齢者のほうが子どもより体内時計のすすみ方が遅いから。体内時計が遅いと、現実の時間は早く感じられる。逆に子どもは体内時計が早くすすむため、現実の時間を遅く感じる。この体内時計は代謝の速さに対応している。それは酸素消費量による。それが少なければ、体内時計の進行は遅い。消費量が多ければ、速い。この消費量は脈拍数から推測できる。高齢者の脈拍数は毎分50、子どもは70。この差が体内時計の差になる。
 ふむふむ、なるほど、そういうことなんですか。本当に月日のたつのは早いものです。このあいだまで暑い暑いと言っていましたが、いつのまにやら寒さを感じるようになり、今年も残すところ2ヶ月ないというのですからね。私も来年には還暦を迎えます。ええーっ、と我ながら驚いてしまいました。
 現代の権力とは、時間をコントロールする力のこと。現代の権力とは、まさに時間を私物化すること。時給、月給、年俸と、収入が時間の単位で計算されるのも、時間のコントロールこそが現代人の最大のテーマになっているから。
 いま、地域が抱える大きな問題の一つに、全国各地に誕生しているゴミ屋敷。この住人の大半は独居老人である。マンションのなかにも、ゴミ・マンションが存在する。
 いやあ、キレる老人がこんなにも増えているのかと、今さらながら驚きました。それにしても、私自身が老人と呼ばれる年齢になりつつある今、なぜ老人がキレやすいのか、社会はもっと老人を大切にすべきだと、声を大にして叫びたいと思います。
 年金額を増やせ、医療費をタダにしろ。どうですか、みなさん。ご一緒に叫び声を上げましょう。
 先週の土曜日に天竜川下りをしました。おだやかな秋晴れの下で、小一時間ほど、ゆっくり広々とした天竜川に下っていきました。シラサギやアオサギが川辺にじっと立って小魚をとらえて食べる場面にも遭遇しました。飛ぶ宝石とも言われる鮮やかに青いカワセミ、黄色の目立つ可愛らしいキセキレイの姿も見かけました。柳川の川下りも情緒がありますが、天竜川下りもいいものです。徳川家康ゆかりの二俣城跡も川沿いにありました。川の中、時間はゆったり、のんびり過ぎていき、しばし心の洗濯ができました。名古屋の成田清弁護士のおかげです。お礼を申し上げます。
(2007年8月刊。1000円+税)

さよなら、サイレント・ネイビー

カテゴリー:社会

著者:伊東 乾、出版社:集英社
 オウムには、きちんと整合、首尾一貫した教義は存在しない。金剛乗仏教だと言っているが、主神とされるシヴァ大神はヒンドゥーの神様だし、ハルマゲドンはユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の概念だ。典型的な新興宗教による教義の合金(アマルガム)。どんな非現実的なストーリーでも、自分たちは攻撃されているという被害者意識にとらわれたら、人は簡単に隘路におちこむ。
 麻原が説く潜在意識は徹頭徹尾「孤独」だ。人間として受け容れ、あるいは受け容れられるという豊かな経験を一度も持つことがないまま歪んだ松本の欲望は、自分を神聖な存在=グルと位置づけることで、それこそ顕在意識レベルの解消を図ろうとする。
 オウムの信者であった豊田亨は、東大でも最難関の物理学科を卒業した。その出家期間は、わずか3年にすぎない。オウム自作自演の「ハルマゲドン」を演出するために、東大卒の物理学者が必要だった。ただそのためだけの出家=拉致。いったん出家した後は、自身が関わってもいない「実験」の説明をテレビカメラの前でさせられたり、教祖に都合のよい会話の相手役をさせられたり、あげくの果てに、地下鉄に毒ガスを散布する実行役を押しつけられてしまった。
 どうして、東大でも最難関の理論物理学教室に入って勉強していた優秀な人物が、あんなエセ宗教に身も心もささげて、殺人までしたのか、本当に不思議でなりません。この本は、豊田亨の同級生の著者がその点を追究しようとしたものですが、私には今ひとつよく分かりませんでした。
 次に紹介するアフリカ・ルワンダの話は、すごいことだと思いました。出張したとき、私が福岡で見損なった映画『ホテル・ルワンダ』をたまたまビデオで見ることができました。権力を握った者の扇動によって大勢の人々が狂気にかられ、客観的には同じ民族を大量に虐殺していったというおぞましい事態のなかで、勇気ある人もいたという映画です。
 1994年の4月から7月にかけて、アフリカのルワンダでは、たった3ヶ月間に、 100万人の人々が虐殺された。主な凶器は鉈(なた)。ということは、その実行にも  100万人規模の人間が関わったことを意味している。治安が回復して、これらの人間を裁かなくてはいけなくなった。でも100万人の人間を殺した100万人の人間を再びすべて死刑にしたら、虐殺を二度くり返すことになる。本当に国が滅びてしまう。実際には、100万人の犠牲者に対して、1996年に22人の虐殺指導者を処刑したにとどまる。
 ルワンダ政府は、容疑者を4つのランクに分けた。第一は虐殺を計画した者、第二はそれを実行した者、第三は殺人は行わなかったが略奪などした者、第四は、自分の家族や財産などを守るために正当防衛した者。
 第一ランクの容疑者だけで3000人をこえてしまう。全員の処刑など、現在の国際世論が決して許さない。これらの容疑者を裁くために、「ガチャチャ」と呼ばれる伝統的な裁判が大量に組織された。地域の信頼される長老を中心に16万人の裁判官が選ばれ、1万2000の法廷がつくられた。2005年現在も、毎週土曜日に法廷が開かれ、いまだ裁判は終わっていない。
 ガチャチャは糾弾・断罪ではなく、和解と補償を勧めている。赦しは、ときに処刑より強い刑罰となりうる。すでに10万人規模の受刑者を抱えるルワンダの刑務所は、これ以上の犯罪者を収容できない。
 虐殺に関係した多くの人々は、灰燼に帰した祖国の土を耕し、家を建て、外貨を獲得できる作物であるコーヒーを育てる。日々、生きるために労働しながら、虐殺の実行者たちは、自分の行為のトラウマから逃れることは終生ない。
 すごく重い事実ですね、これって・・・。
(2006年11月刊。1600円+税)

「白バラ」尋問調書

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:フレート・ブライナースドルファー、出版社:未来社
 無責任な暗い衝動に駆り立てられた支配者の徒党に、抵抗もなく「統治」を許すことほど、文化民族の名に値しないことはない。誠実なドイツ人ならば、今や誰でもおのれの政府を恥じているのではないか?
 これは「白バラ」が1943年1月にまいたビラの冒頭の文章です。その格調の高さに圧倒されます。20代も前半の学生が中心のグループが書いたのです。
 ドイツ民族のこのがん腫瘍が、初期にはそれほど目につかなかったとすれば、それを押さえるのに正義の力がまだ十分に力を発揮していたからに過ぎない。しかし、腫瘍がだんだん大きくなり、ついに忌まわしくも政治を腐敗させて権力を握り、同時にその腫瘍が破裂し、全身に毒が回ると、かつて反対した者の大多数が姿を消し、ドイツの知識人たちは地下の穴蔵に逃げ込んで、闇に生きる植物のように、日の光を浴びぬままやがて息絶えてしまった。今や、我々は終末を目前にしている。
 私は諸君に問いたい。もし知っているのなら、なぜ動かないのか。
 人間は、おのれの権利を要求する力すら残っていなければ、必然的に破滅してしまう。諸君の臆病さを、賢明さというマントの下に隠してはならない。
 これも同じく「白バラ」のビラの文面です。すごい問いかけですよね。
 「白バラ」は、ビラを9000部印刷し、計画的に配布した。アレクサンダー・シュモレルは1500通の封筒に入れたビラが入った荷物をもってウィーンに行き、そこから、フランクフルトなどへ発送した。ゾフィー・ショルは2500部のビラをハンス・ヒルチェルに渡した。シュモレルとハンス・ショルは、ミュンヘン市内中心部の路上に、夜間、5000部のビラをまいた。
 これらのビラは、大きな動揺をナチ党指導部に引き起こした。
 ゲシュタポに依頼された古典文献学者ハルダー教授は、次のように鑑定した。
 この作者は天分ある知識人であり、自分のプロパガンダを大学関係者、とくに学生のあいだに広めようとしている。文章にはある程度勢いがあり、政治的な意思による固い決断を感じさせるが、この知的産物は、しょせん机上の空論である。絶望視孤立した者の口調ではなく、背後に一定の仲間はいるようだが、政治的な力を持って活動しているグループから派出したものではない。それには文章が抽象的すぎる。これでは兵士や労働者から幅広い反響を得ようとしているとは、また得られるとは思えない。
 さすがに、なかなか鋭い分析で、感心します。
 「白バラ」の活動家たちは、仮面をかぶるのではなく、ごく普通に生活していた。それが隠れみのとして有効だった。
 「白バラ」はミュンヘン以外の都市にも定着させ、広域で把握しにくい、強力な組織をつくりあげようしていた。それが不首尾に終わったのは、声をかけられた人々の大多数がそれに応じなかったから。「白バラ」の活動がミュンヘン、しかも大学周辺の狭い範囲で行ったため発見される危険がますます大きくなったのは、単に協力者が少なかったからに過ぎない。
 うーん、そうなんですか、そうなんですね。まさしく、悲劇ですよね、これって。
 「白バラ」グループに関わっていたクルト・フーバー教授は、ドイツ人が犯した戦争の残虐行為の責任はひとえにナチス親衛隊にあると考えていた。しかし、前線での戦争体験をもつ「白バラ」の学生たちは、違った。国防軍は、後方での殺人行為を許し、見て見ぬふりをし、ヒトラーを止めようとはしなかった。国防軍は軍人の礼節のよりどころではなかった。ヒトラーの思いのままに操られる道具だった。やはり、軍隊ってー、どんなに起立がたもたれていたとしても、しょせんは人殺し集団なんですよね。
 法廷で「白バラ」のショル兄妹の裁判を目撃した人(司法修習生)は次のように語った。
 被告の態度に深い感銘を受けたのは、私だけではないだろう。そこに立っていたのは、まぎれもなく、自分たちの理想に満ちあふれた人物たちだった。被告たちは冷静沈着で、明晰かつ毅然とそれに答えていた。
 公判の日程は公表されず、傍聴席は、このために動員されたナチ組織のメンバーで占められていた。昼12時45分に死刑判決が宣告された。宣告後、親との面会が許され、看守は3人に一本のタバコを一緒に吸う機会を与えた。そして、17時、3人はギロチンで処刑された。
 「ついさっき、僕にはあと1時間しか残されていないと聞かされました。僕の死は安らかで、喜びに満ちていたと伝えてください」
 なんという気高い言葉でしょうか。
 ショル家の父親は、はじめからナチに対して非常に批判的でした。しかし、その子どもたち(殺された兄妹のことです)は3年間も、リベラルな父親の意見を聞く耳をもたず、ヒトラーを熱狂的に歓迎し、ヒトラー・ユーゲントに所属して、そのリーダーになっていたというのです。
 真実を見抜くには時間がかかる。そして、真実を実現するのは勇気が必要だ。こういうわけです。
(2007年8月刊。3200円+税)

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